11 西福寺住職・和同の生臭
7月11日
「この度はお気の毒でしたな」
「ああ。急すぎて、正直、実感がわかない」
拙僧は田上城下の西福寺という、新興の常念宗という仏教宗派の寺の住職、和同である。新興と言っても、総本山が開闢して50年。それなりに門徒・檀家も増えて、特に関八州での布教は好調だ。
だが、それは拙僧のような若い僧の努力に負うところが大きい。総本山は京の外縁にあり、高僧はそこから離れるつもりはない。関八州にはほとんど開拓農民のように20代30代の若い僧が送り込まれてくる。
拙僧も23歳でここに送り込まれ、10年にわたり先代の住職とともに城下町で説法と托鉢に精を出した。安田備後守様にお気に入られ、それが成功につながった。家老で勇将の家だが、旦那寺と折り合いが悪くなり、あっさり改宗されたのだ。禅の精神修養と密教の加持祈祷、浄土真宗の庶民性……ほかの宗派の良いとこ取りと言われる。だが、その辺りが武家に対して受けがよい。供養料も他宗派と比べて安上がりだ。おかげで、この城下町にはすっかり広まった。そして、先代の住職が京に呼び戻されて3年。拙僧が跡を無難に継いでいた。
ただ、拙僧は加持祈祷の力は、今ひとつ弱い。念を使うことには、かなりの自信があるのだが、細やかに病の気を鎮めることは苦手だ。
「もう少し早う伺えれば良かったのですが……」
備後守様の病変を知らされ、医師も匙を投げているとの使いを受けて、拙僧は敢えて急がなかった。拙僧の加持祈祷では、医師の匙を投げた者を救うことはできまいと思った。下に2人いる若い僧たちでは、なおさらだ。
準備に四半刻ほどかけて、安田家に到着した。そのときには、備後守様の意識はなく、死は避けられなかった。護摩を炊き始めて半刻足らずで備後守様は亡くなられた。
惣領の弥右衛門様は、今ひとつ反応がおかしかった。備後守様の存在は圧倒的だったから、弥右衛門様の憎悪が強かったのは知っていた。働き盛りでなおも父親に頭を押さえつけられるというのは、嫌なものだ。だから、亡くなったことにせいせいしていると思ったのだが、そうではない。だが、普通に悲しんでるわけでもない。嫌な仕事を淡々とこなしている風情で、遺体を引き取り、12日に通夜、13日に本葬とするようにと、拙僧に仰せになる。
今日、葬儀の打ち合わせに現れたが、気が抜けた感じである。私の申し開きにも、口が重く……
「いろいろとしょうがないのだ、親父が死んだのは……」
などと話しにくそうにしている。
「弥右衛門様は……家督を継がれて、官名を名乗るのでしょうか?」
「ああ、淡路守を自称する」
今の武家は朝廷の権威をどう思っているのか。適当な官職名を誰にも許可を得ずに勝手に名乗る。
「淡路守様、お疲れのようです。気を入れますか?」
「いや、疲れておるのではない。住職が心配するほどのことはない」
「左様ですか。それでは、葬儀の手順をご説明いたします……」
自分の場合、病を退散させる護摩による加持祈祷は苦手で、これは病の気の流れを読む必要があるためだ。そこのところは、拙僧は今ひとつ練れていない。だが、気を送ることで気分を高揚させたり、逆に鎮めたり、崩したりする術は得意としている。よく「喝を入れる」「気合いを入れる」などというあれだ。座禅で警策で叩くのも、その一種だ。
淡路守様は割と常念宗の教練は気に入っていて、禅を組みにもよく来られる。身心の疲れを訴える時に、気を入れるのもよくある。だが、今日は調子がどうも狂う。
葬儀の流れの説明は無難に済ませ、注意書きも渡す。そうすると淡路守様は葬儀の支度のための前渡しを置いて、物思いに耽る風で帰ってしまわれた。
「明日は通夜か…」
置いていかれた袋を開ければ一分判が5枚入っている。
とりあえず、1枚だけ懐に忍ばせ、ほかは金子をしまう金庫に入れ、そこから代わりに200文取り出す。夕刻に差し掛かる頃合いで、2人の若い僧が夕餉の支度を始める直前だった。台所に行って声をかける。
「お前たち、今日はちょっと羽根を伸ばしてきな」
そう言って、それぞれに100文ずつ渡す。
「よろしいんですか」
「実入りのある時は分け合わないとな。気が詰まっちまえば、修行もはかが行かなくなっちまう」
「ありがとうございます」
「いいってことよ。その代わり、明日の通夜や明後日の本葬はよろしく頼む。でかい葬儀の流れをきちんと勉強してくれ。ほれ、美味いものでも食ってこい。破目を外しすぎるなよ」
「はい」
2人は喜んで出かけた。酒色に耽らず、さりとて禁欲を強い過ぎず……は、浄土真宗から常念宗が受け継いだところだ。それがあるから若い僧が修行から脱落したり、破戒に陥らずに済む。
そして、2人の足音が遠のいたところで、拙僧も後を追うように出かけた。
2人は城下の飯屋に飲みに行くが、拙僧は寺町のそばにある色茶屋に向かった。馴染みの女郎がいるのだが、没落した大店の娘でなかなか教養が深く、来月で年季明けだという。尼僧としてうちの寺に来て、所帯を持たないかと誘っている。妻帯を認めているのも浄土真宗の流れを汲むからだ。あの娘は色町に埋もれさせて置くにはもったいない。一度に身請けするのはさすがに難しい。しかし、足繁く通ってより良い場所に救い上げたいというのは、悪いことではないはずだ。そう思って余裕ができるたびに通いつめた。
仏の教えの真反対で、執着が過ぎている。だが、人を命を確実に一つ救いたい。生臭坊主の誹りは、甘んじて受けるつもりだ。