107 午一つ(午前11時)休憩 森脇村南外れ・一服一銭の小六
「粉のお茶を召しそうらえ~」
「おう、一杯くれ」
「へい、どうぞ」
俺は普段は、田上城下の諏訪神社の門前で、一服一銭(縁日でお茶を売る露店商人で、茶一杯を一銭で提供する)を営んでいる。
朝、安田様や御一門の出陣風景を見て、こいつは是非とも戦見物をしてえと思っちまった。だが、連れ合いが許さねえ。商いを一日休んだら、それだけでおまんまの食い上げだと言って。いつもどおり、神社前に店を出せと言いやがる。
しょうがないんで、咄嗟に……
「あんなに盛り上がったら、城下の連中だって、皆、戦見物に行くに決まってる。だったら、森脇村の外れででも店を出せば、大儲けだ」
なんて言いくるめ、商売道具を荷車に載せて引き引き、女房と連れ立って森脇村までやってきたって寸法だ。
うまい具合に、南の村外れにある寺と話をつけて、水と炭を売ってもらうことになった。それで中山道沿いの門前で、今日一日、商売ができることになった。
「いや、助かったぜ。手持ちの水は使い切りたくなかったんで、一服一銭の茶屋が出てるのはありがてえ」
今来た客はそんな風に言ってくれたが、先々水場があるとは限らない。上手いところで店を出せたもんだと思う。多分、見物客は、もう少し先の近いところでみたいはずだ。
とりあえず、女房に言ったことは口からでまかせだったが、嘘から出た真で、繁盛している。森脇村と多田野村と城下町から合わせて千人は来てるんじゃないか。そういう勢いで人が通っている。
床几も10脚ほど荷車には積んできたんだが、満席で立ち飲みが出るほどだ。
「ありがとうございま〜す」
給仕している女房も上機嫌だ。
村に1軒ある旅籠も、弁当の注文を取り出しているほどだ。
今いる門前からでも、戦場の様子はよくわかる。ちょっと遠いのは難点だが、ざっと全体像はわかる。
田上城のお侍たちは、もう陣を敷いていて、戦いが始まる前の一服というところだ。
氷室城の方から来ている兵は、集まりが悪そうだ。長々と柵を作ったようだが、西に一塊、中山道上に一塊、間の高台に一塊……四方村の方から、二隊がやってきて、布陣しようという感じだ。
「こりゃあ、ちょうど真昼に始まることになるのかな。堀部の連中が揃ってから、始まりってとこだろう。あと小半刻ってところかい」
「この寺から半里(2km)も行けば、一番後の備えに当たる。もうちょっと先に行きたいな」
「さっき、村の旅籠の弁当をここで受け取るってことで注文したからな。俺たちはもうちょっとここで待つさ」
「おう、茶をもう一杯くれ」
皆、思い思いだが、深刻さはない。戦は侍がやるまったくの他人事だ。
当たり前だ。侍は侍、百姓・町人は百姓・町人である。
戦に負けて、村や城下に侍が乱暴狼藉を働くことはある。北条と扇谷との戦いでは、村の百姓を自分の領地に連れ帰るようなこともあるらしい。
ただ、基本的に、俺達と侍は、違う生き物と言っていい。
戦で起こる乱暴狼藉も、一時受け流してしまえば、勝手に侍たちが入れ替わって、あとは普段通りの日が戻ってくる。逆に、百姓どもも落ち武者狩りだなんだで、侍どもの狼藉に対する仕返しをしていたりもする。
戦だって、自分が住む城下町や村を焼き討ちにされるんじゃなきゃ、楽しみにもする。
ただ、やはり困る奴も多い。今、来た御仁なんかがそうだ。
「一杯くれ。……畜生、何だって今日なんだ。上手い回り道はないかな。明日には相模に入りたかったんだが、これはちょっと無理かな」
「半刻前までは、行商は通していましたが。さすがにここまで陣立てが進んじゃってるとねえ……。ご商売か何かですか?」
「ああ、鉄製品の買い取りに行きたかったんだ」
すると、床几に腰掛けていた職人風の男が声をかけた。
「それなら、氷室郡の大沢村に行くといいぞ。最近、すごく鍛冶の調子が良いらしい。戦のけりがつけば、半日で行けるだろう。さもなきゃ、東へ向って、大宮から入間川沿いの川口村へ行きな。そっちも鋳物の調子がいいらしい」
「最近は、大沢村の話をよく耳にするな」
俺も聞いている。大沢村の鉄瓶なんか、質もよく、値段もこなれているそうで、今度、買い換えるなら、そっちのにしようと思っていたところだった。
「氷室郡だがな」
「敵方か……ははは」
「いいんじゃねえの、俺達の暮らしに戦だ何だはどうでもいい」
「ああ、そうだ。だから、こんな戦見物なんてのもできるんだ」
「ちげえねえ」
「大沢村ですね」
「ああ、氷室城から東へ一里だ。戦見物してから動いても大丈夫だ。ここから川口まで無理に行くよりずっとましだろ」
「それなら、ここで足止めされても、時間を無駄にしなくていい」
戦見物の客だけでなく、この人のように行商で足止めを喰らう御仁がまだ続きそうだ。無理矢理、一服一銭を開いたのも悪くない。普段より銭はかかったが、儲けは大きくなりそうだし、人の役にも立てるなら、なお嬉しい。
自分も戦見物を楽しみたいという気持ちに変わりはないが……。