113 未三つ(午後2時)好餌 堀部一門隊・堀部大膳太夫吉久(地図)
北から梶川家中の精鋭を中心とする騎馬兵。
南から相当の戦力を残していた大崎家を中核にする槍兵。
そして、東からは、私たち堀部一門を中心にする弓兵・弩兵・槍兵の混成隊。
この3隊が円陣を取り囲んで、もはや蟻の這い出る隙間もない。
もはや、5、600ほどもいた兵は、半分も残ってはおるまい。
「降るように勧めましたが、『くたばれ』だそうです」
もはや風前の灯火であるはずの安田隊に、一応、投降を促す使者として従弟の源之進に出向いてもらったのだが、あっさりと断られた。
「しょうがないか……もう少し、軽く考えて欲しかったのだが……」
「家に仕えるということにも、いろいろな考え方があります。軽すぎれば、今の如き下剋上の世にもなりますが……」
「巻き添えを食う兵が気の毒だがな。武芸者の多くは、家から家へと渡り歩くものは少なくないのにな」
「とは言え、譜代の家老が簡単に敵方に転ぶような世の中になってしまえば、堀部家だって安泰ではありません」
「うむ……まあ、そういう話は後にしよう」
「大崎殿、梶川殿に総掛かりの伝令を出せ」
源之進が傍らにいる者に命じる。
安田隊の正面攻撃を受けた大崎殿の隊は50ほどの槍兵を失っていた。後背をついた梶川隊の本隊も、脚が停まってからは20ほどの損失を被っている。降伏の使者を出す間に、損失の聞き取りの使者を出してよかった。まだ十分に戦える力を残している。
我らの隊は、幸いにして損害を受けていない。全体としては、770の兵で250ほどの敵兵を平らげるのだから問題はない。
だが、先程、伝令が伝えてきた御館様……兄上の指示は、「安田は逃しても構わんから、できるだけ時間をかけて兵を討て」で、「兵を討つ」と「時間をかける」を天秤にかけて、「時間をかける」ために戦いを停めて、使者を出すことにしたのだ。
単純に「兵を討つ」ならば、梶川隊の脚を停めさせるのは愚策だろう。幸いに、我々は兄上の策を、それなりに時間を割いて聞いたから、合点も行くが、今「時間をかける」ことは愚だと、我々以外は思うに違いない。
敵の旗本が、柵の一部を壊し、山中隊を東へ押し込んだとの伝令が本陣から来た。
もうそろそろ梶川隊の背後に、殺到しかねない。
「弩兵・弓兵は組ごとに、五段撃ちを再開せよ!」
「おう!」
伝令が至らずとも、当方の弩弓の撃ち方再開で、梶川・大崎領隊も攻めを再開するだろう。
兄上はできるだけ長く、淡路守を生かすことで、敵の旗本も深くこの陣内に誘い込むつもりなのだ。
ここは高台ではないから見渡せないが、敵の旗本は敵の第二陣を救いつつあるところだろう。それほど時刻は残されていない。ここで安田を打ち取る気で責めかかった方が、旗本を深く誘い込むには良いはずだ。
「槍兵は姿勢を低くいして、戸板を突きまくれ!」
「おう!」
安田隊が強いと言っても、人智を超える存在ではない。矢で怪我をするし、槍の突きどころが悪ければ死ぬ、生身の人間だ。我が隊に対しては、ひたすらに木盾を差し出し耐える一手だ。
「うらー!」
「突っ込め!」
「やばい……こちらに人を厚くしろ」
「間に合わん。円を小さくして持ちこたえろ!」
軍使とのやり取りで戦いに間が開いたのが、向こうさんには不味かったのだろう。梶川隊は距離を取り、速度を乗せて突撃し、円陣は何箇所かで騎馬の突入を許した。
「やばいぞ。こっちも早々持ちこたえられない!」
「盾が割られた!」
大崎殿の隊が槍での打ち掛けを再開すると、そちらも持ちこたえるのが精一杯。そして、当方の正面でも、多くの矢が突き立ち、槍で打ち据えられた木盾に壊れるものが出始めた。
「弩兵・弓兵は盾の割れた箇所を集中して狙え!」
淡路守も大崎隊の正面で奮戦しているようだが、そうなれば将としてまとめる力は弱くなる。文字通り風前の灯火だ。だが、そこへ救いの手が伸びる。そして、それは我々も待ち望んでいた状況のはずであった。
「敵の旗本! 騎馬が駆け足で接近してます」
「梶川隊退け! 挟撃されるぞ! 一旦東に退きながら隊列を整えよ!」
梶川の御曹司は、どうやら父親の将才をしっかり受け継いでいる。ちょうどいい機に上手に手兵をまとめて、敵に背後を撃たれないように退いたのである。
「退くぞ! 殿にはわしがおる。ゆっくり退けい!」
安田も流石に経験を積んだ武将だ、自隊の状況に何の幻想ももたず、後退の下知を出すことに何の迷いもない。
「殿に向けて放て! よく狙え! 同士討ちに気をつけよ!」
兄上とすれば、安田のような人材は喉から手が出るほど欲しいだろう。だが、生死を分ける場で、手加減などしてはいられない。精強を謳った安田隊ももはや200足らず。敵の旗本が深く侵入するのに合せて、壊滅させてしまいたい。だが……どうやら、そうはいかないようだ。