第1話 何が起きたのかわからない、すべてはここから、はじまりの一歩
不思議な夢を見た。
自分が今、どこに立っているのかわからないような夢だった。
こういった幻想的なことを言葉で一体どういう風に説明すればいいのか、わからなかった。
僕にはどうやら抽象的な出来事を具体的な、形のある言語に変化させて、自分の位置を相対的に確認する才能に欠けているらしかった。
しかしそんなことは生きる上であまり必要のないことだ。
生きる上で決して必要のあることではないが、今、自分の中にある何かを満足させるためには、その才能が小さじ一杯ほど必要だった。
が、残念ながら先ほども言ったように、僕にはその才能はほとんど無かったようなので、断片的にしかその夢の内容を思い出せなかった。エレベーターと、僕以外誰もいない建物の中。それが僕が今覚えている、夢のすべてだった。
目が覚めた。
目が覚めてからしばらくの間、自分は一体今まで何をしていたのか、うまく把握することができなかった。
そうだ、今自分は、友人たちと一緒に旅行に来ているんだ。
まったく、旅行をしているときにこんなわけのわからん夢を見るなんて、幸先良くないな。見事なまでに。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「なぁ、今日はどうする?」
旅館の少々手狭な食堂で、朝食を食べながらリーダー格のキリヤマ ユキヤがそう切り出した。
ちょっとしたイケメンで、女にもそれなりにモテて、さらにオマケにそれなりに良い奴だ。
「白銀はなんか具体的なスケジュールみたいなもんってあるの?」
と、キリヤマは白銀に向かってそう言ってきた。
「そうだなぁ。企画した僕がこんなこと言うのもなんともアレなんだけど、実は何も考えてないんだよな。
あと、本当に悪い、今日なんか朝起きたときから頭がすごい痛いんだ。あと3日あるから今日はちょっと休養に充てたいんだ……」
「おいおい、大丈夫かよ白銀。まぁいいや。んじゃ、ゆっくり休んでくれよ。他のメンバーで今日は久しぶりにこの辺まわってみるか。時間があった方が楽しめそうなところがあったら明日神谷と一緒に行く方向にするか。それでいいかー?」
僕含む、4人の友人たちは「まあいいんでね?」「あ、うん、賛成です……」「勝手にどうぞ」と色々な返事をして、今日のスケジュールは決定した。
そして、午後1時。
白銀は旅館の客室の布団で天井の染みを数えながらぼーっとしている。
朝食の時に感じていた気持ち悪さは消えてなくなった、とまではいかないまでも、かなり小さく縮んでしまったかのように感じた。
そして、その気持ち悪さがかなり小さくなると、今度はお腹が減ってきた。時計は午後1時を指している。もうお昼の時間だった。
ほんの少しのけだるさはあったが、動くのに大して支障はなかった。
適当な運動を兼ねつつ旅館近くのコンビニに行こう、と決めた。旅館では残念ながらお昼のご飯は用意してくれないのだ。そういうプランなのだから仕方がない。
旅館の従業員に軽い会釈をして、旅館を出る。そして、橙坂村の風景が目の前に広がる。
そこから360度見回しても、その村に近代的なビルはまったくない。山に木造の一軒家、そして時々田んぼ。裏道に行けばもっと多くの田んぼが目に入るだろうがここからでは田んぼより住宅の方が多く目につく。
ど田舎、とまでは言わないまでも、充分田舎って言うんだろうな、と白銀は感じていた。夏の日射しがこれでもかと言うほどアスファルトの地面を照らしていた。
しかし、こんな田舎でもちゃんとコンビニはあるのだ。
と、白銀はコンビニへ向かう。……向かっていると、
「あの、もし、すみません」
声をかけられた、背後から。遠くから呼ばれた、とかそういうのではなく、肩に手を叩かれ、「すみません」と言われたのだ。これはどう考えても僕に声をかけたのだ、と白銀は思った。
「はい……?」
そこにいたのは、見事に禿げた中年の男性だった。
世界にもし、「綺麗なハゲ頭コンテスト」なるものが存在したら間違いなく大賞、とまでは言わないまでも大賞にノミネートされるのではないかと思うほどの綺麗な禿げ方だった。
禿げにも格があるんだなと思わされた。一体何がどう『見事な』禿げなのか、それもまた表現に苦しむが、とりあえず、白銀が彼に抱いた感想はそんなところだった。
彼が着ているダークのスーツと見事なコントラストで禿げた頭がこれまた見事に映えている。禿げの頭にダークのスーツというのは似合うものなのか、と感心してしまった。身長は僕より少し高い、おそらく180cmほど、どちらかと言うと痩せ型だが、何か運動系の習慣があるのかもしれない、肉体は引き締まっているように見えた。なぜかわからないが、その男の顔がタヌキのように見えてしまった。
「大変申し訳ありません、もしかしたら、シロガネ トウヤ様でいらっしゃられますか?」
男の声には独特のメリハリがあった。
「えぇ。僕が白銀塔亜ですが」と、返事をした。
「やや、これは良かった」両手を広げ、男はやや大げさに「これぞ、我が喜び!」と今にでも言いそうな勢いで表現してみせた。古代ローマ美術展に行けばありそうな彫刻銅像をなんとなく連想させた。
「自己紹介が遅れました、大変申し訳ありません。私、あー、弁護士をやっております、トガシ ケンヤ』と申します。どうぞよろしく」
と言うと、トガシから素早く、無駄のない動きで名刺を渡された。無駄のない名刺の渡し方と関係はないだろうが、その名刺もまた見事に無駄に金がかかっているように見えた。紙の種類な僕にはわからんが、和紙っぽいソレに、文字もなんかこう、高級感を滲ませる何かだった。『富樫総合法律事務所』『富樫 賢哉』肩書は『所長』……そして、法律事務所の場所は、なんと東京の青山一丁目とあった。実際のところ、青山一丁目がどういった場所なのか、実はよく知らないが、テレビで頻繁に耳にする地名だった。
「東京の……青山、ですか。また遠いところからよくこんなところまで」
「弁護士、とは言いましても、最近はほとんど法廷には出ていないんですがね、ここだけの話。そして、まぁちょっとしたひとつやふたつ、探偵の真似事をさせてもらっているわけです、はい。事務所から歩いて30分でね、神宮球場に行けるんですよ。お陰ですっかりヤクルト・スワローズのファンでして、へへ。
知っていますか? ヤクルト・スワローズ。私ね、田中浩康っていう選手のファンなんですよ。ピロヤスって呼ばれてるんですがね。あ、もちろん宮本も知っておりますよ。今はサードを守っていますが、当然私は宮本がショートを守っているときから知っておりますとも」
誰も聞いていないのに妙に長々と話をする。といかヤクルトファンでもないのにこんなことを話されてもこちらは面白くもなんともない。というか早くコンビニに行きたい。
「申し訳ないんですが、僕は巨人ファンですのでこれで……」
と言って、さっさと向きを前に直し、コンビニへ向かおうとした。すると、
「いや、いや、いや、これは大変失礼をいたしました」
なんと腕を掴まれた。恥ずかしながら少しイラッときてしまい、「なんですか」と少々不機嫌気味に対応してしまう。
「申し訳ありません。今のものはいわゆる、話の枕というやつでして」慌てながらもどこかに余裕を滲ませながら富樫は言った。
「じゃあ、早く本題とやらと話してくださいよ」
「えぇ、えぇ、大変申し訳ございません。しかしですね白銀様、本当に申し上げにくいことなのですが、今回の話というのはいささか混みあった、いや、混みあった、というより少しばかり話すのが長くなってしまうような事柄なのです。もしよろしければ、なのですが、どこかでお昼をご一緒しませんか。あ、お金ならお出ししますよ。お好きなところで、少しばかりお高い店でも構いません。静かにお話できるところでひとつ、どうでしょう」
白銀としたらできればこんな怪しさ満点のやつと話なんてしたくなかった。
大体、僕にできる話なんて何ひとつないはずだ。
そう思った。しかし、逆を返せば、こちらは何も話さずに少しばかり高いお昼ご飯にありつけるというちょっと俗な心もあった。この男、富樫とかいう弁護士が自分に何が聞きたいのか、大なり小なり興味もあった。
「わかりました、いいでしょう」
と、明快な声で返事をした。
この男の話は、地獄へのはじまりの一歩だっただなんて、誰が想像できただろうか。