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09 津山家家老・安田備後守資正の最期

7月9日


 どうやら、わし……安田備後守資正は死ぬ。

 5日の夜に酒を飲みすぎたのが悪かったらしい。いや、長年の大酒が祟り、最後の一石が外れたというのが正しいのだろう。医者の見立ては肝の臓が硬くなっており、血が流れにくくなっているという。肝の臓は血中の酒の毒をきれいにする力があるそうだ。それだけに飲みすぎると、傷めやすいのだとか。毒殺も疑ったが、それは考えにくいというのが、医師の判断だった。

 そして、一昨日、医師は匙を投げた。昨日は肝の臓の裏も痛み出し、医師も薬師も首を振るだけ。今日は坊主が呼ばれ、加持祈祷を始めたが、何をやっても手遅れだろう。葬儀の支度のために呼んだようなものだ。


「父上、早う良くなってくだされ。津山家家臣団の柱石がのうなってしまいます」

「武はお主、策は内匠頭がおれば磐石じゃ。政が御館様だけでは不安じゃが。もういい加減に休ませろ」

「お気を確かに。明日の軍議で、我らを叱ってもらわねば困ります」


 枕元に詰めている息子の弥右衛門の声が白々しい。何しろ今の主流の30代40代の家臣ども、そして御館様の言うことに、悉く異を唱える5年間だった。一門の爺どもへの抑えにもなってきたが。わしにすべての恨みつらみが集まって当然。息子の弥右衛門も家督を相続できず、いつまでもわしの副将扱いだった。

 5年前に隠居しても良かったのだ。好き勝手に戦場を駆け巡り、罰当たりなほど戦いに明け暮れた。山内・扇谷両上杉家に兵の供出を求められれば、必ずわしが出馬した。津山家の主将となったことも、何度かあった。

 先代の御館様が忌の際に、「若いやつらの壁になれ」と申され、考えるところがあった。所詮、まつりごとは自分の反対勢力を叩き潰す行為であり、戦はその先にある。今ある味方の中の反対など軽々乗り越えて行かなければならないのだ。

 その壁になることを最後の役目にしていた。

 ただ、明日の軍議は少し違う。決して乗り越えられてはいけないという存念でいたが……。


「多分、今日までの命だろう。だから少し言っておきたい」

「は、何なりと」

「死んでいく老人の繰り言だから忘れてもらっても構わんが……。お主、明日の軍議で、出兵に反対せよ」

「は?」

「どうせ、わしは出られん。明日の軍議で内匠頭を首席家老に持ち上げ、お前の家督相続と三席家老への就任をまず決めるじゃろ。氷室郡への出兵、あれに反対しろ」

「父上が反対と言うのは存じておりますが、それがしにはそれがしの考えもあります」

「お主も初陣から山ほど修羅場を経ているし、御館様も内匠頭も戦の数はこなしている。それだけに、戦の恐さを軽く見ていないか」

「いや、恐れていたら、戦場に出ることもできないではありませんか」

「そうではない。一人一人の心が感じる恐怖ではない。博打と政戦略を間違えるなと申しておる。勝利すればよい。だが、戦では負けたときのことを常に考えよ。兵がなくなれば、実際にはその穴埋めは容易ではない。数は揃えられるかもしれんが、質を伴うには日がかかる。まして大兵を失えば、守りに転じても持ちこたえることができなくなる」

「勝てば良いではありませんか」

「相手がおる。相手も負けるつもりで戦をせん。今までは上杉の軍の一部として限られた兵を出せば良かったが、今回は家中挙げての出兵となる。相手もだ。算術では、相打ち続きなら、向こうの兵がなくなったときに、こちらの兵は余っている。それだけ有利だが、算術は狂うものだ。何が起こるかはわからん」

「北条は両上杉家に挑み続けているではありませぬか」

「津山家が北条家と同じことができる器かな?」

「御館様にはその器量はないと?」

「さてな。だが、堀部家が一戦して大敗するような相手なのか、そこはゆめゆめ慎重に考えよ。お主も、内匠頭も、御館様も、上杉の負け戦の場におったではないか。兵を500しか出さず、武蔵の北辺にいるから、津山家中は平気なのだ。渋谷城は上杉と北条で取った取られたのうちに焼け落ちたことを忘れるな」

「…………」


 少しは神妙な顔になったが、すっかり納得した風ではない。それでも良い。武辺一徹で攻めに傾いているこやつに、守りの意識を植え付け、ほんの少し慎重論を述べるようになれば十分だ。


「まあ、よい。少し疲れた。寝る」


少し息苦しい……これは……多分、これで目が覚めぬのか……戦場では常に死を恐怖していたが。眠るのと変わらぬものが、死というものなのか……案外にあっけない…………

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