1-EX.登場人物・地名紹介、番外編
登場人物紹介と地名解説の後に番外編が二つ付いてきます
(凡例、●:原作キャラ・地名、○:本作オリジナルキャラ・地名)
◻️◻️登場人物紹介◻️◻️
●玲奈:
この物語の主人公
現代日本から転移した異世界人
迷宮世界とも言われるこの世界の情報や常識が自分には欠けていることを痛感して貪欲に知識を求めるようになる
当初スケルター教授に師事して付与魔法を中心とした支援魔法職となったが、オリジナル魔法の開発に着手して独自の道を進む
●スケルター:
玲奈が入学したエリュシオール魔法学園の付与魔法及び調合の教授
自分が本務と考えている付与魔法よりポーション調合で知られていることに内心忸怩たる思いがあったが、愛弟子玲奈が実戦でのデータを提供してくれているため、付与魔法の研究者として名を高めつつある。
●フルーバトラシュ(フルー):
元冒険者で玲奈の奴隷となったドラゴニュートの剣士
玲奈に対しては、ポーション調合による経済面の貢献が目立つが、いつか種族特有の魔法剣士となって名を馳せることを夢見ている
●スドン:
玲奈の奴隷で盾士にして鍛冶役
金属素材が多く入手可能なゴーレム山に近くという居住環境を利して鍛冶の腕を上げる
ハーフフェアリーという種族特性が活きる日は来るのであろうか?
●ギリム:
玲奈の奴隷で軽戦闘兼斥候役
フットワークの軽さを生かして情報収集を図るほか、各地に独自の人脈を築きつつある
また探知能力を身につけて迷宮探索の露払いとしても活躍しつつある
口は悪いが率直な物言いをするので、ご意見番として玲奈の信頼を得ている
●ダダクラ:
商店主として失敗して玲奈の奴隷となった元冒険者
そこそこの冒険者としての実績を投げうち、自らの商店を開いた主体性、商品の企画、製造を自ら行うクラフトマンシップに期待して玲奈に買われた
しかし現状でダダクラの描くデザインは玲奈をうなずかせることができず、家事と木工、革細工を担うのみ
○スタローム
魔法学園の魔術運用の教授
王立魔導師隊の参謀を兼務している
玲奈に魔法を使った軍事的戦術と特殊魔法を教える
○エリーズ
魔法学園付属薬草園の助手
貴族の三女でガーデニング好きの父の影響で、貴族令嬢には珍しく薬草栽培や調合を手がけるようになる
騎士に嫁ぐが、独身時代には既にワーラント騎士団長に認められて騎士団に薬を納入していた
○アメディア:
商家、貴族家でのメイド経験を買われて玲奈の奴隷に
当初は家事や侍女役を担ったが、後に魔法を覚えて戦闘に家事に採取に商取引に活躍
また玲奈の侍女役を買って出て、ヘアメイクや着せ替えを密かに楽しんでいる
○ロザラム
魔法学園の攻撃魔法の教授
学究肌の理論家で、玲奈が新魔法を開発した際に指導教官として相談に乗った
知識面で言えば、玲奈がスケルターよりロザラムから教わったことの方が多いほど
○クォンタム
魔法学園の冶金学の教授
スドンの鍛冶を通じて合金や金属加工の知識を玲奈は学んだ
短髪でいかつい外見で職人肌に見えるが、歴とした貴族で、無機物を扱うだけに方法論としては学園で最も科学的な思考をする研究者
○クローカ
魔法学園付属図書館の司書
知識を求める玲奈がたびたび図書館を訪れ仲良くなる
小柄な玲奈に対してヒョロっとした長身で目立つコンビとなっている
貴族家の長女で騎士の家系に嫁いだが、幼少期は病弱で本が友達だった
○スプリーン
魔法学園の古文書学、歴史学の教授
遺跡マニアで各地の遺跡に出かけてフィールドワークに汗を流している
アウトドア派に見えて、学園で随一の古代文字(漢字)通である
拓本や遺物の研究を通じて、失伝となった古代の魔法や技術の復活を夢見ている
○バクロリー
城塞都市グレイナーの材木商
入会地の世話役を務めていたため、木材の伐採を願い出た玲奈と知り合う
木工を担当するダダクラにノコギリの使い方を指南さた他、玲奈の求めに応じた木製の小さなバランスボールを作った
◻️◻️地名解説◻️◻️
●エリュシオール
王国の国名にして王都の都市名、そして魔法学園名
かつて栄華を誇り一千年前に滅びたとされる古代王国を後継を自認する
王朝を開いた聖女の錫、彼女を助けた魔法使いの杖、それに王冠を組み合わせて紋章としている
魔法学園は当初、数人の高位魔道士が共同で弟子を育てる公設私塾の態であった。
しかし年間で十人弱の育成では約七百年前のスタンピードに対応できず、当時の王が避難を余儀なくされた
この事態を重く見た王宮の肝いりで規模の拡大が図られ、現在の定数は五十名となっている
●パルピナ
教皇が御坐す皇都
王都に倍する人口と絶えることのない巡礼という名の観光客でにぎわう大都市
街の元となったいやしの泉を中心に壮麗な大神殿が建つ
教皇庁は街の起こりとなった泉を象徴する水瓶に八端十字を紋章としている
●パルマ
古代王国の王都と比定される都市
街の周辺を掘ると、古代王国時代のものと思われる遺物が出土することがある
花の都と称され、花き栽培や化粧品製造が盛ん
化粧品は王都の貴族御用達だが、一方で迷宮探索で冒険者が多数集まる
●グレイナー
城塞都市と称される中央山脈の山麓に位置する都市
かつて山腹にあるゴーレムの迷宮を通って東側のグラリビオが侵攻したことがあった
再度の侵攻に備えて西側で一番高い城壁を持つ城塞が築かれた
玲奈は城外の邸宅に住んでいる
●グラリビオ
帝国の国名にして帝都の都市名
別名迷宮帝国というだけに帝都の北に氷雪の迷宮、西に落日の迷宮という二つの大型迷宮が口を開ける
迷宮で兵士を鍛えつつ魔物の素材を採取することにより軍事力の強化を図り、中央山脈の東側で覇を唱える
帝都の城壁は二つの迷宮のスタンピードに備えてこの世界で最も高く構築されている
○クライド
名門子爵家が治める都市
王都、皇都、パルマのいずれからも近く商業活動が盛ん
近郊の丘陵地で育てた羊からとれた羊毛による毛織物が名産
羊はクライド子爵家の紋章ともなっている
○ウィスラ川
王都・皇都とパルマ・クライドの間を流れる川
エリュシオール王国の中央部を流れ、北方辺境伯領から北の海に注ぐ大河
○クオンの丘
王都の南に横たわるゆるやかな丘
王都側の山麓に学園の迷宮が口を開ける
○レーヴの森
王領と教皇領の境界にある丘陵地
両者の軍隊が深入りしないこともあって魔物が多い
●学園の迷宮
王都の南側、クオンの丘の麓に位置する迷宮
通常の迷宮は入り口から下に階層が伸びているが、この迷宮は上に伸びている珍しい逆相の迷宮である
階層は二十階とそれほど大きくないが、魔力量が大きいのか繁殖速度の高い魔物が多く、スタンピードを起こす危険をはらみ、魔法学園が管理をまかされている
●ゴーレムの迷宮
中央山脈の地下、グレイナーにある迷宮
西側だけでなく東側にも出口があり、最下層の十五階が東西に長く伸び通り抜けられる
名前のとおりゴーレムばかり存在し、特定のボス的魔物がいない迷宮である
●花の迷宮
パルマに所在する三十階層の迷宮
古代王国時代の地下牢とも地下水道の跡とも言われる
内部は草花が生い茂り、薬効や芳香性のある植物素材を求める探索者でにぎわう
その植物に群がる昆虫が主な魔物だが、増殖が速くときにスタンピードを引き起こしてきた活動的な迷宮である
●雛森の迷宮
クライド領のはずれ、森の中にある迷宮
交通不便な場所にあり、十階層と小さく特筆するような魔物もいないので訪れる冒険者はまばら
クライド領軍が管理をしている
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
□□□番外編01□□□
IFストーリー 『古き良き友』
新幹線を下車してホームに降り立つと、乗車したときより空気がひんやりと冷たく感じられ、マフラーをしてくればよかったと私は少し後悔した。
遠くの山はまだ雪をいただいている。
人の列に続きエスカレーターを降りて改札口を出ると懐かしい顔が待っていた。
「やあ玲奈、久しぶり! 待った?」
「ううん、今来たところ。愛も遠くからようこそ!」
「どう? 元気でやってる?」
「まあ、なんとかやってるよ。愛は大学慣れた?」
「四月はバタバタだったわ。ゴールデンウィークでやっと一息ついたところなの。玲奈にも会いたかったし。」
一年ぶりくらいに会う友達、玲奈はどこか元気がなく沈んでいるように見えて心配になる。
先々月にお祖母様が亡くなったことが尾を引いているのかなあ?
「せっかく愛に来てもらったんだからおいしいお店に連れて行きたいんだけど、残念ながらよく知らないんだよね。」
「全然かまわないわよ。グルメツアーに来たわけじゃなくて玲奈に会いに来たんだから。」
「そう言ってもらうと気が楽になるよ。ホントは前もって調べればよかったんだけど、なんか頭が回らなくてさ。」
そう言って玲奈は力なくかすかに笑う。
やっぱり元気がないなあ。
中学の頃は外で会うと目をキラキラさせて飛びかかるんじゃないかって勢いで走ってきたのに。
さすがに大学生になってそれはないかと思うけど、ちょっと寂しいと私は感じた。
ともかく落ち着けるところを探そう。
「ねえ玲奈、まずどこかに入らない? チェーン店の喫茶店でかまわないから。」
「うん、そうしよう! 駅前の通り沿いに何軒か喫茶店があったはずだよ。」
ゴールデンウィークのせいか人であふれる大通りを二人で進む。
ファーストフード店はどこも混んでいて、注文待ちの長い列が伸びている。
最初に入った喫茶店は席が空いていなかった。
「愛 、ごめん! 私も引越してまだ一ヶ月くらいで地理がわかってなくて。」
「全然気にしてないからね。一緒に探そう!」
二軒目でラッキーにもミニテーブル席が取れた。
私はカフェラテを頼んだけれど、玲奈はエスプレッソを頼んでいた。
お互いの顔とカップを見比べて思わず吹き出してしまった。
「あれ、玲奈は紅茶党じゃなかった?」
「ちょっと苦いものを飲んでみようと思ったんだよ。愛こそ紅茶党だったでしょ?」
玲奈と私は同級生で高校からは別だけど、小中学校は同じか学校だったんだ。
玲奈がうちに遊びに来たときはお母さんが紅茶を入れてくれたっけ。
「たまに違うものが飲みたくなっちゃった。」
敢えて苦いものが飲みたいって心境が気になるけど、玲奈の笑顔が自然な感じになったのはよかったかな。
新幹線の中で何も食べていない私は遅いお昼代わりにチキンチーズサンドにデザートでシフォンケーキもつけてしまった。
玲奈はシナモンロールを選んだ。
「あれ玲奈、それだけで足りるの?」
「あまり食欲ないんだ。朝も食べてないから。」
「えっ、大丈夫なの?」
「今は普通かな。なんかいつも愛には心配かけちゃってすまないって言うか、顔向けできないっていうか、ごめんとしか言いようがない。」
「迷惑だなんてちっとも思ってないからね。いつでも頼っていいからね。玲奈はもっと甘えたっていいのよ。」
「いや、お祖母ちゃんのときも愛にはあんなに世話になったのにこれ以上はさすがに、ううん、心苦しいって。」
「玲奈の力になれない私こそ心苦しいのよ。私だって玲奈にどれだけ助けられたか!」
そうなんだ!
思い起こせば小学校の中学年から玲奈は同じクラスだった。
私は中学受験で県外の私立を受けたんだけど、受験前日からインフルで高熱が出て棒に振ってしまったんだ。
五日間寝込んで意識がもうろうとして、やっと熱が下がって起き上がっても、めまいがひどいうえに全身が痛くて学校に戻れたのは半月後だった。
半月ぶりに戻った教室は初めて見る光景みたいだった。
インフルで寝込む前と後では世界が断絶していて、自分がそこにいることがとても現実とは思えなかった。
たまたま運が悪いことに玲奈やもう一人仲がよかった真紀という友達が風邪で休んでいたので、私が受験できなかったことを知っているクラスメイトは誰も声をかけられず、現実に戻る機会を逸したままズルズルと卒業を迎えてしまった。
中学に入っても腫れ物に触るような私の扱いは継続されていた。
自分が受験できずに地元の市立中に行くことは対して思うところは特になかったけれど、痛ましいものを見るような周囲の目は身の置き場がなくなるような思いだった。
そんなとき別のクラスに分かれてしまった玲奈と真紀が休み時間ごとにやってきては下らないバカ話をして帰っていった。
近所の犬か仔犬を生んだと言って、帰りに寄り道を誘ってきた。
クラスメイトはそんな二人を非難がましい目で見ていても、自分からは何をしてくれるでもなかった。
私は休み時間だけでも気が紛れて楽になった。
毎日帰る道が変わるのはいい気分転換になった。
休み時間限定とはいえ、くだらない話をし、たわいもないことに笑う私を見て、クラスメイトの私を見る目はだんだん変わっていった。
よくも悪くも普通に接してくれるようになったんだ。
真紀が部活に入って一人帰りが遅くなるので二人だけで帰ると、玲奈から真紀と同じソフトテニス部に入ろうって誘われた。
練習見学したらそんなにキツくなさそうと思って二人して入部したら実はキツかった。
心臓が飛び出しそうな坂道のランニング、関節が音を立てそうなストレッチ。
競技経験のない私と玲奈は基礎の反復練習のほかは球拾いや後片付けに追われた。
それでも無心になって打ち込めることがあるのはありがたかった。
桜の花が散り、藤の花が満開になるころ、球拾いをして下を向いていた私の頭を玲奈が撫でて、愛は表情が明るくなりすっかり元に戻ったってポツリとつぶやいた。
私の顔をのぞき込んだ玲奈の安心したような表情を見て、今まで無神経なほど気を使わないで接していたのは、ものすごく気を使っていたのだと悟った。
おかげで私は日常を取り戻すことができたんだ。
一つだけ心残りがあるのが、このとき何もお礼の言葉を言えなかったこと。
でもいつか玲奈に困ったことがあったら、そのときは私が力になろうと心に誓った。
中学では玲奈の失恋やら真紀の弟のやらかしやら色々あったけれど、私の思いとは裏腹に玲奈と真紀に恩返しする機会がないまま卒業を迎えた。
私は親戚の家から都内の私立高に通うことになり、地元の県立高に通う玲奈や真紀と離ればなれになった。
高校二年のとき、玲奈のお父様が亡くなった。
玲奈とはラインでやりとりしてて、お父様が亡くなったことより、その後の手続きや父方のお祖母様を引き取って面倒見たりが大変で参ってるらしい。
私は、今こそ自分のがんばり時だと思い込んだ。
直近の土日の予定をすべてキャンセルすると、玲奈に無理をいって土曜に時間をとってもらって帰省した。
一年ぶりに会った玲奈は意外に元気そうでだった。
事情を聞くと、気丈な彼女には珍しく愚痴や弱音がときどき漏れたりで、大変な目にあってることがうかがえる。
ここで役立たないようでは友達甲斐がないと私は勇み立った。
私にまかせてくれれば大丈夫だからと見得を切った。
何が大丈夫なものか!
私につてなどあるはずがない。
やむなく実家に帰って母に泣きついた。
私がやったことといえばこの程度であった。
実際にこの後は母があちこち掛け合って、ケースワーカーさんに入ってもらいデイケアを中心に面倒を見てもらうことになったみたい。
妹の香も受験を控えた身でありながら玲奈との連絡役を買ってくれた。
玲奈は小学校時代からよくうちに遊びに来て仲良くなっていたので、香にとっても人ごとではなかったのだろう。
私ができたことは大したことじゃなかった。
「あのときは愛にも香ちゃんにもお世話になったね。本当にありがとう。」
玲奈が深く頭を下げる。
「いやいや、やめて! 私はお母さんに丸投げで大したことしてないんだから。」
「苦しいときに差し伸べられた手ほどありがたいものはないよ。愛のおかげでどれだけ気持ちが楽になったか!」
「私だって中学のとき玲奈に助けられたんだ。立ち直れたのは玲奈と真紀のおかげだよ。」
「あれはね、愛と今までどおり遊びたかっただけで、狙ったわけじゃないよ。」
玲奈の言っていることが本当なのかはわからない。
でもさりげない態を装うのは玲奈らしいと思った。
「そういえばお悔やみも言ってなかった。お祖母様残念でした。」
「年齢も年齢だったから。孫の友達からも支えられて悪くない晩年だったんじゃないかなあ。」
サバサバした玲奈の様子は吹っ切れたように私には感じられた。
夏休みにでもまた会おうと話してこの日は別れた。
ゴールデンウィークが終わり日常に追われる毎日が戻ってきたが、玲奈とは定期的に連絡を取り合った。
彼女は病院でバイトを始めたほか、テニスサークルに入ったんだって!
夏休みが近づいた七月上旬のある日、玲奈から下旬に東京へ行くから一緒にコンサートを聴きに行こうとお誘いがあり、私はそれに乗っかった。
久しぶりに会った玲奈は髪を肩にかかるくらいに短く切りそろえ、日焼けして健康そうだった。
なのに表情は浮かないなあ。
「やあ玲奈、久しぶり! 元気そうね。」
「愛もね。今日は時間を割いてくれてありがとう! デートの先約があったら優先してもよかったんだよ。」
「そんなの全然ないって!」
「ホント?」
「ホントだって! それに中学のとき玲奈の方がもててたじゃない?」
「あれは勘違いだって! それに昔のことでしょ?」
「そうかな? 今もモテモテで、浮かない顔は恋の悩みかな?」
「まさか! 学校一の美人と言われていた愛にはかなわないよ。それに恋の悩みでもないし。」
軽いジャブをかわすと、地理不案内の玲奈を連れて都心の超高層ビル近くの甘味処に入った。
ぜんざいだとお腹が張ってコンサートのときにまぶたがゆるみそうなので、二人ともあんみつを頼んだ。
「一応悩みごとやら困りごとは解決済みだし。」
「じゃあ何があったの?」
「あのね、愛には私がテニスサークルに入った話はしてたよね。先週サークルの短期合宿だったんだけと、そこで一悶着あってね。」
「それは災難だったね。」
「ひとまず解決したからよかったんだけどね。うちのサークルって競技経験のない初心者さんが多くてね。その中で創設者にしてリーダーである会長は高校まで部活やってて、なかなかうまいのよ。」
「会長だけのことはあるのね。」
「そう、それで会長は人呼んで『テニスの教皇様』なんだって!」
「ええっ、なにそれ?」
「迷える子羊を教え導くカリスマってことみたい。」
「あはは、徳のなさそうな教皇様だなあ。」
「教え導くってあたりで、うちが初心者さん多い理由みたい。会長も素質あるんだし練習して上を目指せばいいのに、初心者さんにいいところ見せてチヤホヤされたいだけだったり。」
「生臭坊主ですか!」
「私はほら、まがりなりに部活やってて競技経験があってルールや用語を知ってるじやない? 会長はそれが気に食わなかったみたい。お前はピュアじゃないとか言って敵視されてた。」
「ちっちゃい教皇様だなあ。」
「他の男子の先輩は、私が遅れてきた新入生なんでなにかと気にかけてくれてて、逆に女子の先輩からヘイト集めそうになったから思いっ切りへりくだって率先して雑用こなしたら味方になってくれたんだ。」
「その話聞くと玲奈らしいなって思うよ。」
「それで一泊二日の短期合宿になったんだけど、会長がイライラのせいか予定をコロコロ変えてみんなを振り回しだしてね。」
「困った会長さんですねえ。」
「でしょ? 仕方がないんで私が、会長自らチームの和を乱してどうするんですかって言ったら、どうせオレがいない方がお前たちは和を保ってうまくやれるだろうからオレは去ってやるよって捨てゼリフ吐いてね。出て行こうとするんだけれど、誰かが引き止めると思ってたのにみんなどうぞどうぞって感じだから、チラッて振り返って、えって固まってた。」
「あはは、コントみたい!」
「当事者は笑いごとじゃないけどね。会長は前年になんかやらかしてイエローカードもらってたらしいから、今回ので自主的に退いてもらって一件落着となったわけ。」
「聞いてる分には面白いけど、いざ自分が当事者になったらたまらないよね。」
「愛はわかってくれるんで嬉しいよ。」
「まあね。サークルの方はわかったけど、病院のお仕事はどうなの?」
「うん、授業の空きをうまく作れたんで、週一でアルバイトしてる。ガラでもない制服着てパソコンの端末たたいてるよ。」
「へえ、なんかOLっぽいね。」
「カッコだけはね。合間にコメディカルの人と仲良くなってリハビリの見学させてもらったり、ワーカーさんとよく話ししてるよ。」
「なんか玲奈らしいね。」
「あとはね、ポルトガル語を始めたんだ。」
「あれ、第二外国語はフランス語じゃなかった?」
「うん、そうだよ。同じラテン系なら楽かなって思ったけど、けっこう違ってた。でもうまくなれば、病院に来る日本語も英語もあまり話せない人の助けになるかなって。」
「興味のある方向に突き進むのは玲奈ならではって感じがするわ。」
「さすがに中学生のようにはいかないよ。大学生だって時間は有限だからね。あれもこれもと手を広げ過ぎないように、一つのことをある程度はものにしてから次のことを手がけるようにしてるんだ。」
「ちゃんと考えているのね。私なんか周りに流されることが多くて。」
「愛はしっかりしてると思うよ。だって今までちゃんと結果出してるもの。」
玲奈は本来の活動的な姿を取り戻したようで一安心した。
二人でしばらく近況や将来のことを話してつい時間を過ごし、コンサート会場に着いたのは開演ギリギリだった。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番、日本の第一人者による演奏はピアノに詳しくはない私の耳にも素晴らしいものに聞こえた。
有名な第一楽章はともかく、全曲とおして聴くのは初めてのような気がして新鮮だった。
そして交響曲第六番『悲愴』、消え入る音に自分の感覚もどこかに消え去りそうな錯覚を感じる。
コンサートが終わった後、どちらからともなく喫茶店に入った。
もう少しの時間だけ、余韻とともに語らいを楽しみたいと思ったのだ。
私は抹茶のフラペチーノを頼んだ。
「あれ、愛は紅茶党じゃなかったっけ?」
玲奈はちゃっかりアールグレイを頼んでいた。
「これも一種のお茶だけどね。」
「たしかに。」
軽く笑い合う。
「ごめん、バイオリンやってる愛に合わせてバイオリン曲か室内楽を取ろうと思ったんだけど適当なのなくて。」
「私は十分に楽しめたからいいのよ。それにバレエやってたからチャイコフスキーはなじみの作曲家だしね。」
「楽しんでもらえたらなによりだよ。」
楽しい時間はあっという間に過ぎてお別れとなった。
また夏休み末か、悪くても年内には会おうと約束した。
玲奈の姿が人混みに埋もれて見えなくなるまで見送った。
どこまでも追いかけたい小さな背中
ずっと友達でいようね、玲奈
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
□□□番外編02□□□
IFストーリー『ある軍人の回想』
目に前に巨大な筋肉の塊が立ちふさがる。
剣というより金属の塊のような得物が振り下ろされる。
斬撃の威力は凄まじいが剣筋は単調だ。
横に飛びのいてかわすと、下から斬り上げる。
相手がまとう毛皮のすき間を狙った俺の斬撃は右の脇をえぐり、肉を斬った感触とともに血が流れ出す。
「#€%ー!」
相手の口から理解も表記も不可能な言語が飛び出す。
それなのに痛覚が鈍いのか彼は痛がるそぶりも見せず、剣を振り続けている。
ただし可動範囲は狭まって間合いが縮まり、剣の返しも遅くなっている。
俺はこれらのことを見て取り、一歩踏み込んで彼に少しずつ手傷を負わせる。
手首を斬りつけると彼はたまらず剣を落とした。
すかさず彼の懐に入って剣を突き上げる。
蛮族は首筋を斬られてようやくドっと倒れた。
倒した相手は攻めてきた蛮族の統率個体と思われたので狙って倒したのだが、残念ながら相手側に戦意の衰えは見られなかった。
我々が蛮族と呼ぶ存在は、我が国グラリビオ帝国の北東に隣接する広大な荒野に生息する部族で、おそらくヒト属ではなく亜人と呼ばれる存在であろう。
二メートルを超える身長、浅黒く毛深い肌、妙に長い腕と前かがみな姿勢、我々には聞き取れない音を使った独自の言語等々、同属とは思えない特徴が多い。
かつて蛮族は我が国と同盟関係にあった時期もあったが、今は仇敵として戦いを繰り広げている。
ここエステロ要塞は帝国の東端にあり、蛮族との戦いで最前線に立っている。
俺はこの要塞というより山城といった場所の司令官を務めており、敵を前に剣を振り続けている。
ようやく一人倒し、周りを見渡しながら返り血をぬぐい、剣を振って血のりを吹き飛ばした。
左側では副官のヴィクトルが敵と斬り結んでいる。
しかし右手の二の腕を裂傷を負い、力がはいらないのか劣勢となっている。
「おい! ヴィクトル、大丈夫か?」
俺は素早く駆け寄ると助太刀に入った。
敵は側面に注意を向けていなかったのか、あっけなく斬り捨てられた。
「すいません、将軍。」
「待ってろ、今みてやる。」
俺はポケットからハンカチを取り出すと、ヴィクトルの右腕の付け根をきつめに縛ってやった。
周囲を見ると我が軍は押されており、引き上げどきだと判断した。
「ヴィクトル、お前はケガ人を連れて一足先に砦に戻れ。俺は殿で後から戻る。行け!」
ヴィクトルは一礼すると走り去っていった。
俺は右側で斬り結んでいた兵士に助太刀して蛮族を一人倒し、叫んだ。
「ケガしたヤツで走れるヤツはヴィクトルに続いて砦に退避しろ!」
一人二人と足を引きずったり片腕をもう一方の腕でおさえた兵が砦に向けて去っていく。
俺はさらに助太刀に入り蛮族を二人倒してもう一度叫ぶ。
「動けるヤツ、まだ戦えるヤツは俺の周りに集まれ!」
周りで兵士たちが動き始める。
遅れたり突出して囲まれる兵が出ないよう細かく指示を出しつつ、ときに自分で蛮族たちに斬りかかりながら密集陣形に整えていく。
頃合いよしとみて、俺は三たび大声を発する。
「全員一丸となって突っ込め! 人当たりしたら砦に引き上げるぞ!」
全員で目一杯鬨の声をあげて突進する。
その勢いに押されて蛮族が一歩、二歩と後退する。
機をみて号令をかけ、砦に向けて一斉に退却させる。
砦にはゆるい坂を登っていく。
後ろからは蛮族がひたひたと追撃してくる。
最後尾を俺は進み、ときどき振り返りつつ先頭を走る蛮族の顔面を目がけてナイフを投げる。
ナイフがなくなると小石を拾って投げた。
ダメージは大して期待できないが、いくらかでも蛮族の行き足を鈍らせることができれば上々だ。
結局蛮族に追いつかれることなく、百メートル少々の登り坂を駆け上がり、砦の中に全員で逃げ込むことができた。
「帰る早々ですまないが、動ける者と留守番役は矢を射るか石を投げてくれ。」
少しでも蛮族が近づくのを遅らせ、時間を稼ぐためだ。
「ケガの軽い者、傷口がふさがった者は倉庫から食糧を引っ張り出して、東門の付近にばらまけ。ケガが重い者は直ちに西門から要塞の本丸に向かえ!」
指示を出すと俺も東側の土壁の上に乗り、坂を登ってくる蛮族を狙って石を投げる。
頭に石が当たった蛮族はのけ反り二、三歩よろける。
土壁は一メートルほど盛り上げただけで、その上に木の柵を設置している。
背が高く力自慢の蛮族にかかればすぐに突き崩され持ちこたえられないだろう。
俺は後ろを振り返り、第一陣が無事二西門から外に出たこと、食糧をほとんどまき終わったことを確認して大声を張り上げる。
「エサをばらまいたらすぐ本丸に向かえ! 途中で立ち止まったヤツがいたら肩を貸してやってくれ。」
蛮族が壁の間近に迫るが、その分的確に石を当てて粘る。
俺は第二陣が西門から離れたことを確認すると、最後まで残った兵たちにも撤退を号令した。
兵たちをまとめ、自分が最後尾について退却を開始する。
西門を出るときに後ろを振り返ると東側の柵を乗り越えようとする蛮族たちの腕が見えた。
ばらまいた食糧に蛮族たちは文字どおり食いつくはずだ。
彼らの住む土地は寒冷な荒地で農耕に適さず、狩猟採取生活を送る彼らは常に飢餓と隣り合わせだ。
土壁の上の柵でも引き抜いて煮炊きをしてくれればさらに時間を稼げて尚よい。
砦から要塞の本丸へは平坦な道を三百メートル走る。
砦はゆるやかな台地の東端にあり低い土壁など貧弱な設備しかないが、大地の西寄りにある本丸は石を積み上げた高さ四メートルの分厚い壁を備えて蛮族の攻勢を食い止めてくれるはずだ。
蛮族は拾った食糧に夢中なのか追撃してくることはなく、我々は足を引きずるケガ人に肩を貸しつつ、なんとか本丸に入ることができた。
俺は城壁の上で哨戒している兵に声をかけ、東の砦に動きがあれば知らせるよう伝えた。
また出迎えた留守番の兵たちには、蛮族の襲来に備えて城壁の上に迎撃用の矢や石を運び上げるよう指示した。
城門を入ったところにある広場は、深手を負ったり激しい疲労で動けなくなった者が何人も横たわっていた。
城門付近は敵が攻めてきたら攻防の焦点となる。
「動ける者は手を貸してくれ。ケガ人を屋根のあるところに運ぶぞ。そうだな、兵舎の会議室から机を外に出して、そこに収容してくれ。」
俺も仰向けに倒れうめき声を上げている兵を背負って兵舎内の会議室に運ぶ。
三往復目に歩哨からの伝令で、東の砦内にたき火らしき火が見えると連絡が入った。
どうやら蛮族はばらまいたエサに食いついてくれたらしい。
少量だか酒樽も引っ張り出しておいたので、酒盛りでも始めてくれれば小一時間は攻めてこないだろう。
もう一往復して最後のケガ人を会議室に運び込む。
そう広くない室内に血の匂いとうめき声が満ちた。
腰を下ろしている者、横たわっている者の人数を数えると四十三人いた。
出撃した八十人のうち四十三人が負傷し、砦を放棄したことを考えると惨敗以外のなにものでもない。
俺は目の前が暗くなる思いをした。
しかし指揮官たる者、己の感情に溺れているわけにはいかない。
自らのほほを平手で二度、三度とたたき、気を確かに保つようにする。
横たわっている者に声をかけて話せるならケガの状態を聞き取る。
俺にできることはそんなにない。
止血が必要なら着ているシャツを裂いて縛ってやる。
足がつったのなら筋を伸ばしてやる。
脱臼したのなら整復してやる。
ふと目を上げると副官のヴィクトルも俺と同じようにケガ人の世話をしようと青白い顔で歩き回っていた。
まだ出血が止まっていないのか、袖から時折血が滴り落ちる。
と思うと、苦痛のためか、斬り裂かれた右の二の腕を左手で押さえ、顔を歪め身をよじっている。
俺は今診ているケガ人の処置を終えるとヴィクトルに歩み寄る。
「おい、ヴィクトル! お前はケガ人だぞ。まだ血が止まっていないじゃないか。」
「あっ、将軍! オレのことより、まず重傷者を診てやってください。」
「いや、お前には早くよくなってもらって、また一緒に働いてもらわなければならないんだ。」
「将軍がそうおっしゃるなら。」
俺は止血し直すため、ヴィクトルによろいと服を脱いで患部を見せるように指示する。
と、そこに衛生兵が塗り薬と包帯、副え木を抱えて入ってくる。
「おお、衛生兵、今帰ったところだ。残念ながら負傷者が多数発生した。処置をたのむ。」
「お帰りなさい、将軍。順繰りに処置しますね。」
衛生兵はケガ人の多さに一瞬息を飲んだが、気丈にも明るい声で返事をしてくれた。
この要塞で唯一の衛生兵よ、頼りにしているぞ。
すると今度は黒髪の小柄な女が部屋に入ってくる。
粗末な服をまとい、黒いチョーカーをして長い黒髪を麻ひもで束ねている。
彼女は少々魔法が使える。
先の戦争での数少ない戦利品なのだ。
と言っても、精霊に誓って帝都にいる妻子に不誠実なことはしてないぞ。
我が国グラリビオ帝国は、中央山脈西側の諸国と二度にわたり戦争を行い、多くの将兵を失った。
それにもかかわらず寸土も得られなかった。
元々我が国は、この世界全てを皇帝陛下の名の下に統一することを目標として軍事行動を起こしてきた。
このことを危ぶみ西側諸侯は連合して、かつて我が国が滅ぼしたプリンピア王の遺児を奉じて我が国に攻め込んだ。
我が国は武の柱石であり、熟達の剣技と豪胆さで幾多の武勲をあげてきた“常勝将軍”が軍を率いて迎撃した。
ふつつかながらも俺が副将として彼を支えた。
常勝将軍が陣頭に立つならば勝利は間違いなしと兵たちは奮い立った。
しかし武勇を誇るも軽率なところのある常勝将軍は、敵の安っぽい挑発に乗り単騎突出してまんまとワナにかかり戦死した。
目の前で起きた予想もしない惨劇に将兵はパニックを起こし、グラリビオ軍は混乱に陥り敗走した。
常勝将軍に代わって指揮をとった俺は必死に軍を立て直して損害を抑えようとした。
それは、ついさっきの蛮族との戦いとは比較にならないほどの苦しく辛い撤退戦だった。
帝都に帰り着いた俺は厳しい処分を覚悟した。
しかし皇帝陛下と、軍権を握る“近衛隊長”からは、雪辱せよとの一言だけだった。
雪辱の機会は意外に早くやってきた。
プリンピア王国の再興を助けた西側諸侯の間であつれきが生じて次々と軍を帰国させだしたのだ。
まだ防備の整わないプリンピア軍は脆弱で、俺は反撃の好機ととらえ準備に着手した。
しかし近衛隊長がこの時期の行動を止めた。
曰く、軍備をさらに整えプリンピア王国のみならず一気に西側諸国もたたけば覇業に迫れると。
私はこの考えに同意して、密かに西側に渡航する艦艇の準備に取り掛かった。
このころ俺はヴィクトルを側近として登用した。
そして数ヶ月後作戦は決行された。
二手に分かれたグラリビオ軍はかたやプリンピア王国を押しつぶし、かたや西側の南岸に奇襲上陸した。
虚をつかれた西側諸侯はバラバラに応戦して各個撃破された。
俺は近衛隊長の慧眼に戦慄を禁じ得なかった。
近衛隊長率いるグラリビオ軍は勢いづいて北上し、皇都パルピナを、続いて王都エリュシオールを占領した。
皇都では教皇と枢機卿全員を捕まえて処刑した。
王都では重病の国王アランをとらえ、まもなくアランは病死した。
しかし継承権のある王女を取り逃がしてしまい、王女は北方辺境伯領に逃げ込んだ。
近衛隊長はエリュシオール王国各地を占領するため軍を分け、俺は西部方面軍を率いて王都を離れた。
軍を分派することで手薄となったすきを突かれ、北方辺境伯の騎馬隊が遠征軍の司令部を急襲した。
この戦いで近衛隊長は戦死し、司令部は壊滅した。
急報を受けたこれは周辺の友軍を集結させ、北方辺境伯軍とは会戦しないよう用心深く進退を繰り返した。
そして中央山脈の東西を結ぶ迷宮を抜けて辛うじて祖国に帰り着いた。
またもや長く苦しい撤退戦だった。
その過程で、迷宮の近くにあるグレイナーという都市でエリュシオール魔法学園の女子学生の身柄を確保した。
王都から撤退してきた者によると、この女子学生は成績上位者から選抜された推薦名簿に掲載され、久方ぶりの新魔法発案者として名の知られた存在で間違いないという。
魔法使いの人材が乏しい我が国としては本人の魔法能力以外にも後進の指導能力にも期待し、俺の奴隷として連れ帰ることにした。
引見した女は、瞳に光なく、深い絶望の淵に沈んでいた。
身元は判明していたが、念のため尋ねた。
「お前の名はなんという?」
「私は名前を失いました。社会的にも精神的にも死んでおります。必要であれば将軍がこの生きる屍に好きなように名をつけてください。」
地の底から聞こえるような低く冷たい声だった。
希望をすべて失った様は、十年近く前に娘を失った我が妻を思い起こさせた。
俺と妻の間には二男二女を授かり、幸いなことに上三人は健康に育ったが、病弱な末娘は五歳を待たず精霊の下に召された。
妻は悲嘆にくれ、何カ月も毎日涙のうち過ごした。
目の前の女は涙こそなかったが、瞳に何の光も映してはいなかった。
俺は女に亡き娘の名前、“ナナ”を名乗らせた。
名前の由来を教えると、一瞬だが女は目を見開いた。
その瞳にはほの暗い光が見え、この女の心はまだ死んでいないと直感した。
ナナを連れて帝都に戻った俺が見たのは混乱だった。
精神的支柱である近衛隊長を失った皇帝陛下は狂乱状態に陥り政務が取れず、水面下では皇弟たちの暗闘が始まっていた。
軍部では近衛隊長と常勝将軍を失い、繰り上がって俺が最高位に座ることとなった。
敗軍の将として俺を裁くものは誰もいなかった。
帝都での政争に嫌気がさした俺は、自分で自分に辞令を発して、エステロ要塞に守備隊長として赴任し、攻勢を強める蛮族との戦いに身を投じた。
魔法使いとしての戦力に期待したナナも連れて行こうとしたが、ナナは自分を攻撃魔法職ではないという。
しかし生活魔法は使えるというので、要塞内の生活環境を改善できればということで結局連れて行くことにした。
そしてナナは今目の前にいる!
ナナの生活魔法の腕は期待を大きく上回った。
元々エステロ要塞は水の便が悪い。
本丸内にある井戸は水質が悪く、ろ過と沸騰を経ないと飲用には適さない。
他には離れた山中に水場があるのみで、要塞の収容人員は二百五十人が精一杯だった。
しかしナナがやって来てからは、二百五十人全員に十分な飲用水が行き渡った。
また硬いパンと干し肉だけだった食事が、具材は乏しものの温かいスープと蒸した柔らかいパンが出るようになった。
さらに濡れた布で体を拭くための水も確保され、守備隊の生活環境は大きく改善された。
すぐれた水魔法が生活を変えた。
豊富に水があれば、ケガ人も助かるだろう。
出血が多い兵には水を飲ませたい。
傷口をきれいな水で洗い流したい。
そして、その水を生み出すことができる魔法使いが目の前にいる!
「おいナナ! 桶を持ってきて水を満たせ! ケガ人の傷口を洗い流してやりたい。」
「将軍、傷口を洗い流すまでもなく、私がキズを治しましょう。」
「お前は何を言っているんだ? 治療の技術や経験があるというのか?」
「魔法を使って治します。」
「えっ、まさか、神聖魔法か?」
教皇庁の神官たちが神の御業と自称する魔法、神聖魔法。
そういえばナナは教皇領に住んでいたが、関係あるのだろうか。
「治癒魔法という魔法を使います。」
「治癒魔法? 聞いたことがないな。」
いくら魔法使いが少なく魔法に関する知識が乏しい我が国とはいえ、そのような重大な魔法が存在するなら名前くらいは伝わってもおかしくはない。
それがないというのはどういうことか?
ナナにだます意図がなかったとしたも治ると信じていいのだろうか?
「将軍、ためらう気持ちはわかりますが、ケガを負った人たちのことを考えると速やかな決断が必要です。」
ナナは私の逡巡を見透かしたかのように言葉を募る。
さて、どうしたものか?
「将軍、オレでまずナナの魔法を試してください。」
ヴィクトルが話に割り込んでくる。
まず誰かで試すのは悪くない方法だが、それがヴィクトルなのか?
まだためらいはあるが、周りから聞こえてくるケガ人の苦しげな息づかいが俺の首を縦に振らせた。
「よし、ナナ。まずオレのケガを治してみてくれ。」
「ではヴィクトルさんに魔法をかけます。免疫力と自己再生力を高め、治療効果を十分に発揮するために光属性を付与します。」
ナナはわけのわからない言葉を並べたかと思うと、くぐもった声で呪文を詠唱した。
とたんにヴィクトルの体が金色の淡い光を発した。
俺は驚き、どういうことか問い詰めたい気持ちを幾分込めてナナをにらむ。
彼女は気にした風でもなく、ヴィクトルのケガした右の二の腕に自分の手のひらをかざす。
すると目の前でヴィクトルのキズがみるみるふさがる。
完全に傷口がふさがると少し皮膚が盛り上がり、次に周辺が光った。
ナナは手をどけると言った。
「これでヴィクトルさんの治療は終わりです。離れていた筋肉と皮膚を無理に増やしてくっつけたので、多少痛みやかゆが出るかもしれませんが、ご承知おきください。でも引っかいちゃダメですよ。」
「ああ、わかったよ。」
「最初から一体のものとして作られている皮膚や筋肉と違って、二つに分かれていたものをくっつけてますから多少強度が劣ると思います。念のため明朝まで右腕は激しく動かさない方がいいでしょう。最後に殺菌しておきました。感染症対策です。」
「カンセンショウ?」
「あっ、傷口からばい菌が入って膿んだり熱が出たりするのを防ぎました。」
「そうか、とにかくありがとう!」
「ヴィクトルさんが治ってよかったです。将軍、他の人も治癒魔法をかけていいですか?」
「あ、ああ、ぜひ頼む。」
目の前で見た光景にぼう然としていたようだ。
この魔法があれば、戦場での負傷が原因で命を落とす兵が救われる。
すがりつきたいような気持ちが俺の中で湧き上がり、思わず小さなナナの手を取った。
「ただし蘇生はできませんし、部位欠損も治せません。それでもよろしければ続けますが?」
ナナは表情を変えることなく説明を続け、俺は気恥ずかしさを覚えて手を離した。
「ああ、もちろんかまわないとも。負傷した兵たちを助けてやってくれ。」
彼女はうなづくと周囲を見渡し、ケガの程度が重そうな兵を選んで治療を再開した。
折れた骨がつながり、斬り裂かれた腕の傷がふさがり、打ちつけられた皮膚の腫れがひいていく。
治癒を施された兵は目を大きく見開き、自分の体とナナを交互に見ている。
三人目の治療に取りかかったところでナナは俺を呼び頭を垂れた。
「将軍、この方は既に残念なことになっております。」
この兵は左足をヒザのところから斬り落とされ、仲間に背負われてここまで運ばれたが、出血が激しく力尽きてしまった。
「そうか、そうなってしまったか。ナナよ、気を落とさないでくれ。すべては指揮官たる俺の責任だ。俺の采配ミス、俺の状況判断のまずさがこの結果に結びついたのだ。」
そう、この若者は俺の出撃命令に従っただけだ。
東の砦にこだわらなければ、本丸で迎え撃ってもよかった。
そうすれば損害はずっと少なかったはずだし、彼も命を落とさずにすんだはずだった。
輝かしい彼の未来を俺の愚かさが奪ってしまった。
己の力を過信したのか?
敵の力を軽く見たのか?
思考が堂々巡りを始めた俺の肩を誰かが揺さぶった。
あどけなくも怜悧な顔立ちのナナが俺の顔をのぞき込む。
「将軍、自分を責めるのは後からでもできます。今は今できることをやりましょう。」
彼女の後ろからヴィクトルが、最初にケガを直してもらった兵士が心配そうにこちらを見ている。
「そうだな、そのとおりだ。」
「将軍は私が治療した兵隊さんから体調やケガの程度を聞き取ってください。治ったように見えても出血が多いとすぐには激しい動きができません。そのような人には将軍から休むように言ってください。」
「ああ、わかった。お前の言うとおりにしよう。」
ナナはテキパキと治療に取りかかり、一時間少々で負傷者全員の治療を終えた。
部位欠損で腕の先を失った一名は止血以外はどうしようもなかったが、それ以外の者は跡がほとんどわからないくらいきれいに治った。
誰かが、聖女様とつぶやいた。
それに対してナナはチョーカーを指差して応えた。
「このような聖女様がいるはずもありません。」
ナナには、今後の武勲次第でチョーカーを取り去ることもあり得ると伝えた。
俺は負傷者から聞き取りをして、出血やケガの程度が軽かった十五人は次の行動に備えて待機させ、残りの二十七人は自室に戻って休むように申し渡した。
これらの作業をしているうちに、見張りから東の砦でたき火の火が消えたと連絡があった。
蛮族たちが酒盛りを終え、動き出すようだ。
自分たちの領域に引き上げる可能性もあるが、本丸にも食糧があると予想して十中八九襲撃してくるだろう。
待機させた十五人のうち十二人は城壁に上げて迎撃に参加させ、残りの三人には矢の補充など後方支援を支持する。
休むように伝えたい二十七人のうち数人が悔しそうな顔を俺を見ていた。
「気持ちはわかるが、お前らの今日の仕事は休むことだ。手柄を立てる機会はこの先何度でもあるぞ。早くよくなって次の機会に活躍してくれることを期待している。」
彼らはすごすごと自室に下がる。
彼らの後ろ姿に頭を下げて、俺は兵舎の外に出て壁に近づいた。
壁の上の見張りから、蛮族たちが近づいてくるのが見えると報告が入る。
「ヤツらは何人だ?」
百人弱という声が降ってくる。
留守番していた部隊が百二十人で再出撃可能な人数が十五人、あわせて百三十五人では野外で迎え撃ちには足りないか。
籠城するしかないな。
「よし、城壁の上からお出迎えしてやろう! 矢は足りてるか?」
頭上から肯定の言葉を聞いて、俺はハシゴを登って城壁の上に立つ。
荒地を隊列も組まずバラバラと歩いてくる蛮族の集団が見えた。
適度に腹が満ちたのか、戦意満々には見えず歩く速度からもだらけているように見えた
「相手は警戒がゆるんでる。引きつけて射かけるぞ。」
弓兵が静かにうなずく。
蛮族たちは漫然と壁に近づいた。
先頭が十数メートルまで来たとき、俺は高らかに号令した。
「射て!」
三十余人が斉射し、十人の蛮族に複数の矢が突き刺さる。
一人が倒れた他はぐらつきながらも持ちこたえ、回れ右して引いていった。
後続の蛮族が急に騒がしくなった。
その間に二の矢をつがえる時間的に余裕ができた。
後続の蛮族たちは剣を振り回し、わめきながら突っ込んできた。
多くは矢の的になって倒れるか引き返したが、矢が刺さったまま三人の蛮族が壁際まで強引に突破してきた。
俺は守備兵に石を投げ落とすよう指示した。
三人の蛮族は大剣で石積みの壁をたたきつけた。
しかし石の破片が飛び散るだけで、逆に剣が一本折れてしまった。
剣が折れた蛮族は怒声をあげたが、おもむろに折れた剣を壁の石積みの間に差し込んで、壁石をえぐり出そうとしだした。
一方他の蛮族二人は剣を納めると壁に手をかけてよじ登り始めた。
壁をえぐられるのも気になったが、壁を登られるのはより脅威度が高いと判断して、俺は二人の方に攻撃を集中させた。
壁をよじ登ろうとした蛮族はいずれも頭に手のひら大の石を何個も受けて、地面にたたき落とされた。
その間にもう一人はわずかな出っ張りに指をかけ、積んだ石を凄まじい力で引きずり落としてしまった。
幸いにも段違いに石を組んだ壁は崩れなかった。
さらに残りの一人が次の石組みにかかろうとしたところで、彼に投石が集中して何個も頭部に直撃を受けて倒れ伏した。
蛮族たちはこれ以上の攻撃続行は無理と判断したのか引き上げていった。
壁の上で守備兵は安堵のため息をついた。
実は俺もその一人だ。
ただし指揮官はいつまでも安堵してられない。
ベテラン兵二人に声をかけて、退却した蛮族たちを追尾して動向を探らせた。
俺は壁の上から地上に降り、城門を開いて外に出て状況を確認する。
何人かの兵が外に続いてでてくる。
壁際に三人、少し離れてハリネズミのように矢がたくさん刺さって一人倒れていた。
そのうち壁際の一人はまだ息があったので、のど元をかっ切ってトドメをさした。
出てきた兵士たちに蛮族の死体を埋めるように指示した。
蛮族の死体をどけると、壁からえぐり出された石がよく見えた。
一抱えもある石で、重さは百キロを大きく超えていそうだ。
えぐられた箇所は一メートル八十センチくらいの高さであり、人の手だけでここまで上げる困難だと思われる。
俺は工兵を呼んで所見を聞いた。
「蛮族の方を使役できるならともかく、これを人力だけで持ち上げてとなるとほとんど不可能でしょう。ヤグラを組んで滑車を使えばなんとかなります。」
「なるほど、わかった。それでヤグラを組んで直すとすると、お前の考えではどのくらい時間がかかるのか?」
「そうですね、将軍。明朝一番で取り掛かればお昼前には終わります。」
「そうか。では今から取りかかるとどうなる?」
工兵と俺は暮れてゆく空を見上げた。
もう間も無く夜となり、闇の中の作業は困難さを増すだろう。
「滑車の移設、ヤグラの組み上げでそれなりに時間がかかり夜になります。当然かなりの松明なんかが必要になりますし、明かりは目印になるので護衛をお願いしたいです。そうすれば夜明け前には終わります。」
「ありがとう、現実的ではないってことだな。」
「それでしたら、私がなおしましょうか?」
後ろで女の声がした。
「ナナ、お前の腕力では持ち上がらないし、高さも届かないだろう。」
「将軍、魔法を使うのです。」
「治すといっても人体じゃないんだ。治癒魔法は効かないぞ。」
俺の言葉に、ナナは自分の足元を指差した。
「土魔法を使えば造作ありません。」
俺は工兵を見ると、彼はチラリとナナを見やり俺に向き直ると小さくうなずいた。
他に手がなければ消極的に賛成せざるを得ない。
「よし、ナナ、やってみろ!」
ナナは地面に落ちた石や壁に空いた穴をしげしげと見て、石の向きを確認しているようだった。
次に彼女は、石の前後左右の地面を魔法で少し持ち上げて石の向きを転がして整えた。
向きが整うと今度は石全体を持ち上がるように地面を隆起させて、穴の高さまで届かせた。
ナナが作業していると、いつも間にか二十人を超える兵士たちが集まって彼女を見守っていた。
ナナは石の手前側を高く盛り上げて角度をつけ、壁の穴に収まるように滑らせた。
ただし三分の一くらい入ったところで動かなかなくなった。
ナナは後ろを振り返って、取り巻いている人数に一瞬ギョッとしたが、兵士たちに頭を下げて頼みごとをした。
「皆さん、ここからは人の力で押し込んでください。」
十人以上が手をあげたが、背の高い四人が選ばれて声をそろえて押し始めた。
そしてピタリと元の位置に石が収まると期せずして兵士たちから拍手が起こった。
ナナは手伝ってくれた兵士たちに再び頭を下げ謝意を表した。
近くで見ている俺の口元が知らない間にゆるんでいるのに気がついた。
だが、次にナナが発した言葉で俺の口はあんぐりと大きく開くことになる。
「将軍、壁の前に堀を作りましょう。蛮族から直接壁を攻撃されるのを防ぎます。」
「おいおい! 堀って、それもお前の魔法でなんとかするつもりなのか?」
「はい、私は土魔法で地面を隆起させるだけでなく、陥没させることもできます。さすがに皆さんの顔も定かに見えなくなるくらい暗くなってきましたから、作業は明朝にさせてください。」
「ああ、それはもちろんかまわない。」
俺は半信半疑であったが、彼女に同意した。
もしうまくいかなくても、中途半端に終わっても、壁は直っているからダメで元々という思いはあった。
蛮族の偵察に出したベテラン兵は夕食の最中に帰ってきた。
蛮族たちは要塞のある台地を下り切って、東の荒野に消えていったとのことだ。
東の砦に人を残していないようなので、明日来襲するにしても午後になってからだろうと予測され、俺は一息入れることにした。
翌朝、温かい朝食をとり、東の砦に蛮族の偵察と砦内の状況確認のために分隊を送り出した。
また兵士を十人出してナナとともに壁近くで昨日の矢や投げ下ろした石を拾い集めた。
壁際が片付くと、ナナは魔法を使って堀を作り始めた。
俺は近づいて様子を見る。
「どうだ、ナナ。うまくいきそうか?」
ナナは突っ立ったままなのに、突如俺の背丈より深い穴が現れてギョッとするが、俺は平静を装った。
「問題ありません、掘って出た土で壁を覆いますか?」
「土で覆うってどうするんだ?」
ナナは堀から出た土を魔法で動かして壁を覆った。
さらに魔法で土を圧縮して硬く固めて、火魔法で表面に熱を加えた。
「このように固めて熱を加えます。これで堀を備え、壁を厚くして守りを強化します。」
「ううむ、そうか。ではよろしく頼む。」
俺は目の前で起きたことをまだうまく飲み込めない。
彼女に質問するなり意見を求めるなりして自分の考えをまとめ指示を出さないといけないのに、頭が働かずうまく言葉が出てこない。
「ここは私がやっておきますから、将軍は中に戻ってご自分の仕事にあたってください。お昼前には終わるのでその折にまたお呼びしますね。」
俺は本丸の中に戻り、昨日の戦闘や蛮族の様子について簡単な報告書をしたためる。
次に輜重兵と副官のヴィクトルを呼んで、補給品の定期請求の書類を作成する。
さらに雑務の決済をこなしていると部屋のドアがノックされ、ナナが戻ってきて堀が完成したという。
キリがいいところでヴィクトルとともにナナの案内で外に出てみる。
ナナは朝方、俺が彼女の作業を見て軽い混乱状態に陥ったのを見て取り、日常業務に戻ることで冷静さを取り戻させようとしたのだと推測できた。
表情を変えず淡々としているようで、このあたりの機微がわかり、さりげなく気を回せるらしい。
肝心の堀だが、要塞の東側半周を取り囲み、深さ、幅とも三メートルを超え、体の大きな蛮族でも簡単に越えられない規模だ。
また石積みの壁の外側に一メートル近い厚さで土をかぶせて固め、外殻を焼いているので、雨でも崩れることはないだろう。
設備としては申し分ない。
もしすべて人力で作業するなら、かなりの人数と日数が必要となっただろう。
魔法使い一人が二時間足らずで成し遂げたことと考えると心中複雑であった。
「将軍、堀の底に突起を生やしませんか? 壁に取り付こうとして下に降りる敵への対策です。」
「どうしようというのだ?」
「こうします。」
ナナが言うと、堀の底からナイフ状の鋭く尖った突起が何本も生えた。
蕃族が底に降りれば、突起が足に突き刺さるだろう。
おとなしそうに見えて、なかなか容赦ない。
ナナが敵でなくてよかった!
そうだ、今は味方なのだ!
教皇庁やエリュシオール王国はナナの力を活かすことができなかったが、グラリビオは違う。
敵との最前線において、その力を示して戦況を有利に変えつつある。
俺は指揮官として彼女の魔法も戦力として活用し、勝利を目指せばいいのだ。
偵察のため東の砦に向かった小隊は昼過ぎに戻ってきた。
大地の下の平原に蕃族の集団が現れ接近中とのこと。
人数が百人余りなので、昨日の群れが増援を受けて再度襲撃にやってきたのかもしれない。
ともかく、あと二時間程度でやってくる蕃族たちを本丸で迎え撃つことにして準備にかかった。
予想どおり約二時間後、日が傾き始めたころ、蕃族が姿を現した。
俺は壁の上に百人の兵士とともに、あちらも百人強の毛皮をまとった大きな男たちがゆっくりと近づいてくるのをながめていた。
彼らは昨日はなかった堀が壁を取り巻いているのを見て戸惑っているように見える。
一方、蕃族が昨日と違って何か、やかんほどの大きさの石と思われるものを抱えてやってきたことに俺は首をひねった。
「なあヴィクトル、蛮族のヤツらは何を持ってきたのか見当がつくか?」
「おそらく台地の下の平原から石を拾って持ってきたんだと思いますよ、将軍。」
「何に使うんだろうな?」
「どうでしょう? 何も根拠のない俺のカンなんですが、蛮族の皆さん、持ってきた石を壁際に積んで、その上に乗っかって壁を乗り越えようとでも考えてんじゃないですかね。」
左隣でヴィクトルが首をすくめる。
「意外とお前のカンが当たってそうだぞ。ヤツら、堀があるから壁際に石を置けなくて困ってように見えるな。」
すると蕃族のうちの一人が堀の中に飛び降りた。
右隣りでナナが身を乗り出して蕃族が飛び降りたあたりを見つめる。
一瞬の間をおいて、堀の底から身も凍るような叫び声が聞こえた。
「あの人、上ばかり見て足元お留守だったんで下から突き刺してみました。」
ナナがボソリとつぶやく。
魔法で何かしたようだ。
堀の底の蕃族は痛いのかわめき続けている。
別の蕃族が何ごとかと堀をのぞき込もうとしてバランスを崩し底へと墜落した。
この個体は打ち所が悪かったのか底でうめいている。
「将軍、攻撃命令を。」
再びナナが低い声で出し具申する。
戸惑うままに様子見をし過ぎたかと反省とともに俺は声を張り上げる。
「投石開始!」
堀の底でうごめく二人の蕃族に石の雨が降り注ぐ。
まもなく叫び声もうめき声も聞こえなくなった。
戸惑っていたのは蕃族も同じだったようで、同族が攻撃されてようやく敢闘精神がよみがえった。
雄叫びをあげて堀の際まで進出すると、持ってきた石を投げつけてきた。
我々に激しい憎しみを向け、感情を石の乗せてぶつけてきた。
ただし彼らは投擲に慣れていないのか、動きは至ってぎこちない。
また狙いが壁なのか、壁の上の我々なのか、壁の内側なのか絞り切れておらず、石は力なくバラバラに飛び、堀の底に落ちていった。
蛮族が前に出たのを見て、俺は弓を射るよう命令した。
矢が刺さり、持ってきた石もみんな投げてしまったので、蛮族たちは引き上げていった。
周囲の兵士は歓声をあげたが、損害のない完勝にもかかわらず、俺は安堵こそすれ喜びは感じなかった。
ともかく我々は順次ハシゴを伝って降りた。
周囲が笑顔沸きかえる中、ナナは静かにハシゴを降りた。
「ナナ、ご苦労だった。お陰でこちらは被害なしで撃退することができた。」
「お役に立てて幸いです。」
ナナはニコリともせずに答えた。
周りの兵士たちからも声がかかるが、彼女は眉も動かさず軽く頭を下げるのみだった。
彼女は俺のすぐ後ろについて引き上げる。
「それにしてもすごいな。ナナがいれば落城はないな。」
「しかし城塞都市は落ちました。」
「それはグレイナーの守備側に君を活用する才覚がなかったからだろう。」
「私がいようがどうにもならなかったですよ。教皇や枢機卿が処刑されたと聞き、教皇の血染めローブを見せられて騎士の人たちシュンとして戦意失ってましたから。」
「あれは近衛隊長がうまくやったのだ。教皇庁との和平条件は、神殿や礼拝所の財産保全と領民の信仰の自由を保証するというものだったんだ。しかし高位聖職者の身柄については和平条項にないと言って、十年前の 戦争で捕虜の虐待を理由に裁いた。」
「私には詭弁を弄しているように感じられます。」
「俺も後でことの顛末を聞いたときは開いた口がふさがらなかったな。でも近衛隊長は合意した事項はまじめに守ったんだぜ。神殿の供物をくすねた兵士を罰したりもしている。」
「なによそれ、って思わなくもないですが、今さら言っても詮ないですね、」
表情を変えない彼女だが、わずかに顔をしかめた。
俺は、今後この話題は出すまいと心に誓った。
翌日偵察により、蕃族が砦に留まらず東の平原に去ったこと、砦は柵が抜かれ食糧がなくなっていたが、他の箇所は破壊されていないことがわかった。
俺は砦に進出することを決断した。
砦に連れて行く八十人の兵士を選んでいるとナナが話しかけてきた。
「東の砦に進出するなら、私を同行させていただけませんか?」
「ん? 砦にか? あそこは柵も抜かれて無防備な状態だぞ。」
「だから私が役に立てるのです。」
「それに白兵戦になるかもしれない。」
「承知のうえです。私の本職は決して生活魔法ではなく、付与魔法を主とした支援魔法です。戦う人のすぐ後ろで支援してこそです。」
「付与魔法?」
「対象に魔法効果を付与することができる魔法の系統で、付与できるのは属性魔法や治癒魔法など様々です。」
ナナの話を聞いてもよくわからず、俺は首をひねるばかりだ。
「口で説明するより実際に見てもらった方が早いですね。なにか金属製の小さなものを貸してもらえませんか?」
俺はあたりを見回し、テーブルの上に置かれたカップに添えられたティースプーンを見つけ、ナナに手渡す。
ナナはティースプーンを目の高さで持つと、なにやら呪文を唱えた。
銀色のスプーンは赤く光り、先から一瞬炎が立った。
彼女が軽くスプーンを振ると火が噴き出した。
「スプーンに火属性を付与してみました。もちろん剣にも付与できます。」
一瞬固まりかけた俺の思考を彼女の声が揺り動かしたが、言っていることを吟味してみれば、剣を振るだけで火が噴き出ることを理解でき、炎に包まれた敵の姿を幻視できた。
「魔法剣か?」
「厳密には違うんでしょうが、一時的に剣に魔法効果を加えているのは確かです。」
従来、蛮族と白兵戦を敢行すると、大きくタフな相手に苦戦を余儀なくされた。
しかし、魔法剣があれば!
同時に不都合な事実も思い出して、俺はおずおずと口を開いた。
「こちらからも君には同行をお願いしたい。ただ、この要塞には杖が一本もないんだ。それでも頼めるか? もちろん帝都から送らせるが、少々時間がかかりそうだ。」
「私は杖を使わないんで、ご心配には及びません。それより剣をお貸しいただけませんか? できれば短剣を。」
「ああ、もちろんかまわない。出撃する兵を選び終えたら武器庫に連れて行くから、そこで選んでくれ。」
俺は手早く残りの人員を選び出すとヴィクトルに名簿を渡し、ナナを連れて武器庫に行った。
彼女は一番短く細身の剣を選んだ。
「蕃族は大剣を使うぞ。そんな短剣で大丈夫か?」
「心配をおかけしますが、大剣と真っ向から打ち合うわけではないので問題ありません。それに私は剣を強化できるのでめったに剣を折ったりしませんよ。」
「そうか、余計なことを言ったな。」
ヴィクトルが人員や物資の手配をすませてくれたので、まもなく出発することができた。
東の砦はわずかな間に、荒れたように感じられた。
食糧がなくなった他は、東側の柵の一部が引き抜かれているくらいにもかかわらず、何箇所かのたき火の跡、散乱した袋や容器の破片が廃墟めいた雰囲気を漂わせている。
俺たちは総出で片付けと荷物の運び込みに取りかかった。
その間に輜重兵は食糧を運び込み、ナナとヴィクトルは工兵と外周部を見て回っている。
火が沈むころ、一通りの片付けがすんでどうにか宿営できる環境を確保した。
一方ナナは東側の壁を本丸もかくやという高さ、厚さに作り上げていた。
「短時間のうちに大したものだな。」
「今は攻めようという気を起こさせないためのハリボテに過ぎません。明日追加の作業をすればそれなりの固さになるはずです。」
翌日は朝からナナは作業にあたり、昼前に終了させた。
まず壁の外側、東の斜面を堀のように削って比高を高めている。
高く感じられるようになった壁の上の通路に胸壁と狭間を設けて守りつつ弓を射ることができるようにしている。
通路へは壁の内側に階段を設けて、ハシゴより登り下りが容易になっている。
なにより効果的なのは、平原から台地を見上げると砦の存在感が増し、壁を乗り越えて砦を攻略しようという気が萎えるほど圧迫感を覚える点であった。
実際に俺は、地形の確認と偵察を兼ねて一度下の平原に下りたが、あれはヤバかった。
坂を一歩登るたびに砦の壁が高くせり上がるようで、自分が攻城戦を指揮するなら真っ正面からの力攻めは選択せず、大きく迂回するか調略を選ぶであろう。
つくづくナナが味方でよかった!
午後になって、平原のあちこちに出した斥候隊が戻り始めている。
平原には敵影がないが、北側にある疎林の中で蕃族が見え隠れしているとの報告もあった。
林の中で結集を図っているなら明日にも攻め寄せてくるかもしれない
我々は警戒しつつ一晩を過ごした。
翌日平原の北側を進み、時折疎林から出てくる小集団と合流しながらこちらに向かってくる蕃族を発見したとの一報が入った。
昼を過ぎると百人弱の蕃族が台地の麓に集結した。
十分な矢を準備して待ち受ける。
俺もヴィクトルやナナたちと壁の上に登った。
蕃族たちは改装した砦の威容に気圧されたのか、いつもならわめきながら突っ込んでくるところ、トボトボと歩いて坂を登ってくる。
そろそろ弓の射程に入ろうかというころ、ナナから前もって進言されたとおり、三十人の弓兵に属性魔法が付与される。
さらに蕃族が壁に近づくと、矢が一斉に放たれた。
しっかり命中したものだけでなく、かすったような矢でも魔法の追加効果で皮膚を引き裂かれるようで、痛みに強いはずの蕃族が叫び声をあげ、身をよじっている。
さらによろけて足を踏みはずし、味方を巻き込みながら台地の下まで転げ落ちる個体もいた。
斉射での被害に顔色を失い、早くも麓を目指して退却していった。
砦では大いに歓声があがる。
俺も思わずほほがゆるむが、ヴィクトルから進言がある。
「将軍、敵さんは敗走して意気消沈しています。しかし元々はタフなのでケガも早く治り、士気も遠からず回復するでしょう。そうならないようたたくなら今です。」
「うむ、そうか。ナナはどう思う?」
「私もヴィクトルさんと同意見です。一度野戦で圧勝すればそれ以降主導権を握ることができます。追撃するなら付与魔法をかけますよ。」
「よし、腹は固まった。出撃するぞ!」
俺は弓兵を残し、ヴィクトルやナナ、一部の兵と階段を降りた。
下に集まっていた兵に出撃を告げると歓声が沸き起こった。
東門が開け放たれる。
ナナが前に進み出て五十人の兵に向き直り、呪文を唱えて次々と付与魔法をかけていく。
それが終わるとナナが兵たちに声をかけた。
普段のボソッとした声でなく、腹の底からの大声だ。
「皆さんには光の属性魔法を付与しました。つまり時間限定ですが、皆さんは光の魔法剣士となったのです。」
兵士たちから、おうっと声が漏れる。
「さらに光属性は自然治癒力の増進と、毒や腐敗に対する耐性を高めます。つまり皆さんは無敵だ! 進め、無敵の勇士よ!」
俺が剣を抜くとギラリと光を発した。
兵士たちも剣を抜き一団となり、鬨の声をあげて坂を駈け下る。
どうしようもなく気分が高揚する。
俺たちの接近に気づいた蕃族たちが振り返り身構える。
しかし高く掲げた輝く剣に蕃族は逃げ腰だ。
我々は坂を下り切ったあたりで蕃族の群れと激突した。
属性付与魔法は剣でも有効だった。
浅く斬っただけでも追加で魔法によるダメージが上乗せされ、タフな蕃族たちも苦悶の叫びをあげた。
こちらが手傷を負えばどこからかナナが見ていて、すかさず治癒魔法がかかる。
ナナはと見れば、一歩引いた位置で戦況を見通しているかと思えば、機を見て横から助太刀に入り果敢に大きな蕃族を切り裂いている。
ナナの剣は黒くまったく光を発していなかった。
一人だけ別の属性を付与しているのだろうか。
そうしているうちにも一人また一人と蕃族は斬り伏せられていく。
相手は剣だけでなく魔法によるダメージを食らうのに、こちらはダメージを食らってもすぐ治るのだ。
戦いは一方的になった。
蕃族が半数の遺体を残して東へ敗走していったとき、我々は一人も欠けることなく立っていた。
台地の麓に勝ち鬨が響く。
蕃族の死体はナナが魔法で穴を掘って埋めてしまった。
日が傾いたので上機嫌に砦に帰る。
「それにしてもナナの魔法は効果的だったな。」
周りの兵士から賛同の声が聞こえる。
俺はナナだけに聞こえるように耳元で言った。
「先の戦争で敵の陣営に君がいたらもっと危なかった。悪くすると俺たちは一方的に敗れていただろう。今日の蕃族のようにな。」
戦いを勝利で終えたというのに、ナナはいつもと変わらなかった。
突撃前、大声での演説、鼓舞は彼女の違った一面を見た思いがしたのだが、違ったのだろうか。
俺とナナは砦に戻る兵士たちの最後尾について坂を登り始めた。
「今日はうまくいきましたが、私の能力というより付与魔法の特性によるものです。 強力な剣士をより強力にしてくれますが、魔法単体ではできることが限られます。」
「君が何人か弟子を育てていたらと思うと肝が冷えるよ。」
「いや、私にそんな影響力はありません。」
「いや、わからんよ。西側でも南方の貴族が魔法学園出の若い魔法使いを抜擢して、彼と彼が育てた魔導師たちにグラリビオば二度も苦杯を喫し、世界最強ともいわれた常勝将軍も命をおとしている。」
「仮に私が常勝将軍の前に立ちふさがったとして何もできませんよ。」
「さっき君が魔法だけでなく剣を使っていたのを見たが、スジは悪くないものの常勝将軍と渡り合えるほどではないな。でも剣の間合いの外から魔法を使えばどうだろう?」
「どうでしょう? できれば間合いの外であれ、そんな羽目に陥りたくはないです。」
「俺からしても敵には回したくない男だった。そんな彼もあっけなく死んでしまった。」
「西側だけでなく、東側も戦争で大きな犠牲を払ったのですね。」
「ああ、戦友も部下もたくさん死んだ。失うだけで何も得られなかった。」
「それなのにまた犠牲を出しながら蛮族とたたかっている。」
「そうだ、かつては共闘したこともあったが、今となっては仇敵だ。こちらが拳をおろしても彼らは殴りかかってくるだろう。」
「お互い引くに引けないといったところですか。でもいつかどうにかして和解、和睦ということができないのでしょうか?」
坂を登り切り門を通り砦の中に戻ってきたが、ナナの思いがけない言葉に思わず足が止まる。
「なんだって? ここまで数多の血を流して今さら和睦などできるかっ!」
「そうは言ってもいつか幕引きを図らないと永遠に終われませんよ。それともどちらか最後の一人が倒れるまで戦い続けるのですか?」
思わず大きな声が出たが、変わることなく彼女は真摯な顔で問いかけ、俺は冷静さを取り戻した。
別に怒ったわけではない、驚いただけだ。
「今まではっきり意識はしていなかったが、言葉にすればそのとおりだろう。もし和睦などと言い出せば、味方が敵に回りかねない。」
「将軍、変なことを言って申し訳ありませんでした。」
「いや、俺こそ声が大きくなってすまなかった。しかし君は俺の大声にも、それどころか蛮族との白兵戦にもビビることなく至って冷静だな。」
「見ているほど冷静とは限りません。それでも蛮族よりも大きく力が強い魔物と戦ったことがあります。経験が助けになりますし、今日も経験ができました。」
そう言うとナナはお辞儀をして、夕食の支度をすると言って踵を返した。
俺は夕暮れの中、走り去る彼女の背中を見ていた。
その後俺たちの部隊は二度、蛮族と戦っていずれも圧勝した。
東の平原から蛮族はたたき出された。
ナナはその間に魔法を教えると言い出し、見込みがありそうとして選んだ三人を指導している。
ただし、そのうちの一人がようやく自分が飲む分くらいの水が出せるようになった程度だ。
一方帝都では気力が衰え政務が行えなくなった皇帝陛下を尻目に、弟君たちが後継者争いが始まっていた。
さすがにこの時期内戦を起こすわけにもいかず、大臣連中が必死に仲裁した。
結局陛下の弟でなく従兄弟で中間派のアルフォンソ様が皇帝代行として政務を司ることになった。
またアルフォンソ様の妹で聡明なことで名高いクラウディア様がその補佐にあたることも決まった。
俺たちの部隊は蛮族との武功を顕彰されることになった。
俺とヴィクトル、ナナは帝都に呼ばれ、蛮族との戦果を表されアルフォンソ様、クラウディア様に謁見することになった。
俺はヴィクトルに断り、ナナを連れて一日先行して帝都へ向かった。
俺はナナと帝都で随一と言われる奴隷商の店にやってきた。
その前に家族が住む家に一度顔を出し、ナナの体格に合うよう、娘のお古の服を着させている。
「ナナ、娘のお古ですまないな。」
「将軍、お嬢様のお召し物、よろしかったのですか?」
「もう着ないものだし、かまわない。それより約束を果たすときがきた。この店で君との奴隷契約を解除しよう。」
「果たして私はそれだけの功績をあげたのでしようか?」
「何を言う! 君は対蛮族戦でトップスコアラーだぞ。剣と魔法を併用したあんな戦い方、他の誰ができるんだ。それに殿下も注目していて、必ず同行させるようにとご指名だ。」
「そう言われたらやむを得ません。腹は決めました。」
俺は彼女を促して店内に入った。
店ではチョビひげを生やした小柄な店主が対応に出た。
彼はナナの首元をしげしげと見やり、ちょっとお待ちを言って奥に引っ込んだ。
すぐに魔道具をいくつか持って戻ってきて、なにやら術式を組んだりチョーカーに当てたりしている。
一通りすむと俺がナナの首元の魔石に触れ、最後にナナ自身も触れるとガチャリと音を立ててチョーカーははずれた。
店主はチョーカーを手に取り、驚いたように言う。
「しかしこんなゴツいものをよく付けてましたなあ。これ、付けているだけで魔力を吸われますし、魔法の威力も半減されますよ。」
「そんな機能があったのか?」
「やっぱり! 魔力を吸われている感覚があったから、解析してみたとおりですね。」
「解析って。ともかく魔力を吸われ続けて、お嬢さん、よく気絶しませんでしたな。」
「どのくらい吸われるかすぐわかりましたら、特に問題はなかったですよ。それより魔法の威力が半減とのことですが、実際には三分の一にも満たないですよ。不良品ですか?」
「いやいや、あれは理論値と申しますか、上限と申しますか。」
タジタジとなった店主を尻目に、俺とナナは店を出ることにした。
「さあ、あなたはもう自由だ。今日はうちでゆっくりしていってくれ。」
「ではお言葉に甘えて一晩お邪魔いたします。」
ナナには妻の家庭料理を振る舞った。
妻の元気そうな様子にナナも安心したようだった。
娘は年齢が近い女の子が泊まっていくのが嬉しいのか、服以外にもアクセサリーやバッグをプレゼントしようとした。
翌朝、俺とナナは帝都内の軍駐屯地に出向き、ヴィクトルと合流する。
ここから宮殿までパレードとなる。
確かに蛮族相手に勝利はしたが、凱旋と言えるほどの戦果かと考えると内心忸怩たる思いはある。
しかしこのところ負け続きで沈滞する帝都のムードを変えるためにもこうした演出は必要なのだろうと納得はした。
俺は礼装に身を包み、無蓋の馬車に乗り込んだ。
将軍職にある者の務めとして、ときおり沿道の観衆に手を挙げて応える。
左に陪席するヴィクトルは、見物客の中に知り合いの姿を見つけたのか、破顔して大きく手を振っている。
右に陪席するナナは相変わらずなにも感情が読み取れない顔をして静かに座っている。
しばらく大通りを進み、車列は宮殿に到着した。
太鼓が大きく打ち鳴らされ謁見に臨む。
謁見の式典はあっさりしたものだった。
大広間に百官が居並び、中央の高みにアルフォンソ様とクラウディア様がイスに腰を下ろす。
大臣の代読で褒辞を賜り、下賜品の目録を受け取り、最後に皇帝代理のアルフォンソ様が手ずから勲章をかけてくださり、俺たちは退出する。
客間に下がりお茶とお菓子をいただいて、ようやくくつろぐことができた。
今晩は宮殿で泊まることになる。
まもなくクラウディア様からナナに呼び出しがあり、彼女はしばらく帰ってこなかった。
翌日は朝から軍幹部との会議、大臣たちとの打ち合わせと予定が立て込み、俺とヴィクトルは分担して予定をこなした。
ナナも朝からクラウディア様に呼び出されていた。
一日の予定を終え、ヴィクトルと駐屯地に引き上げようとすると、今度は俺がクラウディア様に呼び出された。
要件は聞かずとも見当がついた。
ヴィクトルには先に駐屯地に戻っているよう伝えて、クラウディア様が待っている応接間に急ぐ。
クラウディア様は昨日のドレス姿から一転して白い寛衣
をお召しになり、栗色の髪に縁取られた整った顔は柔和な表情を浮かべてソファに腰かけている。
そしてクラウディア様の横にはナナが控えていた。
座るよう促された俺は、ソファに腰を下ろし、ややうつむいて言葉を待つ。
「将軍、忙しいところ呼び立ててすまなんだ。そなたに一つ頼みがあるのだが、聞いてはくれぬか?」
目の前の人物から発せられた言葉なのに、俺には高いところから降ってる鈴の音のように感じられた。
思わず頭がさらに深く垂れる。
「はっ、すべて殿下の仰せのままに。」
「さっそくだが、この子を私に譲ってはくれまいか?」
クラウディア様は一瞬ナナと眼差しを交わして微笑み合う。
ナナの笑顔を俺は初めて見た。
だがナナから俺に視線を戻したクラウディア様は、緑色の瞳に力をこめる。
冷たい汗が流れ落ちるような気がした俺は、なんとか声を絞り出して答える。
「ナナは既に奴隷契約を解除された自由民です。また軍属でもありませんから、ナナさえよければ自分がなにか言うべき立場ではありません。」
「さようか。ならば決まりであるな。」
クラウディア様は再びナナに目を向けて笑い合う。
今度はナナが俺の方を向き、眉を寄せて頭を下げる。
「このような時期に将軍の下を去ることになってしまい申し訳ありません。さらに教え子たちが一人前になることもなく心苦しく思います。」
この言葉に否応なく明日からナナがいなくなるという現実を突きつけられた。
ナナは一転して、俺の憂慮を吹き飛ばすかのような弾ける笑顔を見せた。
「クラウディア様は、蛮族と和睦を模索したいという私の話に耳を傾けてくださったのです。将軍の苦闘がいつか身を結ぶように私も新たな闘いを始めることにしました。」
ナナはクラウディア様に負けないくらい目を爛々(らんらん)と光らせて言葉を躍らせた。
ナナはこんなに表情豊かで、よく笑う子だったのか?
彼女の表情が乏しい顔を見てきた俺には、目の前にいる少女は別人のように感じられた。
今朝一緒に食事をし、朝と同じ服を着て同じ髪型をしているのにもかかわらずである。
俺は、魔法が使えて冷静沈着なナナをクラウディア様が一方的に気に入って引き抜こうとしているのだと思っていた。
だがナナの話を聞き表情を見るにつれ、クラウディア様とナナは意気投合して、さらに心の深いところで通じ合ったのだと感じた。
もし俺になんらかの権限があったとしても二人の結びつきを止めることはできなかっただろう。
俺はナナがいなくなることを確信できた。
将軍の立場からクラウディア様にお願いをしてみる。
「殿下に一つお願いがございます。」
「申してみよ。」
「優秀な戦士であるナナが抜けることは、東の守りにとって大きな痛手となります。どうかこの点にご高配を賜りたく。」
「ふふっ、そなたばかりに苦労をかける私と思ったか? この子の価値にふさわしい、最大限の援助をいたそうぞ。」
クラウディア様は快活に笑うと、鷹揚に笑った。
「ご配慮、痛み入ります。」
俺は、仲のよい姉妹が住む部屋のように笑い声に満ちた応接間を辞した。
俺は再び指揮官としてエステロ要塞に戻った。
寒風の吹きすさぶ荒野が周囲に広がる。
飲み水の味が落ちたこと一つにもナナの不在を感じる。
しかし日を置かず、帝都からふんだんに食料、水が届き、さらに質の良い武具、ポーション、寝具、調理器具や食器が届いた。
加えて調理人、鍛冶師、薬師がやってきて要塞に常駐するようになった。
生活水準は帝都内の駐屯地と遜色なくなった。
俺は帝都のある西に向かって頭を下げた。
しかしひとたび要塞の外に出ると、ナナの支援魔法を得られなくなった野戦ではアドバンテージを失い苦戦した。
平原の攻防は一進一退を繰り返し、ときに蛮族が東の砦に押し寄せた。
しかしナナが一夜にして築いた防備は揺らぐことなく蛮族の攻勢をはね返し続けた。
東の平原で戦いに明け暮れている間に、帝都ではクラウディア様の結婚が決まった。
西側で我々グラリビオ帝国を破り、エリュシオール王国を保護下に置いて派遣を握る北方辺境伯レシャク殿に嫁ぐことが決まったのだ。
俺は休暇を取って帝都に出かけ、将軍としてではなく一帝国民として、パレードのお見送りの列に並んだ。
騎馬隊、儀仗兵に続いて、グラリビオには珍しい華やかな装飾の馬車が目の前を通り過ぎる。
俺は車中のクラウディア様に頭を下げる。
その後から従者たちが隊列を組んで歩いてくる。
その中にナナがいるのに気がついた。
ナナは俺がいることに目ざとく気がつくと、隣の従者と一言二言話し、俺のところに駆け寄った。
「将軍、見送りにきてくれたんですね。」
「ああ、いよいよ行ってしまうのだな。」
「はい。将軍に身柄を引き受けていただかなかったら、今の私はありません。それなのに蛮族の和睦を実現する道筋をつけられず申し訳ありません。」
「あなたが悔やむことはないだろう。」
「そう言っていただけると少しだけ気が楽になります。」
ナナは一つため息を吐いて、安堵の表情を浮かべた。
「お宅にお邪魔していただいた奥様の手料理の味、一生忘れません。どうかご家族ともどもご健勝で。」
ナナはお辞儀をするとパレードの列に戻っていく。
俺には蛮族との和睦も、家族のことも小さいことに思えた。
と、ナナがなにを思ったのかクルリと振り返り、また近寄ってきた。
「将軍! 私、これを機に元の名前に戻すつもりでした。でも将軍にいただいた名前をそのまま名乗り続けることにしました。亡くなったお嬢様の分も懸命に生きます。」
それだけ言うと、ナナは再びパレードの列に戻っていった。
俺は返す言葉を失った。
小さくなっていく背中を見つめることしかできなかった。
番外編は、本編とは別に二つのIFを掌編として綴りました。
一つは原作が始まる前、もし主人公の玲奈が異世界に行かなかったらどうなったか空想しました。
玲奈が送ったかもしれない大学生活を、小学校からの友達目線で描いてみました。
もう一つは原作の中断後、グレイナーに引っ越すにあたり、どの家に住むかによって変化する未来を空想してみました。
本編で私はグレイナーの城外で大きな家に住んだ玲奈を描きました。
これに対して番外編では城内で小さな家に住んだらどうなるか考えています。
まずアメディアを迎え入れることがありません。
さらに第二章で出会う人と出会わず、行動範囲も狭まり、世界情勢への対処法も違ってきます。
運命の荒波に翻弄されつつも、玲奈はどのように生き抜いていくのでしょつか。