遠く響く声(後編)
瑞希視点。
まだまだ2人とも恋愛未満。
「ちょっとお話したいことがあって。倉瀬君、堀浦さん借りるわね」
夏休みを目前にしたある日、クラスで目立つ女子である綾川さん達3人組から声を掛けられた。
真紗に用があるのに、オレに断りの言葉を掛ける理由がよく分からなかったのだが、取り敢えず軽く会釈をしておいた。
3人ともにこやかな様子だったので、いい話があるのだろう。
真紗は、オレと一緒にいるせいか、女友達が少ないようなので、これをきっかけに綾川さん達と仲良くなれるなら、それもいいのかもしれない。
なんて、この時のオレは呑気なことを考えていた。
キーンコ―――ンカ―――ンコ――――ン
午後の授業開始5分前の予鈴チャイム。
暫くして、授業が始まる少し前に真紗たちが教室へと戻ってきた。
なんだか様子がおかしい。
オレが近寄ろうとすると、一瞬、真紗が身構えたように見えた。
「どうしたの? 何かあったの?」
「ううん……なんでもないよ」
気のせいか返事がぎこちない
何かあったのだろうか。
気になって授業中に真紗の方ばかり見ていると、ずっと上の空で、ぼーっとしてばかりいる。
あの様子だと、先生にいつ気付かれて怒られてもおかしくない…。
授業が終わり、オレは真紗の席へと向かった。
「真紗、さっきの授業、上の空だっただろ」
「え? そう…かな?」
「ずっとぼーっとしてたから、先生に気付かれるんじゃないかって、見ていて冷や冷やしたよ」
「………」
「綾川さん達と、何の話してたの?」
「……別に、瑞希に関係ない事だよ」
なんだか怪しい。更に追及しようとしたら、真紗が突然立ち上がった。
「どこ行くの?」
「トイレっ!」
さすがに女子トイレまで着いていくわけにはいかない。
渋々離れると、結局真紗は、授業が始まるギリギリまで戻っては来なかった。
◆ ◇ ◇ ◇
学校からの帰り道、いつものように真紗と帰る道。
綾川さんの件を追及しようかと思ったものの、またさっきみたいに逃げられそうな気がして止めた。
当たり障りのない会話をしながら家へと向かう。
真紗の様子がおかしいのは、きっと、気のせいだ。
こうして、綾川さんの件を忘れようと普段通りの毎日を送り、夏休みがやってきて。
長い夏休みをまた、いつものように真紗と過ごしているうちに、すっかり元通りに戻ったような気でいた。
だが、それらは全て気のせいではなかったようで。
新学期が始まって、一週間が経過した頃、突然ソレがやってきた。
「え?」
いつもの時間になっても真紗が家から出てこないので、チャイムを鳴らすと、おばさんが出てきておかしな事を言い出した。
「瑞希くん? 真紗ねえ、今朝、普段よりずっと早くお家出て行っちゃたんだけど…一緒かと思ってたわ」
オレはどうやら真紗に置いて行かれたようだ。
そんなの、一言も聞いてないぞ。
不穏なものを感じつつ、教室に向かい、一人ぽつんと席に座っている真紗の所へ行った。
「真紗! 今朝、どうしたの? いつもよりずっと早く家を出たっておばさんに聞いたけど――」
オレの方を向かずに真紗は返事をする。
「あのね、瑞希。もう、学校一緒に行くの、やめよ」
「どうして?」
「しばらく一人で歩きたい。瑞希もその方がいいよ」
「―――――」
呆然としているオレの傍からすり抜けるように、真紗は教室から飛び出して行った。
こうして、オレは真紗に避けられるようになった。
◇ ◆ ◇ ◇
意味が分からない。
オレ、何かしたんだろうか。
心当たりが全くない。
夏休みには、いつものように一緒に花火を見に行ったりして、真紗も笑ってくれていたのに。
あの日から、真紗と入れ替わるように、クラスの女子達がオレの傍へとやって来るようになった。
付き合って欲しい、と言われるようにもなった。
隣にいて欲しいのは真紗なのに。
違う子ばかりやって来て、正直嫌になる。
中学二年生になり、真紗とはクラスが別々になった。
同じ教室で姿を見ることももう、出来ない。
廊下でたまにすれ違う真紗の隣にはいつも、女友達がいた。
「瑞希、また、告白されたんだって?」
「………」
「それで、また断ったんだって? 三原さん泣いてたぞ~」
昼食の後、女の子からの呼び出しがあったので、気の重い作業をする為教室を出たのだが、どうやら航太に見られていたようだ。
断るのは正直もう慣れたのだが、泣かれるのだけは本当に勘弁して欲しい。オレが悪いような気になってしまう。
「しょうがないだろ、付き合う気無いんだから」
「そう言っていつも断るけど、彼女欲しくねーの?」
彼女、とか正直ピンとこない。
オレはただ、以前のように、真紗と一緒に過ごしたいだけだ。
ふと、航太に真紗の事を聞いてみたくなった。
「オレ、幼なじみの女の子がいるんだけど、最近、避けられててさ」
「うん?」
「理由が全然わからなくて。突然だったんだよ。なあ、なぜだと思う?」
「そりゃ、まあ、幼なじみっていっても、同性ならともかく異性だと、中学くらいになれば離れていくものだろ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃ、女友達の方が良くなったりとか、他に好きなやつが出来たりとかさ」
真紗に、好きなやつ?
全く想像していなかった回答に呆然となった。
「真紗、好きなやつ、いるの?」
「俺に聞くなよ。知らねーよ。でも、居てもおかしくないんじゃね? 瑞希だってその子が好きなんだろ」
えっ?
「えっと、真紗は好きだけど、航太の言う好きと一緒なのかどうかは…」
「違うのか? んじゃ、その子が他の男と付き合いだしてもいいの?」
真紗が、誰かと付き合う…?
想像するとそれは、オレからどんどん離れて行ってしまう姿のように思えて、なんだかもやりとした感情に襲われた。
「それは嫌だ」
「やっぱり好きなんじゃねーか」
「うーん? 上手く言えないけど、オレ、ただ真紗と一緒に居たいだけなんだよ」
「それ好きって事だろ」
「オレ航太だって好きだし、一緒に居たいけど? だから多分、真紗も似たようなもんじゃないかな」
「んじゃその子が他の男とキスしててもいいの?」
はあっ?
想像しようとして、途中で妄想は止まった。
駄目だ。これ以上は駄目だ。
なんだか知らないけど、それは嫌だ。
「俺、その子に聞いてやろうか? 好きなやついるのって」
「いいよ、もう。この話は終わろう…」
段々考えるのが嫌になってきて、面白がる航太を止めた。
更に色々突っ込まれた訳なのだが、オレはずっと、口を閉ざしている事にした。
◇ ◇ ◆ ◇
自宅に戻ると、丁度タイミングが同じだったのか、真紗と鉢合わせをした。
真紗はちらりとこちらを見ると、すぐに視線を戻し、家の中に入ろうとした。
「待って!」
思わず呼び止めた。ドアノブを掴む真紗の手が止まる。
「なに?」
「話がしたいんだけど…」
特にこれといった話も無かったのだが、このまますれ違うのも良くない気がした。
真紗は、眉根を寄せ、キョロキョロと辺りを見回した後、少しホッとしたような顔をして言った。
「あとで瑞希の部屋行くね」
どうやら道端で話をするのは駄目らしい。
よくわからないけれど、オレも自分の部屋の方が落ち着くので、すぐに頷いた。
一度玄関でお別れをし、部屋に入り窓を開けると、真紗がやってきた。
久し振りの光景に、少し頬が緩む。
「なに、話って」
少し考えて、やはりここは現状について改めて真紗に問い質そうと思った。
なぜ真紗がオレを避けているのか。
教えてくれるものなら、本当に、はっきりと知りたい。
「真紗、最近ずっとオレの事、避けてるだろ」
「…避けてないよ」
「登下校だってずっと別にしたがってるじゃないか」
「うん、その方がいいかなって」
「どうして?」
「その方がいいからだよ」
煮え切らない返事をする真紗にもどかしさを感じ、ふと昼間の航太の話が頭をよぎる。
誤解されたくない奴でもいるのかな…?
思わず真紗の唇を見てしまい、慌てて視線を逸らす。
「…真紗、もしかして、好きなやつでもいるの?」
「え? いないよ?」
ポカンとした表情でオレを見上げる真紗の様子をみる限り、嘘では無さそうだ。
あれ? 違うのか。
拍子抜けすると同時に、益々訳が分からなくなってきた。
「避けてないって事は、前みたいに喋ってくれるって事?」
「まあ、おうちでなら」
「一緒に居てくれる?」
「まあ、おうちでなら」
学校ではダメだという事か。
イマイチすっきりしないけれど、少しは関係が改善されたと喜ぶべきか。
「分かった、じゃあ、たまにはオレの部屋来てよ」
「うん、用があれば声かけるね」
「何か困ったことがあれば、いつでも言って」
「本当…? じゃあ、ちょっとお願いしていい…?」
「何?」
急に真紗の瞳が輝きだした。何か悩みでもあったのだろうか。
頼られる事を嬉しく思い、オレの口許が自然と綻んでいく。そんなオレの様子に安堵したのか、真紗もいつものにこやかな顔をしてくれた。
「数学っ、今日の宿題全然分からなくって…」
「いいよ、一緒にやろう」
「あ、でも…瑞希の彼女に悪いから、やっぱりやめとこうかな」
折角の笑顔がすぐにまた曇る。
オレは慌てて真紗の言葉を打ち消す。
「え、オレ彼女いないよ?」
「そうなの? しょっちゅう告白とかされてるじゃん!」
「興味ないしさ、いない」
「んじゃあ…瑞希に彼女が出来るまで、教えて貰おうかな」
少し安心したのか、再び微かな笑顔を見せてくれた。
真紗、オレに彼女がいると勘違いして、それで避けてたのか?
そんな人、どこにもいないのに…。
そしてオレに彼女が出来るまで、なんて言うけれど。
それはつまり、裏を返せば…。
「真紗に彼氏が出来ても、おしまい?」
「だねえ。まあ、私を彼女にしたがる人いないと思うけど。瑞希に相手が出来る方がずっと早いよ」
「そうかな?」
「そうだよ、瑞希の彼女になりたがってる子、いっぱいいるもん。瑞希なら、彼女にしたい子が出来たら、誰でもなってくれるんじゃない?」
誰でも、オレの彼女になってくれる?
本当に…?
「じゃあさ、真紗の彼氏がオレで、オレの彼女が真紗になったら、ずっと、このまま…?」
昔の関係とは少し違うけれど、それでも一緒に居られるならーーなんて淡く期待したオレを見て、真紗は急に困惑した表情を見せた。
「適当なこと言っちゃダメだよ、瑞希。素敵な子、ちゃんと探しなよ」
ウソをつかれた。
誰でもなってくれる、だなんて。
真紗は、オレの彼女になってくれないじゃないか。
「…宿題、やろうか」
視界がぐらりと歪んだものの、真紗の期待に応える為、なんとか数学を教えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◆
この日を境に、やはり学校では素っ気ない態度のままなのだけれど。
自宅付近では、そこそこ話をしてくれるようになった。
たまに、勉強を教わりに来てくれるようになった。
以前に比べると全然なのだけれど。
それでも、一時に比べるとずっとマシだと言えば、まだ救いになるのだろうか。
お互いに、恋人が出来るまでの関係。
真紗にその気はないようだけれど、こんな関係でも続けていれば、以前のように戻れる未来があるのかもしれない。なんて、縋るような気持ちで、今日も窓の向こうから真紗がやってくるのを待っている。
たまに玄関先で待ってみる。学校で、姿を目で追ってみる。何かあればすぐに、声を掛けられるように。
オレ、彼女なんて作らないよ。
ずっと真紗の傍に居るよ。
中学2年生のとある春の日の事。
これから、中途半端な関係を3年続けた後にハッピーエンドが待っている事を、この時のオレはまだ知らない。