猫ギライが猫好きに変わる時
◇
私の姉は猫ギライだ。
猫だけでなく、とにかく動物は殆ど嫌いである。とりわけ猫が大の苦手であるらしい。
「猫が好きで、ましてや飼ったり育てたりする人の気がしれない」と云うのが持論らしいが、私に云わせれば「猫が嫌いと言い切る人の気がしれない」だ。 まあ、大量の猫に襲われただの、猫に顔中を引っ掛かれただの、そんな経験をしたというのなら嫌いになっても仕方無いが、私の知る限り姉はその様な経験をしたことがない。
しかし、ある日姉の家に遊びに行くと黒猫がいた。
姉の娘、つまり私の姪が何処かから拾うか貰うかして仕方なく飼う事にしたらしい。
「へえ、あんなに猫ギライだったのに」
と、私が云うと
「何云ってるの、ケンちゃんは猫じゃないわよ! ねーケンちゃん」
ケンちゃんと名付けられたその猫に同意まで求め、もうすっかり猫の下僕と化していた。
しかし、“猫じゃない”とは。ではこの黒い動物は何なのだ? 熊か?
そんな疑問はあえて口に出さずにいると、酒盛りが始まった。姉夫婦は飲兵衛なので誰かが来ると必ず酒盛りを始める。おもてなしの為と云うより単に自分達が飲みたいだけだ。常に酒を飲む口実を探しているのが姉夫婦だ。
しかし理由はどうあれ、いくらでも飲んでも怒られないし、むしろ飲まないと怒られる。
良い酒の肴も振る舞ってくれる。私はこれが目的で姉夫婦の家に行くと云っても過言ではない。
旬の肴の刺身などに舌鼓を打っていると、ある違和感に気付いた。
新鮮な魚の刺身や牛刺や、その他猫の鼻孔を刺激する料理が並んでいると云うのに、黒猫ケンちゃんはねだるどころか、眼中にない様子で自分専用のクッションの上に寝ている。
当時私は十数匹の猫と暮らしていたのだが、猫の居る家で刺身を食うのは命懸けなのだ。
そんなものをテーブルに並べた日にゃ途端に猫が群がってきて争奪戦になる。
そう、猫と人間の仁義無き戦いが始まるのである。
右手の箸で刺身をつまみ、左手で猫達を払いのける、しかし油断すると箸の刺身を奇襲攻撃によって奪われる。
この時ばかりは主人も下僕も無い。
猫の奇襲から刺身を守りきり、やっと口に入れて味わっていると今度は犬がどさくさに紛れて肉料理などを食ってやがる。
「ぐぉらー!なに食ってんだ!」
と、怒ると、犬は「ひーんひーん」と泣き出し「許してくだせえ、大きいご主人様、オラはちょっとこの“カラアゲ”ってやつがどんな味なのか知りたかっただけなんでやんす。ええ、ほんの一舐めで良かったんでやんす。でも小さいご主人様達が大騒ぎしてるのでつい……ひーんひーん」などと云う。一舐めどころか一皿全部食っとるやん!
「罰として一週間おやつ抜き!」
「ひーんひーん」
そうして食卓に目をやると、群がっていた猫達は居なくなっていて、刺身も綺麗さっぱり食われている。と……
「おのれ! 犬め、お前も猫とグルだったのか!」
「ひーんひーん」
……そんな惨状が我が家では繰り広げられるのだ。
だが、この姉夫婦の家の食卓のおだやかさは何だ?
私の家の食卓が戦国時代の関ヶ原なら、姉夫婦の家はスイスである。ヨロレイヒー。
「ケンちゃん、随分お行儀いいね」と、私が云うと姉は
「ケンちゃんはキャットフードしか食べないのよ。お利口だから」と云う。
……姉さん、あなたさっき、“ケンちゃんは猫じゃない”って云いましたよね?
猫じゃないのにキャットフード食わしてるんですかい?
私はツッコミたくてうずうずしたが、こんな矛盾だらけの言葉に突っ込んでも、無駄にIQの高い姉に妙に長い屁理屈で反撃されるので黙っていた。
しかし、黒猫ケンちゃんの行儀の良さ、それを躾た姉家族の事はかなり見直した。いや、今頃見損なっていた訳ではないが。
食事のマナーだけでなく、トイレは勿論、爪研ぎだって専用の爪研ぎでしかやらない。更に定期的に風呂にも入れてるが厭がらないという。
もしかしたら、猫を躾るのは“猫好き”よりも“猫ギライ”の人間の方が向いてるのかもしれない。
そして、“猫好き”よりも“猫ギライ”の方が猫様の魅力にハマるともうとことん。らしい。
そしてそして、
元“猫ギライ”に育てられた猫様は“猫好き”に懐かない。
「ケンちゃ~ん。おいでおいで」
「あら、ダメよ了。アンタ猫臭いからケンちゃんが警戒してるのよ」
やっぱり“ケンちゃん”は猫じゃないらしい。