第2ボタンの行方(後編)
女の子達が虱潰しに探しても見つからないと嘆いていた瑞希は、男子トイレの中から現れた。
道理で見つけられない筈だ。
女子には入り込むことの出来ない、唯一の空間。
そこからようやく姿を見せた瑞希が、目を見開き私達を凝視している。
「って、真紗に何してんだよ航太……っ!!」
右手を握りしめながら、瑞希が私達に駆け寄る。
凄むような表情をした瑞希は、ぞくりとするほど綺麗だった。
「やっぱり、俺の睨んだ通りだな。そこなら女子は入れないからな」
瑞希に怯む様子もなく、航太くんは、私の肩に回した腕をあっさりと解く。
「怖い顔すんなよ、卒業式だろ。別れの抱擁ってやつだよ」
そのまま今度は瑞希の肩に手を掛け、耳元で優しげに囁いた。
「邪魔者は消えるぜ、上手くやれよ」
「航太…」
瑞希の、右手と顔が一気に緩む。
片手をあげ、航太くんは階段を降りて行った。
足音が遠ざかり、瑞希と、思わず顔を見合わせる。
当初の目的を思い出し、改めて胸元に目をやると、惨状ともいえる瑞希の状態に気づき呆気に取られてしまった。
「………何その格好」
瑞希の制服のボタンは、上着もカッターシャツもほぼ全て、失われていた。
ボタンの跡地からは糸がほつれている。どれも無理矢理引きちぎられたようだ。
上着の上から2つ目のボタンだけが、かろうじて細い糸に繋ぎとめられている。
「女の子って怖いね」
くすりと笑い、瑞希が私の正面に立った。
よく見ると、髪もくしゃくしゃに乱れている。
「ボロボロだね」
私もくすりと笑い、瑞希を見上げた。
「そのボタンも取れそう」
あと少し力を掛けるだけで、外れて落ちてしまいそうなボタンに目を遣る。
私の視線に気づいたのか、瑞希がボタンに指を添わせた。
軽く摘まむだけで、はらりとボタンは瑞希の掌に落ちた。
なっちゃんが、欲しがっていたボタン。
瑞希の掌にくるまれたボタンを眺めていると、瑞希が私を見つめ口を開く。
「真紗、手、出して」
言われるまま右手を出すと、私の手のひらにボタンがポトリと落ちて来た。
「瑞希、これ…」
「真紗が持ってて」
戸惑う私の言葉に、被せるように瑞希が言い放つ。
普段とは違う強い口調に押され、そのまま右手を握りしめた。手のひらに固い感触がする。
「うん……」
瑞希の視線が、真っ直ぐに私を捉える。
なっちゃんの為に、頼み込み貰おうと思っていたボタンは、あっさりと私の手のひらに落ちた。
また一歩、瑞希が私に近づく。
「オレも、別れの抱擁ってやつ、してもいい?」
紅潮させた頬をして、にこりともせず瑞希が私を見つめた。
どきりとして思わず目を伏せる。
心臓のリズムがあがる。手のひらから全身に脈打つような感覚がする。
「家、隣だよ…」
「高校は別々だよ」
「高校しか別になるとこ無いよ」
「航太はよくて、オレは駄目?」
「航太くんにいいなんて言ってないよ。勝手にしてきたんだから…」
「じゃあオレも、勝手にする…」
そう言って瑞希が、そっと私を抱きしめた。
躊躇いがちに回された腕は、あの時のように締め上げる力は強くない。
優しい、優しい、瑞希のような抱擁。
頬が熱を持つ。
思わず肩をこわばらせた。
「今日は、色んな人からハグされる日だなあ」
「卒業式だからね」
「卒業式ってこういう日だっけ?」
「こういう日なんだよ」
私の顔は瑞希の胸に埋められていて、息をするたびに瑞希の匂いが私の体に染み込んでゆく。
なんだか落ち着く匂い。おそらくいい匂い。
瑞希の匂いに包まれているうちに、不思議と鼓動は緩やかになり、肩に入る力は抜けていた。
頬の温もりは仄かなものへと変化して。
何故だか無性に、この腕の中は心地がよかった。
「瑞希、また背、伸びたね」
「真紗は変わらないね」
「結局、3年で3センチしか伸びなかったよ。中学でまた、瑞希と差、開いちゃったな」
「開いたお蔭でハグしやすいよ」
「全然嬉しくない…」
お喋りをしている内に落ち着いてきたのか、胸の鼓動はもう、感じられない。
やっぱり私は、瑞希の事、好きではないんだ。
なんだか安心して、温もりの中に顔を埋め続ける。
これは違う。これは恋とは違う。
ただもう少しこうしていたいだけ。
「やっぱり、オレにこうされるの、嫌?」
瑞希の腕の中が、泣きたくなる程居心地が良くて。
私の腕も、そっと瑞希の体に回してみた。
瑞希の様に、背中まで腕は回らない。右手はボタンを握ったまま、軽く横に手を当てるだけ。
「いいけど……今日だけだよ?」
一瞬、少しだけ。
本当に少しだけ、瑞希の体がぴくりと反応したような気がしたから。
他愛も無い話を続ける。
「高校、合格おめでとう。あんなに難しい所受かるなんて、やっぱり瑞希はすごいね」
「絵馬が効いたんだよ」
「瑞希も初詣、行ったの?」
「真紗のすぐ後にね」
今日だけ。今日だけだから。
呪文のように唱えながら、暫くこうしていたくて、お喋りを続ける。
沈黙を避けるように、私は口を開く。
「真紗も、合格おめでとう」
「瑞希が数字教えてくれたお陰だよ、ありがとう」
「真紗が頑張ったんだよ」
「瑞希の教え方が上手いんだよ」
誰もいない校舎の中。
私たちはポツリポツリと会話をする。
瑞希の腕の中は、温かくて、疲れた私は、気を抜くと眠りに落ちてしまいそうだ。
「私、定期テストの度に、迷惑かけちゃったね」
「迷惑なんかじゃなかったよ」
「高校生になったら、なるべく1人で頑張るようにするね」
「これからも頼ってよ…」
今だけ。今だけだから。
高校生になったら、もう、私は離れるんだから。
離れるって決めているんだから。
だからあと少しだけ。
「いつまでも瑞希を頼る訳には、いかないよ…」
「真紗……」
「そんな事してたら、いつまで経っても……」
言葉が詰まる。
続きを言おうと喉からひねり出そうとするけれど、焼け付いたように、上手く声にならない。
右手のボタンを握り締める。
中学3年間、結局、瑞希は彼女を作らないまま終えた。
私と勉強する為に、瑞希の隣、空けておかなくてもいいんだよ。
瑞希はもっと瑞希に良く似合う、素敵な女の子の側に行くといいんだよ。
私の想いはいつまで経っても言葉にならず。
静寂の中、階下から微かに、甲高い声と足音が聞こえてきた。
「真紗、オレ……」
瑞希の声のトーンが変わる。
私は唇を噛み締める。
瑞希の声を最後まで待たず、私は瑞希から身体を離す。
緩い抱擁は、するりと簡単に腕が解けた。
「じゃあね! なっちゃん待たせてるから、行くね」
「……うん」
何かを言いたげな顔をして、瑞希が名残惜しそうに私を見つめる。
私は、精一杯の貼り付けた笑顔を瑞希に向けた。
「バイバイ」
瑞希にお別れの挨拶をした後、私は階段を一気に駆け下り、校舎を後にした。




