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結局、フィニースマルへ行くのは夏休みに入ってからすぐにすることにした。
卒業まで待っていたら、その後の計画も延びてしまうからだ。
僕は真面目に学校へ通っていたおかげで、卒業までの単位は十分に取れていた。
万が一、卒業式までに戻ってこれなくとも、卒業資格は得られると校長先生に直接聞いたからその辺は安心している。
その卒業資格を持って、王都の大学へ後期から編入しようと考えていた。
そのためにはフィニースマルである程度は勉強してこなくてはいけないから、単に物見遊山で行くわけでもない。
エイラには前もって卒業後じゃなくて夏休みにフィニースマルへ行くと告げたけれど、一時的なものだと分かっているからか、特に取り乱したり不安になったりすることもないようだった。
そんな姿を見てると、本当に僕のこと…好きでいてくれてる? とこっちが不安になってしまうのだけど。
惜しむらくは、夏至祭りから夏休みの間に、ほとんどエイラとデートらしいことが出来なかったことだ。
恋人同士になってから軽いキスどまりのまま、フィニースマルに行くことになってしまったのが唯一の心残りだった。
僕のフィニースマルでの生活はまた別の機会に語ることにしよう。
何とか論文の目途がつき、イーレンスグに乗ってチトゥナへ帰ってきたのは年末だった。
僕はこっちの時間で5か月ほどフィニースマルに居たことになる。
予定では1か月ぐらい滞在して夏休み中に帰ってきて、エイラとどこか小旅行へ行く予定を立てていたはずなのに、やはりこちらとは時間の流れが違うのだと感じる。
おまけに久しく感じていなかった頭痛を早速感じるようになり、大量に持ち帰った酸素玉と頭痛薬を併用し、プルムおばさんから受け取った箱一杯になったエイラからの手紙を時系列順に読み進めることにした。
リビングで何通目かを読んでいくうちに、補講があるから今年は帰れないという言葉を見つけ、僕は手紙を読むのを中断して慌てて王都行きの汽車の切符を買いに駅へ走った。
年末に王都へ行く人は多いようで二日後しか空いてなかった。
歯がゆい思いをしながら二日間をチトゥナで過ごし、荷物をまとめて王都へ向かった。
エイラからの手紙に住所も記載されていたから直接アパートへ向かう。
駅からも大学からも程よい距離にあって、そんなに治安も悪くなさそうな地域のようだった。
アパートについて建物の中に入ると手動のエレベーターがある。フィニースマルのように手でそっと触れると自動でドアが開閉するシステムとは大違いだった。
エイラの部屋は5階にあった。
はやる気持ちを抑えてドアをノックするけれど部屋の中からは返事がなかった。
今はまだ午前中だから、まだ大学にいるのかもしれないと思い、屋上へと出てみる。
意外と見晴らしが良くて遠くまで見渡せる。
大学のある方角から、とぼとぼと力なく歩いているエイラの姿が見えた。
いつの間にか髪が短くなっていた。
顎までできれいに切りそろえられている。
ロングも良かったけれど、その髪型もエイラに似合っていた。
僕はエイラが5階に上がってきたタイミングで屋内に飛び込んだ。
「エイラ、おかえり!」
僕が突然現れたからか、エイラはびっくりしてその場で固まっていた。
「一度も手紙の返事書けなくてごめん。つい二日前に家に帰ってきてエイラからの手紙全部読んだんだ。冬休みは地元に戻ってこないって書いてあったから、すぐに汽車を乗り継いで来たんだけど」
僕がそう言い続けていると、エイラは荷物を放り出し僕に勢いよく抱きついてきた。
肩が少し震えている。泣くのを我慢しているようだった。
僕は両手をそっとエイラの背中に回し、頭に顎を乗せて苦笑した。
「いつのまに泣き虫になったの? エイラは」
「…ばか」
**********
エイラの部屋に招き入れてもらう。
僕は5か月もの間、音信不通になってエイラをほったらかしにしてしまったから、もしかしたら、別の男の影が見えても仕方ないと思っていた。
返事もない手紙は最後の方は返事を待つというフレーズは消え、独り言の近況報告でしかなく、こちらの体調を気遣うフレーズも社交辞令的に読めてきて、会う直前までエイラが心変わりをしていないか、危機感を覚えていたところだったのだ。
もちろん、こっちへ帰ってきたからには、もう一度僕の方へ振り向いてもらう努力をしようと思っていたけど。
でも不安になる要素は皆無といって良いほどだった。洗面所にも歯ブラシは一つ。髭剃りだってないし、マグカップだって男っぽいものはない。
写真たてには家族の写真しかないし、さりげなく見たゴミ箱の中には変に丸めてあるティッシュのゴミもない。
エイラは実家の自分の部屋よりも可愛らしい小物で部屋を飾ってはいるけれど、僕の写真の一枚も飾ったりはしてなかった。
……エイラ。本当に僕のこと、好きでいてくれてる……? と男の影は見えなくとも不安になるほどだ。
エイラがお茶を淹れてくれたので、椅子に座る。
少し体が冷えていたから暖かいお茶が嬉しい。
「ねえ、フレイ。いつまで王都にいられるの? 年末年始の王都のイベントは見られる?」
初めての独り暮らしで年末は家にも帰れないのだ。人恋しくて寂しいんだろう。
でも僕じゃなくても誰にでもエイラはこのセリフを言ってそうだ。
そういや、王都に来て、外でお酒飲んでないだろうか。僕と一緒の時以外、お酒を飲まないようにと釘を刺しておくのを忘れていたから心配だ。
「うん。見られるよ。あ、そうだ。言うの忘れてたけど、僕も王都の大学に編入することにしたんだ」
「ええ!? ほんと!?」
大きな声で驚きながらも喜んでくれている。良かった、僕が王都にいることを迷惑に感じてるわけじゃないんだと安心した。そして改めて自分が安心するハードルの低さに愕然とする。
これじゃ幼馴染時代に逆戻りしたのと一緒だ。これじゃまずい。
「そんなに喜んでくれるなんて嬉しいな。僕も大学卒業まで王都で暮らすことになるからよろしくね」
内心ではどす黒い感情が渦巻いている僕がそう言うと、エイラは屈託のない笑顔で頷く。
「うん。じゃあ私色々王都を案内してあげるよ!」
「そう? じゃ年が明けたら、部屋を探しに行こう」
ここは見たところ独り暮らし用のアパートだ。二人で暮らすには狭すぎる。
それでなくとも僕は人より体が大きい。天井高め、少し広めじゃないと窮屈なのだ。
「それならこのアパート、空き室あるわよ? そんなに高くないし、不動産会社に問い合わせてみる?」
「何言ってるの。ここは学生向けの一人暮らし用アパートじゃないか。僕が言ってるのは二人で暮らす部屋のことだよ」
「二人? フレイと誰の?」
相変わらず、エイラはこっち方面での話には鈍すぎる。
他の話題ではきちんと行間を読んでくれているのに、どうして僕たち二人のことになるとこうも鈍くなるのか。頭が痛くなる。
「エイラとに決まってるじゃないか。それとももう僕以外に好きな人が出来ちゃった? 部屋の中を見る限りでは、他の男の気配もないけど、その代わりに僕のものも置いてないよね」
「はっ!?」
エイラは慌てて周りを見渡し、顔を赤くして僕をにらみつけてきた。
大丈夫、恥ずかしいものなんて何もなかったから。僕の写真くらい持っててくれても良かったけど、そういや写真を一緒に撮った記憶がないからなくても仕方ない。
僕は向かいに座っているエイラの肘を掴んだ。
「…僕は一時的な恋愛感情で物事を話すのは好きじゃないんだ。エイラのことを一生大事にしていきたいと思ってるんだ」
僕がそう言うと、エイラは顔を真っ赤にして目が泳ぎだす。
これはれっきとしたプロポーズにあたると思っていいだろう。あ、赤いガーベラ持ってくればよかったかな。
「…えーと。フレイの気持ちは嬉しいんだけど」
けど? その後に続く言葉を聞くのが途端に不安になる。
「学生の本分は勉強だと思うの。フレイと一緒に暮らしたら、勉強どころじゃなくなるかもしれない。私、そういうのちゃんとしたいんだ」
顔を真っ赤にしながら、しどろもどろになりながらもエイラはそう言った。
なんだそんなことを心配していたのか。そういうことなら近くに二人用の部屋を借りておいて、いつでもエイラが引っ越してこれるように準備しておけばいいだけだ。
「じゃあ卒業したら一緒に暮らすのならいいと言う事?」
学生時代は同棲出来なくても仕方ない。でも卒業したら一緒に暮らすのぐらいは許してもらえるだろうと思ったが甘かった。
「結婚してないのに一緒に暮らすのも私はイヤなの」
参った。思っていた以上にエイラのガードが固い。同棲もダメなら、結婚するしかないじゃないか。
僕の家族はみな賛成してくれるだろうし、エイラの両親もきちんと話せば許してくれそうだ。
「じゃ卒業したらすぐ結婚しよう」
プロポーズのセリフをああ言えばこう言うぐらいのスピードで返したものだから、エイラはいい加減にしろと言いたげな顔になった。
「だから! なんでそうせっかちなのかな。フレイは」
プロポーズはもっとエイラが喜んでくれるような雰囲気で言いたかったけど、こっちはもうだいぶ昔から片思いを続けてきて、ようやくこれから始まるんだ。
これでもかなり譲歩してるつもりなんだけど。