115 未四つ(午後2時半)錯綜 堀部本陣・佐藤吉之助義安(地図)
来る。
一昨日ほどの強さはないが、それでも人智を圧する妖力……その力を発散する人の形をしたものが坂を上がって来る。
「殿様、織部様、来ます! 兵を下げて!」
「やつか!」
「そうです!」
「鉦を鳴らせ!」
キンキン、キンキンキン、キンキン、キンキンキン……
2回、1呼吸、3回、1呼吸……旗本衆の間で取り決めた拍子で鉦が打ち鳴らされる。
奴らが来る合図だ。
台地の北側の縁沿いにいた兵たちが、本陣の殿様、織部様、供回り、そして、私ら呪い師たちの左右に退く。
「織部も下がれ。旗本を指揮する奴がいなくなると困る」
「わかっております……」
その刹那である。氷雪が台地の北東部に、轟っという音と風とともに舞い上がったのだ。
「ほう。一昨日は火の鳥との力比べになったから、今日は吹雪で対抗するのか」
お互いに駒の内訳はわかっている。今日は私と甲野さんが揃って前に立ち、殿様のそばにおせん、建吉と高吉は左右、立川さんと隆之介を後に置いている。そして、殿様の横には切り札になるかもしれない人も……。
空振りになった氷雪が、坂の傾斜なりに吹き上がり、力なく落ちてくる背後……ゆっくりと姿を表す、若い女が2人、それに続く5人の足軽、さらに、津山一門の残党のそれまた残骸。
「あら、残念ね。上手く退いたものだわ」
笑みを浮かべ、臆することもなく前へ歩んでくる狐たち。
その左右にいる津山一門は、残り300といったところだろうか。だが、士気はまだ旺盛のようだ。いや……呪いで士気を高揚させているのか?
ただ、私たち呪い師にとっては、敵兵の動きはどうでもよい……というか、どうにもならない。どうやら、兵たちは、狐と5人の足軽の左右に広がり、こちらの旗本とにらみ合う様子だ。にらみ合うのなら、それはそれで結構だ。
私たちと殿様の背後には、20ほどの騎馬がいて、それは戦奉行が指揮をとっていて、伝令にもなっているようだ。本来の旗本の馬廻衆は、さらに後に下がる。20の騎兵の左右に弓兵が50ずつ上がってくる。
よかった、狐がこちらに向けて何かを仕掛けて来る前に、弓兵が並んだのは助かる。
「あら、面倒くさそうなやつらが、雁首ならべてるのね」
「減らず口がでるようだと、怖いのかな?」
若い方の狐がこちらに話しかける。数十間は離れているのに、声が鮮明に聞こえるのは、何かしらの術を使っているせいだろう。
殿様が挑発するようなことを言う。こちらの方は、結構な大音声だ。人間の距離感なら、大声を張り上げて不思議がない。それにしても、でかい声を出せるというのは、戦場の将に必要な才能の一つだなと思ってしまう。気負いもなく、何気なくという様子なのに、高台にいる兵たちすべてに聞こえていそうだ。
そんな殿様の音声に呼応するかのように、私のすぐ隣で、すらりという音がする。甲野さんが神剣を抜き放ったのだ。今日はすごい霊気を放っている。一昨日の夜、稲荷明神の力を借りて以来、神剣の霊気が高まり続けているようだ。
背後ではずっと、おせんが不動明王の真言を唱えている。
「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そわたや うんたらたかんまん……」
おせんと朱雀は互いの意思が通うようになったから、呼び出しに時はかからない。だが、狐たちの攻め手に応じて、こちらの術をぶつけて行こうという話で、効力のある術をいつでも放つことができるよう、気を練っているのだ。
「今日は、あなたたち堀部の兵に、私たちの贄になってもらうから……」
年上の方……おかつが抜刀し、無造作に歩みよってくる。こちらも呪いでは、向こうの出方に合わせるというつもりだったのだが、向こうもその気でいるのか? さらに数歩遅れて、若い方の娘も、抜刀してこちらへ進み出す。
冷たい霊気をまとっているのは、火の精である朱雀に対抗してのものだろうが、剣術に頼ってくるのなら、こちらには甲野さんしか使い手はいないので、不利になってしまう。
冷たい霊気、それに殺気がすごい……威圧感が半端ない。建吉、高吉、隆之介、立川さんが九字を唱え、殿様と自分たちを守る結界を張るが、一昨日と同様、向こうの攻撃を逸らすくらいしかできないだろう。
甲野さんは神剣を地面すれすれに降ろして下段に構え、前後に足を開いて深く腰を落としながら、身体を右へ回す……剣先を身体に隠して、間合いと剣筋を読まれない構えだ。
「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだんまかろしゃだや そわたや うんたらたかんまん……」
私も不動明王の真言を唱える。向こうが冷たい霊気をまとって攻めてくるのなら、自分も朱雀の眷属を呼び出して炎の技で手助けしたほうが良い。
手っ取り早いのは、どちらか一方を私が足止めして、その間に一方を甲野さんとおせんで短時間に片付けてもらうことだろう。
「どんなに準備しても無駄。死になさい……氷雪斬!」
おかつが左前の半身になり、左手を前に突き出し、太刀を立てて、それを持つ右手を後へ引く。まるで、矢を射るような姿勢とともに、声を掛けると、左手から一条の光の板が伸び、何十間も伸びたかと思うと、左右に薙ぎ払われる。
「うおあ!」
「ぐあ!」
「おい、どうした!」
「何だこれ、氷が……」
「しっかりしろ!」
おかつは、長大な氷の刃を左手から伸ばし、それで左右の足軽たちが薙ぎ払われた。
私たちと、私たちの張る結界の中にいるものたち、その背後にいた弓兵・騎馬兵は無事だったが、左右の槍兵が何人も倒れた。
「お、お、おれが、俺が無事なのは、護符のおかげか?」
私の描いた護符や、立川さんの込めた念のおかげで、無事な者、軽傷で済んだ者はいるが、やはり効果にばらつきはある。戦い続けることができない者が続出したようだ。その混乱に乗じて、敵兵が左右から打ち掛かる。
だが、それに目を奪われている暇はない。
「貫いてあげる……氷雪槍!」
「急々如律令! 天狗火よ、守りの壁を!」
天狗は関八州……とりわけ北関東では、妖や式神としては呼び出したり、使役がしやすい。横合いから一陣の烈風が来たかと思うと、幕のように火の帯が我々の前に広がり、若い娘が放った太い光のやりがそこに食い止められる。
じゅうじゅうと火が氷雪の棒を溶かし、その一方で火はその凍てつく空気で勢いを削がれ……せめぎあいが続く。そこに、おかつと娘が、太刀を上段に振りかぶって、突っ込んでくる。
天狗火が作った火の壁は、氷雪の槍で弱まった左右で、太刀であっさり切断され、崩れ落ちる。
そこから二人が私たちに躍りかかろうとするのを、甲野さんが斬りかかって防ぐ。
下段からおかつの腹部をめがけ、神剣が横撃……。
だが、おかつは、着地して足が地面に届くなり、後に跳び退いて、それを避けてしまった。
甲野さんはそのまま、わたしにめがけて突っ込んでくる娘に向かって、剣先を伸ばしながら飛び込んで、腹部を突こうとする。
がきん……
金属同士がぶつかる音が私の目の前でして、武芸者ではない私はようやくと我に帰って、飛び退く。
すぐ前で娘の太刀が甲野さんの神剣を弾き飛ばし、そこからお互いの頭部にめがけた剣筋が交錯する。
がんがんがん……
鈍く重い金属の板棒同士がぶつかる音は、耳に痛いほどだ。私はそこからさらに下がる。殿様を結界から外さないようにするために用心しながら……。
つばぜり合いから、甲野さんと娘は、お互いに飛び退く。
この娘の名が分かれば、おかつと同様の呪いを仕掛けるのだが……。
「やるぅ……その神剣がなければ、あんた、ただの青瓢箪なんでしょうけど……きゃっ……」
そこへ、半間ほどの大きさの火の玉が射込まれる。おかつにも。
肩に火の鳥を留まらせたおせんからの攻撃だ。
おせんは、朱雀を呼び出したが、朱雀からの入れ知恵なのだろうか、そのまま朱雀をぶつけるのではなく、朱雀とおせんの力を合わせた呪いで攻めることにしたらしい。
「あ……ちぇ……これは、ずるいわね、あなたたち」
娘に助け舟を出すために動こうとしたおかつには、旗本の弓隊が矢を射掛ける。
おかつは矢を太刀で切り飛ばし、さらに太刀にまとわせた冷気のこもった風で吹き飛ばす。
だが、100本も飛んでくるうちのすべてに対処はしきれない。
「きゃ……つ……これ……やってくれるわねえ」
おかつの左肩に、2本の矢が突き立つ。どうやら、甲野さんの破魔の力を発揮したようだ。1本を引き抜くと、ぶつぶつと治癒の呪いをかけたようだが、効き目は不十分で、傷を塞いだだけのようだった。
2人が下がろうとすると、こちらの弓兵の矢がそれに追い打ちをかける。
今度は2人が従えていた足軽たちが、太刀を手に前にたって、矢を切り払う。
「雹よ……邪魔な兵を打ち倒せ……」
「朱雀よ……邪悪な妖霊たちに懲らしめの火球を!」
「氷雪の壁よ、われらを守れ」
若い女が、我々の後にいる弓兵の列に1寸ほどもある氷の礫を降り注がせ、これに対して朱雀とおせんが1寸ほどの火の玉をいくつも連射して2人をなぎ倒そうとする。
それに対して、痛みをこらえながら、おかつが氷の壁を空中に出現させて、朱雀が連射する火の玉も、後方の弓兵が射かける矢も防いでしまう。
冷気と火気の応酬は、空気の圧がすさまじい……破裂音もし、並の戦場どころではない。その上、上手く合間をぬって切りかかって来たら、甲野さんしか対抗できず、少しの気も抜けない。
この展開は……凡才な呪術師には、厳しすぎるぞ。