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水面の月 海の果て 2  作者: 理子
1/8

<1>

 ―――…ごめん。今年の夏至祭りは、好きな子を誘おうと思ってるから。


 僕がそう言った瞬間、エイラの顔が凍り付いた。

 その表情を見て、僕は一瞬、話の持っていき方を間違えてしまったかと焦った。

 でも彼女はすぐに笑ってそっかと頷いた。



 エイラは僕の幼馴染だ。

 小さい頃から僕のことをいじめっ子から守ってくれていた、ちょっと気が強いけど優しい女の子で、僕の片思いの相手でもある。


 学校からの帰り道に、彼女がいつもと同じ口調で夏至祭りへ一緒に行こうと誘ってくれた。

 僕らの住む小さな港町チトゥナは娯楽が少ない。夏至祭りはそんな少ない娯楽の中でも結構規模の大きなお祭りだ。

 海の神様に事故が起こらないようにお祈りや日頃の感謝を表すといった建前もあるが、食べ物や珍しい異国の雑貨などの屋台が所狭しと出店し、老若男女問わずに楽しめる。

 恥ずかしいことに、広場で公開告白めいたイベントもある。僕は今年、広場で公開告白するヤーニスというものに、何故だか選ばれてしまった。


 本音を言うと、エイラに誘われた時、心の中ではめちゃくちゃ嬉しかった。

 だけど今年は高校最後だし、ヤーニスに選ばれたし、幼馴染じゃなく一人の男として誘いたいし、特別感を出したいし、と瞬時に考えて断ることにした。


 断った時の、エイラの心外だと言わんばかりの驚いた顔と寂しげな顔を見て、すぐに今のは嘘で一緒に行こうというセリフが喉まで出かかったのは内緒だ。


 その後、エイラは気にも留めない様子で普通に接してくれている。

 こちらから断っておいてなんだけど、好きな子を誘おうと思ってると言ったセリフは、心臓バクバクになりながら言った言葉だ。そのあたりを汲み取って、もう少し寂しい素振りをしてくれてもいいんじゃないかと思ったりもする。

 そんな自分勝手な考えを起こすのは、きっと最近頻繁に起こる頭痛のせいだ。


 僕には少々込み入った家庭の事情というものがあり、秘密にしていることがある。

 物心ついた頃から一緒にいるエイラにさえ言ってないことだ。

 僕は本当の両親とは一緒に暮らしていない。今一緒に暮らしているタイトおじさんとプルムおばさんは両親と仲の良い友人で、僕はその人たちに大切に育ててもらったことに感謝しない日はない。

 小さな街ではプルムおばさんが妊娠もせずに突然赤ちゃんだった僕を育て始めたものだから、一時期いろんな噂が流れていたようだった。

 今でも覚えているのはタイトおじさんが浮気をした相手の子供だったかな。

 くだらないけど子供って大人たちの噂話に敏感で、いじめの対象になりがちだ。

 その頃、体が小さくて弱かった僕はいつもいじめっ子たちに負かされて泣いてばかりいた。

 エイラはそんな噂話には全く耳を貸さずに、体を張っていつも僕の味方をしてくれていた。


 僕の父親は実は人間じゃない。海の神様ノルズだとタイトおじさんから聞かされている。

 こちらではおとぎ話や伝説だと言われているフィニースマルと呼ばれる国に僕の両親は住んでいる。

 小さい頃から時々やってくる外見が全く変わらない二人。

 特に父親の方は神様だからか、子供ながらに少し怖くて苦手だった。

 反対に母親は華奢で可愛らしく人懐こい雰囲気の人だったからか、いつの頃からかお母さんと呼ばずに名前で呼ぶようになっていた。


 僕は海の神様ノルズの息子としての、ユングヴィという名前も頂いている。

 年々成長して海の神様の血が濃くなるにつれて、水の中に潜っていられる時間がのびていった。とはいっても、海女さんと競争してようやく勝てるぐらいという、特別にものすごい能力があるわけでもない。

 その能力を生かすために、学校が休みの日にはタイトおじさんの漁の手伝いをしている。

 水中で網が絡まったりしたのをほぐす時に長時間水中で作業しなくちゃいけないんだけど、その時ばかりは息を長く止めていられるのは、なかなか重宝する力だと自分では思っている。

 でもその反面、陸上での運動はかなり辛い。体はいつも酸欠状態だ。

 頭痛が顕著になってきた時、何かの病気かと思って医者にかかった時に酸欠からくる頭痛だと聞かされた。

 登山をした時にかかる症状と同じだと聞かされ、合点がいった。

 ここの空気は僕には薄すぎるんだ。


 学校を卒業したらこの頭痛を治すためにフィニースマルへ行くことを考えている。

 その話を本格的に進めるために、両親が今年の夏至祭りに合わせてこの街にやってくる。

 日頃から学校では頭痛もちという話にしているけど、卒業までは普通に学校生活を過ごしたいと思って昼食後の腹ごなしのサッカーにも参加する。

 天気の良い日に教室でぐったり昼寝なんてもったいないからだ。


 女子たちは教室や中庭でランチを取りながらゆっくりおしゃべりをする子たちがほとんどだ。

 サッカーしながらふと視線を感じて中庭に顔を向けると、エイラが友達と中庭でおしゃべりしていた。

 僕がエイラに向かって軽く手を振ると、エイラは一瞬手を振るのを躊躇するような仕草をして、ちょっと困ったような顔をしてから手を振り返してくれた。

 その顔を見て、ああ、やっぱりエイラは普通にしてるわけじゃないんだと理解した。

 どうやら夏至祭りを断ったことが、僕たち二人の間にわだかまりを残してしまったようだった。

 こんなことなら祭りまで告白するのを待とうなんて考えなければよかった。

 そう思ってエイラの方へ歩き出そうとした時、誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 と、同時に頭に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。


 **********



「頭打ってるから、ちょっと休んどきなさい」


 保健室の女の先生がそう言って無造作にカーテンを閉めた。

 男友達が数人がかりで保健室に連れて行ってくれたようで、僕はベッドの上でうっすらと目を開けた。

 サッカーボールが頭に当たり、ついでに頭痛もあったから一瞬気を失っていたようだった。

 僕は部活も入ってないし、特に運動をしてないのに、何故か体ばかり大きくなってて保健室のベッドから足が少しはみ出てしまっている。

 既製品だとゆったり眠れないから家の自分のベッドは、タイトおじさんと一緒に作った手作りのベッドだったりする。

 膝を曲げて軽く目を瞑ると、バタバタと保健室に駆け込んでくる足音が聞こえた。


「フレイ! 大丈夫?」


 仮にも男が横になっているベッドのカーテンを、戸惑いもせずに開けるのはどうだろうと内心思う。エイラはちょっと異性に対する危機感を持った方がいい。

 でも今の僕は忠告する気持ちになんてなれないので言わないでおく。


「うん。もともとの頭痛もあるけど、ちょっと休めば大丈夫だよ」


 ゆっくりとまぶたを開くと、エイラが心配そうな顔つきで僕を見下ろしていた。


「フレイって頭痛もちだったっけ?」


 男友達の中ではそういうことにしているけど、エイラには何も言ってなかったから怪訝な顔つきで聞いてくる。

 それはそうだろう。幼い頃は頭痛で寝込むなんてことはほとんどなかったんだから。


「んー、ひどくなったのは最近かな」

「お医者様にはかかってる?」

「医者が言うには慢性の酸欠からくる頭痛だって」

「へぇ…」


 僕の話を信じてないような相槌だったけれど、僕はそれには返事を返さなかった。別に嘘はついてない。

 今はいつもの頭痛とボールが頭に当たって痛いのとで、少々機嫌が悪くなっていてあんまり話をしたいとは思えなかったからだ。

 エイラはそれ以上追及することなく、しばらくベッドの横に立っていた。


「…大丈夫そうなら、私、午後の授業行くね」

「んー」


 僕は不機嫌な顔をエイラに見せないよう、寝返りを打って背中を向けて返事をした。

 そうだ。どうせ午後の授業を休むんだったら、少し休んでから家に帰ろう。

 家でのんびり過ごして体調を整えたら、明日、ちゃんとエイラと話をしよう。


 **********


「フレイ! おかえりぃ~」


 家に着くと玄関先に飛び出してきた白いワンピースを着た少女が両手を広げて僕を見上げてきた。

 僕の母親であるミカが出迎えてくれた。

 僕の胸ぐらいまでしか身長がない母親を、子供をあやすように抱きとめる。

 金色の頭のつむじをじっと見つめながら、エイラだったらもう少し背が高いからこんな身長差じゃないだろうなあとぼんやりと考える。


「何よ、せっかく会えたのに、心ここに非ずって失礼ね」


 ぷうっと頬を膨らませながら母親が僕から離れていく。

 金色の長くゆるゆるとしたウェーブの髪が日光でキラキラ輝いていた。

 相変わらず年齢不詳で、今では並んで歩いていたら、僕の方が年上に見られそうなほどだ。

 確か、ミカは19歳で結婚したと聞いたことがある。そうなると今、38歳なんだよなぁ、この人。精神年齢も19歳かそれ以下にしか思えないぐらいに幼い感じもするけど。

 本当に僕を産んだのかすら、怪しい人だ。


「…え?」

「夏至祭りに合わせて来るって約束してたでしょ? それにいつもの頭痛薬もたくさん持ってきたから」


 良かった。このタイミングでフィニースマル製の頭痛薬があるのはすごくありがたい。フィニースマルは神様の英知の恩恵もあるけれど、医学が特に発達していると聞く。

 ミカがずっと19歳のままの姿という話は、神様の奥さんってことでまた別の次元の話なのだけれど。

 とにかくフィニースマルの頭痛薬を飲めば、僕のこの酸欠からくる頭痛も、半刻もすればすっと消えてくれる。


「ありがとう。今すぐ頭痛薬飲みたい。…えと、あの人は?」


 僕は未だに父親のことをお父さんと呼んだ試しがない。小さな頃に植え付けられた苦手意識はなかなか消えないからだ。

 僕はあの人の瞳が怖かった。まるで海が燃えているような、海の色の中に赤が揺らめく不思議な瞳。黙っていると人形のようで、それでいて壮絶に美しい顔立ちをしているあの人が、自分と同じ血が流れているようには到底思えなかったからだ。

 僕がいつかこの人の跡を継いで、海の神様になるのかなんて考えたくもない。

 ミカはそんな僕の気持ちを察して苦笑した。


「ノルズは港の方に散歩に出かけてるわ。私も街で買い物したいから、薬飲んでちょっと休んだら荷物持ちしてよ」

「はいはい」


 僕は苦くて変な味のする頭痛薬を水で流し込み、ソファにどかっと横になった。


「ねえ、そういえば例のあの子とはどうなってるの? お付き合いしてるの?」


 プルムおばさんとミカは何でも話し合っているようで、僕の恋愛事情なんて何も言わなくても筒抜けだ。


「エイラのこと? してないよ」


 進展させるどころか、現状維持も今となっては厳しい状況だとは恥ずかしくて言えない。


「えー? 去年告白するって言ってなかった? まだなの? 甲斐性なしなの?」

「うるさいなぁ、ミカは」


 出会ってすぐに結婚してしまった母親に、甲斐性なしと言われる息子の立場って。

 せっかく頭痛薬飲んだのに、違う頭の痛みが出てきそうだ。


「だって今年は…。彼女にちゃんと言わなきゃ」

「わかってるよ!」


 ミカが話している最中に被せるようにぴしゃりと返事をした。

 その後、ミカは何も言わずに頭痛が収まるまで僕の頭を撫でてくれていた。

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