100 卯二つ(午前5時半)展開 中山道沿い郡境・堀部旗本・内山京四郎
「何事もない……」
「まあ、案の定と言えば案の定。心配のしすぎだ」
四方村に泊まった旗本の90騎は、夜が明けきって間もなく、早々と郡堺に達した。
無論、堀部家陣営で一番乗り。なだらかな坂上に見える敵方の森脇村から郡境に至るまで、敵方の津山の兵は影も形もない。
わしは一昨日までは旗本の馬廻衆の副将で、今日からはその長になった。これまでは旗本総体の大将はなく、御館様の直属で、馬廻衆100、槍衆300、弓衆100がいた。だが、今朝、兵糧を配る段階で、馬廻衆の長である織部殿を旗本の軍事総元締めという御大層な肩書きに任命した。突然と言えば突然だが、おとといの戦いで、槍衆が100ほど討たれ(うち50ほどは焼き殺され)、旗本衆の規模が縮小したことと、御館様が「総指揮に専念する」と仰せになったことで、織部殿を昇進させたわけだ。
わしも馬廻の長になったわけだが、上役に織部殿をいただくことには変わりなく、特に抵抗はなかった。
夜明けとともに陣屋で兵糧を受け取り、のんびりと郡境へと歩を進めようとしていたのだが、織部殿が「敵の急展開がありえる」と言い出し、旗本の騎馬隊の先行を言い立てたのだ。御館様には、それは無用な処置だと、目で訴えかけたのだが……「旗本の細かい兵の動きは織部に一任した」と笑いたそうな顔で言われては、手の打ちようもない。10騎を伝令用に親方様の手元に残し、常より少し速めの脚の運びで郡堺に達した。
まあ、見えていた結果なので、誰もが不満だらけだ。
「心配症なくらいが軍略家には向いていますよ」
「ああ、心配の通りだったら、俺らの方が詰んでる訳だしな」
「まあ、そう思うしかねえか……ははは」
悪口を冗談に溶かして、不満を後に残さない……これまでは御館様自身がいろいろ無茶を仰ることが多かったので、旗本衆の誰もがそういう習性を身に着けている。特に、織部殿自身がそうであり、御館様にも冗談の衣を被せて辛辣なことを言っていたので、それに倣えというわけだ。
「よし、みんな、下馬して、くつろげ。他の連中より、いい眺めのところで、長く休める。そう思おう。柵のところにいるやつらにも、その場でくつろいでよしと、誰か伝えてこい」
「はっ」
90騎のうち、30騎は中山道上の郡境へと進ませた。そこにはまだ杭を打っておらず、流石にそこを破られるわけにはいかんからだ。街道の流れをできるだけ途切れないようにするため、敵の姿が見えるまでは、杭を立てるなというお達しなので、大崎殿の槍兵がやってくるまでの番兵代わりである。で、残りの60で本陣の展開場所を確保というわけだ。
それにしても、将に求められる超然と、策士に求められる細心……織部殿の性格は、どちらかと言えば、後者の方が勝っているのだろう。
昨日、杭を立て柵を作ったのちに、森脇村には何度か物見をだし、向こうもいくらかの前衛と物見を村に残していることはわかっていた。
とはいえ……
「柵も、策も、やつらはぶち壊すかもしれない」
などと、駄洒落とともに思い付いたようなことを言い出されたのだ。正直なところ、上役でなかったら、頭をどついていたところだ。
そうは言っても、上役からの命令は命令。
槍兵、弓兵が朝飯を食べているのを横目で見ながら、騎馬隊は進発。
「敵が見えん限り、馬は放牧させておけ。各組で見張りは順番に回して、朝飯を食ってしまえ」
「承知っ」
わしも直卒の組のものに、自分の馬の世話を任せ、鞍に付けてきた床机を立てて腰掛け、朝食にかかる。
昨日は、わしも自分の馬に荷車を引かせて、この高台に森から材木を運んだ。思いのほかに細かい材木も運んでしまったので、どうするのかと思っていたが、高台の比較的急な斜面にも、それらを逆茂木として立ててある。見張らしもいいし、柵からの距離は近いが、総指揮を執るにはなかなか良い陣になっている。
郡境は、四方村と森脇村の間にあって、集落の切れ目にあり、田畑さえない。南北から緩やかな坂を下った底が郡境となっている。
秋めいて紅葉の目立つようになった東西の森の木々を眺めらながらの朝飯は、なかなか風流で心慰められる。
竹皮の包みを開ければ、塩握りと味噌握りが2個ずつ、串に刺して焼いた牛肉が2串……約定どおりなら、正午から動く。半分は昼食に残しておくか。午の刻になってすぐに食えば、戦の途中でへたばることもあるまい。
傍らの地面に棒を突き刺し、風景と中山道の道筋から、だいたい真北だと思われる方向を見定め、根本のところから真南に線を地面に刻む。
棒の影は、今は西へ伸びており、これが刻んだ線に重なれば正午となるので、時刻の目安にできる。半刻から1刻もすれば、槍衆、弓衆、それに御館様も到着するだろう。
それまでは、秋の風情ある光景をたっぷりと堪能しておこう……水しか飲めないのが残念の極みだが。