109 午三つ(正午)開戦 中山道・安田隊・吉澤佐平次(地図)
法螺貝が吹きならされ、陣太鼓が打ち鳴らされ、閧の声が鳴り響く。
「えいえい!」
「おう!」
「えいえい!」
「おう!」
我ら安田家の将兵は、閧の声とともに前進を開始する。
先頭を行くのは、俺たち四台の荷車を押す、4つの組だ。荷車の前後を逆にして、取っ手の付く方を後ろに、荷台の方を前にして、丸太を荷車の端から半間ほど突き出している。荷車には丸太のほかに、俺たちの槍と、何枚もの木盾を積んでいる。
俺たちはそれぞれ、丸太の陰に隠れるようにして荷車を押し、そのあとに殿と供回りが続き、そのあとを60の騎馬が、次に400を超す槍兵が、後尾に60の弓兵が続く形で、前進を開始した。
野戦なのに、何で城攻めで城門を突き破るみたいな丸太が必要なのか、などと思っていたが、ここに至って、ようやくわかった。
「よし、押しながら、駆けよ! 柵際の敵兵の列を抜くまで止まるな!」
「おう!」
殿の叱咤に応じて、俺たちは荷車を押す力を一段と込める。がらがらと、車の音が高鳴り、段々と足の回転も上がる。
「もっと速くだ!」
「おう!」
ひゅんひゅんと矢が頭の上を越していく音、ばらばらと石礫が丸太に当たる音が響くが、もう構っちゃいられない。
「行け! 一気に突き破れ!」
ばきん!
柵をぶち倒すすごい音。
「ぐわ」
「痛え」
柵や敵兵を巻き込んだのか、荷車が跳ねる。押してる仲間が何人か、倒れた柵に足をとられてすっ転ぶ。
「安田淡路守、推参!」
「うおお!」
「ぎゃあ!」
「止めろ!」
「生かして返すな!」
殿の怒号とともに、4台の荷車の左右で、怒号と悲鳴が行き交う。俺も荷車に載せておいた槍を手にし、組の連中がどうなっているか確かめる。車は柵の線から2間ほど入ったところで停まった。左右から敵が襲いかかっているようだが、殿と供回りが車の西側に討って出る。
「大丈夫か?」
「おう」
「与平が、柵のところですっ転んで立てないようだ」
「しょうがない、諦めよう。全員、槍は持ったか?」
「へい」
「よし、荷車の右手に出るぞ!」
殿と供回りは、その場の10人ほどの敵を突き殺していた。さらに後続していた騎馬兵が左右から荷車に駆け寄ろうとした槍兵を打ち払う。俺たちは、それに続き、中山道の西側に出て、向かってくる敵に槍を繰り出し、打ち下ろす。
「くそ……」
「うりゃ」
「死ね、死ね」
無我夢中で、自分がどんな声を立てて槍を振るってるのかわかりゃしねえ。滑稽なまでの必死さだが、とにかく相手を近寄らせないことが、自分の生につながる。俺たち平凡な兵はそれが精一杯だが、殿は違う。
右手に見る殿は、三間槍を短槍のように軽々と持ち、目にも停まらぬ速さで、敵に突き入れる。
三間槍は重く、根本近くで槍を持つと、先の方はしなって突きにくい。だから、遠目の敵に対しては、穂先を持ち上げ、打ち下ろす方が効果的だ。威嚇に突き、相手に傷を追わせるために穂先を持ち上げて打ち下ろす。そういう組み合わせで戦うものだ。
だが、殿はしなった先を持ち上げ気味にして、連続して突く。腕の肉が音を挙げないのが不思議なくらいに、槍の先の方を持ち上げ、正面の敵の喉元へと槍先を伸ばす。
ほどなく、荷車の周辺の敵は一層されたが、東側にはしっかりとした槍襖が築かれたようだ。
「各組、隊伍を組んで、南に進め」
殿が出た街道の西側は、敵も算を乱しており、ひと当たりして南へ下がり、さらに東の槍襖に逃げをうつの繰り返し。
敵の攻め寄せも急速に弱まった。
「中山道の街道上から敵を一掃するぞ! 残敵は後続に任せろ。わしらは前進あるのみじゃ!」
周囲に近寄る敵がなくなったと見て取った殿は、槍の柄を地面に突き立て、芝居がかった大音声とともに、南を指差す。
騎馬隊が、さらに荷車の左右に湧いたように出てきた槍兵が、粛々と南に進もうとする。
さらに、第2陣の兵らしい連中が、街道の脇の策を蹴倒し、押し倒し、突破口を広げる。
こうなってしまえば、こんな柵など、あっても無意味だ。
ところが、今度は、矢が飛んでくる。それも百本もあろうかというくらいに一斉にだ。
「木盾を立てろ。木盾を前に立てて、前進しろ」
敵の弓兵の列は30から40間ほど南にあり、最初の斉射で数人が倒された。
俺は大慌てで、荷車に駆け寄り、槍を組のやつに預けて、盾を引っ張り出して立てる。
木盾は縦1間、横半間ほどの戸板ほどの厚さで、矢を防ぐには十分に頑丈だ。板の左右の端近くに取っ手が付けてあり、それを持って前進する。他の組からもすばしっこいやつが車に駆けつけてきて、10枚ほどの木盾が並ぶ。そして、その背後に槍衆が列を作り、前進を開始する。
「あぶねえあぶねえ。うちの組は、矢でやられるやつがいなくて、良かったな」
「ああ、もう大丈夫だろ、うちの弓兵も後に並んだ。射返しがはじまれば、もう恐くねえ」
こんこん、どすどす……矢が盾に当たり突き立つ音がする。
「構え……一斉に放てっ!」
こちらの弓兵も敵に向かって矢を放ち始めたようだ。
「よし、前に出るぞ……10歩ずつ、歩みを合わせろ! いくぞ……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
だが、これ以降、矢は盾に当たらずに、俺たちの後方で、悲鳴が上がるようになった。
敵の弓兵の陣列は、東に動きながら、弧を描くように矢を射掛け続け、それは俺たち槍兵にではなく、後に並んだ弓兵たちを狙い撃ったようだ。
自分たちに矢が来ないのは良いとして……こいつは、不味い流れになってるんじゃないのか……少し嫌な予感がした。