◆04 海賊の人魚と記憶喪失の美男子
銃声は一発ではなかった。
続け様に二発、不規則に三発。そして金属がぶつかる連続した軽い音。
「くそっ、何だあいつっ!」
空を撃ち、弾が切れた銃に口ひげは焦っていた。手下達も動揺している。平然と立ち上がるルージュにその場に居た全員が戦慄した。
ルージュは何事もなかったように、口ひげとの距離を詰める。
「願いは叶えるものさ。……口ひげアスターシ! 二言はないね」
そうルージュが言い放つと、口ひげはオールトに振り向いた。
オールトは何が起こったか理解する間もなく、抱え込まれるようにして筋肉質な太い腕に首を挟まれた。
煙草や腐ったものの臭いがする息を吐きかけられ不快感を覚えるも、首を絞められて気にしてはいられない。
「へへっ、大人しくしないと首の骨を折っちまうかも知れないぜ? お前もだ、それ以上近づくならこいつの命はない」
大人しくするも何も、筋肉隆々の口ひげに、並の男の力にさえ勝てないオールトが抵抗出来るわけもない。それに、首の骨を折られる前に窒息しそうだった。
弾はまだ有るはずなのに、口ひげは銃を捨てて、腰から舶刀を抜いて構える。
予想外だったのだろう。酸欠で朦朧とするオールトでも、口ひげが震えているのがわかった。
弱い弱いと思っていたルージュが、恐るるべき速さで銃弾を避けたのだ。信じがたい速さだった。
銃弾を避けた相手に、剣で何ができるというのか。まだ銃の方が距離を取れる分有利だったのに、口ひげは阿呆なことをした。
この時点で口ひげはルージュに勝てないのに、船長のプライドなのか、オールトを人質にとった。
そのためにオールトは窒息寸前だ。死んだら真っ先に口ひげを呪い殺し、次いでルージュに取り憑いてやろうとオールトは思った。
「卑怯だね」
「海賊に卑怯とは、褒め言葉だぜ。この男を助けたいならおれの刃にかかって死ね」
口ひげが後ろに下がってルージュから距離を取ろうとしている。そんな事がわかったって、オールトは空気を求めて喘ぐしかない。
「ごめんだよ。わたしはその男のために死ぬわけにはいかないんだ」
ルージュは声変わりしていないその声を、一段低くして言う。話し方は変わらないのに、冷たく聞こえた。
当然だ。会ったばかりのオールトを海賊の手から救うために、ルージュが命をかける訳がない。オールトだって自分のために他人が死ぬのは寝覚めが悪いが、あっさり言われるとルージュを批判したくなる。
血流が止められているのか、顔が熱くなってきた。思わず口ひげの腕を掻きむしるが、意味を成さない。
「……だけどお互い譲歩しないと話にならないな。その男と、わたしが持っている薔薇の宝石を交換しないか?」
「ふざけるな、この男もその宝石もおれの物だ。どちらもお前が盗んだくせに」
「そうだね。だけど今、この宝石はわたしの手にある。男と宝石、どっちがほしい? 決められないというなら、わたしはこれを持って逃げることにする」
「こいつを助けに来たんじゃないのか?」
「言っただろ。わたしはそいつのために命は捨てない。早くしてくれ、気が長い方じゃないんだ。わたしを捕まえるのは容易じゃないことくらい知っているだろ?」
口ひげは一瞬迷った物の、決断は早かった。
腕がゆるみ、オールトの体は空気を求めて大きく咳き込む。あと数十秒口ひげが迷っていたらオールトの意識は確実に飛んでいた。
咳き込んでうずくまるその背を口ひげは乱暴に蹴りあげて、オールトを立ち上がらせる。
「武器は捨てろ」
ルージュの命令に口ひげは舌打ちして従い、甲高い音を立てて舶刀は投げ捨てられた。
「次はお前がこっちに来い。宝石を見せろ」
「良いよ」
今度はルージュが口ひげに従った。その手にはオールトに欲しいかと見せてきた、薔薇の形をした宝石がある。
手を出すなと言われた手下達は、固唾を飲んで口ひげとルージュとのやりとりを見ていた。
息が整ってきたオールトはルージュを見るが、彼は口ひげに注意を向けていて気が付かない。
抱えられていたオールトは、髭を巻いたこの海賊が武器を捨てていないことを知っていた。懐に、細長く鋭利な物を隠し持っているのだ。
口ひげの考えていることがオールトには手に取るように分かる。
隠している武器で、隙を見てルージュを刺し殺す気だ。口ひげはオールトも宝石も手に入れられる。
もしオールトが叫んでルージュに危機を知らせれば、口ひげは自分を殺すだろう。死体でも需要はある。今オールトが生きているのは、口ひげが欲深い海賊だからにすぎない。
どちらに転んでもオールトにとって最悪だった。
オールトもルージュを助けるために命をかける気は無い。だからといって、このむさ苦しい口ひげの良いようにされるのも、絶対に嫌だ。
苦悩するオールトを知らずにルージュは手が伸ばせば届くところまで来た。
上手くいく保証も、体力に自信も無い。海賊達に捕まって、お人好しな青年の苦労を泡にするかもしれないが、やらない訳にはいかなかった。
意を決して、オールトはルージュから宝石を奪い取って走り出した。
口ひげ、その手下達、ルージュも、互いの挙動にばかり注意を向けていたために反応が遅れる。
「おい、何やって――!?」
「おまえら! あいつを捕まえろっ!!」
ルージュから距離取るために後退したため、口ひげの背後に手下達は居なかった。それでも、オールトは自分の足の速さを過信してはいない。走って海賊達から逃げ切れはしない。
オールトの予測ではこの先の向こうまで行けば良かった。
「オールト!」
男にしては高い声で名を呼ばれたのと同時に、オールトの足は崖を踏み越え宙に浮いた。下には荒れ狂う波がある。
攫われたときに、坂を登った。連れてこられた丘では潮風が吹いていたから、土地勘のないオールトでも、一方は浜辺になっていて、反対側は崖になっている、海に囲まれた細長い陸地に居るのだとわかって居た。
海に飛び込んでしまえばこちらの勝ちだ。海中で人を探すのは、それこそ海の住人でも無ければ難しい。走りに自信のないオールトが逃げるのに、もってこいの場所。
全身を硬い床に打ち付けたかのような衝撃と、冷たい水の感触に、オールトは息を吐き出した。どうやら岩にぶつかることなく海に飛び込めたらしい。
海上に顔を出して息を吸おうとするが、荒れ狂う波に押されては海に沈められ、満足に息が継げなかった。
遠くにオールトの名を呼ぶ声が聞こえた。
名を覚えても意味がないと言っていたくせに、ちゃっかり覚えている。
オールトも彼の名を覚えていた。自分の名前と共に。
“ルージュ”
それが何を示すのかはわからない。けれど、オールトは何か、とても大切なことを忘れている気がしていた。
それは、彼に関することではないのだろうか。ルージュと名乗った彼と居れば、記憶の手がかりが掴めるのではないかと思った。
なにより、彼の側は酷く居心地が良いのだ。だからついていきたいと言ったのだが、はねのけられた。
足手まといでなければ、彼と共にいられるのだろうか。
ならば自力で浮かび上がって泳がなければいけないのに、手を伸ばせば波に埋められた。
流されるまま沈んでいく体に、オールトは自分が金槌だったと思い出した。
※登場人物紹介(ネタバレ有り、キャラ崩壊、読み飛ばし推薦、以降追記有り)
*アスターシ(=口ひげ)
口ひげ海賊団の船長。自分をラッキーマンだと自負している。口ひげの巻き加減に毎日苦心している。へーきで手下を撃っちゃうので人望がない。
典型的な初ボス。