綺麗な面影(後編)
憂鬱なまま迎えた朝。
夜は全く寝付けない癖に、不思議と、朝になると眠くて瞼が閉じそうになるのは何故だろうか。
そうして、寝不足でぼんやりした頭でも、体は自然と普段通りの行動を取ろうとするようで、気付けばオレは、いつもの様に隣の家のチャイムを鳴らしていた。
おばさんが済まなさそうにオレを出迎える。
開いた扉の向こうから、けたたましい足音が聞こえた。真紗の足音だな。
「ごめんなさいねえ、瑞希くん。あの子、朝ご飯これからなの…」
「おはようございます。まだ、時間は大丈夫なので待ってます」
「ありがとう、いつも待たせてごめんねえ」
ルーティーン。
真紗が家から出てこない中、おばさんに声を掛けられ、にこやかに笑顔を向けるところまで、意識していないのにオレの体は勝手に動き出す。
少しもにこやかな気分ではないのだけど。
普段通り、満足げな微笑みをしたおばさんが家の中へと戻ってゆき、暫くすると、真紗が勢いよく飛び出してきた。
「おはよう真紗。相変わらず慌ただしいね」
「おっはよー、瑞希。なんだか眠そうだねえ」
「ちょっと寝付けなかったんだ」
どきりとした。
おばさんに向けたものと同じ笑顔を、真紗にも向けたんだけどな。
鏡を見ても目の下にクマはなかったから、ぱっと見、気付かれないと思い込んでいたんだけど。
「大丈夫? ランドセル持ってあげようか?」
「平気だよ、真紗。荷物は自分で持てるよ」
真紗の晴れ晴れとした笑顔がなんだか眩しくて、目を細める。
健康的な肌の色に生き生きとした表情。
元気いっぱいな真紗の姿は、生きている人間にしか見えない。
人形のようだと言われたオレとはまるで違う。
真紗が羨ましい。
お日様のようだな、となんとなく思いながら、温かいものを受け取ったオレは、真紗に少し元気を分けて貰えたような気がした。
◆ ◇ ◇ ◇
ガチャリ。
オレは毎日、学校から帰ると鍵を開けて家の中に入る。
母は毎日家の中に居る。
でも、オレは毎日自分で鍵を開けた。チャイムを鳴らすなと言われたからだ。
「おかえり」
「ただいまー、おやつは~?」
「その前に荷物片付けるのよ」
隣の家では、一緒にここまで帰って来た真紗が、おばさんに出迎えられて家の中に入る。
オレの家とはまるで違う、暖かい家庭の様子を目の当たりにし、思わず唇を噛み締める。
オレの母は、出迎えてなどくれない。
いや、最早あの人がオレの母なのかどうか、分からないのだけれど。
ひっそりとした廊下を通り抜け、2階へ向かう。
部屋に戻り、いつもならすぐに荷物を片付け宿題を始めるのだけど、そんな気分にはなれずランドセルを床に置き、膝を抱えてうずくまる。
暫くじっとしていると、窓が勢い良く開いた。
「瑞希、遊ぼ!」
「…今日は帰って」
元気いっぱいの真紗の姿。
普段なら喜んで迎え入れる所なのに、今はなんだか疎ましく感じてしまう。
拒絶の言葉を突きつけた筈なのに、真紗が駆け寄ってきた。
「どうしたの、熱でもあるの?」
「ないよ」
「他の子と遊ぶの?」
「ううん」
「じゃあ、一緒に遊ぼうよ!」
俯いたオレの顔を、無邪気な笑顔で下から覗き込む。
見ているだけで元気になれるこの笑顔に、何故か苛つき、声を荒げてしまった。
「帰って! 今日は真紗の顔、見たくないんだ」
口にしてすぐに後悔し、真紗の方を向いた。
掛けるべき言葉が見つからず、半端に上げられたオレの手が止まる。
唇をきゅっと締め、すっかり笑顔の消えた真紗が、右手のモノをオレに差し出す。
「これあげる…」
それだけ呟くと、開けたままとなっていた窓を潜り抜け、真紗は自室へ戻って行った。
風に吹かれ、カーテンが揺れる。
「これ、真紗のおやつじゃないか…」
オレの目の前に、お菓子の箱がぽつんと置かれている。
真紗の目尻に溜まっていた涙が、何度目を閉じても、記憶から剥がれてくれなかった。
◇ ◆ ◇ ◇
真紗にひどい事を言ってしまった。
大好きな真紗の笑顔を、オレが曇らせてしまった。
萎れたままでいるのだろうか。
気になって気になって真紗の事ばかり考えていたら、いつの間にか体が勝手に動いていたようで。
気がついたらオレは、隣の家のチャイムを鳴らしていた。
「ごめんね瑞希くん。真紗、今ちょっと機嫌悪いみたいで…」
今日は、おばさんまで曇り顔だ。
俯いていると、おばさんの後ろからひょっこりと、真琴が姿を見せた。
「上がりなよ、瑞希」
「真紗、布団かぶったまま出てこないのよ…。だからまた今度に…」
「今日は私と遊ぶからいいのよ。おいで、瑞希」
真琴に手を引かれ、オレは真琴の部屋――双子の部屋へと入っていった。
「真紗、瑞希よ」
二段ベッドの上段にある布団の固まりが、もぞもぞと動き出し、中から真紗が顔を出した。
赤い目をしている。
「真紗、さっきはごめん」
ちくりと胸が痛む。
むう、と唇を突き出し、真紗がオレの方を向いた。
「もういいよ」
「オレ、少し嫌な事があって…真紗に当たっちゃった。ほんとにごめんね」
「やっぱり、なんかあったんだ」
―――えっ?
「朝から様子、ヘンだったもんね。嫌なことってなに?」
「真紗、気づいてたの…?」
「だって、瑞希ちっとも笑ってなかったんだもん」
オレ、朝からちゃんと笑顔を作っていたのに。
誤魔化せていると思っていたんだけど…。
「私には分かるんだ、瑞希が笑ってるかどうかくらいね!」
驚いた様子のオレを見て、なにやら満足したのか、真紗がいつもの調子で話し出した。
「どうして分かるの? 真紗」
「だって! 私、瑞希の笑った顔、大好きなんだもん」
オレの笑った顔が、好き?
オレの大嫌いなオレの顔を。
母ですら綺麗過ぎて気味が悪いといったオレの、笑顔が大好きだと言ってくれるの?
「瑞希がほんとに笑ってる時の顔って、ふんわりしてて、なんだか私までニコニコしてきちゃうんだ」
「それは真紗だよ…。オレも、真紗が笑ってると、オレまでニコニコしてくるよ?」
「そうなの? 一緒だね」
そう言って、とびきり素敵な笑顔を真紗はオレに向けてくれたので。
オレも真紗に、作り物ではない笑顔を向けることが出来た。
「嫌な事、無くなっちゃったよ。ありがとう真紗…」
真紗が好きと言ってくれた瞬間、嫌いだったオレの顔が少し、好きになれるような気がした。
◇ ◇ ◆ ◇
「おはようございます、真紗は?」
今日から中学生。
相変わらず体は勝手に動くようで、朝はいつものように隣の家のチャイムを鳴らす。
「ごめんなさいね、今日も起きるのが遅くって…」
ドタバタとした足音が聞こえてくる。
中学になっても変わらないんだな、と思わず口元が緩む。
「瑞希くん、背、伸びたわねえ」
おばさんが目を細めてオレを見上げた。
あれから、俺の背はグングンと伸び、いつの間にかクラスでも後ろの方になっていた。
「小さい頃はお姫様みたいに可愛いかったのに、王子様みたいにかっこ良くなっちゃって」
「どうも…」
返答に困り、照れ笑いで適当に誤魔化す。
オレ、男の子っぽくなれたのかな?
小さな頃は、女の子みたいな自分が嫌いだったけれど、背が伸びたせいか、最近では可愛いと言われる事はなくなっていた。
「瑞希くん、中学では女の子にもてそうね~。ね、真紗もそう思わない?」
「んっ?」
おばさんの後ろから、ようやく真紗が姿を見せた。
初めて見るセーラー服姿がなんだか、女の子っぽく見えて少しどきりとする。
「瑞希、制服似合ってるね」
そう言って、子供の頃から変わらない笑顔をみせてくれる。
「真紗も。セーラー似合ってるよ」
そんな真紗につられて。
いつの間にかオレも、ふんわりとした笑顔に変わっていた。




