猫様の父子関係
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Q太郎の母はミケコだが、父親はと云うと半ノラの猫である。私が勝手に“シロスケ”と呼んでいるその猫はターキッシュアンゴラの様な白く長い毛で目などは左右の目の色が違ういわゆる金目銀目とも云うオッドアイである。
こうして文章で書くと、珍しく美しい猫のような気がするが、シロスケの風体はどう見ても“白いタヌキ”だ。
純白だった筈のフサフサした尻尾は雄猫特有の分泌物や埃や泥やその他諸々で灰色に汚れ、腹はポンポコリンで、顔は喧嘩で付いたらしい傷で凄味を増している。
ところで、雄猫と云うのは自分の子供がちゃんと判るらしい。
こんな、中年ニートみたいなシロスケでもQ太郎が自分の子供だと理解していて、Q太郎が危ない所に行かないように見ててやったり、遊んでやったり、あまつさえ、ちょっと素行の悪い雄猫が近付こうものなら身を呈して追い払ったりした。
これにはちょっと感動した。
そこらへんのチャラ男に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
しかし、そんなほのぼのとした親子関係もQ太郎が一才を過ぎた辺りから変わって行った。
実は、私はこのシロスケを少しばかり憎んでいるのだ。その理由は別の話で述べるが、憎くても猫である。暴力を振るったり、保健所へ強制送還するなどと云った暴挙は猫の下僕としてのプライドが許さない。
まあ、そんな事もあるのだが、父としてQ太郎を見守ってやっているシロスケを段々見直して来たあたりの頃だった。
家の外が騒がしい。
猫が喧嘩する時の、あの威嚇する独特の鳴き声がする。
「はあ、また、シロスケがQ太郎に意地悪をしようとしたノラ猫を追い払ってやってるのだな。御苦労、御苦労」
そんな風に呑気に庭に出た私は驚愕の光景を目の当たりにした。
なんと、喧嘩をしているのはシロスケとQ太郎だ。
しかもかなり本気っぽい。
何が何だか判らぬままQ太郎を呼ぶと
「下僕~! 父上が何だか変なのだ。怖いよー!」と、云った風に家の中へ駆け込んで来た。
当のQ太郎もシロスケの奇行に混乱している様子である。
それでもその日は「シロスケはQ太郎に喧嘩の仕方を教えてやっていたのだな」などと楽観的に考えていた。
数日後、Q太郎が外出したままなかなか帰って来ない。
車にでもひかれたか、誰かに拐われたか、と、心配したがシロスケはウチでのうのうとカリカリなど食っている。
「シロスケ、Q太は?」
「……」
シロスケとはいまいち意思の疎通が出来ないまま時間だけが過ぎてゆく。
シロスケはカリカリを食べ終えると台所の椅子に寝そべり、うたた寝など始めた。そんなシロスケにイライラしていると、開けっ放しの台所の勝手口の下の方にQ太郎が頭をちょこんと覗かせているのが見えた。
「Q太郎! どこ行ってたんだよ! 心配したんだぞ!」
私がそう云って手を伸ばすと、なんと、Q太郎はその手から逃げた。
いつもならすり寄って来るのに。
まるで人に飼われたことの無い猫みたいにビクビクして、警戒心剥き出しだ。
「Q太郎!」
「……下僕か?」
「そうだよ、ホラ、お腹すいたろう? 入っておいで」
「下僕は余の事を苛めないか?」
「当たり前だよ。ほら、おいで」
勿論、台詞はたぶんこう云ってたんだろう。と想像だが、あの時の事を思い出すとQ太郎は確かにこう云ってたのだ。
やっと、警戒心が解けたQ太郎を家の中に入れると、それまで寝ていたシロスケが、「フー!」と威嚇音を出した。
それを聞いてまた逃げようとするQ太郎を押さえ、代わりにシロスケの首筋を掴み、外へ放り出した。
この父子に何が在ったか、やっと判ったのだ。
もう、シロスケをウチに入れちゃいけない。
これは猫の父子の通過儀礼なんだ。もし、シロスケを家に入れてやっていたら今度はQ太郎が出て行ってしまう。
つまり、喧嘩は“親離れ”の儀式だったのだ。
もう、大人になったQ太郎に「此処を出て独り立ちしろ」とシロスケは云っていたのだ。しかし
「だがなあシロスケ、“出て行け”ったって、此処はQ太郎の家なんだよ。出て行くのはお前の方なんだよ」
猫には猫のしきたりとか決まり事があるのだろう。
しかし、鮎川はQ太郎の下僕である。
シロスケの下僕では無いのだ。