99 卯一つ(午前五時)急行 半田村梶川家居館前・梶川吉十郎秀朋
「ちょっと不味いことになるかも知れませんな」
「菅野殿、そんなに案ずるな。いざとなれば、どこでも進めるさ。一昨日だって、隊の6割は原野を進んで森脇村に達したしな」
堀部の主力騎馬部隊は、半田村を進発する我が隊と、父上に率いられて氷室城下を発つ隊と、2隊に別れている。
城下の隊も今ごろ出発し、いち早く戦場に到着できる父上の騎馬隊が先頭に立つだろう。問題はその後の徒の兵たちの行軍で、兵糧を受け取り、行軍中のどこかで食事して……となると、城下から郡境までの6里をこなすのに、3刻で足りるのかという心配が出てくる。
しかも、父上の隊と我らが隊の間に、他家の徒の兵が挟まり、思うように進めないことが考えられた。
我が家中の騎馬を私と父の側近の菅野弘明殿が率いねばならないのだが、菅野殿がそのことを指摘してきた時、私は思わずすっとぼけてしまった。
もちろん、兵に余計な心配を与えないためだ。
「ちょっと心配になりまして。杞憂というやつだったかも知れませんな」
「うん。さて、準備は万端に整っている。日が昇り次第に出立するぞ」
「はっ」
すっとぼけたというだけで、同じ不安に私も気づいたことを、表情から菅野殿もわかってくれたらしい。
他の軍勢が邪魔になり、開戦に間に合わない可能性……父上は、軍略や馬以外の兵站には大雑把な時があり、私と菅野が抱いたような不安に気づいていないだろう。
三間槍を担ぎ、甲冑を着こみ、糧食や水なども運ぶので、徒の兵たちの足取りは鈍い。せかせか歩けば、人は1刻(2時間)で2里半(10km)は歩ける(時速約5km)。だか、戦支度をした状態では、一刻で二里を進むのがせいぜいだ(時速約4km)。さらに朝飯と休憩をどこかで入れないと、戦場で疲労困憊になる。
氷室城下から郡境へは、だいたい6里。正午の開戦には間に合うにしても、午の刻ぎりぎりというところで、我が隊もそれに巻き込まれたら不味い。
半田村から中山道までは約3里。徒の兵の行軍の後にはまりこむ恐れは強い。他隊をどかしながら進むというのは、敵を蹴散らしながら進むより面倒なことも多いのだ。
街道外を進む手は確かにあるが、200の内の150は与力で、その半分くらいは、まだ未熟者だから、戦場に到着するまでに変な消耗をさせたくない。
馬の速度と体力ならば、並足で1刻あたり3里は確実で(時速6km)、息が上がらない程度に急がせれば、郡境に巳三つ(10時半)には着けるはずだ(時速8kmくらい)。
だが、他家の兵が邪魔になったり、余計な路外での動きが出たら……。
「案ずるより産むがやすしで参りましょうか。急がば回れという言葉もありますし」
「そうだな……。よし……。出立するぞ。全隊、続けーっ!」
不安は残しながら、朝日のなか、我が隊は進み出す。疲労は覚悟で、徒の諸隊の前に出るために、速足で進んだ方がいいのかどうか……。
居館から10間ほど南に進んで、東西に走る街道に出て、西に進路を取れば、中山道に向かうが……
「急がば回れか……ああ、そうか」
東西の街道に出たところで、私は馬を止め、下知する。
「我が隊は、西ではなく、一旦、東に向かい、それから北西に四方村へ向かい、戦場に達する! ついて参れっ!」
街道に出た私は馬首を東に向け、進み出す。慌てた菅野殿が馬体を並べ、どういうことかと言いたげな顔をこちらに向ける。
「東に2里進む。それから北西へと向かう街道に入り、四方村へだいたい5里。合わせて7里。そこから郡境にはさらに2里。9里の行程なら、城下を出た徒の兵より速く到着できる」
「あー、なるほど。それは妙案だ。自分で急がば回れと申しておきながら、その算段は立たなかった。分かり申した。並足より、ちょっとだけ速めに参りましょうか」
「うむ」
「では、後の方の兵たちの様子を見て参ります」
さすがに父上の右腕、勘がいい。後列を急かし、おかげで、やや速めの歩様での前進が全隊に伝達され、私の先導にぴったり合わせて隊列が動く。
こちらなら、中山道ほど、道は広くないが、行き交う人も少なく、進みやすい。四方村に向けて方向を変える時に、朝食にしていい。
かちゃかちゃと馬具の鳴る音が律動的で、気分のよい行軍だ。