116 申一つ(午後3時)変貌 郡境南高台・おかつ
快感……。
命のやり取りって楽しい。
少し躊躇してたら、何度か死んでいた。
肩の傷は思わぬ貰い物だったけど……それでも、楽しい。
(もっと殺しなさい)
わたしのなかの闇が囁く。
呪い師たちと渡り合っても、堀部の策を破っても、人の恐怖する心を捕まえて贄にしないと力の器が広がらないのが私たち。特に玉藻姉さんは、大妖としてこの国を闇に落し、そこに君臨したい。
でも、わたしの今の志望とはズレがある。
わたしは謀や命のやり取りが気に入ってしまった。こんな面白い世界を、男は……侍は独り占めにしている。
わたしも君臨したい。闇の世界ではなく、現の世に。
男や侍たちを膝下に組み伏せたい。
「玉藻姉さんには、このままわたしの道具になってもらいたいの」
1つの身に2つの心。隠し事はできないから、玉藻さんにこの思いは筒抜け。冷笑が返ってくる。
(すぐにあなたの身体と心はわたしが取り返してみせるからね)
でも、玉藻姉さんにもわかっている。わたし自身の力の器も広がっていて、何千人くらいの魂を奪ったとしても、わたしの心身を取り返すことはできない。
それでも、玉藻姉さんの気持ちは汲み取ってあげないと。
さっさと朱雀を操る女を始末して、堀部の殿様の御命も頂戴しなければ……。
今は、おこうちゃんが、神主の神剣と朱雀の火の玉の乱射を一手に引き受けている。
さすが、わたしより力の器は大きいだけのことはある。
わたしは疼く左肩の傷に構わず、太刀に冷気をまとわせ、両手持ちにし、神主に斬りかかる。朱雀が同士討ちを恐れて火球を止める。
「うお……くそ……」
神主もわたしたち2人の攻めに防戦一方。手が出せなくなる。わたしが頭や肩口から上半身を袈裟に斬ろうとする太刀筋。おこうちゃんが、腹から脚を左右に斬ろうとする太刀筋で攻める。2人で神主との間合いを詰めているので、朱雀の攻め手はまったく途絶えた。朱雀女に武術・体術の心得があれば、わたしたちが圧倒されていただろうに。
おこうちゃんは真名を知られていないから、玉藻姉さんの力を弱めたような呪いもかけられない。お互いの意思は、玉藻姉さんとこだまちゃんの心のやり取りで通じるから、声に出さなくても、わたしたちの連携は完璧……。組んで戦えば、怖い物なしだ。
「うわぁ……」
神主はついに情けない声を立てて、尻餅をつく。
だが、その刹那だ……。
「朱雀よ、妖魔を炎の矢で刺し貫け」
それは矢というより炎の礫と言った方が正確なのだが、わたしたちにめがけて激しい連射……神主との間合いが広がったので、再び朱雀の攻めが再開したのだ。
わたしは太刀から、おこうちゃんは左手から、氷雪の気を発して、火の玉にぶつけ、消していく。
一転、これはちょっとよくない展開になった。
朱雀の力はやはり強い。わたしたちの出方に応じて、力を小出しにしながら迎え撃ち、余裕綽々だ。
玉藻姉さんの力が万全だった一昨日はほぼ互角に戦え、ちょっとした油断をおこうちゃんとこだまちゃんが突いたから、朱雀を退散させられた。
だけど、今、こちらの力は、朱雀とあの女の力の9割くらいというところ。
しかも、神剣持ちを今日は出し惜しみしていない。連携ではわたしたちが上だけど、向こうの連携が取れていないわけではない。
今もせっかく尻餅をつかせたのに、朱雀の火の礫を受けている間に、とどめを刺し損なった。神主は、素早くしゃがんだ姿勢を取って、後に大きく飛び退った。
その次は破魔の矢……弓兵たちの放つやには、恐らく神主の破魔の念が込められている。矢筒ごと念を込めている大雑把な仕事みたいだけど、どの矢に念の効力があるのか、誰にも読めないから気が抜けない。
「ちぇ……一旦、下がるしかないわね」
自分たちが数間下がると、足軽たちに矢を切り飛ばさせることができたので、確実に身を守れた。でも、その間、朱雀を操る女と神主は一息つけるという寸法……これじゃあ、じり貧……。
何か打開策はないか、矢を切り飛ばすのを、おこうちゃんと足軽に任せ、全体を見渡してみる。
(神主を振り切って、左右か後の結界の弱いところを突くとか?)
玉藻姉さんが助言してくる。わたしも、順々に結界を作ってる男たちを見る。
あれ?
右手の男?
どこかで会った記憶がある?
誰?
あ……二ヶ月くらい前……わたしを遊女たちと一緒に、慰み者にした男……
あの男に慰み者にされたおかげで、わたしは折檻されかかり、女郎屋に売り飛ばされるのから逃れようとした。
そして、途中の村で男たちに捕まって、ひどい目にあわされた。
あいつ……
「ぐっ……く、くるしい……殺す……ころす……コロス」
自分の心がどす黒く変色していく……
(え? えええ? 何、これ……わたしより黒い……憎悪……苦しみ……そう? わかったわ。あいつが……いいよ、おかつ……わたしが呑み込むから……すごい……すごいよ。こんなに人間が黒くなれるなんて……)
「ぐぁ……ああああああ……」
自分のものとは思えない大きくしわがれたうめき声を立てながら、わたしはわたしでなくなって……