過去
ジャシュカは、手に入れたキャリアとともに自室に戻った。ブラーシュは初めこそあの部屋を出るのを恐れたが、ジャシュカがじっと待つとその後についてくるようになった。
彼の部屋には彼の必要最低限と感じるものしかなく、ブラーシュのいた部屋よりも殺風景な感じがする。図書スペースから借りてきた経済学の本。自分が寝るための簡素なつくりのベッド。それにシャワースペース。
ジャシュカはベッドの上に腰掛けた。ブラーシュもそれに習った。
しばらく、二人の息が聞こえるだけの時間が続いた。もともと、そんなに口数が多いほうではないジャシュカが。軍人になってからもっとその口は重くなった。
突然、ブラーシュが彼の膝の上に倒れこんできた。
「どうした」
倒れこんできた頭を、どうしたらいいものか考えていると
「……つ、かれ……た」
ブラーシュの頭を見ているジャシュカと目が合った。その目はまっすぐに彼の目を覗き込む。
「……」
交わす言葉はなく、また沈黙のときが訪れる。静かに見つめあっていると、ブラーシュが目を閉じた。
「おい」
返事は返ってこない。そのかわり、心地よさそうな寝息だけが聞こえてきた。
身動きが取れない状態になった。頭をどかそうにも、起こしてしまっては申し訳ない。彼はしばらくそのままでいることにした。まだ夕食までには時間がある。しばらくこのままでも支障がないと判断した結果だった。
「誰だい、その子猫ちゃんは」
入り口のほうから声がした。ボーイッシュなショートヘアーの女がニヤつきながら立っていた。
「ヴィクターから貰ったものだ、ティナ」
「それが作った彼の新しい玩具なのね、ジャシュカ」
ティナの後ろから上品な金持ちの娘を思わせる女――オードリーが微笑んだ。
「なんだい、アイツは娼婦でも作ったってのかい?」
嫌味のこもった目を向け、なおも口元をいやらしく歪める。
「まぁ、あんたくらいの歳の男には慰めが必要だろうけどね」
「ダメよ、ティナ。彼と殺りあいたいのはわかるけど、ここではダメ」
なおも微笑を崩さず、彼女を嗜める。
「オードリー。あんた、またアタシのイロ探ったな!」
オードリーの獲得した能力――相手の感情の色を読む。彼女の目には相手の感情のわずかな変化でも色として認識される。敵の攻撃により目を潰された元衛生兵の選んだ、新たなキャリア。
「チッ」
舌打ちをして、彼女は入り口から去った。
「ごめんなさいね。起こしてしまったようで」
視線を落とすと、ブラーシュの目が開いていた。
「起きたのか」
「アナ……た、おこっ……て、る?」
「えっ?」
「おこぉ、て……る?」
「どうしてそう思うのかしら?」
微笑を崩さず、問う。それは、その奥にある本当の顔を隠す面のよう。
「いたぁ、く、て。こわぁ……くて」
それを聞くと、彼女の表情が一瞬崩れた。しかしまた、元の聖女のような微笑に戻る。
「その子、まだ寝ぼけているようね。お邪魔してごめんなさいね」
それだけ言うと、ティナのあとを追っていった。