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迷宮世界に生きる  作者: panda
第一章 新生活の始まり
10/22

1-5.古代王国の残照

アメディアは早起きを苦にしないので、ストレッチ開始より少し早く起きてもらって玲奈がオリエンテーションする。

平面図を見せながら使っている部屋の説明とアメディアが掃除を受け持つ区画の指示をした。


「共用区画については以上のとおりよ。私室に関しては各人にまかせているんだけど、」


「私室がどうしたのでしょう?」


「うんん、実はね、男の奴隷の私室には入ったことがないの。それでアメディアには週に一度くらいでいいのでのぞいて見てくれないかな。」


「お嬢様のご指示のとおりにいたします。のぞいて見るだけでよろしいので?」


「うん、見たままを私には報告してね。改善が必要なら私から本人に伝えるから。」


「わかりました。」


アメディアは玲奈の一歩斜め後ろについて廊下を歩いている。

玲奈とアメディアは背丈がそれほど違わないが、幅がかなり違う。

二人は食堂を見た後、厨房に入り玲奈がコンロや冷蔵庫などの魔導調理器具を説明した。


「すごいですね。私は貴族家で働いてましたのでお屋敷に驚きはないんですが、魔導具初めて見るものばかりです。」


「これでも私は一応魔法使いだからね。といっても魔導具は詳しくないけど。」


自分で言っておいて玲奈は失笑する。


「アメディアに魔法教えよっか?」


「いえいえ私はとてもとても。」


「それはともかく、これからお庭で体を動かすからアメディアも来て!」


庭ではフルーたちが三々五々集まってきていた。

玲奈はアメディアにやり方を説明する。

最後にあくびをしながらギリムが庭に出てきたところでストレッチを始める。

アメディアは初めてでうまく動けないので、玲奈がついて手取り足取り教える。

その分全体に目が配れず、掛け声を発したり手拍子を打ったりしているが、スドンやダダクラの動きがバラバラになる。

玲奈はタイミングを合わせるために聴覚を活用できればと思い、太鼓や鈴を手に入れたいと願った。


ストレッチが終わったとき、色づくリンゴの実が玲奈の目にとまった。

アップルパイを作ったことを思い出していたが、リンゴで次は何を作ろうかと考えて立ち止まっていた。

アメディアがたたずむ玲奈がリンゴを見つめていることに気がつき近寄ってきた。


「お嬢様、リンゴですか?」


「あっ、アメディア! 一回アップルパイを作ってみたんだけど、今度は別のものを作ろうと思って、さて何を作ろうかと考えていたんだよ。」


「そうなんですね。それでしたらビネガーを作ってみてはいかがでしょう?」


「ビネガー?」


「はい、以前作ったことがありますので。」


「それはありがたい! じゃあビネガー作りはアメディアにまかせるね。必要なものがあったら言ってね。」


「ではリストにしておきます。」


「そのリスト見て、そうね、お昼前に城内で買い物しましょ。アメディアも付き合ってね。」


「はい、もちろんです。」


「朝食後にリンゴの収穫をしましょ。その後はお出かけまで掃除と片付けをお願いするわね。まずは朝食五分前に執務室に集まってね。」


アメディアは屋敷に入り、玲奈は庭で投げナイフの練習をした。

ビネガーの話をしていて時間を食われたので玲奈はナイフを数回投げただけで打ち切り、あとは打ち合わせの時間まで魔法の練習をした。

魔法は土魔法をできるだけ素早く細かく正確に制御することを意識した。

次に右足の靴を脱ぎ、足で土魔法を使用できるか試した。

当然短い時間ですぐにはできるようにはならわけではなかったが、立ったまま足で土魔法が制御できるようになれば可能性が広がるので、今後も練習を続けることにした。


朝食前の打ち合わせで玲奈はみんなにアメディアを紹介した。

掃除をはじめ家事を担当するとあって、負担の軽減につながるダダクラは嬉しそうだ。


「ダダクラは掃除で減った分、木工と革細工に取り組んで欲しいんだ。しっかり生産活動やったら残りの時間でデザインや裁縫やってもかまわないからね。」


「そういうことでしたらがんばります。」


「もし木工や革細工で売れるものができたら、その売り上げを裁縫の材料や道具を回すことも考えてるよ。」


「張り切っていきますよ。」


「アメディアは掃除と洗濯が区切りついたら一緒にグレイナーの城内に出かけよう。食べ物とビネガー作るのに必要なもの買うから。」


「はい、お嬢様とご一緒いたします。」


「ギリムも手が空くなら一緒に来てくれない?」


「俺はかまいません。」




朝食後、玲奈はアメディアと庭に出てリンゴの収穫をした。

納屋から出してきたハシゴをリンゴの幹にかけ、赤く色づいた果実を選んで取った。

途中、手がすべってリンゴをつかみそこない、地面に一個落としてしまった。

下が柔らかい地面だったので特に傷んではおらずそのままカゴに入れたが、リンゴが落ちるのを見て玲奈はニュートンの万有引力の法則を思い出した。

大気があり、昼と夜があり、季節があることに意識を向けると、この世界でも物理法則が適用させるものがありそうだ。

色づいたリンゴの収穫を終えて、カゴを食糧倉庫に運び入れ、あとはアメディアにまかせた。


玲奈は執務室に入るとノートを取り出して、『ニュートンの万有引力の法則』と書いた。

ノートをしまうと、学園の図書室で借りた教皇庁の読み物を開いた。

まだ序盤で第三代教皇の項目を読んでいるが、第二代教皇の記事を読み返したとき、初代と二代目の記事を編集した人物と三代目が同じ『パルピニオス』という名であることに気がついた。

パルピニオスの名は、二代目が特別に目をかけた弟子として何度か出てきている。

皇都の都市名『パルピナ』もパルピニオスに関係がありそうである。

皇都という呼び名も三代目の終盤から出てきて、それまでは単に『泉の街』と呼ばれていた。

思い出してみれば皇都からパルマに行く途中の街で見かけた石像は第三代教皇パルピニオスのものであった。

そこには街道整備して巡礼の便宜を図ったことが功績として記されており、巡礼を呼び込み街を大きく発展させたことがうかがわれる。

その姿は宗教指導者というよりは為政者もしくは世俗領主のように見える。

図書館から借りた本にも初代や二代目は神殿にこもり長い時間お祈りしたとか、弟子たちに教義や戒律を説いたという記述が散見されるが、三代目にはそれが見当たらない。

さらにいえば二代目が教義を説いた弟子の中にパルピニオスの名はなく、役割の違いなのかもしれないが、特別に目をかけられた弟子なのか疑問が残る。

ひょっとすると他にも有力な弟子がいたり、後継者争いがあったのかもしれない。

玲奈はこの宗教組織の生臭い匂いをかいだ気になり、警戒心が募った。

忘れないうちに三代目までの概略と気になる点をノートに書き残した。

玲奈は一息入れようと立ち上がって伸びをし、庭でも歩こうかと廊下に出た。

ちょうどアメディアが二階から降りてくるところで、そろそろ掃除が終わるとのこと。


玲奈は庭ではなく鍛冶場に顔を出した。

鍛冶場は廊下や執務室より熱がこもっていた。

スドンがナイフに槌を振るい、ギリムは小さな金属片に何か文字とも模様ともつかないものを掘っていた。


「ギリム、そろそろ城内まで買い物に行くよ。切りがいいところで支度してね。あれ、ダダクラは?」


「ダダクラのおっさんなら納屋で木材切ってんじゃねえのか。」


「ああ、そうなんだ。ありがと。」


玲奈はスドンに歩み寄ると、彼がかなり汗をかいているのに気がついた。


「スドン、ちょっと待ってて!」


玲奈は厨房まで小走りに駆けていき、コップに水を入れて戻ってきた。


「汗をかいたら水分を補給するようにね!」


「うん、わかった!」


玲奈は風魔法を使って、額に汗を浮かべたスドンの顔にしばし風を当ててあげる。


「ギリム、ちょっとダダクラの様子を見てくるから、アメディアが来たら待っててもらって。」


「へいへい!」


玲奈は鍛冶場から庭に出て納屋に向かった。

納屋ではダダクラがノコギリを引いて、入り会い地から切り出してきた木から板を切っている。


「やあ、ダダクラ! 少しは慣れた?」


「いや、バクロリーさんのところでもノコギリ使ってるんですが、まだまだです。」


「ゆっくりでいいので丁寧にやってみて! ちょっと出かけてくるけど、帰ったらお昼にするから。午後は一仕事したら夕食まで自由に使っていいよ。」


「ありがとうございます。お嬢様の言われたとおりにやってみます。」


ダダクラの玲奈に対する呼び方は、アメディアの影響を受けて『お嬢様』になったようである。


玲奈が鍛冶場に戻ると、アメディアもギリムも出かける用意ができていた。


「お待たせ! ビネガー作るのに必要なものを道具屋と食料品店で買うけど、ほかにギリムが装飾細工で必要な道具があるなら買うよ! タガネとかあった方がいいんじゃない?」


「あるとありがてえです。」


「うん、いいよ。私も欲しいものあるから。それよりギリム、近くに魔物が寄ってきてないか見ててよ。」


「ああ、いいですよ。寒くなると山の上にいたヤツらが麓まで降りて来やがるからな。」


そう言ってギリム場あたりを見回す。


「アメディアは貴族家で料理はやってなかったんだっけ?」


「はい、ご主人様の一族やお客様の口に入るものは作ってません。忙しいときに下洗い、皿洗いをやったくらいです。」


「そうなんだ。」


「はい、あとは自分で食べるときや仲間内では料理したことありますよ。」


「私は学園の食堂でアルバイトしてたから、アメディアとレシピの交換するといいかもね。」


「私よりお嬢様の方が料理がお上手だと思います。一つでもレシピを教えていただければありがたいです。」


「じゃあ一つずつレシピ教えていくから、一緒に厨房入りましょ。」


話しているうち城門にたどり着く。

今日も元気に門衛の騎士にあいさつして城内に入る。


「ギリム、城内に入れば探知はもういいからね。代わりに暗算ね。」


「えっ!」


「最近サボってたね。計算が合ってるかどうかを求めてるじゃないんだよ。体を動かしながら、頭を動かすと効果的なんだって。」


「ハイハイ、今からやりますよ。」


「お嬢様、簡単な計算でしたら私もできますよ。」


「あら、アメディアすごいね!」


「貴族家に勤める前は商家にいて、旦那様に習って多少なら帳簿つけたりできますよ。」


「それは心強いね。でもアメディアばかりに負担をかけるのもなんだなあ。」


道具屋に着いたのでアメディアが作ったリストに従って道具を買い揃えていく。

タルや素焼きの壺はギリムが店外に一旦持ち出してそこで待機する。

ビネガー関係をすべて買うと選手交代でアメディアが店外で待機して、ギリムがタガネを何本か見つくろって買う。

最後に玲奈がヘビの小骨を抜くためのピンセットを求めたが、ペンチみたいなものばかりで小骨をそっとつまんで抜けるような仕様のものはなかった。

道具屋の店主が言うには、玲奈が示すような形状の道具は見たことがなく、それでも作りたいなら鍛冶屋にでも行って頼むしかないとのこと。

店主には鍛冶屋が多く加盟しているという職工組合の場所を教えてもらった。

玲奈は買い物を終えてギリムと店外に出ると、そっとタルと壺をアイテムボックスに収納した。

アメディアか驚き目をみはる。

玲奈はくちびるに人差し指を当て片目を閉じた。


「これがワープに次ぐ私の秘技、アイテムボックスよ。」


アメディアはまだ固まっているが、ギリムは苦笑いしている。


「いいから職工組合に行くわよ。」


北西の街区にある職工組合は残念ながら閉まっていた。

玲奈たちはまだ今度来ることにした。


あとは食料品店に行った。

いつもどおりの食料を買ったが、アメディアはそれに加えて紙包みに入った酵母を買った。


帰宅して昼食をとった後、フルー、スドン、ギリムと迷宮に出かけた。

出かける前には例によってストレッチで体をほぐす。

フルーは木の球を使ってバランス練習を始めた。

球に乗って剣を振るのは困難で、短時間立ったままバランスを取るのが精一杯だ。

ただし動的ストレッチで片足を上げでグルグル回す動きをやっていたのが効いたのか、球の上に踏み止まっている。


玲奈は右足の靴もソックスも脱いで土の上で素足になり、足で土魔法を使うべく練習をした。

魔力をよく練って右足のつま先に集めるよう意識を集中させる。

特に地面にも玲奈のつま先にも変化は起きない。

集中を保ったまま少しの間続けると、つま先にもかすかな感触の変化があった。

しかしそれ以上続けても何も起こらなかったため、早々に切り上げた。

玲奈は右足の土を落とし、魔法で水を出して入念に流し、布で水気を取ってソックスを履き直し、ブーツに履き替えて玄関を出た。

三人とも既に準備を整えて玄関先で玲奈を待っていた。


「みんな、ごめん。待たせちゃったかな。」


「いいや、大して待ってはいない。大丈夫だ。」


「じゃあ、出発しようか。」


四人は歩き出す。


「ねえギリム、このあたりまで魔物がおりてきているかわかる?」


ギリムはぐるりと周囲を見渡す。


「いいや、ここらにゃいねえみてえです。迷宮に近づくといるかもしれねえです。」


一行はグレイナーと迷宮を結ぶ街道に出てしばらく進む。


ふとギリムが立ち止まり、林の中をあちこち指差す。


「あそこにウサギがいやがる。あっちの木の上にはヤマドリ、向こうの木にはリスだかモモンガだかがいます。」


「ありがとう。私の目にはヤマドリしかわからないけど、そこそこいるのね。」


そう言うと玲奈は小走りに先を歩くフルーとスドンのところへ行き声をかけた。


「ねえフルー、スドン! このあたりには野生動物がいるみたいよ。迷宮は早めに切り上げて山で狩りをしてみない?」


フルーはやや不満のある顔色を表す。


「獲物は小動物がほとんどなのではないか? そうなるとギリムやマスターの投げナイフかマスターの魔法を使うしかないだろう。私の出番は限られるわけだ。」


「そっか、たしかにリスやヤマドリ相手にフルーが大剣振り回すのはむずかしいね。」


そう言って玲奈は首をひねる。


「じゃあ、イノシシやオオカミが現れたらフルーにお願いするよ。群れで現れたら逃げるけどね。」


「そういうことであれば、私に異存はない。」


フルーの機嫌が直ったようなので、迷宮では石ゴーレム四体、銅ゴーレム二体と普段の半分の成果で切り上げた。

迷宮の外に出たが、ギリムに探知してもらっても小動物は遠くに行ったとのこと。

直前に騎士団の馬車が通ったので警戒したのかもしれない。


「このあたりに獲物はいないようだから、家の前をとおって奥に行ってみよう!」


玲奈が言うと、入り会い地に行った折、バテたギリムはわずかに渋い表情になる。

自宅から二十分も歩くと、小動物の影が濃くなったとギリムが告げる。


「そろそろいけるんじゃねえか?」


「まずはギリムが挑戦してみて。 小さくても近くにいるのからでいいよ。」


「道の脇の藪にキジがいやがるので、そいつからいきます。」


ギラムは身をかがめて、そろそろと近づく。

しかし途中でキジに気がつかれて逃げられてしまった。


「チクショウめ!」


「ギリム、次いこう次!」


今度は木の枝でドングリをかじっているリスを狙った。

ギリムはリスに逃げられないように、やや遠めの距離からナイフを投げた。

しかしナイフは外れて枝にも当たらなかった。


「ダメだ、うまくいかねえ。」


「今度は私がやってみるよ。」


玲奈がヤマドリに向かって遠めからナイフを投げる。

ギリムより狙いは正確だがスピードが遅く、警戒心が強く素早いヤマドリは、ナイフが届く前に飛び立って逃げてしまった。

さらに野ネズミを狙うも、近づく前に逃げられてしまった。

フルーも一度ウサギを狙ったが、大柄なフルーが大剣を携えて近づくと、当然ながら間合いに入る前に気がつかれて逃げられてしまった。

三十分あまり小動物を追いかけたが、結局成果ゼロの丸坊主で帰ることになった。

あらかた葉を落とした木々を渡る晩秋の風はひときわ寒く感じた。


帰宅した四人はいつもより入念にクールダウンした。


「チクショウ、一匹も取れねえだなんて!」


「お互いナイフは要練習だね。私は弓と魔法も練習しなくっちゃ!」


「レイナさんはずいぶんと望みがでけえじゃねえか?」


「そうだよ、やることも考えることもたくさんだよ。明日は出かけずに自己鍛錬の日にするかな。フルーもスドンもそれでいい?」


「ああ、それでかまわない。」


「うん、僕も!」


夕食の支度には間があったので、玲奈はアメディアとビネガーの仕込みをした。





翌日玲奈は教皇庁関連の本を読んだほか、庭に出て魔法と弓、投げナイフの練習に時間をかけた。

フルー、スドン、ギリムも室内から出たり入ったりして、それぞれ思うように鍛錬している。

玲奈はアメディアの手が空く時分を見計らって魔法を教えた。

アメディアは自分が魔法を使えるようになることには半信半疑であったが、教える側からみると熱心な生徒だった。

一時間にわたって手取り足取り玲奈は指導したものの、この日アメディアは魔法を使えるようにならなかった。

アメディアは魔法を習うのが初めてだったし、玲奈も本格的に人を教えるのが初めてだけに初日進展はなかったが、これから毎日少しずつ練習を積み重ねていくことにした。

アメディアはこの歳になって新しいことを覚えるのにワクワクしていたし、実用的にも、まほうでどこでも水を出せれば掃除、洗濯、庭木の水やりに便利だからである。


玲奈はアメディアへの指導とは別に自分自身の鍛錬も行った。

この日は右足だけでなく左足も素足になって土魔法の練習に励んだ。

前日に気のせいかとも思うほどかすかな右足の感触の違いは、左足と比べると足の指の腹が土をつかむ感覚をはっきり認識できるものであり、半歩であっても進んだと思えた。

またアメディアに水やりの話をしたときに思いついたことがあった。

今までは水を細く絞り勢いよく射出することで遠くまで届かせることに注力していたが、水やりに使うなら勢いは弱め、広い範囲にやさしく散水する必要があると気がついた。

幸い玲奈は光魔法の訓練で手のひらだけでなく五本の指いずれもを光らせることができるようになっていた。

手のひらと五本の指の六カ所から光の代わりに水を出して円を描くように柔らかく滴り出るように制御してみると、思い描いた姿である『じょうろ』に近いものができた。





翌日玲奈はダダクラを連れて学園に行き、そのあと図書館に行った。


「クローカさん、おはようごさいます!」


「おはよう、レイナさん。スプリーン教授はもうすぐ来ると思うから待っててね。」


「はい! そういえばお借りした教皇庁関連の本、面白かったですよ。」


「それはよかったわ! けっこう説教臭い本なのにねえ。」


「いや、楽しいって意味ではないです。皇都周辺の史跡なんかを見て、あわせて読むと裏の意味が浮かび上がってくると気がするんです。」


「へえ、レイナさんは読書家なのね。」


「そんなことないですよ。学園に入るまでは男の子たちに混じって外を駆け回っているばかりで、ろくに本を読まなかったですから。」


「あら、健康的なのね。私は小さい頃、病弱だったから家にこもつてばかりで本が友達だったの。まあ、今は健康体になったし娘も元気に育ってるけどね。なんて話をしているうちに教授がお見えよ。」


黒いローブをまとった初老の男がカウンターに近づいてきた。

細身の長身に白いあごひげを生やし柔和な表情で、どこか仙人のような雰囲気がある。


クローカが立ち上がったので、玲奈も立ち上がってあいさつをする。


「はじめてお目にかかります。当学園学生のレイナと申します。本日はお時間いただき、ありがとうございます。」


「はじめまして! 古文書や史学を研究しているスプリーンです。君のことはクローカさんから聞いてるよ。」


「じゃあ教授、レイナさん、さっそく見てみましょうか。」


クローカがカウンターの奥にあるドアの鍵を開け、魔道具の明かりをつけ、中の部屋に招く。

玲奈がスプリーン教授に続いて中に入ると、そこは玲奈の家の鍛冶場ほどの大きさの部屋で、壁際や中央にある棚には古い書物や紙の束、木版のほか、石ころや金属片に見えるものも置かれている。

玲奈が棚の所蔵品に目を止めたのに気がついたスプリーン教授が石ころの一つを取って見せてくれる。

教授の拳ほどの石は、一面が平らにならされていて何か模様のようなものが刻まれていた。


「これはクライドという街の郊外で出土したもので、古代王国時代の遺物と思われるんだ。」


「でもスプリーン教授、私の目には文字ではなく模様のように見えます。」


「そうかもしれない。単なる装飾なのか、魔法的意図があるのかもわからない。誰かがいつの日か謎を解明してくれるのを期待してここに収蔵しているんだ。それは君かもしれないぞ。」


スプリーン教授は石を棚に戻すと部屋の奥に行き、鍵を開けると中に入っていった。

クローカと玲奈はとびらのところで中をのぞき込む。

その小部屋には大きな平たい引き出しが何段もついていた。

スプリーン教授は引き出しを開けて、中から新聞紙大の紙を二枚取り出し、部屋の外に出た。

壁際にある小机に紙を広げると三人で寄り集まり紙面に目を落とした。

紙はかなり古いと見え、かなり黄ばんでおり、端が一部破れかけている。

魔道具の照明が薄暗くて紙面が見えにくい。


「少し明るくしてもよろしいでしょうか?」


玲奈は断ると、強い光で資料を傷める恐れがないように、ほんのりと左の手のひらを光らせた。


「君は左利きなのかね?」


「いえ、右利きですが左手で魔法を使えば、右手が空いて筆記などに使えますから。」


スプリーン教授とクローカは、ほうっと感嘆の声を漏らす。

玲奈の言葉に思い当たったクローカがカウンターに戻り、紙とペンを持って戻ってくる。


改めて紙面を見たが、紙が古いうえに元の碑文の状態がよくなかったのか、ところどころつぶれたり欠損したり磨耗して見づらくなっている。

文自体は八文字ずつ四行と思われる。

この世界では古代文字と呼ばれている漢字は旧字体で表記され、状態が悪い文字をさらに判読しがたくしている。


「これはパルマにある花の迷宮で入り口付近にあった石碑の拓本なんだ。」


「先日パルマに行きましたが、そんな由緒ある街だとは気がつきませんでした。」


「まだ確定ではないが、パルマのある丘は古代王国の王都に比定されているよ。」


「そうなんですね! となると、花の迷宮は?」


「うん、旧王都の地下水路か地下牢の跡と言われている。そうなると石碑の文言もどうなるかねえ。」


小一時間かけて読み解いたが、結局玲奈が確実に判読できたのは『了』、『年」、「爾」の三文字だけだった。

他は『己』か『已」か『巳』か判別できず、これらのいずれかと理解できる文字はまだましで、大半はつぶれるなどして文字の形状すら把握できなかった。

当然この碑文の意味は妄想に近い憶測ならともかく推測もつかず、玲奈としては十分な成果が出せたとは評価できなかった。


それでもスプリーン教授はそれなりに満足そうだった。


「ははは、古代文字に取り組む学生がいるとは心強いことだ。」


「ほかには古代文字を読もうとする学生がいないんですか?」


「ああ、そうなんだ。せっかく資料を収集しているのにな。古代文字を読み解ければ古代魔法を復元できる可能性だってあるにもかかわらずだ」


「古代、魔法、ですか?」


「そのとおり! 一部では精霊魔法とも呼ばれているよ。」


玲奈は精霊魔法という言葉を心に刻み、近いうちに別の資料でまたやろうと話して図書館を辞した。


玲奈は外に出ると薬草園に行き、エリーズを探した。

屋外にはいなかったが、小屋をのぞくと薬の調合を行なっていた。


「エリーズさん、作業中すいません。ちょっとお話を聞いてもらえますか?」


「あっ、レイナちゃん! 調合しながらでいいなら聞くわよ。なにかしら?」


「実は先日パルマに行ってきたんです。そこにある迷宮は毒を持った虫が多くいるらしくて、薬屋さんから解毒薬を売って欲しいと頼まれました。そこでエリーズさんに解毒薬の調合法を教えてもらえれば思って。」


エリーズは乳鉢で植物の根をすりつぶしながら答える。


「そうなんだ! 実はね、初級の解毒薬は大きく分けて二種類あるのよ。」


「それは知りませんでした。」


「毒の種類によって対応する薬も違うのよ。主にね、重くなると四肢にしびれが出る系統と、めまいや吐き気、息苦しさが出る系統があるの。どちらも何種類かの素材を使うけど、ここの薬草園にはない植物もあるわ。」


「となると採取に出かけないといけませんね。」


「レイナちゃんは生息地がわかった方がいいのね。」


「はい、できたら。」


「私はそっち方面詳しくないから教授に聞きましょ。すぐ片付けるからもうちょっと待ってね。」


エリーズは乳鉢からビーカーに移し替え、ほかの器具を寄せたり棚にしまったりし始める。


「パルマにはやっぱり化粧品?」


「といいたいところですが、香草やハーブティ目当てです。」


「らしいわね。」


「色気より食い気、ですか?」


「健康的ってことよ。さあ、一区切りついたから教授のところに行きましょ!」


玲奈とエリーズは四階まで上り、ジュビリー教授の研究室に入った。


「教授、お邪魔します。よろしければ解毒薬について教えていただけませんか?」


「ああ、かまわないよ。」


玲奈はジュビリー今日から

二系統の初級解毒薬に関して、材料とその生息地を教えてもらった。

教授からは見本があるものはそれも見せてもらい、ノートに模写してページが進んだ。


「今日はありがとうございました。」


ジュビリー教授の研究室を出た玲奈は、同じ階にあるスタローム参謀の部屋を訪ねたが、あいにく今日も不在だった。


お昼どきになったので玲奈は王都のどこかで食事しよつと思ったが、その前に学園の食堂でダダクラの働き具合を見ようと食堂に立ち寄った。


カウンターの脇に立って厨房の中をのぞき込むと、たまたま出てきた料理長と目が合った。

一瞬料理長は驚きの表情をら浮かべたが、すぐに満面の笑みになり玲奈を手招きする。


「お久しぶりです。お忙しいんじゃないですか?」


「平気平気! それよりレイナちゃんどうしたの?」


「学園に来たので王都で昼食にする前にダダクラの仕事っぷりを見ようと思ったんです。」


「あら、食事まだなのね。だったらまかない飯だけど食べていかない?」


「えっ、いいんですか?」


「悪いんで食べ終わったらお手伝いしますよ。」


「こっちこそ悪いわね。それなら予備の割烹着使ってね。」


控室には料理長みずからまかない飯を運んでくれた。

玲奈はありがたく、手早くいただくと割烹着を着て厨房に戻る。


「これから働かしていただきます。」


玲奈がしおらしく頭を下げてあいさつすると、料理長や古株のスタッフが思わず吹き出す。

皿を洗っていたダダクラは興味なさげに顔を向けたが、あいさつしたのが玲奈と気がつき硬直しかける。


「ほら、ダダクラ、お皿落とさないでよ!」


「お嬢様、一体どうしたんです?」


「少し早く着いたので、ついでにお手伝いよ。」


勝手知ったる厨房で、盛り付けに、皿洗いに、片付けに玲奈はテキパキと働き、終了予定の十分前に引き上げた。

玲奈はダダクラを連れてグレイナーに飛んだ。


「これから買い物していくけど、ダダクラはお店の場所おぼえた?」


「はい、なんとか。」


「そのあと一箇所寄るとこあるんだけど、ダダクラは先に帰る?」


「いえ、お嬢様にお伴しますよ。」


手早く食料品を買った玲奈たちは、先日閉まっていた職工組合の事務所に寄った。

ドアが開いていたので中に入ると、ごま塩のいがぐり頭の筋肉ダルマがいた。

顔がシワだらけで年を取っているように見えるが、眼光は鋭い。


「あの、すいません!」


「ん、なんだ?」


「作ってもらいたいものがあって、鍛冶屋さんを紹介していただきたいのです。」


「おお、ちょっと待ってな。」


男は机の引き出しから書類綴じを取り出してパラパラめくり、一枚の簡略化した地図を玲奈に見せた。


「この丸が組合に入ってる鍛冶屋だ。」


そう言って男は節くれ立った指で三ヶ所の丸を示す。


「こいつらは腕が立つんで領主様や騎士様がごひいきにしている。フリでいっても引き受けてもらえんだろ。」


「それほど難しいものではないので若手でもかまわないんです。」


「そうか。若手というわけではないが、ここらはどうだ?」


そう言って男が指差したうちの一つ、組合から比較的近いダイアン工房に玲奈は行くことにした。


工房の中に入ると誰もおらず、奥から槌音が聞こえる。


「ごめんください!」


大きな声で呼びかけるが、槌音は止まらず人が出てくる気配はない。

やむをえず、玲奈は奥に進み鍛冶場に顔を出す。


「お邪魔します。ダイアンさんですか?」


槌を振っていたおとこがようやく気づいて手を止める。


「おっ、悪いな。俺がダイアンだ。」


大きな体に、先ほどの組合にいた男のようにいがぐり頭だか下がり眉にクリクリの目をした、どこか憎めない男が顔を上げる。


「実は作ってもらいたいものがあるんですが、お話聞いてもらえますか?」


「おお、いいぜ。話してみな!」


玲奈はポーチから折りたたんだメモ書きを取り出して広げてダイアンに見せる。


「こういった形のとげぬきで、狩った獲物をバラすとき小骨やトゲを抜くのに使います。粘りのある素材で作ってもらって、ここを軽くつまむと先が閉じ、力を抜くと開くようにしてください。」


ダイアンは腕を組んでメモ書きを見つめる。


「ふむ、素材はまかせてくれるか?」


「かまいません。それと先がピタッと閉じるようにしてください。」


「おう、お望みどおり作ってやらあ! 二日後ていいか?」


「はい、二日後取りに来ますね。」


玲奈はダイアンと価格交渉をして前払いで代金を支払い、工房の前で待つダダクラを拾って帰宅した。



玲奈は朝から動いて少々疲れを感じたが、二日間家に閉じこもっているフルーたちが若干鬱屈していると感じた。


調合部屋でフルーに話しかける。


「ねえフルー、昨日今日とずっと家にいるから迷宮に出かけてみない?」


「マスターが行くならなら私も行くぞ。」


「じゃあスドンにも声かけてみるね。」


玲奈は鍛冶場に行き、黙々と槌を振るスドンに声をかける。


「ねえスドン、もう少ししたら迷宮に行くけど、スドンも行く?」


「うん、僕も行く!」


顔を上げることなく、スドンは槌を振り続ける。


「一区切りついたら切り上げて準備してね。」


「うん、わかった。」


黙々と槌を振るスドンの姿をみて、玲奈はさっき会ったダイアンを思い出した。


「そういえはスドン、あさってグレイナーの城内にある鍛冶屋の工房に行くけど、スドンも見に行ってみない? 」


「うん、見に行く!」


鍛冶場の隅でタガネで金属板に何か掘っていたギリムか、玲奈とスドンの会話を聞きつけてギリムが寄ってきた。


「レイナさん、俺も迷宮に行くぜ!」


「うん、おいで! ねえギリム、今日学園の図書館で古代王国の碑文を見てきたわよ。よくギリムが下書きで使ってる波型模様と似てたんだけど、なにか関係あるの?」


「俺もしらねえですよ。学園の工房で職人から図版もらっただけですから。」


「うんん、でも古文書の教授が言うには、ひょっとすると魔術的効果があるかもしれないそうよ。ギリムは何もきいていない?」


「俺は特に聞いてねえです。」


「そっか、私の方で調べてみるよ。」


まもなくスドンが作業を切り上げ、フルーも区切りがついたようなので、四人でめいきゆに出かけた。


石ゴーレムをスドンが攻撃しているときは

普段どおりだった。

しかし銅ゴーレムを攻撃したフルーはテンションが上がったのか、立て続けに四体倒した。


「フルー、お疲れ! 今日はこれくらいにしておこう。明日は馬車でクライドって街に行くからね。」


「ああ、それでいいぞ。」


「スドンはお留守番よろしくね。」


「うん、わかった。」


玲奈は銅ゴーレムを四体アイテムボックスに収納して持って帰った。

銅が貯まってきたので、玲奈は使い道をどうしようか頭を悩ませた。


ナイフか


じょうろか


バケツか


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