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118 承前 申一つ(午後3時)小康 郡境南高台・おこう

 申の刻から、時の流れがゆっくり感じちゃう。あたしたちが高台に上がってから、まだ四半刻た経っていないのに、やたらと長い。

 濃密に戦っているから。普通は時の流れが早く経つものだろうけど。

 いろいろ目まぐるし過ぎる。

 今も……何なの? 何で戦の場に、親子の再会劇?

 微かに光が射したおかつ姉さんと玉藻姉さんの心が、男への憎悪で真っ黒になったのに。

 でもいい。どうせ朱雀と女は踏み込んで来ないし、神主だけ気をつけてればいい。

 まずはお涙頂戴を停めないと。

 あたしは、神主に太刀を振るい、後ずさりさせると、姉さんたちのところへ跳ぶ。他の術師はお義姉さんから間合いを取って、殿様も高台の東側へ少し下がった。

 姉さんたちの心の黒い部分が光の部分を取り巻いて、すっかり覆い隠したのに……。黒い殻に裂け目ができて強い光が漏れている。


[引き剥がして、これ以上、光が大きくならないようにしないと……]


 あたしも、あたしの中のこだまちゃんも同意見だ。


「あなた、邪魔……」

「何をするの?」

「おっかあに手を出さないで」


 あたしは、おかつ姉さんのおっかさんの襟首を掴む。40くらいのいかにも貧しい百姓女らしい薄茶の衣に紺のもんぺ。白髪が混じり始めた髪。ただ器量はよく、おかつ姉さんと親子だとはっきり分かる。

 そのあたしの手を、姉さんの手が払う。お互いの感情が行き交う。あれ? かなり内の光は強いのに……。あたしは、お姉さんの手を掴んだ。はっきりとお姉さんの考えが流れ込んでくる。ああ、なるほど。


「おこうちゃんでも許せないことはあるのよ」

「冗談よね? 今さら、親子の情に流されて、善人面するの?」


 おかつ姉さんはおっかさんを後に庇うようにして、あたしに正対する。お互いに剣は持ったまま……あたしたちの殺気のぶつかり合いに、術師たちも、どちらの将兵も、心が釘付けにされている。ここだけ時間が停まったみたいになってる。矢を射ればいいのに、固唾を飲んで見守っている。

 2人とも太刀を晴眼に構えて切っ先を合わせる。もう2人の仲違いは決まり、斬り合いが始まる……周りが期待している。


「なーんちゃって」

「おっかあ、ごめんね。心はおかつに戻せても、普通の人には戻り切れないの……」


 2人で揃って向きを変え、また神主に斬りかかる。すごい、おかつ姉さん策士。というか、女だけど「もののふ」になるって、触れ合った時に呼びかけ、あたしが手首を掴んだ時に、どう動くかを伝えてきたのだ。

 完全に不意を打った。もう神主は防戦一方だ。

 あたしが神主の右手側で左右の肩口の袈裟がけで、お姉さんが左手側から足元を左右に薙ぐように、続けざまに太刀を繰り出す。


ガンガンガンガン


 太刀の激しいぶつかり合い。

 姉さんのおっかさんと神主を巻き添えにしないために、朱雀も女も弓兵も手を出せない。


「取った!」

「うげっ……」


 お姉さんの太刀が神主の左の太腿を深々と斬った。骨には届かなかったけど、膝の上の肉がぱっくり割れ、血が吹き出す。赤い液がどくどくと流れ出していなければ、骨が見えただろう。

 そして、後に転げようとする神主の右手首を、あたしの太刀が、切り飛ばす。手と剣は、向こうの殿様の前に転がった。


「気に入ったぞ。すごい武芸だな。金や領地に糸目は付けんぞ。田上城をくれてやるから、余の味方につかぬか?」


 床几から立ち上がった向こうの殿様が、大声で語りかけてくる。


「面白ーい。殿様って似たような考え方をするのかしら? 向こうの殿様にも似たようなことを言われたわよ。そちらの尼様に、城を譲って、あたしたちと一緒に家来になるって」


 すっ転んだ神主に太刀の切っ先を突きつけながら、あたしは応じていた。


「ああ? 何じゃ先約があるのか?」

「わたしの方は、御免だわ。さっきも言ったとおり、こんな男を城下にのさばらせてるような人だもの」


 姉さんは、虫の息で今にも事切れそうに転がっている建吉という男の傍に行き、太刀の先をそいつの腹に突き立てる。


「政が行き届かんのは申し訳なかった」

「おかつ、もう殺生はやめておくれ」

「今さら謝られてもしょうがないし、おっかあの言うことでも聞けないことはあるの。でも、二人の言葉に免じて、この男は楽にしてあげる」


 ずぶずぶとお姉さんの太刀が、建吉の腹に埋まり、切っ先が背中に抜ける。腹を斬っても人はなかなか死ねないものだけど、建吉はここまで血を失い過ぎていた。手足や首をばたばたさせたかと思うと、不意に動きを止め……息の根も止まった。


「放て!」


 おかつ姉さんと向こうの殿様や術師たちとの距離が開いたのを見て取った向こうの弓兵が、一斉に矢を放った。だが、それは先程と同じく、和華さんと一緒に現れた栗原さんの作る見えない壁に当たり、あえなく地面に転がった。


「げにや余りの悪念は。却って善心となるべし。さあらば衣鉢を授くべし。同じくは本体を。二度現し給ふべし」


 きれいな声……和華さんが口ずさむのは能の謡かしら? うっとりする。栗原さんの壁のおかげで、堀部の弓兵も射掛けるのを諦めたし、高台での戦いは、完全に停まっていた。和華さんの謡は、この場にいる者の戦意を奪っていった。


[和華さんの謡の詞は、どこかで聞いたと思ったら、玄翁和尚が殺生石のわたしたちに言った言葉じゃない]

「おお、能になっとるのよ。その話は」

[玄翁ったら、そんな風に言ったけど、わたしたちを成仏させるには全然力足らずだったのよね。お陰で石が砕けて飛び散って、私たちが復活することになった]

「それはお主らにとっても、わしらにとっても不幸な話じゃな」

「そうでもないわよ。あの尼さんとお姉さんに任せておけば、ずっといい世の中になる」


 玉藻姉さんの中に植え込まれた明神さまの光と、人としてのおかつ姉さんの光……。玉藻姉さんのなかの光も通さぬどす黒い闇と、おかつ姉さんのなかの薄黒い闇……。それぞれが溶け合って混ざり、闇の薄い部分から、絶えず、温かい光が漏れている状態は、黄昏れや夜明けの空を思わせる。


「さて、どうする? それでは、そちたちと和議をすればよいのかな?」

「あら、大した自信ね。でも、どうなのかしら? 中山道を食い破られたら、あなたたちが詰みでしょ?」


 朱雀を操る女でさえ、和華さんの謡の声に聞き入り、戦いは完全に停まった。

 あたしたちも、その雰囲気を壊すようなことはしない。

 刻は、兵の多い津山側の味方……。そのはずだったから。

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