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シェウの登場

※注意書き、という程でもないですが、この話は第5部くらいまでは主要人物の紹介に終始します。それ以降それぞれの人物が複雑に絡み合う怒涛の展開となるので、今しばらくお付き合いください。


シェウはまだ小さい頃、絶対にこの森に踏み込んではならないとキツく言われていた。

魔物がうようよしているし、とても深い森なので一度迷えば二度と抜け出すことはできない。彼の住んでいた村ではこの森を「グアダラの胃袋」と呼んでいた。グアダラとは彼の育った村に昔から伝わる土着神の名前で、かつて一国を飲み込んだとされていた。一国を飲み込むほどの胃袋とはどれだけの大きさは分からないが、確かにこの深い森はそんな俗称を人に思いつかせるほどには大きかった。

 

シェウは登山用のリュックを背中に背負い、腰には剣を携えていた。幸いまだ魔物には出会っていないが、こんな辛気臭い森に入るのに何も武器を持たないなど狂気の沙汰である。

 

彼は屈強な元戦士だった。元というのは軍隊が嫌になって抜け出してきたのである。右を向けと言われれば右を向き、死ねと言われれば死ななければいけない、そんな不条理な役目を負わされるなど彼には我慢できなかった。軍を辞めてから傭兵業をやり各地を転々としていたが、それも飽き、今は気ままな冒険者兼トレジャーハンターとして生活していた。

 

こんな辛気臭い森――彼に言わせれば――にやってきたのもそんな生業の一環であった。どうやらこの森にはなにかあるらしい、という直感が働いたのだ。こういう直感はだいたい当たっていたし、時に外れたとしても無駄足を踏むだけである。何も損することはないので彼はいつも直感に従うようにしていた。

 

森は異様に静かであった。鳥の鳴き声もしなければ、魔物の唸り声もしなかった。グアダラの胃袋と呼ばれるくらいだからどれほどおぞましい所かと最初は思っていたが、なんてこともない普通の森である。ロッコン森林地帯には精霊が住むとも聞いていたが、精霊が住んでいるならもう少し神秘的な雰囲気をもっていても良さそうなものである。精霊とやらを見れるかもしれないと少しワクワクしていたシェウは、肩すかしを食らった気持ちだった。

 

シェウは空を見上げた。木々に阻まれてその全貌を見ることはできないが、隙間からでも青く晴れ渡っているのがわかる。空から降り注いだ光は木々の間を縫うようにして森を照らし、埃や虫にぶつかって乱反射を起こし、まさしく光のヴェールと呼ぶにふさわしい光景を見せていた。

 

地面に堆積した腐葉土を少し掘り起こせば、そこには虫と微生物と自然とが織り成す生態系が、さながら小宇宙とでも呼ぶべく複雑系を保ち、この大地の上で細々と存在している。

 

光は大地を温め、枯葉や死骸の分解を促進し、微生物や虫がそれを食べ、土を耕し、土壌を豊かにする。豊かな土壌から木々は栄養を吸い上げ、成長し、時が経てば腐り倒れ、また土に還る。

 

シェウは山育ちであったから、そんな自然の奇跡的なサイクルを知識としてではなく、体全体で実感した上で死生観にまで昇華していたのは当然のことであった。彼にとって死とは土に還ることであり、自然の一部に戻ることであったため、彼は全く死を恐ることもなければ、生きることに執着することもなかった。そんなある意味純粋素朴な死生観は単純であるが故に非常に強く、シェウは戦場で一度も恐れたことも無ければ、敵を切り殺すことにもなんの躊躇いも無かった。彼らもまた死んで土に還るだけだからである。その勇猛果敢な戦いぶりと、神をも恐れぬ憮然とした態度から傭兵時代は「100人切り」とか「鬼神」などと渾名されていたが、彼にとって渾名など折れた剣以上に何の意味もないものであった。

 

トレジャーハンターに職を変えてからもその渾名で呼ばれることがあるのには辟易したし、周りからまるで英雄のように見られるのはなんとも嫌な気分だった。


――戦争の英雄なんていやぁ、いうなれば人殺しの大親分ってことだぜ。褒められたもんじゃないな――


 戦争なんてものはやるもんじゃない、というのがシェウの口癖である。一時とは言え戦士として身を立てていた者の言う言葉ではないが、だからこそこの言葉は戦場に立った者にしか言えないのである。

 

だが彼がこの言葉を口にすると、大抵は嘲笑か家が吹き飛ぶような大爆笑が沸き起こるのが常であった。割れんばかりの拍手が沸き起こり、やんややんやと面白おかしくはやし立てるものもいた――だいたい飲み屋で話すので、みんな後のことなど何も考えてないのである――

 

そんな彼らを冷ややかに見やり、やれやれと黙って店を後にするのが彼の常であったが、彼が去ったあとでも店の中はシェウの話題でもちきりになり、彼を大馬鹿者呼ばわりするものもあれば、戦場で気が狂った変人と笑う者でもいるなど、日頃の鬱憤をシェウにぶちまけては、溜飲を下げる者で一杯になった。

 

こうしたいざこざはもともと一匹狼な気質を持っていた彼を一層孤立させた。といっても昔から一人が嫌いではないシェウはむしろ孤立していたほうが気分が落ち着くくらいで、特に気になどしていなかったが。

 

シェウはこうやって一人で野山を歩き回っている時が一番心が落ち着いた。戦場での彼を知る者なら今の彼が醸している穏やかな雰囲気に驚くであろう。あの剣を棒切れのように扱い、敵を躊躇いもなく切り殺す、勇猛果敢な兵士である彼は、その厳しい風貌と相まって、敵のみならず味方にすら恐れられるくらいだったのだから。

 

無論彼を味方にすればこれほど心強い事もない。彼は先述の理由で軍を止めたのだが、上官からはかなりの反対を受けたものだった。しかし相手も強引に彼を止めるわけにもいかなかった。下手をすれば自分が斬り殺されてしまうからだ。戦争は嫌いだが、自分の邪魔をするものには容赦が無かった。シェウはそういう男だった。

 

シェウは近くに流れていた川で顔を洗って一息ついた。かなり長い時間当たりを散策しているが、これといって何も見つからない。久しぶりに勘が外れたのだろうかと訝しんでいる時、ふと先の方に木造りの家のようなものを発見した。

 

明らかにおかしい。この森の中に住むなど狂気の沙汰である。危険を感じたシェウであったが、躊躇いなく家の方に近づいていった。

 

家、というより小屋に近いそれは、どこも壊れた様子もなく、所々汚れているものの比較的綺麗であった。シェウは昔聞いた森に住む魔女の話を思い出していた。曰くその魔女は人を騙し、家に連れ込んで食べてしまうのだとか。

 

そんなおとぎ話を信じているわけではなかったが、警戒することに越したことはなかった。シェウの体がにわかに緊張で堅くなる。まずは家の反対側に回り窓から中を覗みたが、家の中には誰もいないようだった。それからまた反対側に回り扉の前に戻った。


シェウは優秀な戦士であったから、誰がここに住んでいるのだろう、とか、そういったくだらない疑問をすべて頭から振り払い、どんな状況にも耐えられるよう当たりに気を配る事に全神経を費やした。それと同時にいつでも切り込めるよう左手を剣の鞘にかけ、臨戦態勢を取ることも忘れてはいなかった。リュックサックは自然と下ろしていた。

 

トラップに警戒しつつ、ゆっくりと木造りの扉を押すと、鍵がかかっていないためすんなりと開いた。扉の隙間から中を覗き、安全を確かめると、扉を全部開けてするりと中に入った。

 

中は暗かったが、窓から陽の光が差し込んでいるため真っ暗という程でもない。ランプはいらないだろう。長いあいだ誰も住んでいないのか、家の中は蜘蛛の巣がはってあったり埃が積もっていた。右側に扉があり、その手前に階段がある事を確認してから、シェウはまず一階の探索を始めることにした。

 

しかしこれといって何も見つからず、次に階段を上って二階にあがってみたが、二階というより屋根裏部屋というに相応しいそこには、薄汚れたベット一つあるだけで他にはなにもなかった。

 

仕方なくまた一階に戻って右側の部屋の前に立つと、なにか言い得ぬ緊張が体を走った。べったりと体に張り付くような、不快感が彼を襲ったのである。まるでこの扉の向こうに足を踏み入れてはならぬと、誰かが警戒しているかのように。

 

シェウは一度深呼吸をして気を落ち着かせた。似たような不快感は前に一度だけ経験したことがあった。ある村の自警団に傭兵として雇われていたときの事だ。その村は魔族領に近かったので、気まぐれに村を襲う魔物に悩まされていた村人は、偶然通りかかったシェウに助力を求めたのだ。シェウはちょうど金も無かったのであっさりと引き受けたのだが、これが間違いだった。

 

シェウはそれまで魔物の退治を幾度かしたこともあって、今回の任務もそれと同じだと鷹をくくっていたのだが、最悪な事に、その時魔族は大軍勢を従えて村を襲ってきたのだ。なぜかは分からない。しかし村一つを潰すのにはあまりにも凶悪強大なその軍勢は村を一のみにすると、手当たり次第に村人を惨殺した。辺りに散らばる肉片。人の肉を貪るグールの群れ。女子供容赦なく文字通り引きちぎり、食いちぎる異形の化物たち。血の海が村を赤く染め上げ、阿鼻叫喚、叫び声や鳴き声で村は一夜にして地獄へと変わってしまった。しかしそんな声もすぐに静まり、あとは化物が喉を鳴らす音や、咀嚼する音ばかりだった。


シェウもよく戦ったが相手が強大すぎた。おぞましい化物どもを何百体と切り伏せたが、次から次へと湧いてくる化物どもを相手にしきれるわけがなく、逃げるしかなかった。シェウは死を恐れないが、こんな田舎で死ぬつもりは毛頭なかったので、自警団の壊滅を確かめるやいなや見切りをつけてさっさと逃げる事にした。シェウを卑怯者と笑うものは彼の見た地獄を見たことがないからで、何千何万と押し寄せる異形どもが津波のように襲いかかり、イナゴが穂を食い散らかすように、人間を食い散らかすのを見て、逃げない方がおかしかった。


彼は必死に逃げた。ここは彼が渡り歩いたどんな戦場よりも悲惨だった。少しでも足を止めれば背後からグールが襲いかかってくるだろう。なんとか逃げ切ることができたが、おぞましい悪魔どもの狂宴は、彼の記憶にしっかり刻まれた。


村から遠く離れた草原で、自分の手がぶるぶると震えているのを見たとき、彼は初めて自らが恐怖していたのを悟った。不快感が全身を襲い、脂汗がたらたらと肌を伝う感触も初めて味わうものだった。

 

今の彼もそれと同じ不快感を感じていた。この不快感はまた、あのおぞましい記憶を想起させた。


――逃げ出してしまおうか、あの日のように。


 そんな事がちらりと頭に浮かんだが、彼の誇りがそれを許さなかった。

――そうはいくかよ……。


 ぐっと体に力をいれて扉を押すと、難なく開いた。扉の隙間から紙の束が辺りに散らばっているのが見えた。


 ゆっくりと扉を開けると、目の前には異様な光景が広がっていた。まず床に散らばった大量の紙が目に付き、次に散乱したフラスコやランプなどの実験器具が目に付いた。薄汚れたガラス容器には実験に使ったであろう薬草や小動物の成れの果てが入っていて、つんと嫌な匂いが花を付くようであった。それらの実験器具や実験器具を置いてある机には薄く埃が積もっていた。


 右手には暖炉があるのだが、その前にはフラスコを置いておくために使うのであろう三脚が鎮座し、その周りにだけ紙の束が除かれていた。さすがに火災を警戒したのだろう。


 シェウはさすがに動揺することもなかったが、変なところに迷い込んでしまったものだと今更ながらにちらりと思った。


 だが部屋の奥に人影が見えたときは一瞬ぎくりとした。よくよく近づいてみるとそれは白骨死体であった。この家の住人だろう。死後何年経っているかも分からない。おそらく数十、下手をしたら数百年経っているかも分からない。生前は魔術師か錬金術師だったのだとこの部屋の状況からシェウは推察した。


 シェウは白骨死体から、彼の前にある机に目を移した。そこには5冊の辞書大の書物が置いてあった。薄く埃が積もっているが、状態は良いようだ。


 白骨死体に気をつけながら、試しに一冊開いてみたが、何が書いてあるのかは良くわからなかった。シェウは田舎育ちにしては珍しく読み書きができていたから、字面を追うことができたのだが、肝心の内容が難解すぎて理解できなかったのだ。本には「魔術による思念の最定式化」とか「混沌にまつわる魔術の諸問題」など、一見して良くわからない言葉が散見していたが、時々「製鉄技術の課題と解決策の提示」や「信仰における永遠性について、ダンペツ氏との対話より」とか、魔術以外の文章も載っていて、この本を書いていた人物が魔術だけではなくあらゆる分野に精通していることをうかがわせた。


 ふとシェウの頭にかつて母親から聞いた話が唐突に浮かんできた。約100年前に実在したと言われている大魔術師の話である。曰くあらゆる分野を極め、その名声は大陸中に知れ渡っていたとか。しかし晩年は突然行方をくらまし、どこかに隠れ住むようになったとか。


 確証はなかったが、シェウはこの人物がその大魔術師ではないかと勘ぐった。もしそうであったならこれは大発見である。文献としての価値はいかほどだろうとシェウは少し考えてみたが、魔術の研究が盛んなミンスナで売り込めば少しは金になるだろうと思った。そうでなくてもこういった本を集めるマニアを商人なら知っているはずなので、そういった好事家に高く売りつけるのもありだった。


 シェウはさっそく5冊の本を持ち出した。床に散らばった何百枚にものぼる紙はさすがに持っていけないのが残念であったが、仕方が無い。ミンスナの魔術師にこの家の事を教えて、情報量をふんだくってやろうとシェウは思った。意外にしたたかな男だったのだ。


 家の外に出てリュックに本を丁寧に詰め込んだ時、人の気配がした。それも一人ではなく、何十人という大勢の気配である。なにか不穏な空気を感じたのである。こういったシグナルを感じ取る獣じみた芸当は、野山で培ったものであった。


 シェウは落ち着いて魔術師の家から離れ、自分の気配を悟られないぎりぎりの間合いに隠れた。どんな奴らが来たのか確かめようという魂胆である。


 果たして30人からなる団体が家の前に到着した。ローブに身を包んだ集団に、甲冑を着た兵士が数名混ざっている。フードを被っているため顔まではよく見えない。魔物を警戒してか、兵士は家の周りを囲むと、辺りに目を配らせ始めた。ローブを着た者達はなにやら扉の前で話しているが、遠目からでも彼らが興奮しているのが分かった。動きがせわしなく、身振りがやたらと大きいのである。シェウは彼らをじっと観察していた。


 話し声は聞こえないが、口の動きから彼らが「ヒポ」という単語を多用していることが分かった。シェウはやはりここがあの大魔術師の家だったのだと確信した。期待に胸が高まった。


 ローブ集団の一人がフードを上げた。中から燃えるような赤髪が現れた。驚いたことに

女性であった。年は20代前半だろうか。大きくきりりとした目つきと、真一文字に結ばれた唇から気難し性格をにおわせる。赤髪というのはこの大陸ではかなり珍しいが、顔つきはこの大陸特有のスラリとした細面である。背は高い方ではないが、ぴしりと背筋を伸ばし、背格好に似合わずその顔と相まって他を圧倒するような雰囲気を与えた。


 赤髪の女性がふと、シェウの方をみやった。シェウは微動だにしなかった。こういう時は慌てて身を隠す方が見つかりやすいのだ。狩りをする時の獣のように全く気配を消してしまった今のシェウは、彼らには絶対見つからない自信もあった。


 女性はしばらくシェウの方を見ていたが、ぷいっと視線を元に戻した。少し気になったからちょっと見てみた、といった感じである。恐ろしく勘のいい女である。


 彼女がこの集団のリーダーなのだろう。彼女は扉に近づくと何やらぶつぶつと唱え始めた。青白い光がすっと彼女からほとばしり、扉、そして家全体を包んだ。魔術である。シェウは彼女たちがミンスナから来たのだと判断した。


 となるとお目当ての品はなんだろうか。どこまで情報を持っているのだろうか。この本の事は既に知っているのだろうか。色々な疑問がシェウの頭にふつふつと沸き起こった。                                                                    

 だがここで彼らに聞くわけにもいかない。いずれにせよ、彼らがヒポについていささかも興味を減じていないことを確認できただけでも良しとした。この本を高値で売りつける算段ができたのだから。


 シェウは彼らに気づかれないように静かにその場を離れた。誰も彼のことには気づいていない様子であった。家の周りを囲む兵士もなんだか緊張感がない。いざとなれば魔術師に頼ればいいとたかをくくっているのだろう。そんな安心感がありありと伝わってきた。


家から離れ、あとは記憶を頼りにこの森を抜け出すだけである。森から抜けた先、向かうのはもちろんミンスナであった。「グアダラの胃袋」から出るには少々骨は折れるだろうが、この本が売れることを夢見て我慢しよう。シェウはそう気楽に考えていた。


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