ウチの猫様が喋る件
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こんな事を云うと「この鮎川ってやつは前々からどっかオカシイと思っていたが、やっぱりオカシイ」などと思われそうだが、ウチの猫様・Q太郎は喋るのだ。
しかも、意味を解して喋っている。
“ゴハン”はどこの家の猫でも喋るだろうが、なんとウチのQ太郎は更に“オハヨー”と朝の挨拶までしてくれる。
「なんだ、鮎川は只の猫バカか」
読者様がそう仰ってる声が私には聞こえる。しかし、猫バカである事は否定出来ない。猫バカを通り越して猫の下僕と成り下がっている鮎川である。“猫バカ”でも“猫オタク”でも“猫信者”でも何とでも呼ぶが良い。
しかし猫が喋ると云うのは楽しい事ばかりではない。たまに……というかいつも“ウザッ!”と思ってしまう。
“ゴハン”は勿論、空腹を訴えている時に使う言葉だが、手が離せなくてなかなか用意してやれない時は延々と
「ゴハーン」と唱え続けるので大変ウザイ。きっとこれは我ら下僕を混乱の渦中へと陥れる呪いの言葉でもあるに違いない。
根負けして安いカリカリなどを皿に入れて「ちょっとコレ食べて待ってて」と、差し出すと、今度は
「無~い」
などとのたまう。
「カリカリあるでしょ? お腹空いたんでしょ?」
しかしQ太郎は皿に入った近所のホームセンターブランドの激安カリカリを恨めしげに見て
「無~い。無~い」と、繰り返すばかりだ。
つまり、Q太郎にとって好きでもない食べ物は其処に存在していても“無い”のと同じ事らしい。
或いは、“これは余の食すものでは無い”と云う意味か。
しかも、この「無い」は様々な用途に使える便利な言葉としてQ太郎は認識しているようだ。
余計な事を覚えやがって。どうせなら「マグロマグロうまいうまい」とか長くて可愛い言葉を喋ればいいのに。
しかし、猫が人の言葉を全部覚えたら恐ろしい。いや、たぶん奴等は愚痴しか云わないと思う。そうすると私のような世の猫の下僕達は延々と猫様の愚痴を聞かされるのだ。まるで意地悪な姑に苛められている嫁のように。
ああ、恐ろしい。