第五十二話 揺れる心
エドワード様達が出掛けてしまわれて、私と彼の弟君だというアーサー様と二人きりになってしまった。
私は、記憶をなくしているので、もちろん彼のことも覚えていない。
アーサー様は、そんなことあんまり気にしてないようで、
「そういえば、結婚式のやり直しいつにするんだ?」
「へ?」
こんなやり取りだったりする。
とても楽観的な人なんだな、という印象。
そのうち、アーサー様の従兄弟だというヴィクター王子も戻って来て、三人での会話になった。
「姫ちゃん、本当に全部忘れちゃったの?」
私は頷いた。
彼とは、学校の寮でしばらく一緒に生活していたとか。
もちろん、何も思い出せなかった。
「レスター兄上も酷いことするよね」
レスターの弟だと言う彼。あんまり似ていないな。
「そもそも姫ちゃん、兄上とどこで知り合ったの? 兄上が好きだなんて嘘でしょ?」
「そう言われると……」
頭の中に靄がかかっているようで、どうも思い出せない。
けれど、彼のことはよく知っている。
「一種の洗脳なんだろうよ。大方、エドワードに対する気持ちを、自分に向かせてるんじゃないか?」
そうなの?
レスターは私にはとても優しいのに。
彼のどこが好きかと言われると、悩んでしまうけど。
「エドワードのことはどうなんだ?」
私は困惑する。彼のこと、どうなのって。
「嫌いではないです。好きかと言われると」
彼とキスしたことを思い出して、赤面してしまう。
何かが思い出せそうで、つい夢中になってしまったけど。
「お、いい反応、まんざらでもないのか」
「お腹の赤ちゃんのパパだからね。嫌いになる訳ないよ」
この言葉にアーサー様が仰天した。
「はあ、パパ!? なんだお前、妊娠してんのか?」
アーサー様はどうやら知らなかったようだ。
「エドワードの野郎、手ぇ出したんだ」
「好き合ってるなら、当然でしょ? 結婚だって決まってたんだし、別に普通だよ」
そうなのかな?
「だったら、なおさらこんな所にいるべきじゃねーよ。レスターは何やってんだ? 完全に嫌がらせだ。はた迷惑な横恋慕だろ?」
「そんな言い方って!!」
アーサー様はすごい剣幕だ。
「お前は馬鹿か? 洗脳されて頭おかしくなってないか? いいか、お前の相手はエドワードだ。間違えるな」
「あの自分勝手でわがままでいつもやりたい放題のクソ兄貴が、やりたくもない王太子をお前の為に引き受けたんだ。俺には願ったり叶ったりだが、とにかく」
彼は私をキッと睨みつけながら、
「お前はあの馬鹿兄貴を愛してた。それだけは間違いない」
彼を愛してたのは間違いない。断言されて、私は胸が熱くなる。
「姫ちゃん、エドワード様はすごい人だよ」
ヴィクター君が私に優しく話しかける。
「姫ちゃんが攫われたと聞いて、すぐ助けに行ったんだよ。あの髪だって、姫ちゃんの解毒薬の材料をを手に入れる為に切ったんだって。ずっと伸ばしてたのに」
確かに彼の髪はとても綺麗だった。それをバッサリ切ったのだ、私の為に。
「レスター兄上は確かに僕の兄さんだけど、エドワード様に比べたら最低のクソ野郎だよ。あ、キース兄上は最高の兄さんだけとね」
「随分、好き勝手言ってくれてるじゃないか?」
私達は突然降って湧いた第三者の声に、皆注目した。
「レスター!? お前勝手に入って来るなよ」
「久しぶり、アーサー、そして末の弟よ。お前達は随分と人にに絆されてしまったみたいだ」
レスターはこちらに近付いてきて、私の顔を覗き込んだ。
「少し顔色が良くなった。何か食べれた?」
私の頬に触れようとしたその手を、アーサー様が払った。
「キアラに触るんじゃねえ」
「お前にそんなことを言われる筋合いはないね」
レスターはアーサー様を無視して、私に話しかける。
「気分が良いなら、庭を散策でもしないか? 良い気分転換になるよ」
ヴィクター君が私を庇うように立って、レスターを睨みつけた。
「兄上、エドワード様に姫ちゃんに兄上を近寄らせるなって言われてるんだ。悪いけど、帰ってくれないかな?」
そんなヴィクター君に、レスターはめげずに、
「ヴィクター、私は姫に無体なことなどしないよ? 大事な人だからね」
「いけしゃあしゃあと、どの口がそれを言う?」
アーサー様は喧嘩腰だ。
「おお、怖い怖い。エドワード王子は、しっかり姫を守る騎士を置いていったという訳か。今頃、必死で解毒薬でも作ってる頃かな?」
「お前、何でそれを?」
レスターは得意げに、なおも続ける。
「でも一つだけ、まだ足りない素材がある筈なんだけど、それはどうするのかなぁ? ま、失敗したら、姫はずっとこのままだし、私としては都合が良いんだけど」
「足りない素材?」
怪訝そうに、アーサー様が聞き返す。
ヴィクター君が私の目を見て、優しく言った。
「大丈夫だよ。エドワード様はちゃんと把握してた。きっと揃えて解毒薬を完成させるよ」
解毒薬が完成すれば、ここを出て、国に帰る? 彼を置いて?
私はレスターを見つめた。彼は私を真っ青な目で見つめ返した。
なんだか頭の中がぐるぐるした。
「外に出たい。外の空気を吸いたいの」
「それじゃあ、私が付き合おう」
レスターが手を差し伸べてきた。
それをヴィクター君が遮って、レスターに怒鳴った。
「兄上は下がっててよ!」
「いいの、ヴィクター君。彼と話がしたいから」
「俺達も付いてくぞ。変な真似したら、許さないからな」
部屋を出て庭園に出ると、さすがに寒かった。
でも、空気が冷たくて心地良い。
庭園には、大きな池がありその池にアーチ状の橋が架けられていた。その橋を渡ると、小さな東屋がある。
東屋まで歩き、そこで休息をとることにした。
少し距離を置きながらも、アーサー様とヴィクター君が後を付いてきていた。
「邪魔だなぁ」
レスターがボソッと呟いて、私に耳打ちした。
「アイツら巻いてしまおうか?」
「どうやって?」
彼はちょっと笑いながら、指を指す。
「向こう、あっちに生垣で作った迷路があるんだ」
「何だか楽しそう」
彼は私の手を引いて立ち上がると、急ぎ足で迷路へ向かった。
私はただ彼に付いていくだけだ。
迷路は本格的な物だった。中に入ったら、そう簡単には出られそうにない。私はなんだか気後れした。
「大丈夫なの?」
「私はゴールへのルートを覚えてるから、平気だよ」
彼は私の手をしっかり握った。
「はぐれたら、大変だから」
彼と手を繋いで、迷路の中へ。後ろから、慌てて追いかけてくる二人の姿が。
「行こう」
私達は、早足で迷路の奥へ進んで行く。
どこをどう曲がったのか、似たような景色で、私には正解のルートなどさっぱり分からない。
レスターは慣れたもので、なんの迷いもなくどんどん進んで行く。
そのうち生垣を挟んで向こう側に、二人の気配を感じて、彼が声を潜めて言った。
「気付かれるから、ここでやり過ごそう」
私は頷いて、何だかドキドキしていた。
隠れんぼをしているみたいで、ちょっと楽しかったのだ。
私達は並んでしゃがみこんで、二人の気配が遠ざかるのを待った。
「向こうに行ったみたいだ」
「見つからなくて良かった」
私達は顔を見合わせて、お互い笑い合った。
ふと、レスターが急に真面目な顔をして、私の頬に触れた。
「どうしたの?」
「好きだ」
言われて私はドキッとした。
彼の青い双眸は、少し潤んで私をじっと見つめた。
私はただ、それを見つめ返す。
ゆっくり彼が顔を寄せて、優しくキスした。
長い長いキスをして、彼は私を抱き寄せた。
「絶対幸せにする。君も子供も私が守る。約束するから」
どこにも行かないでくれ、それはかすかな呟き。
脳裏にエドワード様が浮かんだ。
やっぱりレスターが好きなの? それともエドワード様なの?
私は一体、どうすれば?
二人の狭間で私の心はただ揺れていた。




