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第三話 出会い頭の挨拶

 ルフトは混乱していた。

 どう見ても霊獣ではない女を召喚してしまったからだ。


 召喚魔術は成功したのではなかったのか。

 魔法陣の描き間違えはない。

 何度も念入りに確認しても、術式全般に誤りはなさそうだった。


 結局、練度が低いせいで術が中途半端に発現したらしい、とルフトは結論付ける。

 未熟な魔術師にはよくあることだ。

 命を落とすこともなく術を発現できたのだから、むしろその幸運に感謝すべきかもしれない。


(召喚魔術の性質を考えるに、別の時空の人間を呼び出したのか?)


 顎を撫でつつルフトは推察する。


 霊獣の召喚までは力が及ばず、異世界の人間を召喚した。

 そう解釈すると、女の黒髪や珍しい服装にも頷ける。


 異世界人の召喚など紛れもなく偉業だ。

 国が長い歳月をかけてようやく勇者召喚に至ったことを考えれば、それがどれだけ困難なのかは一目瞭然である。

 平時なら大魔術師として称えられてもおかしくない。

 今まで学園の落ちこぼれでお馴染みだったのに、とルフトは自嘲する。


(しかし、これは一体どうしたものか……)


 考察に没することで冷静になったルフトは、苦い顔で悩む。


 絶望的な状況を打破しようと召喚魔術に賭けたが、生憎と事態は好転していない。

 地下の薄暗い禁書庫に閉じ込められたままだ。


 見たところ、召喚された女は戦う術を持たない。

 非力な民間人といった風貌だ。

 魔力も感じられないので魔術師でもない。


 霊獣ならまだしも、ただの人間にゾンビの大群は荷が重いだろう。

 悪趣味な言い方をすれば、新鮮な肉の餌を増やしただけである。


 ルフトが困り果てていると、召喚された女が声をかけてきた。


「えっと、君は誰かな? なんかコスプレっぽい恰好だけど」


 思考を止めたルフトは答える。


「僕はルフト・パーカー。魔術学園の生徒です。あなたの名前は?」


「……うーん、仮名A子ということにしとこっか!」


「もしかしなくても、偽名ですよね」


「なんとなく言わない方がいい気がしてさー。いや、別に君のことが嫌いとかじゃないんだよ? 本当にそういう気分なだけで……」


 のほほんと弁解する女――A子を見て、ルフトはある知識を思い出す。


 召喚魔術は、相手の真の名を知ることでその存在を縛ることができるらしい。

 単純行動の制限や主従関係の強制に始まり、果ては完全な生殺与奪まで可能とされる。


 故に召喚された者は、自身の名を本能的に隠すそうだ。

 A子が咄嗟に偽名を口にしたのも、そういった事情のためかもしれない。

 無理に本名を聞き出す必要もないので、ルフトは彼女をA子と呼ぶことにした。


 その一方で、A子は首を傾げる。


「で、ルフト君」


「なんでしょうか」


「今ってどういう状況なの? いきなり知らない場所に瞬間移動しちゃったから、かなり謎だらけなんだよー」


「それはですね……」


 ごく当然の質問を受けて、ルフトは事の経緯を包み隠さずA子に話す。

 話を聞き終えたA子は、なぜか嬉しそうに手を叩いた。


「おぉー、ゾンビパンデミックなんてマンガとか映画だけの世界かと思ってたよ。ちょっと感動しちゃうね」


「感動、ですか……」


 不謹慎なA子のリアクションに、ルフトは少し引き気味になる。

 ゾンビは人間を食らうのだ。

 噛まれれば彼らの仲間入りが決定する。

 そのような怪物の存在をどうして喜べるのか。


 ルフトが困惑するのをよそに、A子はじっと部屋の出入り口を見つめだす。


 外にいるゾンビが扉を絶え間なく叩いていた。

 いつの間にやら押し寄せてきていたようだ。

 嫌な音を立てて軋む扉。

 いくら頑丈とは言え、破られるのは時間の問題かもしれない。


 観察を終えたA子は近くの本棚から分厚い魔術書を取り出す。

 背表紙のタイトルは『邪悪な闇魔術の選び方』だ。


 A子はルフトを一瞥して手を差し出す。


「そのナイフ、ちょっと借りてもよろしいかな?」


「えっ、いいですけど……何に使うんですか」


 召喚魔術に使ったナイフを渡しながら、ルフトは怪訝そうに訊く。

 なんとなく嫌な予感がするのだ。


 それを裏付けるように、A子は不敵な笑みを浮かべる。


「決まってるでしょ。ゾンビを皆殺しにするのさー!」


 A子は横倒しになった本棚を蹴りどかすと、無造作に出入り口の扉を開けた。

 待っていましたと言わんばかりに大量のゾンビが顔を出す。


「あ、あぁ……なんてことを……」


 その光景を目にしたルフトは、顔を強張らせて後ずさった。

 背中が本棚にぶつかる。

 恐怖で視界が眩み、重い吐き気を覚えた。

 喉は震えて上手く声が出せず、呼吸は自然と浅くなる。


 ルフトは想像する。


 殺到するゾンビに食い散らかされる自分とA子の姿を。

 あまりにも無残な最期だ。

 されど回避することも叶わない。


 ルフトの頭を絶望が占める中、しかし現実は異なる展開を見せる。


 迫るゾンビに対し、A子はうっとりと笑みを深めた。

 ただし、その双眸はぎらぎらとした破滅的な色を宿している。

 彼女は静かにつぶやく。


「いいねぇ――殺戮パーティを始めよっか」


 次の瞬間、A子は弾かれたように動きだした。


 天井すれすれまで跳び上がりながら、逆手持ちのナイフで次々とゾンビの眼球を穿つ。

 恐るべきスピードと正確さだ。

 刃は脳まで達し、攻撃を受けたゾンビはあっけなく倒れていく。


「んふふっ、いっぱい来てくれてありがとうねぇ」


 A子は着地と同時に『邪悪な闇魔術の選び方』を振るい、噛み付こうとしてきたゾンビの顔面を陥没させた。

 そこに回し蹴りを加えて吹き飛ばす。


 巻き込まれた他のゾンビがよろめいた。

 生まれた隙を利用して、A子はさらに攻撃を仕掛ける。


「あはっ、楽しぃーっ!」


 A子は歓喜の声を上げながら殺し続けた。


 彼女のナイフはゾンビの脳を的確に破壊し、分厚い魔術書は押し寄せる肉壁を難なく拒絶する。

 A子の人外的な素早さを前に、ゾンビたちは見事に翻弄されていた。


 彼らの攻撃は掠る気配すらない。

 完全に彼女の独壇場である。


 そうして戦闘とも呼べない何かは、ものの二分ほどで終了した。

 禁書庫に集まっていたゾンビが全滅したのだ。

 まだ他のエリアにはいるだろうが、付近の分は残らず殺してしまったらしい。


 血と屍の中央に立つA子は、不服そうに頬を膨らませる。


「ちぇっ、こんだけかー。物足りないねぇ」


 A子は折れたナイフと潰れた魔術書を捨てる。

 ゾンビを倒すために乱暴な扱いをしたせいで破損したようだ。


 A子は指で毛先を弄りながら、適当な死体の背中に腰かけて鼻歌を歌い始める。

 単調ながらも底抜けに明るいメロディー。

 血みどろの死体の中で奏でられるそれは、悪い冗談のように浮付いていた。


 それらを本棚の陰から覗くルフトは、顔面蒼白で息を呑む。


(この人は一体何なんだ……!?)


 A子は非力な民間人ではない。

 それどころか、王国の騎士すら霞む実力者だった。


 小さなナイフと魔術書だけでゾンビを圧倒するなど、どう考えてもおかしい。

 おまけに傷の一つも負っていないのだ。

 その戦闘能力は驚嘆に値する。


 凄惨な光景にルフトが震えていると、A子がひょこひょこと近寄ってきた。

 彼女は返り血まみれのジャージ姿で屈み込む。


「あれ、どうしたの? お腹減った?」


「はっ……はは……」


 意図せず漏れた乾いた笑い。

 A子の平然とした様子が却って異様さを際立たせる。


 ルフトは、自分がとんでもない存在を召喚したことを悟った。




 ◆




 禁書庫を出たルフトとA子は、学園内を彷徨っていた。

 他の生存者と合流するためである。


 いくらゾンビの大群が相手と言っても、ここは国内でも有数の魔術学園だ。

 ルフトなど足元にも及ばない優秀な魔術師の教員や生徒が何人もいる。

 彼らの一部はきっとどこかで生き延びているはずだろう。

 或いは既に反撃の準備に移っているかもしれない。


 ルフトとしては、早く合流して安全を確保したかった。

 いくらA子が強くとも、二人きりで行動を続けるのは危険すぎる。

 絶えずゾンビの脅威に晒されているせいで、心身共に休まる暇もない。


 致命的なのが、召喚魔術に時間制限がある点だ。

 ルフトは現在進行形で体内の魔力を消耗していた。

 A子をこの世界に留めるためである。


 魔力が尽きれば術を維持できなくなり、A子は元の世界へ戻ってしまう。

 感覚的にあと数時間が限界だ。

 それまでにルフトは、何としても他の生存者に会わねばならない。


「……ゾンビの餌になるのは嫌だ」


 ぼそりと本音を漏らすルフト。

 顔色がかなり悪い。

 怯えを多分に含んだ視線は、忙しなく周囲を警戒していた。


「ルフト君ったら、小動物みたいにビクビクしてるねぇ。もっと堂々とした方がかっこいいよ?」


 隣を歩くA子は、面白そうに肩をすくめる。

 彼女の手には無骨なロングソードが握られていた。

 廊下に飾ってあった西洋甲冑から拝借したのだ。


 刃先より滴った鮮血が、床に点々と跡を付けている。

 既に結構な数のゾンビを斬殺してきたようだ。

 A子は返り血の付いた顔で笑う。


 それを見て、ルフトは何とも言えない気持ちになった。


(ちょっと怖いけど、この人が強かったのは不幸中の幸いだ……)


 禁書庫での一戦から分かっていたが、A子は圧倒的な戦闘能力を有していた。

 その卓越した身のこなしで楽々とゾンビを倒してみせる。


 なぜそんなに強いのかとルフトが尋ねると、A子は「殺すのには慣れている」と答えた。

 詳しい説明は一切ない。

 それに尽きるということなのだろう。


 彼女の瞳に宿る獰猛な色を感じ取り、ルフトは深く追究するのはやめておいた。

 不用意な発言で機嫌を損ねたら目も当てられない。


 当のA子は、気楽な調子でルフトを見やる。


「ゾンビが怖いのなら、さっさとこの場所から逃げちゃえばいいのに」


「それができたら苦労はしませんよ……」


 ルフトは暗い表情でため息を吐いた。


 生存者を探す理由は他にもある。

 移動の途中で正面玄関を覗いたところ、魔術で厳重に封鎖されていたのだ。

 外のゾンビを侵入させないために、誰かが非常時の防御機構を作動させたらしい。

 学園内の惨状を見るに、その気遣いも徒労に終わったようだが。


 とにかく、このままでは学園から出ることすらままならない。

 別の脱出方法を見つけるか、防御機構を解除する必要があった。


 どちらにしても他の生存者の協力が欲しい。

 そういった事情を踏まえて、ルフトとA子は探索と移動を続けている。


「ねぇ、ルフト君。どこに生き残りの人がいそうなの?」


 A子の素朴な疑問に、ルフトは用意していた答えを述べる。


「攻撃魔術用の教室や屋内闘技場、魔道具保管庫なんかは部屋が頑丈なので誰かが隠れているかもしれません。あとは教員練や学園長の私室辺りでしょうか」


「ふーん。結構たくさんあるんだね。ちょっと面倒臭いかも」


「さすがにピンポイントでは絞れませんから。順番に回るしかないですよ」


 ルフトの挙げた候補は、あくまでも生存者のいる可能性の高いだけだ。

 このような異常事態なので実際どうなっているかは分からない。

 それでも確認はしておくべきだろう。


 ルフトとA子が各部屋を調べながら歩いていると、前方に二人の生徒を発見した。

 正真正銘、ゾンビではない人間である。

 どちらも女子生徒で、かなりの美少女だ。


(なんだか見たことがある顔だな)


 ルフトは額に指を当てて記憶を探る。

 確かこの二人は、学園でも人気の優等生だったはずだ。

 そして陰ながらルフトを蔑んだいた。

 成績上位の常連だった彼女たちにとって、魔術が使えない彼の方が頭が良いのは納得のいかないことだったらしい。


(……いや、今はそんなことを気にする状況ではない。なるべく協力しないとな)


 嫌な記憶を掘り返したルフトは、すぐに気持ちを切り替える。

 まだ勉強途中の生徒とはいえ、二人の女子生徒は優秀な魔術師だ。

 行動を共にできるのは有難い。

 個人的な感情で避けるのは得策ではなかった。


 向こうもこちらに気付いたらしく、幾分か安堵した様子で駆け寄って来る。

 彼女らの表情に浮かぶ落胆は極力見ないようにした。


 ルフトは声量を落として「あの……」と声をかけようとする。


 しかし、歓喜に満ち溢れた叫びが彼の言葉を遮った。


「あっはぁ! 人間じゃーん!」


 A子は目を輝かせながら駆け出すと、二人の女子生徒の前で急停止する。

 口元はとろけそうな笑みで固まっていた。


 女子生徒たちは驚き困惑する。

 一人に至っては、反射的に魔術を行使しようとしていた。

 A子の尋常ならざる気配を察知したのかもしれない。

 その判断は、正しかった。


 しかし、A子は魔術の詠唱が完了する前にロングソードを横薙ぎに振るう。


「イヤッハァッ!」


 堪え切れず上がった歓喜の声。

 唸りを上げる斬撃が女子生徒たちの首を通過した。


 数瞬後、頭部がまとめて刎ね飛ばされる。

 断面から真っ赤な血を噴き出しながら、首なしの身体が崩れ落ちた。


「えっ……いやっ、あれ……?」


 ルフトは目の前の光景を呆然と眺める。

 今、一体何が起こったのか。

 あまりの事態に思考が追いつかない。


 宙を舞っていた二つの生首がどちゃりと血の海に落下した。

 その音を聞いたルフトは、ようやく現実を認識して嘔吐する。


 彼が苦しむ間、元凶たるA子は愉快そうに鼻歌を口ずさんでいた。

 新鮮な肉の匂いに釣られてゾンビが数体現れるも、残らずロングソードによって刈り殺されていく。

 無防備なルフトに襲いかかろうとする個体も倒しているのは、彼女なりの優しさかもしれない。


 しばらくしてなんとか吐き気が収まったルフトは、青い顔で口元を拭う。


「どうして、彼女たちを……」


 ルフトはこの短時間で顔見知りがゾンビに食われる場面を何度も見てきたが、今の出来事にはそれとは異なる衝撃があった。

 絶対にあってはならないことだ。

 それなのに、A子は率先して実行したように思える。


 何か理由があったのだろうか。

 もしかすると、二人ともゾンビから受けた傷を隠していたのかもしれない。

 それをA子が察知して攻撃したと考えれば、まだ納得ができる。


 ルフトは鈍痛を訴える頭で必死に動機をこじつける。

 信じ難い光景を、自身の常識の範疇に落とし込もうとしているのだ。

 ある種の逃避行動に近い。


 そんな彼の努力も露知らず、A子はあっけらかんと笑ってみせる。


「いやぁ、ゾンビばっかりだと駄目だね。やっぱり人間を殺すのが一番楽しいよ」


「楽しい……?」


「うんうん! こう、手応えとか満足感が段違いでさ。ゾンビも悪くはないんだけれど――」


 A子は身振り手振りを交えて饒舌に語るも、ルフトの頭には内容がほとんど入ってこない。

 彼は胃のむかつきを抑えながら、思考の整理を始めた。


 怪物が食欲に身を任せて襲ってくるのはまだ分かる。

 この世界には様々な魔物がおり、人を捕食対象とする種も少なくないからだ。

 人間だって飢えを防ぐために他の動物を殺して食べている。


 しかし、人間が同じ人間を好んで殺すのは到底理解し難かった。

 それも金品を狙った強盗や、特定個人への怨恨ではないのだ。


 A子の殺人動機は、単に精神的な充足感を得るためである。

 殺したくなったから殺した。

 深い意味はない。

 考えようによっては、ゾンビよりもよほど性質が悪いだろう。


(本当に恐ろしいのは、人間なのかもしれない……)


 嬉々として生首を蹴り転がすA子を見て、ルフトは静かに戦慄するのであった。

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