2-1.魔法の実技
年が明けた。
数え年のこの世界では、誰もが年齢を一つ重ねた。
雪が解ける前に次の雪が降った。
グレイナーの街と迷宮を結ぶ道は砂利敷きのうえ、鉄盟騎士団が定期的に除雪をしているので比較的歩きやすかった。
この季節でも玲奈たちは、ゴーレムの迷宮やグレイナーの城内には出かけた。
グレイナーからはポータルワープも使える。
王都や皇都、ニット製品を買いにクライドには行ったが、徒歩ないし馬車で新たな土地に出かけることは自重した。
日常の買い物のほかにはポーションの納入で定期的に王都に出かけた。
この日も玲奈はフルーとギリムを連れて王都にやってきた。
納入先の騎士団は大通りを進み、貴族街の入り口にある。
残念ながらワーラント団長は今回も不在だった。
玲奈たちは納入の手続きをすませると学園に向かった。
「雪が残ってると歩きにくいね。」
「ああ、そうだな。」
「石畳みの大通りは除雪されてても、一本通りを入ると雪かきもされてないね。」
「お貴族様のご子弟が学園に通えるように大通りだけ雪かきしたんだろ。」
「あっ、そうか! 自分で忘れてるけど、学園は元々貴族のための学校だもんね。」
「なんだよ、忘れてたのかよ。」
「そういえば、大通りも貴族街の方はきれいに除雪されてるのに、門に近いこのあたりは踏み固めただけだよ。」
「仕方ねえだろ。貴族様は家来にやらせりゃあいいけど普通の家じゃやるヤツぁいねえよ。」
「そっか、まあ雪かきは重労働だよね。」
玲奈たちの家周辺は玲奈とアメディアが魔法を使って、玄関周り、庭の厩舎や納屋周辺、家からグレイナーと迷宮を結ぶ道まで続く脇道の雪を溶かしていた。
「だろ? レイナさんのように魔法が使えねえなら下僕とか見習い騎士が命令されてやるもんだぜ。」
「そんなもんかあ。そういえは先週行った皇都は細い小路まで雪かきされてたよ。王都とはちがうんだね。」
「そりゃ皇都は信者団体の奉仕団が清掃や交通整理だけでなく雪かきも奉仕活動でやってるからな。」
「さすがギリムはよく調べているね。」
「それより学園に着くぞ。書類忘れんなよ。」
玲奈たちは学園に着くとスケルター教授の研究室でポーションの納品手続きをした。
玲奈はカバンから騎士団の詰所で受け取った受領書を教授に渡した。
「この季節は足元が悪くなるから、レイナ君が運搬もしてくれて助かるよ。」
「お役に立ててなによりです。それとこれもご覧になってください。」
そう言って玲奈はスケルター教授にさらに紙を一枚追加で渡した。
「いよいよアメディアが付与魔法を使えるようになったので戦闘データを取ってみました。」
「どれどれ、見てみよう。」
スケルター教授は玲奈から渡された紙に目を落とした。
玲奈が説明を加える。
「アメディアは安定して使えるのはまだ火属性と水属性だけで、データ数も多くありません。でもアメディアと私で差異があることを示すデータが存在しないんです。」
「うむ、まだサンプル数が少ないので断言できないけど、傾向としては付与者による差異は見出せないね。」
「もう少しデータ取ってサンプル数が増えたらまたレポートお持ちしますね。」
「うん、気長に待ってるよ。この資料はいただいておくから。」
スケルター教授は玲奈から受け取った紙を袋に入れて机にしまった。
彼は表情をゆるめて玲奈に向き直った。
「そういえばレイナ君、新魔法の登録は通ったの?」
玲奈は水やり用の散水魔法をロザラム、スケルター両教授を指導教官として魔法学園に登録を申請していた。
「それをロザラム教授に聞きにいくところです。書類はそろえて提出してので、そろそろ結果がわかるかと思います。」
「これからロザラムさんのところへ行くなら、僕もついていくよ。」
ロザラム教授の研究室はスケルター教授と同じく二階にある。
玲奈に続いてスケルター教授が顔をのぞかせたことにロザラム教授は一瞬驚いた。
「レイナ君だけでなくスケルター君もやってきたということは、新魔法の件だな。」
ロザラム教授は机の上に無造作に置かれた紙束から一冊のノートを取り上げて開いた。
「そろえた書類で問題もなく受理されて、先週無事審査会を通ったよ。あとは一度実演の機会があるので、それを通れば公布となる。」
「ロザラム教授のお陰でここまでこぎつけました。」
玲奈は、理論派のロザラム教授から魔法の基礎知識を教わっていた。
初歩的な魔法の構成と一般的な発動のメカニズムを把握した玲奈は、オリジナル魔法の作り方をマスターしたと言える。
「レイナ君、少々気が早いぞ。まだ実技が残ってる。副学長と、場合によっては学長も臨席することもあるからな。」
「申し訳ありません、浮かれていたのかもしれません。」
「問題はない。それに今後何度も通るであろう道だからな。レイナ君は次の構想くらい持っているんじゃないか?」
「ええ、まあ、アイディアの断片くらいでしたら。」
今まで薄ら笑いを浮かべて傍観していたスケルター教授が口を出した。
「レイナ君なら面白いアイディアがいくつもあるんじゃない?」
「いや、面白いものがそんなに苦労なく生まれたりしませんよ。スケルター教授こそ付与魔法でなにかないんですか?」
「ないよ。付与魔法そのものは単純なものだし、併用する魔法次第だからね。レイナ君がデータを集めてくれてるんで、その分析結果によっては新しいことがわかるんしゃない?」
「ハイハイ、データが取れたらお持ちしますよ。」
「じゃあレイナ君、それにスケルター君も私の方で今後のスケジューリングを進めるということでいいね?」
「はい、今後ともよろしくお願いします。今日はありがとうございました。」
玲奈はロザラム教授に礼を言ってスケルター教授とともに部屋の外に出た。
部屋の中にいたときは終始薄ら笑いを浮かべていたスケルター教授は外に出てくると苦虫をかみつぶしたような顔をした。
玲奈には彼の感情のありかに見当がついた。
「教授のところにはこの件で音沙汰なしですか?」
「ああ、なにもないね。魔法関係の教授ならともかくポーションの調合師ならこんな扱いも仕方ないね。」
「連名でも単にロザラム教授が筆頭になっていただけで他意はないと思いますよ。それに私も手伝いますから付与魔法で研究成果を足しましょう。」
「ああ、そうだね。ちょっと愚痴っぽくなってすまない。それに教授会や王宮に認められることがすべてとは思ってないからね。」
玲奈はスケルター教授にも礼を言って別れ、四階まで上った。
アメディアが付与魔法をかけた場合のデータをスタローム参謀に渡そうと写しを持ってきたが、参謀は留守だった。
玲奈はデータを記した紙を持参した封筒に入れ、参謀のメールボックスに入れて、王都を後にした。
玲奈たちはグレイナーに戻り、城内で食べ物を買い帰宅した。
昼食を食べた後、フルーやスドン、ギリムは庭に出てきた。
鍛冶場から厩舎にかけては石畳みになっており、玲奈が魔法で雪を溶かして、その上で動けるようにしてある。
雪が降っているときは厩舎や納屋の中で、あがっていれば石畳みの上で体を動かすことができる。
さらに玲奈は、ギリムが投げナイフの練習ができるように、石畳みから五、六メートル離れた雪が残る地面を土魔法で盛り上げて的とした。
ギリムのために魔法を使ってるように見せて、玲奈自身も狙いの正確さや発動の速さを鍛えていた。
玲奈は三人を残して執務室に引っ込んだ。
アメディアが家事をすませるまでの間、玲奈は学園の図書館から借りてきた本を読んだ。
昨年末までは主に教皇庁関連の本に目を通していたが、現在では王国初期の魔導師たちを調べている。
エリュシオール王国は別名魔法王国と言われるだけに、初期に優れた魔法使いたちが活躍して王朝を打ち立てた。
たとえは強力な水魔法を使い、天変地異で水没した土地を人が住めるように変えた“創世の賢者”カルドゥスや、熟練した剣と魔法で多くの魔物を屠り、多くのケガ人を救った“聖騎士”アドリアンである。
玲奈はこれらの魔法使いの事績をたどり、どのような魔法を行使したのか調べてみることにしたのであった。
九百年を超える王国の歴史で魔法は順調に発達してわけでないように玲奈は感じていた。
ここ数十年もろくに新魔法が開発されていないことも傍証になる。
恐らく失伝も少なからずあろう。
このため誰がどんなときにどんな魔法を使ったかを抜き出していった。
可能なら誰に伝えたか、もしくは誰が受け継いだかも書き添えた。
過去に使われた形跡があるのに現在に伝わってないものは失伝となった恐れがある。
その魔法は使用者が特殊な能力を持っているか特殊な魔道具を使って発動させているのでなければ再現の可能性が残されていると玲奈は考えた。
その際に、使用者の装具や使った道具、唱えた呪文を拾える限り拾って書き加えた。
そんな作業に没頭していると、アメディアが呼びにきた。
昼食の片付け、夕食の仕込み、食堂と厨房の掃除を終えたとのことだ。
玲奈はアメディアと庭に出た。
二人ともニットを着込んでいる。
空はどんよりと曇って寒々しいが、日差しがないため雪の照り返しもない。
フルーは石畳みの上で連続攻撃をイメージしたのか流麗な動きを見せていた
スドンは盾をかまえたまま黙々とハンマーを振っていた。
「スドン、ハンマーを振っても盾が全然下がらなくなったね。」
スドンは声をかけられて玲奈が来たことに気がついたようであったが、そのままハンマーを振り続けた。
「邪魔して悪いね。そのまま続けてて!」
玲奈はへたり込んでいるギリムを見やった。
「レイナさん、俺は今までちゃんと投げナイフの練習してたんだぜ。ちょっと疲れて休んでるだけですよ。」
「ふうん、体が疲れたんなら、暗算で頭使おうか?」
「いやいや、神経集中させてて頭を疲れてるから。暗算とか間に合ってるから。」
「じゃあギリムはそこで休んでいて。私とアメディアで的を使わせてもらうから。」
まずアメディアが新魔法を試す。
アメディアが水やりするために開発した魔法で、その過程でアメディアの習熟を図りながら構成を練っていったので、問題なく発動して石畳みを濡らした。
次に風魔法を試す。
玲奈はかねてより昆虫型魔物のように数が多く空を飛ぶ魔物対策として風魔法を考えていた。
そのために内側と外側で反対向きに回る二重の空気の渦を当初作ろうとした。
しかし反転する二重の渦を高い同軸性を持たせることは至難のわざで、玲奈はこの方向での開発を断念していた。
代わって空気の渦をごく薄く円盤状にして、これを二枚重ねて反転させ、対象にぶつけるイメージで開発を進めた。
二枚の薄い円盤をわずかな間隔で逆向きに回転させつつ高い平行性を保つのは困難だったが、玲奈は微細な魔力のコントロール能力を向上させていたので試行錯誤を重ねて実用化にこぎ着けていた。
玲奈はこの魔法を無詠唱で即時に発動できたが、やっと風属性が使えるようになったばかりのアメディアには難しかった。
このため精度と威力をやや落とし、通常の攻撃魔法に命令式をならう形で構成を組み立て直し、呪文の詠唱により発動する簡易版も作り上げた。
アメディアはこの簡易版の練習に取り組んでいる。
まず玲奈がお手本としてこの風魔法を詠唱して発動させ、約五メートル先の的に命中させる。
次に玲奈の実演を見ていたアメディアが同じように呪文を詠唱して空気の刃を撃ち出す。
アメディアも練習を重ねて風属性の扱いが格段に上達して、不発ということは起こらなくなった。
それでも玲奈がスムーズですばやい発動から的の真ん中に安定して命中させるのに比べると遠く及ばない。
「アメディア、風属性の扱いがずい分とうまくなったんじゃない?」
「そうでしょうか? まだ自信がありません。」
「風属性のマスターまで苦労した分、成果が生きてるよ。あとは精度が良くなるといいね。」
「どのようにすればよろしいのですか?」
「それなら呼吸を意識してみよっか!」
「呼吸、ですか?」
「うん、息を吸いながら魔力を練って、一瞬息を止めて吐き出しながら詠唱すればいいんだよ。落ち着いてやってみよう!」
「はい、お嬢様!」
玲奈はときにお手本を示しながら、手取り足取りアメディアを指導した。
何度か繰り返すうちにアメディアも徐々に慣れて、ぎこちなさも薄れていった。
アメディアが慣れてきたと見ると玲奈は弓を取り出して、アメディアが魔法を撃つ合間に矢を射た。
弓は取り回しがしやすく、引くときの力が少なくてすむ短弓を購入していた。
冬の間ここ一ヶ月、玲奈は弓に時間を割いて新しい弓になじみ、命中精度を向上させるべく取り組んだ。
呼吸に関する興味も弓を引くうちに体感するものがあったからだ。
神経を研ぎ澄ませて射る矢が的の中心に刺さる。
アメディアは自分が魔法を使うのも忘れて玲奈が矢を射る様子を見ていた。
「お嬢様は魔法で攻撃ができるのだから、弓矢は使わなくても大丈夫なのでは?」
「別に必要に迫られたわけではなくて、単なる好奇心だよ。弓を使って狩りをしていたダダクラから習えるしね。」
「それならよろしいのですが、お嬢様の魔法の才能は私には測れないほどですが、失礼ながら弓の腕はそこまでには感じられなかったので。」
「魔法の才能に関してはアメディアの買いかぶりの気もするけど、弓の腕前は自分でもわかってるつもり。魔法が使えない場合や見せたくないときに代わりに弓が使えればってくらいの位置付けだよ。」
「そんなもんですか。」
「それに万が一、弓を使う相手と戦うことになったら、相手の武器を知ってると違うと思うんだよね。」
「そうですか。心当たりがおありなのですか?」
「そういうわけではないけど、魔法を使う魔物がいたから弓を使う魔物がいてもおかしくないないかなって思うんだ。」
「そんな魔物がいるんですね。迷宮に入るのが怖くなってきました。」
怖いというアメディアであるが、何度かゴーレムの迷宮に連れていった限りでは肝は座っていた。
ゴーレムを恐れる様子はなく、岩が点在する荒涼とした迷宮内の景色にも気後れする気配はなかった。
玲奈がアメディアに魔法を教えてのは生活魔法を使うことで利便性を高めるためであった。
アメディアは魔法適性が意外に高いことに確信を得た玲奈は、次に付与魔法をアメディアに取得させた。
付与魔法も当初は付与者の違いによるデータを取ることが主目的であったが、取ったデータが付与者を問わず効果があることを表していた。
付与魔法限定であれば玲奈でなくアメディアでも問題ない。
今まで行っとことのない区画ならともかく、生産用の素材採取は危険性が低く、ほとんどルーチンワークと変わらない。
必ずしも毎回玲奈が同行せずとも、アメディアにも代替を頼むことができそうだ。
その分の時間を別なこと、かわいい服や小物を作ったり、料理の工夫をこらしたり、お庭で草花を育てたりに回すつもりだった。
ただし、いずれもアメディアの助力があった方がうまくいく分野なので彼女が別行動で不在だと意味がなく、玲奈の頭を悩ませる。
この日は迷宮に潜る予定はなく、夕食までの時間、玲奈はアメディアと裁縫部屋にこもった。
ダダクラも呼ばれている。
三人で服飾関係の作業を進めるためである。
裁縫部屋には道具のほか、雑多な古着が何着も持ち込まれている。
玲奈は新年をはさんで何回か皇都までアメディアやギリムを伴い出かけていた。
年越しの祭礼は皇都で最も格式高く規模の大きな行事で、その前後の期間は大陸の西側から多くの信徒が集まってくる。
年明けで信者も信者でない者も等しく歳をとるが、信者には教皇が発する新年のメッセージという楽しみがある。
大神殿ではそのメッセージが記された護符が新年限定で発売され、それも皇都に人が集まる動機となっている。
年越しの宵から年明けの朝にかけて、皇都には教皇のメッセージとお出ましを目の当たりにしようと一年で一番のにぎわいを見せる。
大通りはもとより裏通りや小路まで人にあふれ、どの店も年一番のかき入れどきとなり、宿屋はどこも満室となる。
宿代もこの時期が年で一番高い。
貴族や大商人ならともかく、使用人や農民には大きな負担となる。
それでも信仰心篤い人々は多少の困難にも関わらず皇都に行く算段を考える。
やむを得ず彼ら彼女らは一年間貯めたなけなしの資金のほかに、当座必要でない衣類や生活用品を携えて皇都にやってくる。
それらの品物を売って滞在資金の一部にあてているのだ。
そのためこの時期は古着が安く大量に出回る。
玲奈はアメディアやギリムを連れて、何度か皇都に出かけた。
人混みをかき分け露店を何軒も回って玲奈たちは古着を買いあさった。
この世界では女性でも司書のクローカや食堂の料理長のように百七十センチ以上がザラなのに対し、玲奈は百五十五センチでサイズが合う服が少ない。
この点に関してはアメディアが解決策を提案した。
多少サイズが大きくてもアメディアが丈を調節してくれると言う。
他にもほつれや小さな穴は補修し、補修し切れない服はパターンを取ったり端切れにしたりして再利用できる。
着用できないくらい傷んだ服ならかなり安く買いたたたける。
玲奈たちは色合いや柄、形が気に入った服はサイズや状態によらずどんどん買った。
幸いにもフルーの働きで資金は十分あった。
買い込んだ服の山を玲奈とアメディアは三つに分けた。
そのまま着る服、補修や改造して着る服、バラして素材とする服の三種類でえる。
第一のカテゴリーは洗濯してクローゼットに入った。
これは少数である。
第二のカテゴリーのうち補修、袖丈を直したりボタンを付けたりほつれや裂け目を繕ったりが必要な服はアメディアが買った翌日から作業に取りかかっている。
第二の残りは補修にとどまらず、デザインに改造を加えて部分的に作り直しに及ぶものである。
アメディアは裁縫の技術に長けているが、デザインが得意なわけではない。
玲奈は服飾に関心が強いが、実際に服を作ったのは家庭科レベルでしかなく、自らのアイディアを形にする経験も技量も足りてなかった。
そこでダダクラの出番となる。
ダダクラは確かにデザインのセンスがない。
ここは身に着ける玲奈が自分の納得がいくようにリクエストすればいい。
またダダクラは集中力が足りないのか器用さに欠けているのか、物作りを手がけると細部の作りが雑だったりと至らない点が多々ある。
しかしそこはアメディアが作業すれば問題はない。
かくして玲奈とアメディアの企てにダダクラが紙の束とペンを持参して加盟した。
「ねえアメディア、こっちの袖丈詰めたら右ひじのところが破けてるから縫っておいてね。」
「はい、 お嬢様! さっさと繕いますね。」
「ダダクラは、この服を写して! えりを別の形にしてみようと思うんだ。」
玲奈は薄い緑色の服を両肩のところでつまんで自分の肩に当てて掲げ、ダダクラはそれを見てペンを走らせている。
「お嬢様は緑色がお好きなようですね。」
「そう? 自分じゃ自覚ないけど、ダダクラからそう見えるならそんな傾向があるのかもね。」
「もし無意識に選んでるならきっと好みを反映してるんですよ。」
「そんなもんなんだね。」
「ええ。さてと、描き終わりましたよ。」
ダダクラは口を動かしつつ、手も休むことがなかった。
「おお、いいできだね。ありがとう! それでね、えりがよれよれなんで違う生地を使って作り直したいんだよ。」
「どのようにしますか?」
「そうねえ、もう少し大きくしようか。それと角は丸くして。」
ダダクラが玲奈の要望をメモして、それを基にえりの形を描いていく。
玲奈がのぞき込んで注文をつけ、ダダクラは確認しながら描き直す。
「うんうん、いいね! 元の絵に描き加えてみて!」
先ほどダダクラが描いたスケッチは、玲奈がえりを直したいと言明していたので、えりの部分が描かれていない。
そこに玲奈が今注文した形に沿ってダダクラが描き加えていく。
「お嬢様、こんなところでいかがでしょうか?」
「おお、いいね! 思ったとおりのできだよ。」
「ありがとうございます。服地はどうしますか?」
「そうねえ、ちょっと待って!」
玲奈は部屋の隅に小さな山を作っていた素材用の服をあさる。
少しの間、山をひっくり返して薄手の黄色い服をつかんだ。
「ダダクラ、これなんかどうだろう?」
「色合いは合ってますね。ただ、この服かなり薄地ですよ。着ているうちによれてしまうんじゃないですか?」
「そっかあ。どうしようか? 二枚重ねたりできないかなあ?」
「うんん、それでしたら折り返して重ねてみましょうか?」
ダダクラが黄色い服を持って、裾を折る。
それを見ていた玲奈がうなずく。
「よさそうだね。ダダクラ、いいひらめきだったよ。」
「それほどのことでもないです。よければパターン作ってみますね。」
「うん、お願い!」
ダダクラは物差しを取り出して元の緑色の服に当ててサイズを測ってはペンに持ち替えて別の紙片に線を引いていく。
その間にアメディアの作業が終わった。
「お待たせしました、お嬢様。いかがでしょうか?」
「おおっ、短時間なのにきれいに仕上がったね。これなら上々だよ。」
玲奈はアメディアからチュニックを渡してもらい、袖の長さを確かめるため腕にあててみた。
「袖もピッタリだよ。ほつれもないし、アメディアにお願いしてよかった!」
「そんな、大げさですよ。貴族家で働いていたらこのくらいできて当たり前なのです。」
「貴族様は私たち平民とは違う世界に住んでるだね。アメディアは貴族様のお召し物は作ったことあるの?」
「貴族様のお召し物は全部専門店に注文を出して作らせてますよ。私が担うのは従者の衣装を補修するくらいです。」
「そうなるかあ。」
「はい、しかし侍女はお客様がいらっしゃると給仕もします。そのようなときに、着ているものがほつれていたり破けていたりするとご主人様が恥をかくので、裁縫といっても求められるものは低くないですよ。」
その間にダダクラのパターンができあがったので、アメディアはパターンの紙を受け取って切り抜き、えりの付け替え作業に取りかかった。
アメディアは軽口をたたきながらも手を休めることなく作業を進めて、夕食までにチュニックのえりはきれいに縫い合わされた。
「アメディア、お疲れ! さすが仕事が早いし仕上がりもしっかりしてるから助かるよ。」
「お役に立てたのならなによりです。」
二日後、玲奈はギリムを連れて王都を訪れた。
スプリーン教授を訪れて石碑の拓本を解読をする予定だ。
ギリムはその間、王都をブラついてオートクチュールのお店について調べてもらう。
ギリムと分かれた玲奈は早めに着いたので、まずロザラム教授の研究室に顔を出した。
「実技の日が来週の今日に決まったぞ。その日の午前は空けておいてくれ。」
「わかりました。その日は何をすればいいですか?」
「そうだな、まず実際に目の前で魔法を使ってみせるのは当然だが、恐らく審査委員から質問が出るかと思うので適切に答えてやってくれ。」
「質問ってどのようなこと聞かれるんでしょうか?」
「複雑な術式を使った大がかりな魔法なら技術的な事項を質問されるだろうが、レイナ君の新魔法はそういうわけでもないからな。なんとも言えないが、動機あたりを尋ねられるかもしれない。」
「動機? 開発を志した動機ですか?」
「ああ、そうかもしれない。王宮魔導師あたりから、魔法学園生が攻撃魔法でなく生活魔法を手始めに開発した動機を聞かれる可能性はあると思うぞ。」
「そうですか。それと王宮魔導師の方が審査委員にいらっしゃるのですか?」
「ああ、王宮からは魔導師が一人と文官が立ち会う。あとは副学長と攻撃魔法職が二人だ。委員の構成には問題ないだろう。」
玲奈は、生活魔法が攻撃魔法より下に見られる傾向を感じていたが、攻撃魔法職ばかりの審査委員の構成にもその反映を見る思いがした。
ただしこの場で訴えてもしかたないことなので、玲奈は言葉には出さず話題を変えた。
「当日はどのような服装で来ればいいですか?」
「別に服装を審査するわけじゃないから、普通に魔法使いのカッコでいいだろう。今日の君の服でも特に問題はないと思うぞ。」
「はあ、そうですか。それでしたら服は気にしないでおきます。」
「ああ、それでいい。服を気にするあたり、魔法使いといっても女だな。服のことが気になるならチェンバースさんにでも聞いたらいいだろう。審査や登録の手続きに関しては学園の事務官であるジェンクス君が担当しているので、彼に聞いておくといい。」
「わかりました、今日はありがとうございました。」
ロザラム教授の研究室を後にした玲奈は事務室がある一階に降りる前に四階に上がり、スタローム参謀の部屋を訪ねた。
彼は在室していたが、カバンに書類を詰めているところで、まもなく出かけるタイミングだった。
「お邪魔します。お出かけのようなので手短にお話ししますね。」
「ああ、レイナ君か。慌ただしくてすまんな。」
「いえいえ、こちらこそ。付与魔法についてわかったことがありますので、早めにお耳に入れておいていただこうと参りました。お手すきのときにこちらの紙をご覧になってください。」
玲奈は、先日スケルター教授に渡した玲奈とアメディアの付与魔法の効果に関する比較で記した紙をスタローム参謀に渡した。
先日封筒に入れて置いておいたものと同内容だが、どうやらみてくれてはいないようだった。
受け取った彼はチラリと紙面に目を落とした。
「要点を申しますと、属性付与の効果に関して付与者の違いによる有意の差はありません。私は配下の一人に付与魔法を習わせた上で私自身が付与する場合と比較しましたが、火属性と水属性に関する限りは魔力量や魔術的技量が付与効果の差としては現れておりません。」
「ふむふむ、なるほど。」
「このことは術者を問わないことを表わしています。かけられる側でなく、かける側の魔導士隊にまずお知らせしようと思いました。」
「君の言わんとすることは理解した。知らせてくれたこと、感謝するよ。」
玲奈はスタローム参謀のもとを辞すると、スプリーン教授との待ち合わせ時間が近づいていた。
事務室は後で寄ることにして図書館に向かう。
カウンターで司書のクローカが玲奈を出迎える。
「お邪魔します、クローカさん。今日はよろしくお願いしますね。」
「やあ、いらっしゃい! 教授はもう来て奥の部屋に入ってるわ。今日もまた素敵な服ね、レイナさん。」
「これは皇都で買った古着のチュニックを自分たちでいじって、えりを付け替えたんです。」
「なるほどね、それならオートクチュールでなくても個性が出せるわね。」
「単なる浅知恵ですよ。貴族の方はやっぱりオートクチュールですか?」
「どの家も出入りの仕立て屋がいるし、裕福なところだと専任のお針子を召抱えてるわよ。そうだ! レイナさんにうちに出入りしてる仕立て屋を後で教えるね。」
「ありがとうございます。」
「教授もお待ちかねだし、こちらへどうぞ!」
閉架式書庫の奥ではスプリーン教授が既に拓本の束を広げていた。
「やあ、レイナ君! 先に見てるよ。」
「どうぞお構いなく。雪が降ると屋外での調査はお休みですね。」
「そうなんだよ。でもこの時期は資料を調べ直したり、論文を書いているんだ。今日の拓本は前年末に南西部に行ったときのものだよ。」
スプリーン教授は拓本の束から三枚選んで机の上に広げた。
玲奈は光魔法で壁を淡く光らせて照明代わりにする。
「これは王国南西部にある遺跡の石室に刻まれていたものなんだ。古代文字のようにも見えるが、模様という可能性も否定できない。」
「失礼して拝見します。」
玲奈は教授に断って拓本を手に取り、紙の表面に目を凝らす。
浮き上がってくるのは文字というよりは模様のように見え、問題はその模様が岩石が元々持っているものなのか、それとも人工的に刻み込まれた模様が風化したのか判然としないことだ。
初回に見たパルマの碑文は状態が良好であったことを玲奈は痛感した。
「まず文字かどうかがわからないですね。以前拝見したパルマの拓本は八文字四行と定型文でしたから文字かどうかで迷うことはありませんでしたが、これはまずはその判別から始めないといけませんね。」
「うん、そのとおりなんだ。ただ墳墓と思われる石室内の壁面から取ったので、紋様は人工物である可能性が高いと思うよ。」
「それでしたら紋様は文字であることを前提に、読み取れるところから解読していきませんか?」
「そうだな。他に妙案があるわけでなし、レイナ君の提案のとおり進めてみようか。」
スプリーン教授の言葉で解読に取りかかった。
指針は決めたものの解読作業ははかどらない。
「なかなか手がかりがつかめないですね。でも教授、墳墓の棺がある部屋の壁なら、書かれている内容は限られるじゃないでしょうか?」
「ふうん、たとえば?」
「棺の主の墓碑なら故人の名前や業績を讃えるでしょうし、呪術的効果を狙ったものなら故人の遺骸や遺品を守ったり、逆に故人が怨霊化を防いだりするための文言が刻まれていると思うんです。」
「言わんとすることはわかるが、先入観は排さないといかんよ。碑文の内容が確定しないと場の性質も決まらないんだ。」
「わかりました、教授。そうなると解読して碑文を確定させるのが先決というわけですね。」
「うん、そのとおりだ。」
「碑文の性質を推測するなら比定するのに参考となる定型文はないんですか?」
「あるよ。定型とは限らないけど、既知の文書との比較対照は古文書学の常道だよ。これでもワシは史官でもあり、国史編纂委員でもあるからそこそこ公文書には詳しいのだ。」
「国史、ですか?」
「うん、少々不敬だが万が一代替わりがあれば、今代の記事に携わる見込みだよ。ちゃんと史料を集めているし、ワシは野外に出かけるだけじゃないのだ。」
「ハイハイ、教授、拓本に戻りましょ。」
スプリーン教授がうんちくを語ろうとすると、すかさずクローカが止めに入る。
拓本解読に戻ったが、小一時間かけても壁面のキズと人為的な紋様を判別するだけで、結局一文字も解読できなかった。
「気を落とさないでくれ、レイナ君。古代文字史料の解読はこんなもんだよ。また今度時間を割いてくれたまえ。」
「ええ、むしろこちらからお願いしたいくらいです。」
玲奈は声を落として続ける。
「実は私、ポータルワープが使えるので、皇都やパルマ、クライドならお送りできますよ。」
「おお、それは助かるねえ。」
「代わりと言ってはなんですが、今度周辺部の地理について教えてください。」
「ああ、かまわんとも。」
「クローカさんも今日はありがとうございました。」
「暖かくなったらレイナさんのところにお邪魔して、服のコレクションを見せてもらうわね。」
「はい、ぜひ! でも古着の再利用ばかりですよ。」
「それでも大したものよ。それとこれはうちで使ってる仕立て屋よ。」
玲奈はクローカから仕立て屋の所在を書いたメモを受け取り、手を振って図書館を出た。
事務室に立ち寄ったが、ロザラム教授から教えられた事務官のジェンクスは不在で、この日は王宮に出かけているとのことだった。
帰り際、応対に出た窓口の職員から、実技審査には学長である王子が立ち会えない見込みと教えられた。
学長といっても名誉職と聞いていた玲奈は戸惑うばかりだった。
玲奈は学園を抜け、王都でギリムと落ち合った。
「ギリム、なにかわかった?」
「貴族様関係は調べんのが大変だけど、手がかりはつかんだぜ。」
「頼りにしてるよ。」
「おお、まかせとけ! それでこっちだ。」
ギリムは大通りを右に折れて脇道に入っていく。
玲奈も続くが、石畳みの大通りと違って土の道はところどころ溶けた雪が泥濘を作り、歩きづらかった。
ただし大通りからさほどの距離がなく、大して靴が汚れることなく所定の場所に着いた。
「レイナさん、貴族様御用達の仕立て屋どもが生地なんぞをここの店から仕入れてんだぜ。」
「へえ、なんか普通の店じやなくて倉庫とか事務所っぽいね。」
そこは表札も看板も窓もなく、分厚そうな木製の扉があるだけの取り付く島のない無愛想な構えの建物があった。
ギリムの情報が正確で上質な布地を多数そろえているとしても、玲奈は重々しい扉を開けてフリの客として中に入り商談をしようという気にはならなかった。
「ギリム、調べてくれてありがとう。せっかくだけど店構えからして有益な取引ができる気がしないから今回はパスするよ。」
「しかたねえな。」
「図書館の司書さんが紹介してくれたお店があるから、そっちに行ってみよ!」
「はいよ、付き合いますよ。」
クローカが教えてくれた仕立て屋はそう遠くない場所にあった。
先ほどの服地屋に比べれば、服のシルエットを模した小さな看板が壁にかかっていたりと店舗らしさはうかがえる。
また小ぶりな窓枠や扉には凝った幾何学模様の装飾が施され、ドアノッカーが装備されて客を迎い入れる姿勢はあるのだろう。
それでも気位の高そうな印象を受けた玲奈は店には入らず帰ることにした。
翌日玲奈は学園を再訪した。
事務官のジェンクスに会うためである。
フルー、スドン、ギリム、アメディアを伴っており、ギリムは王都で王子について聞き込みをしてもらい、他のメンバーを連れてこの後迷宮に入る予定である。
まず事務室には顔を出すとジェンクスにはすぐ会えた。
仰々しい身なりだが納得の表情を浮かべているので、昨日玲奈が訪れた話は聞いているようである。
「君がレイナ君か?」
「はい、そうです。初めてお目にかかります。」
「王子はどうしても都合がつかず、最終的にご臨席はなくなった。残念だったな。」
玲奈は王子の前で魔法を披露したいという希望はつゆほども持っておらず、むしろ儀礼などに余計な気を使わなくてすむのでありがたいほどだったが、さすがに喜びを表すのも失礼なので無表情をとおした。
ジェンクスは玲奈の無表情を曲解したようだ。
「執政代行の王女殿下も残念ながら都合がつかず、ご臨席はなしだ。」
王女にシッセイダイコウなる耳慣れない肩書がついて玲奈が首をわずかにひねると、ジェンクスはまたも曲解してのか、気を落とすなと的外れな励ましの言葉を口にする。
王子は確か立太子されていたはずだし、王女にだけ尊称を付けるのも不可解である。
想像が及ぶのはなにか権力構造に変化があっただろうことだが、このような時期にそんな生臭い動きが王宮で持ち上がるとすると、それに巻き込まれそうな玲奈は己の運の悪さを嘆きたくなる。
そこまで考えて、トンチンカンな励ましや慰めをするジェンクスはこのことを慮ってのことかと玲奈は思い至った。
そして彼に対する評価を少し上方修正した。
「それでも王宮魔導師もお見えになるし、気に入っていただく絶好の機会だぞ。大いに励むがよい。」
修正の必要はなかったようだ。
「王宮からお声をかけていただけるとしたらありがたい限りですが、私はそのような器ではありません。自活の道を探っておりますので、どうぞご放念ください。」
軍務か王宮に五年間勤めると学園在籍時の奨学金が返済免除になることを玲奈は知っていたが、フルーやスドンの生産活動が順調な現在、王宮入りは念頭になかった。
奨学金も現在のペースなら二年とかからず返済できそうである。
「そ、そうか。それは余計なことを言ったな。」
ジェンクスは意外な感に打たれて端正な顔立ちを大げさに歪めた。
「申し訳ありません。それよりも手続きについて教えていただけませんか?」
「手続きとは?」
「審査が終わったら私がすべきことは何ですか?」
「いや、審査後はこちらで進めるから、君は特にやらなくちゃいけないことはないよ。十日から二週間で審査結果が出て公布できるだろう。」
「あっ、そうなんですか。」
「うん、実技が通れば安心していいよ。学園の歴史で現在に至るまで、実技で規定どおり魔法を発動できれば申請が却下されたことはないから。レイナ君は実技を成功させることだけに集中すればいい。」
「わかりました。ありがとうございます。もう一つ教えていただきたいのですが?」
「ん、なんだい?」
「実技審査の当日ですが、どのような服装をすればよろしいですか?」
玲奈の質問にジェンクスは大仰に首をひねり、肩をすくめる。
「服装? 考えてもみなかったなあ。特に規定されていないから、よほど非常識なものでなければ、服装を理由に落とされることはないはずだよ。普通の魔法使いのカッコなら無難だし、礼装でも戦闘服でも構わないだろう。」
服装に関する疑問が解決したわけではないので、玲奈は素早く頭を働かせて、帰路皇都に立ち寄って服地を見繕う計画を立てた。
玲奈は。しばらく着ていない学園から支給された黒ローブを今さら着たいとは思ってないので、何か略礼装になるものを簡易的に作ろうかと考えをまとめた。
「はい、今日はありがとうございました。」
「がんばれよ!」
玲奈はジェンクスに見送られて事務室の外に出た。
よろいを装備したフルーとスドン、ローブを着たアメディアが廊下で待っていた。
これから迷宮に潜る予定だ。
玲奈も戦闘に備えて汚れてもいいように無地の服にコートを羽織り、短剣を腰に帯びている。
「みんな、お待たせ! 今日は迷宮の三階でゴーレム相手にデータ取るけど、その前に二階でヘビを狩ってみよう。」
「ああ、承知した。」
「わかりました。ところでお嬢様、事務室の用件は大丈夫だったんですか?」
「ええ、手続きに関しては問題なかったよ。当日着る服を考えてるんで、帰りに皇都で服地見るからアメディアも手伝って!」
「はい、もちろんです。」
玲奈たちは迷宮の二階で小ヘビを十数匹狩った後、三階に上がった。
アメディアが安定して風属性と土属性を扱えるようになったので、風と土の付与魔法を試してみる。
玲奈とアメディアがフルーとスドンに付与魔法をかけ、フルーが剣を振ってゴーレムを倒すといういつもの段取りである。
風属性と土属性をかけて、それぞれ付与者ごとに三回ずつ戦ってみて、損傷の具合の違いを記録していく。
王都にある学園の迷宮はグレイナーにあるゴーレムの迷宮と違って石ゴーレムしか出現しないので、今回フルーは鉄の大剣ではなく銅の剣を振るった。
一通り集めたしたデータを見比べていた玲奈は、風属性と比べて土属性を付与したとき剣そのものによる損傷が大きくなっていることに気がついた。
付与した魔法による部分では風属性と変化はなく、またゴーレムの迷宮で大剣を使ったときには起きなかった現象だと思われる。
剣による物理攻撃によるものだが、玲奈は付与した土属性の魔力による影響と推測して、比較のため属性付与をせずにフルーには二体のゴーレムを斬りつけてもらった。
「ねえフルー、土属性を付与すると物理攻撃力が上がっているように感じられたから、なにも付与しない場合と比べてみようと思ったんだけど、実際にどう感じた?」
「いやマスター、損傷云々以前に剣の手応えそのものが別物だぞ。剣の剛性が高くなって、素材が変わったような錯覚を受けるんだ。」
「ねるほど、それだけ感触が違ってきてきるなら、土属性は剣身、特に刃に影響があるのかもね。」
「そのとおりだ。振ってみて剣身に変化を感じる。まるで銅の剣が鉄製になったかのようだな。」
「そうか! 剣の素材が鉄から銅に変わったのが原因かもしれないね。鉄の大剣を使っていたゴーレムの迷宮てはなかった現象たもの。」
「そう言われると、大剣では感じなかったことだ。」
「もう少し検証が必要ね。ひとまず今日のところはまずまずの成果があったということで、迷宮探索はここらへんにしましょう。」
玲奈たちが迷宮を出て学園まで戻り空き地で静的ストレッチをしてクールダウンしていると、どんよりとした鉛色の空から静かに雪が落ちてきた。
ギリムと落ち合い王都から皇都に飛ぶと、雪は湿った牡丹雪に変わった。
「こんな天気だから買い物は手早くすませるよ。」
「お嬢様、目星はついているんですか?」
「うん、今回の審査だけでなく今後着るときにも使えるようにフォーマル寄りの一張羅を作ろうかなって。」
「色はどうします?」
「そうだね、白か紺でスーツかちょっとフォーマルなドレスタイプがいいかな。」
「それでしたら、色や柄、サイズを問わずシルエットのきれいな古着のドレスを買いましょう。丈を直して仮縫いしたらバラして型紙を取ります。それを元に仕立てれば、時間を節約して三日間で仕上がりますよ。」
「アメディアの提案に乗るよ。まずは古着を探して、次に服地を見てみよう。」
玲奈たちは古着屋と服地屋で即断即決の買い物をして、グレイナーの自宅に戻った。
夕方から降雪は激しくなったが、牡丹雪のためか大して積もらなかった。
翌日天気が回復してお昼前には太陽が顔を出し、雪は早くも融け始めた。
玲奈とアメディアは厩舎周辺の石畳みを魔法で融雪して運動できるスペースを確保した。
彼女らは朝夕庭に出てフルーたちと体を動かす以外は裁縫室にこもって服作りに没頭した。
そして三日後の夕方、ようやくドレスは仕上がった。
試着した玲奈を見てアメディアはできばえに太鼓判を押した。
ギリムはドレスがもったいないと言って玲奈からデコピンを食らっていたが、裏を返せばドレスの仕上がりが上々ということだ。
玲奈は楽しみ半分で当日を待った。
実技審査の当日朝、玲奈はアメディアとギリムを伴って王都に飛んだ。
ギリムには前回に引き続き王子のことを中心にそれとなく聞き込みをしてもらう。
玲奈は寮監に断りシャワーの更衣室を借りた。
アメディアに手伝ってもらい着替え、髪のセットを行なった。
手伝ってもらってというより、編み込んでアップにしたりとアメディアにほとんどやってもらった。
「侍女経験がないという割にアメディア、あざやかにな手並みじゃないの?」
「奥方様付きではなかったですが、給仕に出るの同僚の髪を編んでましたから手慣れてますよ。あまり凝ったことは無理ですけれど。」
「それでも大したものだよ。いざってときにアメディアの経験が思いがけなく私を助けてくれるね。」
「ふふっ、お嬢様のお役に立てたのなら幸いです。さて、そろそろ時間ですよ。」
所定の時間が近づいたので、久しぶりにメイド服を着たアメディアに伴われて玲奈は事務所に移動した。
アメディアは食堂の料理長にお願いして、食堂の仕事を手伝いつつ時間を待つ予定だ。
まもなく指導教官のロザラム教授が降りてきてジェンクスに会場まで案内される。
ロザラム教授はドレスアップした玲奈を見てもなにも感じないようだったが、ジェンクスは絶句して言葉を失った。
「ジェンクス君、案内してくれたまえ。」
空気を読んだわけではないだろうけど、ロザラム教授がが凍りかけた場を動かした。
「あっ、ではこちら。」
ジェンクスは取ってつけたよう笑顔で手招きする。
ロザラム教授も玲奈も苦笑いを浮かべてジェンクスの後に続く。
間もなく玲奈は学内で来たことのないエリアにいることに気がついた。
チラリと周囲に見やると目ざとくジェンクスは気がついた。
「この先が学長室だよ。もっとも在室なことはめったにないげどな。」
代わりに彼は学長室の隣のドアを開けた。
ジェンクスに続いて入室した玲奈の足に毛足の長い赤いカーペットのふかふかとした感触が伝わってくる。
「ここは学長が使う応接室だよ。委員たちを呼ぶので腰掛けて待っていてくれ。」
ジェンクスは一旦に外に出て、玲奈とロザラム教授はイスに腰を下ろした。
目のテーブルには繊細に編まれたレースのクロスがかかっている。
玲奈が調度品を眺めているうちにジェンクスが戻ってきた。
五人の男を引き連れている。
四人は黒いローブに身を包み、一人は白い詰襟の服を着ている。
五人の男たちはテーブルをはさんで玲奈の反対側に並んだイスに腰を下ろした。
玲奈は真ん中の男に見覚えがある。
入学式以来久しぶりに見かけたラッシュフォード副学長は左右を見て切り出した。
「本日はお集まりいただきありがたい。方々には厳正なる審査をお願いする。」
副学長のあいさつを受けて、向かって左隣で腕を組み背もたれに身をあずけていた男が身を乗り出して、玲奈を指差し大声をあげた。
「おい、お前! 散水魔法とやらを開発しおって、栄えある王宮魔導師に庭師の真似をさせるつもりか!」
いきなり罵声を浴びせてきた。
玲奈はとっさに、栄えある王宮魔導師なら王命を受ければ栄誉ではないのかと切り返そうとした。
しかし王宮内の状況がよくなさそうなウワサも聞き、王族の名を出すのはまずいと判断が働き言葉にはしなかった。
息を静かに吐き出しながら相手の王宮魔導師を素早く観察すると、敵意さえ感じられる目でにらんでいる。
他の三人の魔導師と同じように黒いローブをまとっているが、シンプルな三人と異なり袖口とえりに金糸で刺繍が施され、胸ポケットの位置にいくつも勲章を下げている。
魔術的効果があるのか単なる装飾か玲奈には判断がつかないが、かなりお金がかかっていそうである。
もしこの魔導師が身なりどおり貴族家の当主だとすると、相対的に軽いとされる王権との兼ね合いが微妙そうで、ヤブを突いてヘビを出すこともないだろう。
玲奈は一般論で応答することにした。
「貴族は民の模範たる責務があるといいます。我々魔法使いも民を教え導くべき存在なのではないでしょうか。新魔法開発も利便性を高めて生活水準を向上させることでこの役割に資するものと考えます。」
正面からは否定しにくい建前を玲奈は口にして、ひとまず衝突を回避した。
ただし王冠魔導師が反応したのは、玲奈が「我々魔法使い」と自分も魔法使いの一員だと強調したときだった。
目を大きく見開いて玲奈をにらみつけていたが、一転目を細め、イスに深く腰掛け直して腕を組み、疑わしそうな表情を浮かべた。
王宮魔導師が黙ったので、副学長が玲奈に実技を行うよう促した。
玲奈は《スプリンクル》を発動させようとしたが、応接室には水を受ける物がなにもないことに気がついた。
花瓶や鉢植えの一つもない。
まさか王族が使う部屋のカーペットやテーブルクロスの上に水をまくわけにもいかない。
場所を変えて屋外にした方がよいかと考えた。
「ここで魔法を発動させますか?」
玲奈が尋ねると、王宮魔導師が一瞬薄く笑い答えた。
「散水魔法ごときで迷宮に立ち入って、魔物に水を浴びせるのかね?」
アイテムボックスにも桶など入れてなかったので、玲奈はやむを得ず魔法で受け皿を作ることにした。
玲奈は左手のひらを上に向け魔力を集める。
それを土属性に変換すると一気に直径十五センチの半球形のボウルを形成する。
土魔法で落とし穴を作るために、正確な制御の訓練を積んできたので、精度を問わないのであれば造形もお手の物だ。
学園の魔導師たちが思わず顔を見合わせ、新魔法かとつぶやく
玲奈は取り合わず、右手から火魔法を発動してボウルの内側を焼き固める。
それがすむと今度は土魔法を発動して内側を土で満たした。
「お待たせしました。新しい水魔法の《スプリンクル》を披露します。」
玲奈が呪文を唱えると下向きにした彼女の右手のひらから細雨が降った。
一通りやってみせると魔法を止めて、彼女は術式や制御方法などの技術的な説明をした。
それがすむと魔法学園の魔導師のうち若い方が口をはさんだ。
「ちょっといいか?」
「はい、なんでしょうか?」
玲奈は技術的な質問かと思い続きを促した。
「お前は以前迷宮で魔法を使うゴブリンに遭遇して、この個体をためらいなく殺したそうだな。魔法を使う者への恐れはないのか?」
まったく思いもしない事項についてとがめるように問い詰められて玲奈思っては内心でいらだちをを感じた。
それでも平静を保って受け答えする。
「魔物が私たち人間に向かって魔法を放ってくるのは恐ろしいことですよ。人間とは違った魔法を使ってくる可能性もありますから警戒が必要です。幸いにも私が相手したのは知性が低くて魔力も乏しいゴブリンだったので対処できました。」
「ううむ、そういうことではない。お前は魔法に対する敬意が足りないのではないかと言っているのだ。」
学園の魔導師はいらだちを隠さなかった。
玲奈は彼が言わんとする魔法に対する敬意の足りなさとは、あっさりと新魔法を開発してしまったことに対する複雑な感情の表れとも推測した。
ただ彼の文脈にそのまま乗るのではなく、あくまでも魔法は人間が魔物と戦うための手段としてのスタンスで押した。
「私たちと同じように魔法を使ったとはいえ、そのゴブリンは魔物です。決して仲間でも同士でもないですよ。もしあなたが魔法を使うゴブリンに連帯感や親愛の情を感じたとしても相手は敵としか見てません。それよりも魔物に勝つためにもっと魔法の発展に取り組むべきです。」
「いや、そうじゃなくてだな。」
「もうよい。今日はここまでとする。結果は追って公布する。」
副学長が割って入って審査を終了させた。
玲奈は頭を下げて、委員たちが退出するのを見送った。
応接室に残ったうちロザラム教授は憮然とした表情をしている。
もう一人のジェンクスは玲奈に話しかけた。
「君もそんなカッコするんだな。社交界を目指してるのか?」
「そんなわけないでしょ。実技審査という厳粛な場に合わせてドレスアップしただけですよ。」
「社交界でないとすると、王宮で文官をやるか。女だから戦いはしたくないだろ?」
「たった今、魔法を使うゴブリンと戦った話をしてたでしょ。それに前回お会いしたとき私が帯剣してたのも見てるでしょ。自分は戦闘狂じゃないつもりだけど、敵を前におじけづいたりはしないですよ。」
「そうなのか。ともかく一度王宮を訪ねてみないか? 王女殿下に謁見する機会を設けるぞ。実は殿下は有力な側近が少なくて、信頼できて優秀な人材を求めているのだ。」
「せっかくですけれど、柄ではないので。」
ジェンクスの話が生臭くなってきたので、玲奈はさっさと逃げ出した。
玲奈はアメディアの待つ食堂に移動した。
ジェンクスの空気の読めない発言で内心のイライラが表面に出たのか、アメディアが心配そうに顔をのぞき込む。
厨房から料理長が顔をのぞかせる。
「レイナちゃん、おつかれさま。賄い料理でよければ食べていきなよ。」
「あっ、お手数をおかけします。」
玲奈は料理長の厚意に甘えることにした。
アメディアと二人、奥に引っ込んで料理長の心遣いをありがたくちょうだいした。
「料理長、今日はありがとうございました。」
「ううん、いいのよ。レイナちゃんの機嫌も直ったみたいだしね。」
「私、顔に出てましたか?」
「うん、ちょっぴりね。」
「ああ、お貴族様のように腹芸はうまくできませんね。」
「いいのよ、その方がレイナちゃんらしいし。」
ひとしきり料理長と話した後、玲奈はアメディアを連れて王都でギリムと落ち合った。
「やあ、ギリム、こっちは終わったよ。」
「そうかい、その顔だとうまくいったみてえだな。」
「魔法に関しては、ね。」
「まあ、いろいろあったようだな。」
「そう、いろいろとね。そっちはどうだった?」
「内容が内容だけにここでは言えねえ。」
「そりゃそうだ!」
玲奈たちはグレイナーに飛んで、食べ物を買い込んで帰宅した。
食堂でギリムは串焼きをほおばり、学園で食事を終えた玲奈とアメディアはお茶を飲んでいる。
食事を終えたギリムが話し始める。
「まず言っとくが、お貴族様は王宮内のことを漏らしたりしねえ。俺が拾ってきたのは、いわゆる風のウワサってヤツだ。」
「うん、それは承知してる。」
「はっきり言って、どこまで正確かあやしいもんだ。」
「それでもギリムに調べてもらうのはありがたいよ。」
「わかりゃいい。ウワサ自体はあれこれたくさん流れてたぜ。火のないところに煙は立たずってことだ。」
「どんなウワサが出てたの?」
「誰がどっちに付いたとかの類いばっかりだな。あとは、王子様の姉ちゃんが国外の大貴族に嫁いでるが、こいつが悪い女であれこれ画策してるらしいぜ。」
「話半分にしてもすごいことになってそうだね。そういえば私、学園の事務官から王女様に謁見しないかって誘われたよ。」
「へえ、いつ王女様に会うんだ?」
「会うわけないじゃん。権力闘争の真っただ中だよ?」
「うまくすれば側近に取り立てられるかもしれないぜ。」
「王位継承争いに敗れれば打ち首もんだよ。」
玲奈が読んでいる王国の年代記では、約六百年前に兄弟で王位を争い、内戦になってどちらも戦死した事例があった。
かなり過去のこととはいえ、王国は継承法があいまいで争いが起こる素地は残されたままだ。
ちなみに六百年前の争いでは傍系のいとこが王位につき、戴冠式で教皇が祝福する慣例がこの代から始まったことは、教皇庁の資料を調べていた玲奈も把握している。
「レイナさんならうまくやって、女王陛下の側近に収まりそうだけどな。」
「ゴブリンやゴーレム相手するのとは違うんだから!」
「王宮も迷宮も魑魅魍魎の棲家なのはちげえねえ。」
「ははっ、確かに!」
魔物との戦いには自信が芽生えてきた玲奈だったが、権力闘争にはからきし自信がないので、それから一週間王都には行かなかった。
グレイナーか皇都へ買い物に行くか魔法や弓矢の練習をするほかは、もっぱら裁縫室にこもってアメディアやダダクラと服を作って過ごした。