第二話:陰スペクター、トチギ
第二話:陰スペクター、トチギ
春、新学期が始まって間もない日の朝に、トチギは影山下川高校に向かう。いつもの通学手段は電車で、郊外から大都市のド真ん中に向かう電車に乗り込んだ。ラッシュ時だし、付近に学校も多いこともあってか、電車の中はめちゃくちゃ混んでいた。花粉のシーズンか風邪をひいているのか否か、やたらくしゃみしているおっさん、多分賢いのだけど頭の悪そうな中学生、そして量産型の女子大生など、まあ特に個性もありそうでない乗客で溢れかえっていた。
スリに遭うのも嫌だし、スリと間違われるのも嫌だし、カバンを誰かにぶつけてトラブルになるのもごめんだ。そんなわけでリュックを体の前にして、ブックカバーのついたラノベを取り出す。最近買った。「妹だけど結婚相手はお兄ちゃんでいいよね」ブラコンの妹が実の兄に恋愛感情を抱いてしまう兄との駆け引きを描いたなんとも言えない歯がゆさを持つ作品だ。最近はこれが毎朝の楽しみにもなりつつある。
数十ページほど読み進めたあたりで、学校の最寄駅についた。かなり大きな駅なので乗車数降車数ともに多い。小学校の先生が遠足はお家に帰るまでが遠足ですと言うように、この駅では駅の改札を出るまで電車を降りていないようなものなのだ。何にしろ人が多いものだから、朝はとくに混雑している。その駅から改札に出るには、階段を降りないといけない。ここが朝の第一関門。降車後の改札を出るまでの人混みは勝負だ。
陰道を極めたトチギは、常に孤高の状態を保つために、そして貴重な時間を周りの人に無駄にされないようにするためにも、歩くスピードを速くするよう意識する。誰よりも先に改札を出たい。いち早く他の同級生に見つかる時間を減らしたい。その強き思いが僕を加速させる。だがここで感情的になってはいけない。モーターと軽量化で速度だけを意識して作ったミニ●駆はコースアウトするか、もしくは大破してしまう。人生もレースコースも大抵まっすぐではない。コントロールや、シチュエーションに対する柔軟性が必要なのだ。
かもしれない運転。もしトチギの歩くスピードが相対的に速かったとしても(速いはずだけど)、そして遅かったとしても、前を歩く人がトチギより遅いかもしれない。何らかの事情や目的で急に前から逆行してくるかもしれない。全て避けていかなければならない。気をぬいていると玉突き事故にあってこけたり、逆走者と正面衝突したりしてケガ、そして公衆の面前で悪目立ち、陰キャにとって最大の屈辱を受ける羽目になるかもしれないからだ。
そこで出てくる解決策は、目の前にいる数人の動きをあらかじめスキャンして予想しておき、骨格と体重移動を使って人を避けると言う陰術。これを「陰スペクト」と呼ぶ。検証、と訳されることのある英単語、INSPECTからちなんでそう名づけられた。
この時間帯。非常に混雑している改札までのルート。トチギの前に存在する人々は壁だ。そして常に前方の壁は動き続ける。クッ●キャッスルのアレなのだ。文庫本をしまい、トチギは目を大きく見開いた。
陰スペクト!前方確認!
トチギの脳と眼球が連動して戦闘力を図るアレのようにめまぐるしく動き始める。12時にJK、10時半に女子大生、1時に小学生、11時に野球部。それぞれの両肩の動き、つま先の向きなどをスキャンしていく。大学生は左前へ、野球部はそのまま直進、小学生も左前、Jkは直進。
ルート確保!
左ステップ10時半!
右ステップ小学生の手前まで一気に2時へ!
左ステップ11時へ!
筋肉で力を入れる必要はない。つま先と骨盤を器用に使い、体重移動で一歩ずつ一気にたたみかけていく。足が着地する瞬間、支点、つまり軸足をスイッチする。リズムよく、そしてタイミングを見計らいながらステップを踏んでいく。目の前に大きなスペースが現れた。トチギは思わずにやけてしまう。ごぼう抜きにされた後ろの奴らを見てほくそ笑んでやりたいところだが、アクション映画の爆破シーンで誰も後ろを振り向かないように、トチギも振り向かない。完全突破。ここからはプロフェッショナルの独壇場。一気に階段まで攻め込もう。などと思っていると、前方に大きな動物の群れのようなものが見えた。
体格のいい、体育会系の学生たち。きているスウェットパンツやジャージなどからして、アメフト部だと思う。でかい。デブな奴もいるし、細マッチョもいる。肩幅が広いし、歩幅もデカそうだ。さらに言えばあいつらは部活故にプロテクターやらなんやらで、身体だけじゃなくカバンまでデカイ。陽キャなんだろうなあ。トラブルにはなりたくない。などと考えている間にも距離は縮まり続け、こちらを見つめて何か話しながら近づいてきた。絡まれるかもしれない。トチギの脳が勝手に働く。
陰スペクト!前方確認!
歩幅がデカイ。肩の動きはわかりやすいが、陽キャであることや、集団で動いていることから、急にふざけて飛び出してきたり、いきなり突き飛ばしあいを始めたりと、サルみたいな人間ではない別の動物のような動きをしかねない。
対象接近中!
奴らのカバンもデカイ。それがさらにルート確保を困難にさせる。陽キャめ、幅を取りやがって。そして逆走までしてくるのか。いや、向こうが集団である以上僕が逆走車なのかもしれない。40cmほどの隙間を発見する。ここをどうにかタイミングをずらしてもう少しスペースができた瞬間に斬り込んでいくのがベストなセオリーだ。カバンを抱えたままなので、ぶつかってトラブルになるリスクは軽減できている。
選手1選手2ともに直進!
選手3選手4は四時の方向!
選手5選手6進行方向不明!
二人の動きをスキャンできない。こんなことがあるのか。もっと修行を積み重ねなくては。まあいい。野球部や大学生の時に使ったスキルにもう少し応用を利かせればいいのだ。
ルート確保! トチギは、確保じゃなくね?とも思いつつも、タイミングを見計らい、スペースが空いた瞬間一気に畳み掛ける。あの選手3と選手2の間の40センチが50センチほどに拡張された瞬間。
左ステップ11時!右ステップ一時半!
四人抜き!!だがあと二人残っている。何も予想できない故に細心の注意を払いつつ進む。選手5がそっぽを向きながら歩いている。カバンがこっちに向かってくる。その瞬間、トチギは体をひねり、腕も肩甲骨も前に押し出し、体の幅を最小限に。そして今度は肘打ちをするような要領で左肩甲骨を押し出し、選手6のカツオ持ちしているカバンをボビングする。だがそれだけじゃない。トチギは何が気に食わなかったのか知らないが、選手3が彼に手を伸ばしてきた。
「あの、きみさー」
やばい。危機感を感じたトチギはルートを探す。
右ステップ3時!そのまま直進!
完璧。階段というエンドゾーンまで見事に切り抜けた。
選手1と選手3があっけにとられながら呟いた。
「「あいつ…プロフェッショナルじゃん…」」
「プロフェッショナル陰キャトチギ」第二話
To be continued....