第8話 富樫弁護士との対談Ⅶ
橙坂森少女惨殺事件に深く関連しているらしいのです。
「初耳ですね」率直な感想を、率直に答えた。
「本当はね、弁護士がこんなことを軽々と話していいもんじゃないんですがね」
適度な笑顔を浮かべて富樫が言った。しかしそれは計算された笑顔だ、と白銀は気づいていた。
「しかしね、今この場では、そういったことを白銀様にお話しするのが得策だと判断したんです。さすがに何の情報渡さず、『おう、これ喋れ』『こっちは渡さないがお前は渡せ』というようなやり方は好きになれんのですよ。もちろん、話してくれたらこちらとしてはいく分楽なんですがね。しかし、やはり我々は人間ですから、等価交換が基本原則です。情報にどれほどの価値があるのか、細かい情報に専用の市場というものはありませんから一概に価値を弾きだすことができないのですが、まぁ相手が気持よく喋ってくれる価値をそこに見出してくれたならば、こちらとしては嬉しい限りなわけです」
「あなたが何を思ってそのことを私に教えてくれたのか、それはわかりました」と白銀は言った。
「しかし、ご覧の通り私はその日の記憶がないんです。どうしてその日の記憶だけがぽっかり無いのか、こればかりはなんとも言えません。ですが、無いことはたしかなのです。あなたの言葉をそのまま借りるならば、『人間に脳のことなんてわからない』とでも返事をしておきましょうか。だから、僕にもわかりません。僕もまだしがない高校生ですから、専門的な勉強は何一ついしていないんです。これからする予定ではありますが」
「大事なことです」と、富樫が割り込んできた。
「ですから、僕には何も言えません。僕には、その日の記憶だけ、ぽっかりと消えてしまったんです」
「結構です」
と、話を総括するように言った。
「白銀様のことはよくわかりました。こちらとしても、現状を把握するのはとても大事なことです。白銀様の記憶が今、どのようなことになっているのか、把握させていただきました。そうしましたらこちらからも申しことが何点かございます」
「伺いましょう」
「1年前の8月25日、橙坂森で一人の少女が亡くなっているのが発見されました。遺体は半分が焼かれているというまぁ、あまり気持ちの良い状態ではなかったそうです。すぐに遺体は司法解剖に回され、詳しい死亡時の状況が確認されました。結果、被害者が焼かれたのは死後ではなく、生前だったことが判明します。さらに、内臓の一部が破裂していることから、かなり酷い暴力に晒されていたのではないかと推測されました。まぁ、言ってみればもはやリンチですな。そしてさらに、遺体発見現場の近くの森の古ぼけた山小屋から金属バットが発見されました。その金属バットから、微量の被害者女性の皮膚のDNAが確認されたため、おそらく被害者女性は何者かにバットで殴られたのではないか、と考えられます。その際に、まぁなんだ、内臓がパーン、とこう、破裂してしまったわけですな」
言い終えると、富樫は自分のお冷をぐいっとあおり、そしておかわりを自分でグラスに注いだ。白銀にも「要りますか?」と促してきたが白銀は手刀を切って断った。
「……で、すみません。ところで、その殺された一人の少女っていうのは誰なんでしょうか? そこがわからないと、僕にも答えようがありません。その少女と関係があるのか、ないのか」
「誰?」富樫はきょとん、とした顔で白銀を見つめ直した。
「えっと、申し訳ありません。誰、というのは?」
僕と富樫弁護士の間で何か根本的な何かが食い違っている、と白銀は感じた。明らかに何かがズレている。
「いや、ですから。1年前の8月25日、橙坂森で亡くなった被害者のことです」
お前は何を言ってるんだ、というニュアンスをこめて言った。
「え? あぁ、被害者女性のことですか」
大事なことを今思い出したかのように言い、
「いやね、大変申し訳ありません。えっと、ご存じでないのですか?」
「ご存じでないから聞いているんですがね」心に募るイライラを籠めて言った。
「いや、こちらの配慮が足りませんでした。お詫びします。実はですね、被害者女性について名前を言うことができないのです」
「言うことができない?」
ふざけた出し渋りの態度に怒りを覚えつつ返事をした。