遠く響く声(前編)
本編3話目でちらりと出た
真紗が瑞希を避けるようになるお話
それは中学一年の夏の日の事。
期末テストも終わり、あと1週間ほどもすれば待望の夏休みがやってくる、そんな浮かれた気分の頃の出来事。
「堀浦さん、ちょっといい?」
丁度お弁当を食べ終えた頃、突然、綾川さん達3人組に声を掛けられた。
驚いて声が出ず、しばし時が止まる。
目の前にいる子達は、バレー部所属の活発なおしゃれ系女子だ。同じクラスではあるが、カースト上位にいるような子達であり、私と、普段の接点は全くと言っていいほどない。
びっくりしている私をものともせず、3人は、にこやかな表情と仕草で私に近寄ってくる。
3人のリーダー格である綾川さんが、一歩前に出る。
「ちょっとお話したいことがあって。倉瀬君、堀浦さん借りるわね」
私を連れて行こうとする綾川さんが、なぜか瑞希に了解を得ようとするのを不思議に思いつつ、しかし、穏やかな3人の様子に親近感も覚え、私は大人しく着いていくことにした。
3人に連れられた先は、中庭の、少し奥まったところだった。
休憩時間にも拘らず他に人はなく、花壇に植えられている花が、目立てずひっそりと咲いていた。
「綾川さん、お話ってなに?」
教室を出た時はにこやかだった綾川さん達の表情が、なんだか違うものになっていて、感じた違和感を拭うように私の方から声をかけた。
「堀浦さん、あんた倉瀬君の何?」
お話って瑞希の事?
綾川さんの声には凄みがあり、急に心細くなってきて、私はうろたえる。
何、と言われても、なんだろう。友達…微妙に違う気もするけれど…そうだ!
仲の良いお隣さんだ。
「えっと、瑞希の、幼なじみだけど…」
「幼なじみだからって、いい気になんないでよ」
凄みのある声が、怒気のある声へと変わった。
なぜか3人とも怒っている様子だ。
綾川さんは、理解不能で呆然としている私を他所に、更に理不尽な要求までしてきた。
「あんた、倉瀬君にべたべたし過ぎなのよ。今後一切、彼に近づかないで」
「え、嫌」
口にした途端、綾川さんの手が伸びて、私の体がぐらりと揺れた。
膝に衝撃が走る。
何いまの?
向こうの方から、なにコイツ生意気、なんて声が聞こえてくる。
そのまま3人が、座り込んだ私のすぐ側に、囲むようにして集まってきた。
「ブスの癖に、倉瀬君に似合うとでも思ってんの?」
「あんたなんか付き纏ってちゃ、彼が迷惑するのよっ」
「いい気になっちゃって、みっともない」
よくもまあ、ここまで悪口が言えるものだと感心するほど、綾川さん達3人は次から次へと言葉を繰り出してくる。
しかし、私の耳は、この辺までしか、3人の声を通そうとはしなかったようで。
後はもう、何を言われたのかさっぱり覚えてはいない。
キーンコ―――ンカ―――ンコ――――ン
午後の授業開始5分前の予鈴チャイム。
私を開放する素敵な音色がやっと耳へと届けられた。
◆ ◇ ◇ ◇
教室に戻ると、もうすっかり綾川さん達の顔には笑顔が戻っていた。
私を見つけた瑞希が、いつものふわりとした笑顔で近寄ってきて、私は一瞬、身構えてしまった。
「どうしたの? 何かあったの?」
「ううん……なんでもないよ」
同じクラスにいる3人の気配が、いつもどこかにあるような気がして、私はぎこちなくしか、瑞希に言葉を返す事が出来ないでいた。
5時間目の授業が終わる。
6時間目の授業開始まで、10分間の休憩の時間。
いつものように瑞希がやってくる。
「真紗、さっきの授業、上の空だっただろ」
「え? そう…かな?」
「ずっとぼーっとしてたから、先生に気付かれるんじゃないかって、見ていて冷や冷やしたよ」
「………」
「綾川さん達と、何の話してたの?」
「……別に、瑞希に関係ない事だよ」
私を訝しげに見つめる瑞希の目を払いのけたくて、立ちあがる。
「どこ行くの?」
「トイレっ!」
さすがの瑞希も女子トイレまでついては来れまい。私は安息の地で、6時間目が始まるのを心待ちにするのだった。
学校からの帰り道、いつものように瑞希と帰る道。
綾川さん達はバレー部なので、私たちは見られていない筈なのだけど、なんだかどこかに目があるような気がして、私は妙な緊張感を覚える。
気のせい。気のせい。これはきっと気のせい。
瑞希も、気を使ってかもう気にしていないのか、綾川さんの件に触れようとはしてこなかった。
少しほっとして、いつものようにお喋りしながら家へと向かう。
こうして、綾川さんの件を忘れようと普段通りの毎日を数日送り、夏休みがやってきて。
長い夏休みをまた、いつものように瑞希と過ごしているうちに、すっかり綾川さんの事は忘れてしまっていた。
◇ ◆ ◇ ◇
長い夏休みを終え、いつものように瑞希と学校へ向かい。
いつものように休み時間を一緒に過ごし。
いつものように、お弁当を一緒に食べ。
いつものように、一緒に家まで帰っていた。
新学期が始まって、一週間が経過した頃、再びソレは始まった。
◇ ◇ ◆ ◇
「堀浦さんって、倉瀬君と付き合ってるの?」
体育の着替えをしている最中に、突然、沢井さんから声を掛けられた。
「え?」
突然の発言に驚く私の周りには、いつの間にか女子数人が、私を囲むようにして妙な視線を送っていた。
「花火大会、2人で一緒に歩いてるとこ私見たのよ」
「花火なら一緒に見に行ったよ」
「やっぱり! 付き合ってるの?」
意味がよく呑み込めず、軽く首をかしげる。
「倉瀬君は、あなたの彼氏なのかって聞いてんのよ」
イラッとした様子で沢井さんが私に詰め寄る。
彼氏? それはいわゆる恋人同士というやつ?
「違う違う、彼氏とかではないよ」
「じゃあ、なんで一緒に出掛けてんのよ。学校でもいつもずーーっと一緒じゃない。てっきり、付き合ってんのかと思ってたわよ」
「家が隣で、小さい頃からずっと仲良くしてるから、でも、それだけ」
「じゃあ、倉瀬君フリーなの?」
沢井さん達が興奮し出す。周りの女子がざわつき出し、なんだか怖くなってくる。
「幼なじみなのをいい事に、べったり一緒に居て、いい気になってるだけよね」
突然、綾川さんが声を上げた。
私は思わずぞくりとして振り返る。
「だって、おかしいものね。あんなにカッコいい倉瀬君と、ぱっとしない堀浦さんが、一緒にいるなんて」
「そうよねー、おかしいと思ってた」
「倉瀬君優しいから、堀浦さんが近寄ってくるの、断れないんだよきっと」
「もっと可愛い子と近づきたいって思ってるかもね」
「幼なじみの相手はもう嫌だって、本音では思ってるんじゃない?」
くすくすと笑う声が幾つも幾つも聞こえてくる。
私の味方をしてくれる子は一人もいない。普段、瑞希としか一緒にいなかったツケが今やって来たようだ。
みんな、私と瑞希のこと、こんなふうに思ってたんだ………。
確かに、瑞希は綺麗だ。
頭もいい。スポーツだって上手だ。お弁当だって上手に作る。
私が瑞希に勝てる事って、なにがあるんだろう。
………なんにもない。
今更ながら気づいたこの事実に、頭がぐらりとしてきた。
瑞希、私が傍にいるの、嫌なのかな。
私、瑞希の傍にいるの、似合わないのかな。
もっと素敵な子が隣にいる方がいいのかな。
私もう、近寄らない方がいいのかな………。
◇ ◇ ◇ ◆
「真紗! 今朝、どうしたの? いつもよりずっと早く家を出たっておばさんに聞いたけど――」
瑞希の方を向かずに私は返事をする。
「あのね、瑞希。もう、学校一緒に行くの、やめよ」
「どうして?」
「しばらく一人で歩きたい。瑞希もその方がいいよ」
「―――――」
2人の間に流れる微妙な空気からも、瑞希そのものからも、クラスの女子の目線からも逃れるように、休み時間になるとトイレに逃げ込んだ。
これがいいんだよね、きっと。
瑞希から離れた方がいいんだよね、きっと。
こうして私は瑞希を避けることにした。
後編に続きます。