123 申三つ(午後四時)落着 郡境南高台・津山矢野輔吉景
「背後から敵襲!」
「騎馬20騎、槍兵の後列に突入!」
「迎え討て……」
「矢野輔さん、こっちの兵を抑えて……」
「間に合うか……」
私は兵たちのところへ駆け戻ろうとした。背後からの攻めに軽挙して、乱戦になっては戦の収拾がつかなくなる。街道沿いで家老たちの兵がこれ以上損なわれたら、津山家はもちろん、それぞれの家の存続にも支障が出てくるはずだ。
だが、私が踵を介した瞬間にその背後から堀部の兵たちの声が響いた
「津山の御館だぞ!」
「旗印を見ろ! 敵の親玉だ!」
「逃がすな!」
「西に逃げたぞ!」
これを聞いては、自分とて判断に迷う。自分としては、街道上の戦いで、旗本が討たれに討たれ、あの中に御館様がいるのなら、死んでいるか、捕らえられているかのどちらかだと思う。
だが、向こうの戦況をすべて見ているわけではない。御館様があの重囲を破り、いまなお戦おうとしているのなら……
「うおぉぉ……」
「御館様を救えーー」
つい今まで、戦意をなくしていた兵が、活気を取り戻す。その中からこんな声が出てきて、当たり前なのだ。津山に仕える武士である以上は、御館様に御恩がある。下剋上を企てているのでもない限り、恩に報いるのは武士として当たり前なのだ。
だから槍を構え、南に行こうとする兵たちを止める言葉を、私は発することができなかった。
和議めいた話をするために兵たちの側を離れていなければ、自分で「御館様を救え」との命を発していただろうから。
敵の御館、敵味方の呪い師たち、私、おかつとおこう、おかつの母を取り巻いた兵たちが、左右で槍の叩き合い、突き合いを始めた。
「佐藤殿、おせん殿。とりあえず、狐からこの周りを守ってくれ」
「はっ!」
「わかりました」
「兵たちからは、私が守る」
三々五々、我が方の兵が中心に向けて打ちかかる。だが、掃部介殿は、まったく意に介さず、神剣の一振り二振りで次々に倒していく。
それに比べて、当方の頼りの者どもは適当もいいところだ。
「あーあ……酷い話ね」
「でも、身を守るくらいはしないとね。和華さん、栗原さんも守らないと」
「そうね……矢野輔さん、どうする? これはちょっと収拾がつかないけど」
お互いを守りあう意識はあるようだが、少しも真面目さが感じられない。自分たちの配下の足軽を呼び寄せれば、もう周辺は鉄壁というわけで、あとは怯えて死を迎えた魂を吸い上げられればいいというのが、おかつとおこうなのだ。
「私の命令も聞かんだろう、これでは」
「あら、大将らしからぬお言葉ね。あなたもいい加減ね~」
おかつは軍略にも興味があるらしいが、私の投げた態度を冗談めかしながらも、役目の放棄のように責める。
「一旦収まりかかった火に油を注いだようなものだ。水を差せば、激しく火の粉が飛ぶぞ」
「ごめんなさいね。あなた、ただのぼんくら惣領じゃないわね。ちゃんと読めてる」
「たったの20騎だ。御館様は死ぬ気だな」
「多分ね。死にたがってたから、名分が立つって思ってるでしょ」
「討った者が名乗りを上げたら、ど派手な呪いで兵たちの肝を抜いてくれんか?」
「いいわ。あなたはしっかり気を保つのよ」
「わかっておる」
「おこうちゃん、弱めのを朱雀に目がけてね」
「うん」
「和華さん、上手く鎮めてね」
「はいはい」
おかつはおこうと和華さんの傍に寄って声をかけると、掃部介殿の側にいる朱雀を肩にとまらせた女に視線をやる。
「津山兵部太輔殿、うちとったりぃーーー!」
ほどなく、その瞬間が来た。
「雷鳴よ、朱雀を撃ち抜け」
兵たちが高台の南からの音声にざわつき、固まる。
その刹那、視界が有り余る光に奪われ、大音響。
どかーん! ずだーん!
目がくらみ、きーんとなる。耳鳴りがひどく、前もって気を張っていた私でさえ、その場にうずくまって悲鳴をあげたくなった。
しかし、そうは行かない。
視野が戻らぬうちに、私は無理に声を張り上げる。
「双方引け! 20歩下がれ! 戦は終わりじゃ!」
視界が戻ってくると、大半の兵が腰を抜かしたようにへたりこんでいる。戦もへったくれもない。向こうさんの呪い師たちがこっちをにらんでおるが……
「あらあら、怖い顔。光と音が派手なだけの苔威しの呪いなんだから、睨まなくたってねえ」
「何をした?」
「朱雀に向かって、雷を落としたの。結界が守ってるから、落ちたときの音の響きもすごいだろうと思って」
「なるほど……流石に厳しかったかの……」
向こうの御館が腰を抜かすでもなく立って、にやにや笑っていたのには呆れざるを得ないが……かの御仁も、良くも悪くも人格が壊れておるのだろう。
何はなくとも私は声をあげながら呆然としている兵たちの間に分け入る。
「双方槍を収めよ、20歩引け!」
堀部の御館も数歩引き、背後に声をかける。
ドッドン ドッドン
「引け! 戦を終いにするぞ! 引け!」
後退の合図の太鼓なのだろう。
我らの隊も要所の副将格が立ち直ったのだろう。
「引けのご下命じゃ! さっさと立ち、その場から20歩引け!」
「潔く引け! 戦は終いだと言うておる!」
あちこちで声が出て、ぞろぞろのたのた、兵たちが引いていく。
そこに騎馬武者たちが十数騎。先頭の武者は、さらしを巻いた人の頭を槍の先に下げている。さらしは首から頭へ、面が分かるように巻いてある。
双方の兵たちが引いた間を騎馬武者たちは進み、御館の手前に来ると一斉に下馬する。
私は敵の御館の前に駆け戻る。
先頭の武者は槍先に下げている首をうやうやしく手に受ける。
そして、御館の手前に首を丁重に置き、さらしをほどき、片膝をつく。
「津山兵部大輔様の御印にございます。ご検分願いまする」
「うむ……」
掃部介殿も前にかがみ、しばし首を実検……。
「吉景殿。そなたが、津山一門で残った最後の男子でござるな」
「はっ!」
「兵部殿とは、子どものころ管領のところに人質に取られていたころからの馴染みでな。首になって対面することになるとはのう……首はお返し申す故に、丁重に弔われよ」
「はっ」
私は首の横に行き、やはり膝をついてかがみ、自分自身も実検して間違いなく兵部殿であることを確かめる。そして、さらしで面も隠すように包んで、受け取った。
「摩訶般若波羅蜜多心経……」
傍らで和華さんが念仏を唱える。この人の不思議な力のこもった声が、この場の将兵たちの戦う意欲を失わせていく。恐らく堀部の連中は、そのことを知る由もないだろうが。
「とりあえず、兵を森脇村に引かれよ。わしらから森脇村に使者を出すゆえ、和議はそれからじゃ。今申しおいておくことは、津山家自体は潰さんように配慮する。そなたを当主に存続させるつもりだ。家老たちも身の立つようにする」
「はっ」
「おっかあ、どうする? わたしと行く? 村に帰る?」
「……うん……」
おかつが近寄り、母親と掃部殿に話しかける。妖怪と心が溶け合っても、人としての情は残っておるのか。
「連れて行っていいでしょう? お殿様。そっちに残したら人質扱いよね?」
「いやいや、丁重に客分とするぞ。他の兄弟や御父上ともども……」
「残念だけど、家族はおっかあしか残ってないのよ」
「そうか……まあ、戦が終わって、すぐにまた一戦ともいかんな。よいよい……連れて行け」
親子の情は残っているにしても、人質に取ったところで効果は薄かろう……そこは、お察しだ。
「おっかあ、おいで……」
「ああ……」
「では、吉景殿、また明日……」
「失礼致す、掃部介殿……」
さあ、兵を上手くまとめねば。敗者ではあっても、臣下ではない……毅然として私は踵を返した。