104 巳二つ(午前九時半)展開5 郡境南・梶川隊・坂元忠直
「どうやら、敵はまだ仕掛けていないようだな」
「安田家が先陣で、陣形を組みにかかるところでしょうか」
「うむ、よし、ここで道の横で停止し、休んでおれ。忠直、供をせい。御館に目通りしてくる」
「はっ」
私は梶川家に使え、殿のお側仕えの一人である坂元忠直である。
今、殿が率いる与力衆の騎馬200は、御館様の本陣のから300間ほど後方に達した。昨日の御館様の陣立てのお触れの通りなら、我々の騎馬隊は最後尾に位置するはずなので、後から追い付いてくる徒立ちの兵のための場を開けておかなければならない。
中山道の西側は草茫々の原野である。
昨日はこれより、少し南寄りの場で、敵の殿軍に突入するように見せかけて方向転換して、委細かまわず森脇村へ突き進むという荒業をやったが、ほどほどの草地で、荒れもなく、馬を走らせやすい。
馬たちがすぐに草を喰み出す。続けてというのは無理でも、この辺なら一時的な野営地としても使いやすいだろう。
「そう言えば、もう少し南に小川がありましたな」
「おう、交代交代で、水を飲ませに行こう」
梶川様配下に繰り込まれた与力たちは、馬の扱いに未熟な者もいるが、だいたいツボを心得て、いろいろと自分からやるようになった。水の確保は馬にとっては大切なことで、きちんと水場に使えるところに目配せしていたというのは、かなり慣れてきた証拠だ。
「御曹司の率いる本隊の到着はいつ頃になりますかね」
「陣立ての最後尾だから、午の刻に間に合っていればよい」
「確かにそのとおりですが……旗本、一門のお二方、我々でまだ900というところです。巳三つ(午前10時)には、あちらさん、仕掛けてきかねませんよ」
「なあに。向こうから時刻を約束して、しかも大兵。これで約を違えて攻めて来たら、向こうの御館は末代までの赤っ恥だぞ」
「なるほど。そういうものですか」
殿の達観と同じようなことを、我らが御館様もお考えなのだろうか。
本陣は周囲から突き出し気味の台地に置かれていた。特に陣幕を張っているわけではない。
前衛に槍兵、その後方に御館様の御座所。左右に弓兵が控えている。旗本の騎馬は本陣後方に控えている。この本陣に敵が攻めかかってきたら、左右に繰り出して、横から叩こうということだろうか。
「御館様に取り次いでくれ。梶川が参ったとな」
馬から降りながら立哨していた番兵の1人に殿が声をかける。
すると、周りにいた2人の番兵たちが手綱を取り、馬を留めるために立てていた杭のところまで2頭を引いて行き、綱をくくりつける。
殿は馬の様子をうかがってから、番兵の案内に従い、御館様の御前に、片膝をついて頭を垂れ屈み込む。私はその後ろに控え、殿と同じ姿勢で身を屈する。
「梶川出羽守、参陣仕りました。御館様にはご機嫌麗しく」
「早かったな」
「津山の連中が、早仕掛けして、御館様が討ち取られでもしたら、寝覚めが悪いですからな」
「織部は連中が早朝から柵の杭を引っこ抜くんじゃないかと心配しておった」
「わはは……一流の武将の心配は似てくるわけですな」
「その名将たる梶川には一つ、相手を惑わす動きをしてほしい」
「いかがすればよろしいので?」
「巳三つ(午前10時)になったら、そなたの配下の騎馬をすべて率いて、柵の西端まで前進してほしい」
「さて。どういう意味がござるので?」
「連中は、安田を先頭に立てて、中山道上に、がっつり一発喰らわしてくるつもりだな」
御館様が津山の陣営の方へ目線をやる。
殿と私が、御館様の視線の先へ、自分たちの目をやる。
先鋒の安田家の兵が、中山道をゆっくり進んできて前進を止めたところで、街道を横切るように何列かの横隊に展開していた。
すると第二陣が、中山道から離れ、安田の陣の西側後方の原野に陣を張る。津山一門の三種類の旗に与力衆が入り混じっているようだ。要するに、一昨日の敗残軍で、こいつは多分、烏合の衆だろう。
さらにその西後方には、家老の柴田家の隊が陣を敷く。
いわゆる雁行陣とか、斜行陣と呼ぶ布陣で、三つの隊で合わせて1500から1800くらいだろう。
その雁行の陣の安田家の後ろの街道上に、向こうの御館の本陣がある。だいたい1000くらい。
その横、敗残軍の後方に、本多家の旗印で500ほど。
さらに本陣の後方に300ほどの後備え。猪口外記の隊が中核のようだ。
「向こうがあの雁行の陣のまま仕掛けてくれるのなら、わかりやすい。となれば、今は中山道上に分厚く布陣するという手の内を見せたくない。見せたくないから、皆が参陣するのはぎりぎりでよいのだ」
「なるほど、相手の出方にもよりましょうが、それがしの隊が横に出てくることを見せつけようと?」
「ああ。柵に突っかかって来たときに、こちらは騎馬を繰り出して向こうの右翼を叩くつもりだって思い込ませるのさ。騎馬の塊が自分達の右手に現れたら、右翼を下げだ雁行の陣でぴったりだと思うだろう。そうすることで、どこを突くにせよ、こちらは柵に頼った戦いをすると思わせることができる」
「ふむ……」
「まずは、安田に強攻させ、中山道上に突出させて、できれば安田から第3陣あたりまでこの本陣に攻め寄せさせたい」
「流れにもよりますが、背後から安田を討てれば、万々歳ですな」
「何はなくとも、あの陣形で攻めて来るようにしたい」
「わかり申した。実際に最右翼の敵が当方に攻めてきたら?」
「そのときは、街道上の最後尾に、ゆっくりさがっていい。向こうは柴田が対応してくる。慎重に動くはずだ」
開戦前から駆け引きに気を回さないといけないから、大将は大変だ。敢えて回りに陣幕を張らないのは、御館様自身の姿を周りにさらすためなのか。
そう言えば、一昨日は、本陣に火の玉だ、火の鳥だと大騒ぎだったという。我が隊は森脇村に兵糧を焼きに行っていたので見ることができなかったが。そんなことが、今日も起こるのだろうか。侍ではない、町人風の作務衣姿の連中も7人ほど、床机に腰掛けて浮かぬ顔だ。若い女、年増の女もいて、何のためなのか不思議ではあるが……。一昨日の騒ぎの一端は若い女だったと言うから、妖しい呪いを使うのかもしれない。
そんなとてつもない光景に、お目にかかれるなら見てみたいが……、恐いもの見たさくらいのものだが……。