◆02 薄命男の残酷な記憶
規則的な呼吸を聞いて、ルージュはそっとオールトの額から手を下ろした。代わりに絞った濡れ布巾を置く。
船長室にあったベッドは、背の高いオールトが寝てもまだ余裕があった。ルージュが寝ようと思っていたのだが、初日から占領されたため、一度も横になったことはない。
今でも思い出せる。
夜も更け、着替えようとしたときに、突然オールトが部屋にやってきたのだ。ノックの義務は船員達に言いつけてあるものの、確実に女とばれていたところだ。
たとえ個室でも、注意しなければと衝立に隠れたルージュを尻目に、オールトはそそくさとベッドに向かった。
「ノックくらいしろ! 何でわたしの部屋に来た?」
素早く服を着て、どういうつもりかと憤るルージュに、オールトは面倒そうに言った。
「俺は船長のお気に入りなんだろう?」
ルージュはオールトの貞操を守るために、船長になると決めたと同時に、彼がルージュの恋人だと、船員達に宣言したのだ。全て不本意ではあったが。
彼がルージュの気に入りと言うことは、同室してもおかしくない。むしろ、同じ部屋で過ごしていないと、仲違いされたと思われるだろう。
オールトを愛人宣言した時点で、そこまで考えていなかったルージュは項垂れた。
「言った。だけどそれはふりだろう? 現にわたしとオールトはそういう関係ではないのだし、いつも同じ部屋で過ごさなくても……」
「あのむさ苦しい男達の中で寝ろと? 船長命令はあるけどな、触られなくとも後をつけられたり、告白されたりもする。安心できるか」
「……大変だな」
嫌そうに綺麗な顔を歪めるオールトに、ルージュは同情した。
長期間、男しか居ない海賊船に乗っていると、彼らの趣向が歪んでいるのがよくわかったものだ。そうならざるおえなかったというか。
女のルージュには踏み入れられない世界だが、この船に乗る多くの船員も例に漏れないらしく、オールトの美貌に触れたがる者が後を絶たない。ルージュでさえ見とれてしまったくらいなのだから、分からないでもなかった。きっと彼の美しさは男女関係なく、老若全て魅了してしまうのだろう。
オールトはルージュの知らない苦労をしているらしい。
「そういうわけだ。俺は安眠がほしい」
「……わかった、わたしの部屋で眠ればいいよ。じゃあ、わたしはどこに寝ようかな」
船長室は個人が十分快適に過ごせる広さがあった。箪笥や机など簡単な家具も揃っている。寝台の代わりになるとすれば長椅子が丁度良さそうだった。
「ん? 俺と一緒に寝れば良くないか? 小さいお前なら余裕だぞ」
「……本気で言っているのか? わたしはこんな態をしているが女だぞ」
あまりにも平然に言うものだから、ルージュはオールトを胡乱げに見た。
オールトは馬鹿にしたようにルージュを笑う。
「はっ、俺のことを意識しているのか? 言っておくが、俺はもっと胸のある女が好みだ」
「っ、馬鹿がっ!」
手近にあったクッションをオールトの顔に投げつけて、ルージュは置いてあった薄布を手に、長椅子に寝っ転がった。
不覚にもオールトに胸を触れられたことがある。その張本人に言われ、ルージュはちょっと傷ついた。
線は出ないように細工はしているが、だからこそ誤魔化し続ける事が出来てきた大きさだ。
男として生きてきたから、気にする事は無かったというのに、指摘されると恥ずかしくなってくる。
「鍵、ちゃんとかけとけよ」
投げつけられたクッションを枕に、寝そべるオールトはぽつりと言った。声に笑いが含まれているのがいらだたしい。
ルージュは無言で起き上がり、扉にある重厚な鍵を回した。再度長椅子に横になって、蓑虫のように布にくるまる。
ルージュは鍵の存在を知らなかった。
そんなことがあって鍵がかけられた扉が静かに叩かれた。
ルージュは歌うのを止めて、そっとオールトの前髪を払うと、船長室を後にした。
航海は順調だった。船首で二人、静かな海を眺める。
ルージュは様々な海賊船を渡り歩いてきたが、船長になることはなかった。理由は、労力に見合うだけの必要性を感じなかったためだ。ある財宝を探すのに、情報を手に入れる方が重要だった。
そのため、あまり長い期間同じ船に乗っていなかったルージュは航海術に詳しくなく、組織での振る舞いに慣れていない。
船長として上手く船員達をまとめ、安全に航海できる自信は無かった。そんなルージュを助けてくれたのが彼だ。
「波も穏やかですし、このまま珊瑚の町に進みます? お勧めはしませんが、近くの町に依りましょうか? 食糧を補給する必要は特に無いですけど」
「いや、このまま進もう。寄り道は極力控えたいかな」
「わかりやした。この分なら、予定より早く着くでしょうよ」
ルージュを呼びに来たのは中肉中背の男――レオポルトだった。
彼は自分の名前を忘れたのだという。だから好きに呼べと言われて、ルージュはレオポルトと呼ぶことにした。
彼にはあまりにも特徴というものがなく、副船長の威厳をつけてほしいがために勝手につけたが、本人は呼ばれるたびに苦笑いする。気に入ってはいないらしい。
どこにでもいそうなこの男は、以前乗っていた船の副船長も務めていた。その時の船長、口ひげのアスターシをルージュが倒したことにより、レオポルトを含めた船員達がルージュの元に集ったのだった。
馴染みのある船乗り達のおかげか、レオポルトを中心に船は滞りなく航海をしている。
「医者に診せなくても大丈夫なんですか?」
「オールトのこと? ……断られたよ。用もないのに泊まるなと言われた」
「健気なお人ですねえ」
出航後しばらくして、オールトは熱を出して倒れた。
アルタ-シの件で一日に二回も溺れかけ、死にかけたのだから、すぐに体調が悪くならなかったのが不思議なくらいだ。
あまり体が強く無さそうなオールトの熱は、案の定中々下がらなかった。心配すれば、大丈夫だと頑なに断られた。
健気……というものなのか。ルージュには手負いの獣のようにしか思えない。
このまま熱が下がらなければ、体力が持たないだろう。彼の体では、過酷なこの船旅には耐えられないのでは無いだろうか。ルージュがオールトにしてあげられることは、何があるだろう。
こんなにも天気が良いというのに、彼は今も寝台に縛り付けられている。
※登場人物紹介(ネタバレ有り、キャラ崩壊、読み飛ばし推薦、以降追記有り)
*レオポルト(=中肉中背)
特筆すべき特徴のない副船長。一章で口ひげ海賊の副船長を務め、主要キャラ昇格を果たしたダークホース。二章からつけられた名はルージュしか呼ばない。
口調が定まらない発展途上キャラ。




