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ミカの買い物に付き合って家に帰ると、プルムおばさんが夕飯の支度を始めるところだった。
「さっき、エイラに会ったのよ。今夜の夕飯に誘っておいたから」
「え? ほんと?」
明日会って話をしようと思っていたのに、思いがけず今夜会えるかもしれないと思ったら僕は急に嬉しくなった。
まだ知らせるわけにはいかないけれど、僕の両親にも会ってもらえる。
「エイラに会えるの!? 私もぜひ会いたいわ!」
ミカも諸手を上げて賛成して喜んだ。けれどプルムおばさんの顔は浮かない表情を浮かべている。
「でもねぇ、来ないかもしれないわ。さっき、ミカとあんたが仲良ーく歩いてたのをエイラも見ちゃったのよね」
「え! 僕らのこと、ちゃんと否定してくれたでしょ?」
「したわよ、そりゃ。でも…あんたたちの姿を見る前から、ちょっと様子がおかしかったのよね。ケンカでもした?」
思い当たる節があり過ぎるから、プルムおばさんに何て言えばいいのかすぐには返事が出来なかった。
「…あんたが今出来ることは、エイラが喜びそうな料理を作るぐらいかしらね」
ぽんぽんと背中を優しくたたかれ、僕はエイラが来てくれることを祈りながら夕飯の準備を手伝うことにした。
**********
しばらくすると、タイトおじさんと一緒に父親も帰ってきた。
「おお~、今日はBBQかあ? 肉の焼けるいい匂い!」
タイトおじさんはご機嫌のようですぐにシャワーを浴びに行ってしまった。
プルムおばさんはタイトおじさんの着替えを準備しに行ってしまい、僕は野菜を茹でている最中で、キッチンにやってきた父親と二人きりになってしまった。
「…一年でまただいぶ大きくなったね、フレイ」
今は怖いとは思わない海の色に赤やオレンジが混じった不思議な瞳を細めて、父親は嬉しそうに笑った。
「…ども。お久しぶりです」
少し照れくさくて、タイトおじさんと話すようにくだけた口調には未だにできない。
「さっき、港でエイラって娘に会ったよ。赤い髪のエイラって、君のエイラだよね?」
僕の、ではないけれど、赤い髪でエイラという名前の女の子はそう滅多にいないはずだ。頷くと、父親は思案顔になる。
「えー! ノルズったらエイラに会ったのー!? ズルい!!」
リビングでテーブルセッティングしていたミカがキッチンにやってきてノルズに抱きつきながら彼の二の腕の内側をつねった。
可愛い顔をして、結構サドなところがあるんだ、僕の母親は。
ノルズは顔をしかめながら、そっとつねる手を外す。
「フレイ。君、エイラを泣かせた? 泣いてたよ、彼女」
その言葉に、僕を含め、ミカとプルムおばさんもびっくりしてお互いに顔を見合わせたのだった。
なんでエイラが泣く? 僕がミカと一緒に歩いていたから? それなら早く誤解を解けばいいだけの話なんだけど、いや、プルムおばさんの話じゃその前から様子がおかしかったって言ってたし、他に何か原因が?
記憶を総動員して何か思い当たることを連想してみたけれど、僕にはなんでエイラが泣いていたのかちっともわからなかった。
そしてやっぱりというか、エイラは夕飯には来なかった。
**********
朝、登校する時にプルムおばさんとミカにランチの入ったバスケットを持たされた僕は、勇気を振り絞って昼休みにエイラに声をかけた。
「昨日、みんな待ってたんだよ。何で来なかったの?」
いや、本当は初っ端からこんなことを言いたいわけじゃなかった。
普通にお昼を誘おうと思ってたんだけど、夕飯に来てくれなかったのが思いのほかショックだったからつい口をついて出てしまっただけだ。
けれど案の定、エイラは責められているというような表情で謝ってきた。
「…ごめん。ちょっと用事が出来ちゃってさ。おばさんに謝っておいてよ」
そう言いながら、僕から離れていこうとする素振りを見せたので、慌てて僕は努めて明るくお昼に誘うことにした。
「それは構わないけど。昨日、お料理作りすぎちゃったからって、おばさんがお弁当作ってくれたんだ。たまには一緒に食べよう」
ちらり、とエイラの視線が友達の方へとずれる。僕の後ろにいたエイラの友達は気を利かせてくれたのか、学食へと行ってしまった。
二人きりで食べるってことは予想してなかったから、みんなで食べようと思って4人分のランチを持ってきたんだけど…まあ、いいか。
エイラは中庭で食べようと言ってくれて、僕はほっと胸をなでおろした。
バスケットの蓋を開けると、それを覗き込んだエイラが少し遠慮がちに口を開いた。
「…もしかしてレティアやターデの分も入ってた…よね?」
「うん。でも気を遣われちゃったからね。僕は全部食べられる自信あるよ」
持ってきたのは4人分だけど食べられない量じゃない。
エイラに食べてもらおうと急いでバケットに具をはさんで手渡すと、久しぶりのエイラの屈託のない笑顔を見ることが出来た。
「いやぁ、フレイってマメだよね。良い旦那さんになれるわ」
僕がこんなことをするのはエイラ限定だ。
そりゃあ、いつかはエイラの旦那さんになれたら良いと思ってるけど。
僕がまだ見ぬ将来のことをぼんやりと妄想しながら笑みを浮かべていると、エイラが躊躇いがちに聞いてきた。
「…今、お客さんが泊まりに来てるんだってね。おばさんが言ってた」
「ああ、うん。夏至祭りを見に来たんだ。ミカ…えっと、泊まりに来た女の子なんだけど、エイラが夕飯に来るって言ったらすごく会いたがってた」
ミカとのことは、何も心配することなんてないのだと暗に伝えようと饒舌に答えたつもりだった。
けれどそれに反してエイラの表情が暗くなってしまったので、何か話題を…と考えるととっさに思いつくのは夏至祭りのことだけだった。
「…エイラは夏至祭り、誰と行くか決めた?」
女友達と一緒に行くならまだいいけど、誰かほかの人に誘われてないか不安だったのもある。
「…ううん。まだ」
「でも薬草摘みはみんなと行くんでしょ?」
「まあね。私は街の花屋さんでもいいかと思ったんだけど、あの二人はやけに手摘みにこだわっててねー。あの様子だと月桂樹の葉も取りに行く羽目になりそう」
月桂樹の葉と聞いて、僕は居ても立ってもいられなくなってしまった。
夏至祭りでは、女性がお目当ての男性に月桂樹の葉で冠を作って渡すのが習わしだからだ。
もちろん、と胸を張って言えることじゃないけれど僕は一度もエイラから月桂樹の冠をもらったことはない。悲しいことに。
でも夏至祭りには毎年一緒に行っていたから、今までも誰にも月桂樹の冠を渡したということもないはずだ。
「エイラも月桂樹の冠作って誰かにあげるの?」
少し不躾な質問だっただろうか。心配しながら待っているとエイラが少し不機嫌そうになる。
「夏至祭りが終わったら夏休み。夏休みが終わったら最終タームで単位を取ってすぐに卒業だもん。これから王都に行くってのに、今更告白っていうのもね。告白していきなり遠距離になるのも嫌だし」
それはまさに僕がやろうとしていることだった。
告白してもすぐ卒業になってしまう。僕は卒業したらすぐにフィニースマルへ行こうと思っていたから、帰ってくる時のお守りとしてエイラを僕の彼女にしてからここを離れたかったんだけど。
「エイラは遠距離恋愛無理な人?」
僕はこの長い片思いが成就したら、絶対遠距離恋愛が無理になんかならない自信がある。
「どうだろ? したことないからわかんないけど。でも好きな人とは近い場所に居たいと思うよ」
「だよねぇ」
遠距離には自信があるつもりだけどやっぱりいつでも近くには居たい。それは同意する。
「フレイこそ、どーなの? もう誘ったの?」
遠距離恋愛の話をしていたら、突然夏至祭りの話に引き戻された。
そうだ、僕も夏至祭りの準備をしなくちゃいけなかった。
「僕、今年、ヤーニスに選ばれたんだ。だから彼女への花束を準備しなくちゃいけなくて」
「へぇ! すごい! ヤーニスだなんて」
ある意味、公開処刑とも言えるみんなの前での愛の告白は、僕の高校生活に華を添えることが出来るんだろうか。
ヤーニスに選ばれるのは、18歳の学業、スポーツに秀でた人間だと聞いているけれど、僕の場合は何で選ばれたのかは未だにわからない。
「…でも。彼女はあまりこういう大舞台が好きじゃないみたいでね」
「そうなんだ?」
エイラは自分のことだとは全く気付いていない。きょとんとした顔で首を傾げている。
もしかしてミカのことを想像してるんじゃないだろうか。…あり得ない。母親なのに。
「でも、学生最後の思い出だし、結果はどうあれ楽しもうかと思って。でも彼女の髪の色に合う花を選ぶのが難しそうなんだよね。エイラはどんな花が好き?」
「う、えぇ? 私?」
「うん。エイラは何の花が好き?」
あまり深く考えさせないよう、畳みかけるように僕はたずねた。
もっとスマートに聞き出せる方法もあったかもしれないけど、もうそんな風に取り繕ってる暇はない。
エイラは少し考えた後、ガーベラと言った。
よし、ガーベラの花束を贈ろう、と僕は心の中で誓った。
赤い髪に似合う色の花は何色だろう。