第三十話 闇との対峙
私達は、一路彼の元へ飛んだ。
説得とは言ったものの、変貌した彼に何と言う?
消える瞬間の彼の顔が目に浮かぶ。
やっぱり彼を諦めたらダメだ。
「あそこにいる」
アレク様が指差す先、すっかり瘴気の晴れた山の山頂。
長い漆黒の髪をなびかせる人影。
下界の景色を眺めているのだろうか?
私は彼に近付いて行く。背中に向かって声を掛けた。
「エドワード様」
「瘴気が晴れたね」
彼は振り向かず、そのまま口を開いた。
別れ際には、まだ本来の髪の色が残っていたのに、今はもう完全に黒く染まってしまっていた。
彼はそれから黙ったままだ。
私は言葉をなんとなく掛け辛くて、そのまま傍に立っていた。
「僕を封印しに来たんだろ?」
唐突に彼が口を開いて、私は彼を改めて見つめた。
「異界の口が閉じたのを、ここでずっと見ていたからね。次は僕を殺すか、もしくは封印しにくるか」
「エドワード様!」
「僕にはもう還る場所がない」
彼は、ここでようやく私を振り返った。
その双眸まで漆黒。まるで別人のようだ。
「異界に追放されている限り、斃れてもその魂が天に還ることは赦されないし、かといって異界に還るのも叶わない。肉体も朽ち果てる事も出来ず、土に還る事も出来ない」
「まさか」
この喋り方は、間違いなく彼だ。
でも、このどうしようもない違和感は?
髪や瞳の色のせいだけではない。
「ふふふ」
彼が肩を震わせて笑う。
「騙されたか? この体に馴染むのにそう時間はかからなかったぞ」
その背からは黒い大きな翼が生え、こちらを振り返った表情はもう私の知る彼のものではなかった。
これが魔王と呼ぶべき本来の姿なの?
「この内から溢れる魔力。そしてこの者は本来、我らに近しい性質だ。真似することも容易い」
私は思わず後退りする。
「さあキアラ、こっちへおいで」
優しく私を呼ぶ声なのに、まるで違う。
「キアラ、下がって」
アレク様が、私を庇うようにして彼に対峙した。
「お前、ひょっとして俺を殺したあの忌々しい奴か?」
「だとしたら?」
「これは傑作だな。俺を殺し、瘴気が撒かれる元凶を作った本人が、また俺を殺すのか? 理を崩して」
理? 何の事だろう?
「天に背いたお前が、聞いたような口を利くな」
「何とでも言える。闇はおとなしく光の影になっていれば良いのだ」
「いつも明るい場所にいるお前らに、俺の何が分かる? 理だからと暗い場所に押し込められ、未来永劫そこに居続けねばならぬ苦しみを。外を、光を求めて何が悪い? お前に殺され、永遠に朽ちる事も叶わずに、屍体を晒し続け、瘴気を生み出す苦しみを、お前らなどに決して分からぬだろう?」
その時私はこの闇の化身が、ずっと理不尽な苦しみに耐えてきたことを知った。理だからと強要され、歯向かえば天に背いたとされ、殺されたのだと。
そして殺されても天に還ることも赦されず、土に還ることも許されないなんて。
何という苦しみ、何という闇。
彼の屍体から生み出された瘴気は、きっと彼自身が受けてきた長い苦しみの一つなのだろう。
「どうすれば? どうすればあなたを救えるの?」
彼が私を怪訝そうに見つめる。
「お前に何が出来る? その身を捧げるか? それとも喰われるか?」
「キアラ、危ないから下がって」
アレク様は覚悟を決めたように、その手に光輝く剣を生み出した。
「それで、俺をまた殺すのか。そうはいかんぞ」
そう言うと、魔王はその手に大きな鎌を作り出した。禍々しい瘴気を帯びている。
「この体は若く、素晴らしい。そう簡単には負けぬぞ」
「戯言を」
二人は同時に攻撃し、激しい打ち合いになる。
私はただ、彼らの戦いをじっと見守る事しか出来ない。
一進一退の攻防で、どちらが優勢とも取れない互角の戦いだ。
私はこんな時なのに、二人の戦う姿に目を奪われていた。
白と黒の羽根が、二人が激しく斬り合いながら飛び交う間に舞い散り、いくつも落ちていく。
下界に広がる雲海の上、まるで神々の戦いを繰り返しているように。
やがて、二人の激しい術がぶつかり合って、逸れたものが私の頬をたまたま掠めた。
「キアラ!」
私に攻撃が当たり、心配したアレク様がこちらへ飛んできた。
「大丈夫か?」
その背後に鋭い攻撃が飛び、翼を貫いた。彼は地面に叩きつけられる。
「アレク様!!」
そこへ続く容赦のない激しい攻撃に、私は咄嗟に結界を張る。
それは一回で割れてしまったが、何とか直撃は防げた。
私の力ではこれが限界だ。
「やるじゃないか」
「背後を狙うなんて卑怯者!!」
私は魔王を睨みつけた。
「先にお前を殺すぞ?」
残忍さの滲み出るような、不敵な笑み。
狂気しかない闇の双眸。
彼がゆっくり近付いてくる。
「キアラ、逃げろ!!」
アレク様は、まだ動けないようだ。
私は動く事が出来ない。
彼の目を真っ直ぐにただ見つめる。
暗い暗い闇、澄んだ本来の色はどこにもない。
でも、いるんでしょう、そこに?
私の首に下げたネックレスから、懐かしい魔力を感じた。
私はミスリルの短剣を握りしめた。
これで刺せば、でも、私にはそんな事はどうしても出来ない。
「またそれか。刺せるものなら、刺してみろ」
私の首元に鎌の切っ先が触れた。
「殺すにはいささか惜しいが、お前を殺した方が、この体の持ち主も、諦めがつくだろう」
──殺される!!
ぎゅっと目を瞑った瞬間、アレク様が私達の間に割って入って、攻撃を防いだ事を知った。
「危ないから、下がって!!」
激しい攻撃をかわしながら、私にここから離れるよう促す。
私はそれでも、彼から目を離すことが出来ない。
すっかり変わってしまった彼。本当に彼は消えてしまったのだろうか?
否、彼が簡単に消えてしまう訳がない。
いつも私をからかい、意地悪したり軽口を叩く彼。
それでも、やっぱり私には優しい彼。
私が止めなければ、だれが止める?
殺すにしろ、封印するにしろ、それは私が望む結果ではない。
「エドワード様!!」
私は、戦う二人の前に躍り出た。
「来るな、キアラ!!」
アレク様の厳しい声が飛ぶ。
私はその彼の前に立ちはだかる形で、もう一度彼と向き合った。
「なんだ? その身を捧げる気なのか? それともやはり殺されたいか?」
「私は死にたくはないけど、身を捧げると言うのなら、そうなのかも」
魔王の表情がぱっと変わった。
「玩具として、嬲ろうか? それとも可愛がってやろうか?」
「どちらでも。あなたの好きにすればいい」
魔王の指が私の頬に触れた瞬間、
「キアラ、下がって」
アレク様の静かな声が響いた、
それはすごくゆっくりに見えた。
私の横をすり抜けた剣は、真っ直ぐに彼を刺し貫いた。
一瞬何が起こったのか分からず、私は呆然とそれを見ていた。
「このまま彼ごと封じる。下がって」
ようやく、状況が理解出来たのは、
私の目の前で、膝を折る彼の姿を見たから。
深々と彼の胸に突き刺さる光り輝く剣。
無情にもその切っ先から血が滴り落ちる。
私は悲鳴を上げた。
アレク様が私を抱き竦めて、彼から引き離した。
彼は、魔王に向かって何か呪文のようなものを詠唱する。
光の剣はその形を失い、魔王の体を光り輝き覆い尽くした。
徐々に姿が消えていく。
「イヤーーーーーーっ!!」
私はアレク様を振りほどいて、彼に縋り付いた。
「エドワード様、エドワード様!!」
「泣くな、これでいい」
彼は少し笑った。
その笑い方はいつもの彼だった。
私は彼を力を込めて抱き締める。
私は彼を失いたくない一心で祈った。
「ダメ、あなたを失えない。たとえどんな姿でも、あなたでなくなって、もう魔王そのものだとしても、私のあなたは一人だけだもの」
私の体も同じように光り輝いた。
私も一緒に封印される? 彼と一緒なら、何も怖くない。
「永遠に一緒にいましょう」
──その瞬間だった。
何か体の奥から、暖かい光が溢れて私の全身を満たした。
私の体がより光輝いて、あたりが目を開けていられないくらいに真っ白になった。
何なのこの力は?
ただ、この力なら彼を救えると確信があった。
「封印を打ち消した!?」
アレク様の驚愕する声が響いて、私は目を開けた。
私の腕の中に倒れる白金髪の髪、青白い顔。
「エドワード様!」
彼を抱き起こして、必死で呼び掛けた。
「エドワード様、しっかりして!!」
彼は固く目を閉じていたけど、やがてその瞼が少し動いた。
良かった、生きてる!
「アレク様、エドワード様が」
アレク様が、エドワード様の脈を確かめた。
「気を失っているだけだ。じきに目覚める」
服は血で染まっていたが、胸を刺し貫いた傷は跡形もなく消えていた。
一体何が起こったのだろう?
「キアラ、君が放った光は天の力だ」
「天の?」
私は首を傾げた。
「しかもより強い力で、彼の中の魔王も同化させてしまった」
「え、消えてないんですか?」
アレク様は頷いた。
「消えてない。ただもうエドワードと完全に同化してる。私と同じように」
アレク様は、私をまじまじと見つめた。
「なるほど、そういうことか」
え? 何が?
彼は勝手に何か納得したようだった。私には訳が分からない。
「そのうち、分かるよ」
彼は優しく笑って言った。
「うーん、何をごちゃごちゃ話してるんだ?」
「エドワード様、気が付いた?」
私は彼の顔を覗き込んだ。
まだ顔色は悪いけど、瞳の色もアイスブルーに戻っていた。
「良かった本当に。もう本当に死んじゃうかと」
「僕も死ぬかと思った」
「エドワード、すまなかった。私は君を殺すところだった」
やっぱりあれ、殺す気だったの?
「魔王を弱らすには、ああするしか。弱らせてそのまま封印する気だったんだ。私の中の力では、あれが精一杯だった」
けれど、エドワード様はちょっと嬉しそうだった。
「仕方ない。アレクの手に余る相手なんだろう? 僕は」
「そうだね」
「僕の方が強い」
アレク様は頷いた。
「そうだよ、君の方が強い。でも一番強いのはキアラだ」
え、私?
「君は最後までエドワードを諦めなかったろう? だからじゃないかな?」
私の中から溢れた光。あれはそう簡単に出せる力じゃない。
「魔王ごと受け入れようとした。だからエドワードと同化までさせた」
「エドワードごと封印しようとした私と、魔王ごと受け入れようとした君、どちらが強いか明白だ」
アレク様はちょっと笑った。
「エドワード様、本当に魔王と同化したんですか?」
「みたいだね。しかも自在に力も振るえそうだ」
エドワード様が、名実ともに魔王になった瞬間だった。
この人、本当に筋金入りのチートキャラだ。
「さあ、ルシア様達も心配して待ってる。ここに長居は無用だ」
私達は、全員無事にエルフの里に帰還を果たした。




