第2ボタンの行方(前編)
3月。
2月の切り裂くような冷気はどこかへ消え、すっかりと寒さはまろやかなものへと変化していた。
今日は卒業式。
受験は無事に済み、全員、志望の高校に合格する事が出来た。
なっちゃんは外国語学科のある高校へ。
真琴は、家から自転車で通える距離の学校に。
亜矢ちゃんは保田君を追いかけサッカーの強豪校へ行き、そこの特進クラスに進むようだ。
私は女子高に。
そして瑞希と航太くんは、高偏差値の名門校に進学する。
みんなバラバラだ。
今日が最後の日。
目の端に涙を浮かべ、亜矢ちゃんが私にぎゅっと抱き付いて来た。
「真紗ちゃん、高校に行っても忘れないでね」
「私こそ忘れないでね、亜矢ちゃん。スマホ手に入れたらラインしよ」
「うんうん。アドレス教えてね」
もう少し亜矢ちゃんと別れを惜しみたかったのだけど、後ろにいた保田君に遠慮し、そこそこで切り上げる。
彼氏が出来ると、寂しい事にどうしても疎遠気味になっちゃうな。
知り合ってすぐ保田君と付き合いだしたせいか、亜矢ちゃんとは、結局動物園へ一緒に行ったきり、共にお出掛けする機会はないまま卒業となった。
「真紗さん……」
亜矢ちゃんと入れ替わるように、なっちゃんが私の側へとやってきた。
真っ赤な目から大粒の涙が、ボタボタ頬に落ちている。
「どうしたの、その顔! 可愛い顔が台無しよ」
「最後にもう一度、当たって砕け散って来たわ……」
「え………?」
「瑞希くんに、もう一度告白しに行ってきたの。付き合って欲しいって頼んでみたけれど、やっぱり断られちゃった……」
「なっちゃん………」
なっちゃんが私の胸に顔を埋める。
じんわりと冷たくなるセーラーの胸元に、私まで涙が零れてきそうだ。思わず、なっちゃんの頭を丁寧に撫でた。
こんなに可愛い子でも上手くいかないものなんだね。
伏せられた睫毛に浮かぶ水滴が悲しい。
「せめて瑞希くんの第2ボタンだけでもむしり取ってやりたかったけれど、ガードが固くて無理だったわ。はあ……、さようなら、私の初恋……」
「ボタン? ボタンなんて貰ってどうするの、なっちゃん」
「何言ってるの、真紗さん……」
なっちゃんが、信じられないものを見るような目つきで私を見た。
いえ、私も一応知ってるんだよ?
卒業式の日に、好きな男の子の第2ボタンを貰って喜ぶ風習があるという事は。
ただ、ボタン貰って何が嬉しいのかピンとこないだけなんだよ?
思い出の品なら、他に何でもいいんじゃないかな。
なっちゃんがじろりと私を睨む。
「大間違いよ、真紗さん! 第2ボタンは心臓に近い位置にある、いわば相手の心なのよ! 要はね、これを受け取るという事は、渡してくれた人にとって本命の相手という意味を持つのよ…!」
さっきまでの沈んだ様子がどこへやら、すっかりいつものなっちゃんに戻り、熱弁を始めた。
いつもはうんざりするのだけど、今はとても微笑ましく感じる。
熱く語るなっちゃんの瞳には生気が戻っていた。
「そんなに瑞希のボタンが欲しいの…?」
「そりゃ、貰えるなら欲しいわよ」
「それじゃ私、瑞希に掛け合ってみる!」
「ええ!?」
「待ってて! 卒業の記念に、なっちゃんにプレゼント渡してあげるよ!」
なっちゃんとも、今日でお別れだ。
最後に、とっておきのプレゼントを渡したい、笑顔になって欲しい。
幼なじみのよしみで、頼み込んでみたらくれるかも知れない。
瑞希は女子に人気がある。
急がないと、誰かに奪われちゃうかも――――。
焦った私は、急いで瑞希を探し駆けだした。
「真紗さんたら……。真紗さんなら本当に貰っちゃうじゃない」
走り出した私になっちゃんが何か呟いた様だったのだが、周囲の騒音にかき消され、私の耳まで届けられることはなかった。
◆ ◇ ◇ ◇
瑞希を探し駆け回っていると、航太くんの姿を発見した。
一番仲の良い友達だし、隣にいるかと期待して近寄ってみたものの、瑞希の姿は見当たらなかった。
「瑞希なあ………。ちょっとマラソン中」
「え、こんな日に1人走ってんの?」
驚いて目を開く私を見、航太くんが愉快そうに口元を緩める。
「女子の群れから逃げてんだよ。瑞希に用か?」
「ああそういう事…。ちょっとね、どこにいるか心当たりない?」
「恐らく校舎内のどこかに隠れているだろ。一緒に探してやろうか?」
「手伝ってくれるの? いいの?」
「別れの挨拶もあらかた済ませた事だし、構わねえよ。それに…あいつもきっと、堀浦を探しているだろうしな」
ニヤリと笑い、航太くんの足が校舎へと向かう。
堂々とした後ろ姿を頼もしく思いながら、大人しく私はついて行くのだった。
校舎の中を探索しようと、下駄箱付近まで辿り着いた時、女子の大群がぞろぞろと廊下の奥からこちらへと向かってきた。
なに、この数。
「倉瀬君、どこ行っちゃったのかなあ」
「校舎の中、みんなで探してみたけれど、見つからなかったねー」
「第2ボタンまだ残ってたよね。欲しいなあ」
「あたし、4階に上がって行く所、見たんだけどな」
「4階、みんなで徹底的に探してみたけど、いなかったよね。おっかしいなあ」
騒がしい集団とすれ違い、校内は一気にがらんと静まり返る。
女の子達の会話によると、どうやらここにはいなさそうだ。あの人数で探し回っても、見つからないようだし…。
「ねえ、さっきの話きいた? 校舎の中いないみたいだね」
「いいや、さっきの話を聞いて確信した。あいつはここにいる。ついて来いよ」
迷いなく言い切り、階段に足を掛ける。
私も慌てて後に続く。
「ところでさ」
航太くんがおもむろに口を開く。
「瑞希に用って、告白でもすんの?」
「……っ!」
階段の段差につっかえ、危うくこけそうになった。
ほんと、航太くんてばいつもいつも、私を転ばそうとするんだから!
「違うよ。本当に、航太くんは相変わらずだね…」
「瑞希は、堀浦の事好きだよ」
足がもつれそうになる。
「こんな日まで、からかうのはやめてよ……」
「堀浦だって、瑞希の気持ち…気づいてんじゃねえの?」
瑞希の気持ち。
そんなの、私は知りたくない。
瑞希と私は、ただの幼なじみで。
瑞希が、花火大会や初詣に誘いかけてくるのも。
私を見て、ふわりとした笑顔を向けてくれるのも。
気が付くと何故かいつも、私のそばにいる事も。
瑞希が私に触れようとするのも、全部全部、幼なじみだからで。
瑞希の好きな人は、私ではない他の誰か。
そういうことでいいのに。
「変な事ばかり言わないで…。それより本当にこっちなの…?」
掠れた声が、なんだか自分の声ではないみたい。
航太くんの声が胸に絡み、言葉が上手く出せないでいる。
「ああ。瑞希は4階にいる」
きっぱりと、航太くんは言い切った。
でも、4階は徹底的に探したって、さっきの子達言ってたよね?
階段は途切れ、航太くんの体が止まった。
4階。最上階だ。
校舎内は、1階は一年の教室、と学年ごとに階層に分かれていて、4階は特別教室ばかりが連なっている。
教室の方へ移動しようとする私の腕を、航太くんが掴んだ。
「そっちじゃねえよ」
掴んだ腕を引き、そのまま航太くんが私を抱き寄せた。
突然の、理解不能な行動に私の思考がピタリと止まる。
見上げると、普段通りの平然とした顔の航太くんが私を見下ろしていた。
「………何すんの?」
「堀浦、すげえ素じゃん」
じろりと睨むと、くつくつと航太くんが笑い出した。
「いや、お前否定ばかりするからさ…。比べてみろよ、瑞希ん時とは違う筈だぜ」
「………っ!」
腹が立ち、思わず足を踏んづけてやろうと右足をあげたその瞬間、探していた人の声が辺りに響く。
「航太に……真紗?」
聞き覚えのある声がする方向に、ふっと視線を向ける。
階段の横、廊下の隅に設置されている男子トイレの奥から、瑞希の姿が現れた。
心臓がドクンと跳ねる。
航太くんの腕の中では普段と変わらないでいた私の心音が、大きくなった。
こんな事、教えて欲しくないのに。
「連れて来たんだよ、用があるんだろ」
目を見開く私と瑞希を横目に、航太くんただ一人が、不敵な笑みを浮かべていた。




