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ミカにエイラの話を振られてから、そういや去年も夏至祭りに告白しようと考えていたのを思い出した。
夏至祭りを楽しむ前に万が一気まずい思いをしたくないから、帰り道に話をしようと考えた。
素面だと恥ずかしいと思って少しお酒の力を借りようと思ったら、エイラも一緒になってリンゴの炭酸酒を飲みだした。彼女はお酒に弱いようで足元がおぼつかなくなったのを口実に帰ろうと促した。
家までの帰り道、エイラは気分よく鼻歌まで歌いながら、いつもはくっついてこないのに時々僕に寄り掛かるように歩いてみたかと思うと、一人でスキップし始めたりしていた。
「エイラ、ちょっと酔いを覚ましてから帰った方がいいよ」
だいぶ酔ってるなあと思いながら声をかけると、エイラがこくりと子供のように頷いた。
僕は小川の傍にある大木の下にエイラを誘導した。
「お酒弱いなら飲むのやめとけばよかったのに」
近くを流れる小川を見ながらさりげなく声をかける。
今のエイラは僕に寄り掛かるようにして座っているから、僕のこの心臓の音がいつ気づかれるかヒヤヒヤしていた。
そんな僕の気持ちなんて全く気付いていない様子の彼女は、僕のすねにつま先をちょんちょんと傾けてきたり、一つ一つの動作が幼い。
というか、並んで座ってみるとエイラって女の子の中では背が高い方だと思っていたけど僕に比べたら断然小さい。足の長さも違う。
いや、決してエイラが足が短いっていうわけじゃなく、僕が標準より大きく育ってるからという意味なんだけど。
「ちょっと疲れてたから、酔いが早く回っちゃったんだよ」
寄り掛かってるから普段より声の距離が近い。心なしか、口調も甘えているような感じに聞こえる。
「おばさんにばれないように、酒臭いのを消してから帰らないとね」
僕が苦笑しながらそう言うと、ふいに顔を顔をあげて至近距離でエイラが僕の顔を覗き込んでくる。
「フレイはお酒強いね。全然酔ってないし」
「あんな果実酒、お酒のうちに入らないよ」
慌てて顔を背けながらそう言うと、エイラは今度は僕の左手を持ち上げて自分の手のひらと合わせたり、しまいには指を絡み始めた。
おいおい、それは恋人同士の繋ぎ方だろう。
背けていた顔を元に戻してエイラをじっと見下す。
……今日初めて知ったけど、エイラはお酒に酔うとスキンシップ過多になるタイプだ。今度からお酒を飲む時には絶対同席しないと。他の男にこれをやられたら、相手は絶対勘違いする。それはまずい。
「エイラ。何、僕の手で遊んでるの」
「んー…。私とは違うんだなぁって」
「そりゃ男だもん。タイトおじさんの手伝いで漁にも出てるから網を引くときのマメもたくさんできる」
逆に、エイラの手は本当に華奢で、すごく柔らかい。幼馴染といえど、付き合っているわけじゃないからこんな風に手を繋いだのなんて、本当に何年振りだろうかというぐらいだ。
「あと1年で学校卒業だね。エイラは卒業したら街を出てくの?」
僕は今夜の一番大事な話を切り出すために、遠回しに話題を振ることにした。いきなりストレートに告白するには幼馴染っていう間柄は結構ハードルが高い。
「え、何、急に」
「プルムおばさんとエイラのお母さんがこないだ話してるの聞こえたんだ。何かやりたいことあるの?」
僕が告白するのをためらったり躊躇する理由の一つに、エイラがこの街を出ていくことだった。
僕に何の相談もなしにエイラは王都に行くと決めていたようだ。
当たり前だけど、幼馴染に全部報告する義理はない。でも、今の今まで僕に何も報告してくれなかったことが地味に寂しい。
と言いつつも、僕も卒業後の話をエイラにすることはなかったのでお互い様なんだろうけど。
「この街で一生を終えるのは何だか惜しいなって思ってさ。王都に行ってもうちょっと勉強しながら、将来やりたいこと探そうかなーって」
それを聞いて、僕は何かほっとすると同時に少しがっかりした気持ちになったのも事実だ。
王都へ行きさえすれば、何とかなる。
そう考えて最初は意気揚々とこの街を出ていくけれど、何も身につかずにまた戻ってきてしがない漁師になっている人を何人も見てきた。
エイラもそういう人種なのかと思ったら、急に気分が盛り下がってしまった。
「…そっか」
やばい。ちょっと声が低くなってしまった。僕は結構自分の気持ちが声に出てしまうのだ。
「フレイは卒業したらどうするの?」
エイラは僕の低い声音に気づいていないようだった。自分の話ばかりじゃなく、僕の話も聞きたいみたいだった。
「…僕?」
「うん」
本当のことを言うなら、今、このタイミングがいいんじゃないかと思って僕は口を開いた。
「僕は…フィニースマル(海の果て)に行こうかな」
「またぁ。フレイってたまに笑えない冗談言うよね」
頭から信じてないといった様子でエイラはホントのところはどうなの? ともう一度聞いてくる。
「冗談か…」
本当のことを言ったつもりだったんだけど、いきなり伝説の話に出てくるフィニースマルなんて出したらそういう反応は当たり前か。
だったら、僕がこの街を出るということにしておこう。
僕は木に寄り掛かっていた体を起こして、エイラの方へ体を傾けた。空いている右手をそっとエイラの頬に添える。
エイラは僕の手が頬に触れた瞬間、びくっと体を震わせた。
僕の手を拒絶しないってことは、意識してくれている? ちょっとは期待してもいいのかな。
「エイラ。もし僕が…何もかも全部捨てて一緒についてきてって言ったら…どうする?」
僕は茶化すことなく、真剣に質問をしてみる。こんな回りくどい質問だけど、僕はエイラがどんな答えを返してくれたら満足するのか自分でもわかっていなかった。
「え、何? やっぱ酔ってるでしょ?」
エイラの口調はもう酔ってる感じではなくなっていた。必死になっていつもの雰囲気に戻そうと躍起になっている。
ようやく今、男として意識してくれてるようなのに、僕のことをまだ幼馴染としてしか見ようとしないエイラに少しムッとする。
「酔ってないよ」
僕は頬に添えた手を少しずらして、親指でエイラのくちびるを撫でてみた。
くちびるに触れられた瞬間、エイラはぎゅっとくちびるを引き締めて、僕をにらみつけるような視線で見上げたかと思うと、すぐに俯いてしまった。
小心者の僕はそれで心が折れてしまった。頬に添えた手も下ろしてしまった。
「…学校卒業したら、冒険者にでもなるつもり?」
「質問に質問で返さないで答えてよ」
僕からの質問ははぐらかすのに、自分が聞きたいことばかり聞いてくるなんて、ずるいやり方だ。
それに。
少しくちびるを触っただけで、そんなに睨みつけるぐらいだ。本音は僕に触れられたくなかったんだろうか。
僕はそんなことを考えていたから、エイラが何か小さく呟いていたことに気を留める余裕がなかった。なので、あえてもう一度聞くことはしなかった。
エイラが再び僕の顔を見上げてきた時は、何かショックを受けているような顔をしていた。
僕がそんな顔をさせているのかと思うと、いたたまれない。
こんな雰囲気じゃ、告白どころではない。
むしろ明日からの幼馴染という間柄も怪しくなってしまう。それだけは何としても避けたい。
「そろそろ帰ろう。酔いも醒めたでしょ」
「…うん」
さすがに帰り道は普通の顔をして他愛もない会話を続ける気にはなれなかった。
それはエイラも同じだったみたいで、辛うじてエイラの家の玄関先で、おやすみ、と声をかけるぐらいしか出来なかった。
告白すら出来なかったヘタレな僕は、それでも幼馴染としての立ち位置を確保したいがために、エイラが僕を異性として意識しないよう、自分の欲に負けて不用意に彼女に触れないようにするのに必死につとめたのだった。