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「エイラを誰にも取られたくないから。…って、だめだな、僕」
エイラを掴んでいた手を放し、ティーカップを両手で持ってお茶の水面に浮かぶ自分の情けない顔を見つめる。
「僕はフィニースマルで医療の勉強をしてきたんだ。こっちでも普通に生活ができるように体質改善できたらよかったんだけど、やっぱりそういうわけにはいかないみたいで」
自嘲的にほほ笑むと、エイラの顔が徐々に痛々しいものを見るような風に変わっていく。
だから僕は頭痛もちだってことをエイラにギリギリまで言わなかった。
体調について変な同情心も持ってほしくないし、何よりいざという時に頼りになる男とは見てもらえなくなる可能性が高い。
「酸欠にならないための薬は処方されたから、しばらくはこっちで暮らせる。でも長い休みにはフィニースマルに戻って体調を整えなくちゃいけないから」
情けないことだけど、正直に自分の体のことは伝えておかないと、また余計な心配をさせることになる。
頭痛さえ起こらなければ、普段は少し息苦しいだけで済む。
激しいスポーツなんかは無理だけど、日常生活にはほとんど支障がないはずだ。
「あっちでは頭痛は起こらなかったの?」
「うん、向こうについて感じたのが酸素が濃いなって。で、久しぶりにこっちに戻ってきたら酸素が薄くて少し走っただけで息切れするから困ったもんだよね」
「…そう」
心なしか、エイラの声がトーンが低くなる。僕がエイラと別れてフィニースマルでしか生活できないと早合点しているのかもしれない。これは早めにきちんと伝えておかないといけない。
「だから、学校を卒業したらエイラにも僕と一緒にフィニースマルで暮らしてほしいんだ。それを言うと、全部捨てて僕についてきてって言うのと同じになってしまうんだけど」
エイラは即答せずに僕の顔を見つめながら、しばらく黙っていた。
「…突然、こんなこと言われても返事に困るよね」
「突然じゃないよ、フレイ」
エイラはぐいっとお茶を飲み干すと、一気に話し出した。
「女はね、いろんな未来の選択肢を考えるもんなの。フレイと付き合うってことになって将来のことを考えた時、フィニースマルで生活することもあるかもしれないって考えたわ。そうすることによって私は家族や友人と違う時間軸で生活しなくちゃいけない覚悟も必要なのかもしれないって」
「…エイラ」
僕はエイラがそこまで考えてくれていたなんて知らなかった。つい最近届いた最新の手紙なんて、不特定多数に向けて発信されたダイレクトメールの文章を読んでるような気持ちになっていたくらいだったのだ。
感動して思わず涙腺が緩みそうだった。
僕は席を立ってエイラの傍らに歩み寄って膝を折った。
膝の上で強くこぶしを握り締めているのをそっとほぐすようにして手を取る。
「そこまで考えてくれていただなんて」
「早合点するのはまだ早いわよ。だって私たち、付き合うってことになってすぐに離れ離れになったんだから。これから長く付き合えるのかだってわからないじゃない。そういうのも考慮しないとね」
「もちろん! エイラが喜んでくれるように頑張るよ」
僕は膝立ちしながらエイラを思い切り抱きしめた。
僕の腕の中で、エイラが何やらジタバタ動いているけど気にしない。
「エイラを喜ばせるために、肺活量増やして体力つけなくちゃなー!」
「な、何の話よっ!?」
ぷはっと息を吐き出しながらもエイラは耳まで赤くして抗議する。
「わかってるくせに」
普段は照れ屋で、僕のことを好きだという素振りを見せないようにしているエイラだけど、ちゃんと恋人として意識してくれている。
エイラはこの恋が長い人生の中の一つの恋愛に過ぎないと思っているかもしれない。
でも僕にとっては一生で一度の恋愛のつもりでいる。
エイラがいつまでも僕のことを好きでいてくれるように、そして、いつか人生が終わる時に、僕を選んで良かったと思えるように、これから日々努力していこう。
と殊勝なこと考えてるけど、でもね。
嫌だって言っても絶対に離さないからね。