第五話 ひとまずの安全地帯
ルフトは周囲にゾンビがいないことを入念に確認してから講堂の扉をノックする。
「普通科六年のルフト・パーカーです。ここにいたゾンビは倒しました。中に入れてくれませんか?」
扉越しに伝わるざわめき。
ルフトの名は学園内でもそこそこ有名だ。
落ちこぼれの彼がゾンビを倒せたことに懐疑的らしい。
確かに疑うのも無理はないだろう。
優秀な魔術師でさえ、多量のゾンビが相手では分が悪いのだから。
ましてや魔術の使えない人間がそれをこなせるとは信じ難い。
その辺りは自覚しているので、ルフトは特に何も言わずに待つ。
ややあって講堂の扉が静かに開いた。
ひとまず中に入れても問題ないと判断されたようだ。
ルフトとA子は招かれるままに室内へ進む。
広々とした講堂には、それなりの人数の生存者がいた。
およそ二十人くらいだろうか。
空気は重苦しく張り詰めており、ルフトたちを歓迎するような雰囲気ではない。
そうなると、一体誰が彼らの入室を許可したのか。
首を捻るルフトだったが、疑問はすぐさま解消された。
彼は生存者の中にローブを着た壮齢の魔術師を見つけると、足早に近付いて礼をする。
「学園長。ありがとうございます」
「いや、感謝するのはこちらだよ。ゾンビが際限なく押し寄せてきて困っていたところだ。室内からだと対処が間に合わなかった」
壮齢の魔術師――バルディア・ハーガルム学園長は、蓄えた灰色の髭を撫でながら微笑む。
深々と皺の刻まれた顔は、この状況下でも温かな優しさを感じさせた。
佇まいにも落ち着きと余裕がある。
学園長を前にしたルフトは、露骨に安堵した。
彼がいる限りここは安全だろう、と。
周囲の刺々しい視線も気にならなかった。
ルフトはこれまでの経緯を学園長に説明する。
A子と召喚魔術についても誤魔化さずに話した。
どうせ隠しても、無用な不信感を買ってしまうだけだと判断したのだ。
それならばいっそ正直に話した方がよほど穏便に済む。
周囲からの疑いの視線は、より一層強いものとなっていた。
やはり嘘だと思われているようだ。
ルフトを罵るような会話も小声ながら聞こえる。
しかし、学園長だけは真摯な態度で話を聞いていた。
彼は深く頷くと、ルフトとA子を講堂の奥へと案内する。
「事情はだいだい分かった。色々と訊きたいこともあるが、二人とも疲れているだろう。仮眠用のスペースがあるから、一旦そこで休みなさい」
「ありがとうございます……」
礼を言ったルフトは、今更ながらに強い倦怠感と眠気を覚えた。
緊張続きで気付かなかったが、かなりの疲労が蓄積していたようだ。
ルフトは学園長の言葉に甘えて休息を取ることにした。
案内されたのは、講堂の仕切られた一角だった。
タオルや毛布を並べて簡易的な寝所が作られている。
現在は誰もおらず、生存者たちはルフトとA子を遠巻きに眺めるばかりだ。
そんな彼らの態度にA子は少し嫌そうな顔を見せて、ロングソードの柄に手を添える。
「鬱陶しいね。殺してあげようかな」
「お願いですからここでは揉め事を起こさないでください……」
ルフトはすぐさま小声で懇願する。
ここで暴れられたら、それこそ洒落にならない。
無論、魔術師たる生存者たちは抵抗するだろうがA子には敵わない、とルフトは思った。
この異世界人は、得体の知れない強さを秘めている。
人間だろうがゾンビだろうが、区別なくただの肉塊にしてしまうだろう。
「ルフト君も面倒でしょ? 向こうもこっちを嫌ってるみたいだし、ちょっとぐらい殺っても問題ないよー」
「問題しかないですから……」
そんなやり取りをしていると、A子の足元に魔法陣が出現した。
発光するそれは、渦巻きながら徐々に勢いを増していく。
A子は残念そうに肩をすくめた。
「おー、よく分かんないけど時間切れかな?」
「元の世界へ戻るのですか?」
A子はロングソードを放り捨てて頷く。
「感覚的にそうみたい。まあ、結構楽しかったから、また呼んでくれると嬉しいな。それじゃあねー」
直後、A子は召喚魔術の持続限界が訪れて元の世界へ還った。
魔法陣もすぐに薄れて消滅する。
「ふぅ、なんというか元気な人で――あれっ?」
残されたルフトはため息を吐こうとして、そのまま寝所の上に倒れ込む。
身体が満足に動かない。
どうやら限界まで魔力を消耗したせいで気を失いそうになっているらしい。
A子が戻ったのもそのせいだ。
圧しかかる強烈な眠気に抗えず、ルフトはあえなく意識を手放した。