121 申二つ(午後3時半)和議 堀部本陣・堀部掃部介忠久
「甲野殿、借りておくぞ」
腿に深手を負い、右手首を断ち切られた甲野殿の剣が、自分の前に転がっていた。甲野殿は、佐藤殿と立川殿に傷の手当をされている。
「あ、ずるーい……せっかく神主さんを戦えないようにできたのに」
若い方の狐女……といっても、おかつと違って、狐の姿になっていないが……が、わしに文句をつける。
今、高台の上にいる我が本陣の兵や呪い師だちも、津山の兵たちも、狐も、戦意という点では、もはやだだ下がりだ。
戦おうと思えば戦えるのは、今は朱雀を操るおせん殿だけだろう。余も本当なら、さっさと終わりにしたかった。ただ、狐女たちが戦う気を再び起こしたら、もう身を守る術がない。
「気をつけて……くっ……」
傷を手当され、横たえられた甲野殿は、何か言葉を続けたがったようだが、深手の激痛が収まらぬのか苦痛に顔を歪ませた。
「これは……」
柄をしっかり右手で握り、地面から持ち上げると……頭のなかに、呼びかけてくるものがある。
明確な言葉ではない。
だが、何者かが頭のなかに入ってきて、余のことを洗いざらい調べ上げていく……言葉にならない一問一答が繰り返される。剣が持ち主を選んでいる? 神職でなければ、使えんのか?
「うぉあ!」
突然、頭のなかから頭頂に向けて、何か楔のようなものが突き上げるような激痛が走る……だが、それは一瞬で引き、爽快感だけが残る。
「……大丈夫ですか?……その剣は使い手を選ぶもので……」
「それは早く言って欲しかった……」
甲野殿の言葉を聞いて冷や汗がでる。わかる。どうやら最後の痛みに耐えられなければ、不具になっていたようだ。頭のなかを調べた挙げ句に、最後に自分の力を頭の髄に「つなぐ」らしい。それが最後の痛みのようだ。
[あーあ……剣術の嗜みのある人の手に渡っちゃった。面倒くさい]
「一度、手合わせ願いたいけど、普通に『試合』で済みそうにないわね。命がけの『死合』になっちゃいそう」
狐女たちが言っている意味はわかる。神職の心得はないから、剣に込められた明神の力を使いこなせそうにないが、多分、剣を使うことに関しては、今、この場にいる誰にも負けないはずだ。狐女たちが呪いを使わないというのなら、奴らにも勝てるだろう。自分の体と感覚が数段研ぎ澄まされているのがわかる。
一方で、邪な考えを起こしたら、頭の中の「つなぐ」部分が相当に激しい痛みに襲われる。策略など、剣を持たない状態で巡らさないと駄目らしい。柄を握っていなければ大丈夫らしいが。
「甲野殿、これも借りるぞ」
甲野殿の傍らに置かれた鞘を手にし、そこに刀を収め、腰に帯びる。
「お主らも太刀を、一度、収めんか?」
「ふふふ……いいわよ」
「いいでしょ、とりあえず、街道の戦況は?」
戦況は、当方の有利に進んでいた。
出羽守の与力と旗本の馬廻は、上手く合流し、敵の旗本の後半部を突き崩して、出羽の本隊とも合流した。そして、敵旗本の前半部も取り囲んで、ここでは当方の劇勝は疑いない。兵部もそこで討ち死ぬしかないだろう。
ただ、本多勢に攻めかかった、山中たちの軍勢は食い止められ、そこに柴田隊が到来するところだ。
柴田が出羽の隊を追わなかった時点で、勝負は決まった。
奴は時を無駄にし、兵部と旗本を救うには間に合うまい。
ただ、本多と合流するのなら、山中たちの兵が危うい。
「どうかな? そろそろ、戦いを終いにせんか?」
「ちょっと待って。その決定ができるのは、まだ、わたしたちじゃないわ。矢野輔さん呼んでよ」
一門の……弾正の息子だったか。吉景が本名だったか。
「お呼びか」
すぐに若い狐女が若い武者を連れてくる。上質な兜・甲冑が、その男が一門の津山吉景だということを物語っている。尼さんの謡のおかげで、皆が戦意を失うなかで、この男はそれでも、まだ戦える気概を滲ませていた。
「見ろ……そちらの旗本は、もはや殲滅されたも同然だ。柴田隊が相当な兵力を残しておるようだが、こちらも騎馬と弓をかなり残して、それを差し向ければ五分以上の戦はできる。何より、お主らの御館は、あの乱軍のなかで既に討たれていることもあり得る。戦を、ここらで終いにせぬか?」
負けは認められない……吉景は血走った眼を、おかつと若い狐女に向ける。
「旗本があれじゃあ、戦を続けても無駄死にが出るだけでしょ?あたしたちは、どっちでもいいのよ。あたしたちは、人が死ねば死ぬほど、その恐怖を糧に力をつけるから」
「そっちの、おかつとやらも、そうなのか?」
「ええ。玉藻前の心わたしの心と溶け合って、わたしという人間の人格が前にでてるけど、この姿のとおり、妖怪であることに変わりはないの」
このやり取りの間に、吉景は心を決めたようだ。
「よろしいでしょう。兵を引かせます……」
「そうね……。本多さんと柴田さんの横と背に、騎馬が殺到したら……せっかく救った安田さん共々、討ち死にしちゃう。田上城下に逃げるにしても、そのまま追い討ちを掛けられて、バラバラにされちゃうわ。とても、籠城できるような様じゃない」
「そうね〜。そこの朱雀女も、無事だし、あたしたちも分のいい戦いはできないしね」
それならば、お互いに兵を退くの合図をさせようと言いさしたのだが、そうは甘くなかった。
「背後から敵襲!」
「騎馬20騎、槍兵の後列に突入!」
「迎え討て……」
「矢野輔さん、こっちの兵を抑えて……」
「間に合うか……」
戦意を失ったはずの台地の上が、再び、ざわついた……