月光の中で
その日の夜、勉強机の窓から身を乗り出した私は、珍しくも向かいの窓ではなく、屋根を端へと移動した。
雲一つない空のせいか、沢山の星がくっきりとよく見える。
お気に入りの半纏を着こみ、道路側の屋根の上でゆっくりと綺麗な星や月を眺める事にした。
3月の夜はまだまだ冷え込むけれど、温かい半纏のお蔭で寒さはまるで感じない。
右手をぎゅっと握りしめる。
堅くて丸い感触がする。握り続けているせいか、本当は冷たい筈のそれがすっかり温もりを帯びている。
なっちゃんには、結局、受け取って貰えなかったな…。
あの後、なっちゃんの元へ行き、当初の予定通り瑞希のボタンを渡そうとしたのだが。
『そんなの貰えないわ』
あんなに欲しそうにしていたのに、なぜだかなっちゃんは、ボタンを受け取ろうとはしなかった。
『それは、真紗さんが瑞希くんに貰ったボタンでしょ? そんなの、私は貰えないわ』
『欲しいって…言ってたのに…?』
『そのボタンは真紗さんが持っておけばいいのよ』
行き場を無くしたボタンが、今は私の手の中に納まっている。
どうしよう、これ……。
ボタンの感触を手のひらに感じながら空を見上げ、辺り一面に散りばめられた大粒の星を眺めていると、背後に人の気配がした。
こんな所にやって来る人なんて、私は一人しか知らない。
「何してるの、真紗」
「星が綺麗だから、眺めてるの」
「ふうん。オレも、隣で一緒に見ようかな」
どうぞ、と言われてもいないのに、瑞希が私の隣に腰を下ろす。
薄いカッターシャツの上には何も着ておらず、見ているだけで、私まで寒くなってきそうだ。
「そんな格好だと風邪引くよ。まだまだ夜は冷えるよ」
「大丈夫だよ、温かいのが隣にいるから」
「私は火鉢じゃないよ」
「その半纏いいね。寒くなったらぎゅっとさせて貰おうかな」
「カイロでもないんだから。卒業式は終わったからね、そういうのはもうおしまい」
「まだ、今日だよ」
「今日はもう終わったんだよ…」
右手をそっと半纏の中にしまう。
膝を抱え無言で空を眺めてみたけれど、寒くないのか、隣人が部屋に戻る気配はない。
「オリオン座が良く見えるね」
ポツリと瑞希が呟いた。
星座の話をされても私はまるで分らない。
私はただ、綺麗だから星を眺めているだけ。
「オリオン座…ってどれ?」
「あそこに、横3つ並んだ星があるだろ。あれだよ。わりと有名な星座だよ…?」
有名な星座すら私は知らない。
私が知っているものは、私達を強く照らそうとするあの月だけだ。
下唇を突き出し、睨み付けるように星空を眺める。
白く光る星の群れの中、一つだけ赤く光る星が目に留まった。
「じゃあ、あの、赤い星は何?」
「さあ…それは分からないな」
「瑞希でも知らない事あるんだ…」
答えは簡単に返ってくると思い込んでいたのに、意外な返答で私は驚く。
何でも出来る瑞希。何でも知っている瑞希でも分からない事があるのかと、安堵するような想いで思わず振り返る。
「そりゃそうだよ。オレを何だと思ってるんだよ」
口をへの字に曲げ、不満そうに私を向いた瑞希の目は、優しげだった。
右手のボタンをきつく握る。
瑞希の肩越しに月が輝いていて、眩しくて私の瞼が閉じそうになる。
ふわり、と、瑞希がいつもの、綿毛の様な微笑を浮かべた。
私は瑞希に、笑顔を浮かべてあげる事が出来なかった。
◆ ◇ ◇ ◇
ドタドタドタッ。
「うわ……遅刻するう…!!」
「相変わらず朝起きるの遅いわね、真紗ってば」
「起こしてよ真琴!」
「ちゃんと起こしたじゃない、目覚ましが」
「目覚ましはつい止めちゃうの――!」
暖かな春の日。
今日から、高校生活が始まる。
私は、瑞希とは違う学校へ通う。
「真紗ってば朝起きられない癖に、家から近い高校選ばないんだから…」
「真琴はいいね、自転車で15分で行けて」
「部活始めるから、朝、早くなるけどね」
時刻は只今、7時ジャスト。
慌ててパンを口にしながら、着替えて、髪を梳かす。
半までにで出発しないと遅刻だ。
髪の毛先がまだ、跳ねているのだけれど、仕方ない。妥協をして家を出る。
家の扉を勢いよく開ける。
「行ってきまーす!」
駅に向かおうとした私の正面に、真新しいブレザーを着た瑞希の姿。
なんだか眩しくて、目を細める。
「おはよう、真紗」
暖かな春の日に相応しい、ふわりとした笑顔の瑞希が、私の目の前に立っていた。
「…おはよう、瑞希」
そういえば瑞希も、電車通学だったな。
駅までの道は一つしかない。どうやら一緒に駅へ向かう事になりそうだ。
ざわつく胸を抱えながら、大通りに出る。
制服姿の人が増え、瑞希の姿を眺めはしゃぎだす女の子達がちらほら、目につき出す。
私の足が動く。
中学生活の二の舞はもう、ごめんなんだ!
電車の時間がないから、なんて言い訳をして、瑞希の隣から逃げるように走り出す。
上がる息を抱え駅の入り口に辿り着き、安心していると、背後から落ち着いた声が私の耳に届いた。
「電車、まだまだだね。慌てなくても間に合ったんじゃない?」
くすり、と笑う瑞希の声。
ああ、瑞希は私よりずっと、足が速いという事を忘れていた。
ムッとして振り返ると、やっぱり瑞希は、私を見つめふわりとした笑顔を浮かべている。
相変わらず瑞希は、見惚れてしまうほど綺麗で。
あの日私を照らした月のように、この笑顔の隣で笑えるほど綺麗な自分になれたら良いのに、と、私は願わずにはいられなかった。
この時はまだ、意気地なしの私の話。
想いが叶うのはこれから更に、1年と3か月も後の話。
そして本編へ続く…。
番外編は、これにて完結でございます。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。




