青探し<アヲサガシ>
<夜の体育館に青い人が出る>という噂が広まったのは、一ヶ月ほど前の事だ。それが学校中の噂になったのにはもちろん原因がある。ちょうど一ヶ月前のその日に、放課後の校門で俺の親友のリョウが道行く生徒に向かって<深夜の体育館に近づかないでくれ>と叫びまわる事件を起したからだ。
そのとき俺はサッカー部の部活が終わった帰り道で、騒ぎを聞きつけた女子から、<リョウが大変なことになってるから止めに来て>という連絡を受けたのだった。
「青い人ってなんだよ、青い顔した人ってことか?」と俺は取り乱すリョウの肩を壁に押さえつけて聞き返す。その時リョウは殆んど半狂乱で、まともに話ができる状態ではなかった。とにかく落ち着かせなくてはと、俺は無理やり力づくで人の居ない学校裏の林道まで彼を引っ張ってきた。
「それとも全身青い服を着た人、とか?変態が校内をうろついてるって事かよ」
「そうじゃないよ。そんなんじゃないんだ、それに、ここはやばい」と彼は真剣な顔をして言う。リョウは緊張から俺の腕を強く握り返す。それは細身のリョウからはとても信じられない力で、俺はまるで魂まで掴まれたような寒気がした。
「そいつは人のかたちをした、青のかたまりなんだよ。皮膚も、瞳も、舌も歯も、ぜんぶ、ぜんぶ、青なんだ」
俺の腕には数日消えないあざが残った。
リョウが翌日から学校に来なくなったことで、噂は爆発的にその根を成長させることになった。ショッキングなひとつの事件と、<青い人>という謎のワード。噂の腐葉土が整った環境で、それを根絶する方法などありはしない。
<青い人って一体、何なんだ?>
<受験疲れの、ノイローゼだったんじゃないの。>
<青い人に出会うと、どうなるんだ?>
<青い人を見たって奴が他にも、いるらしいぞ。>
噂はさらなる噂を呼び、好奇心の導くままに誇張され、改変され、増殖していく。俺はリョウを発端にしたおかしな噂が日々どんどんと悪化していくことに耐えられなかった。リョウと話し合おうとしても、メールにも電話にも応えようとはしない。代わりに連絡をくれた彼の母親から聞いた話によると、リョウは自室からも殆んど出てくる事が無くなってしまったらしい。
しかし、つまらない噂が一人歩きすることなんて、それから起こることに比べればささやかな事だった。
<青い人は、昼間には生徒になりすまして授業を受けているらしい>という噂がどこからか生まれると、学校中で「青探し」という遊びが流行り始めた。
それは最初、ささやかなイタズラが発端だった。誰かの机の中に、<お前が青い人だ>と青い文字で殴り書きされた一枚の紙を忍ばせる、という実に下らないものだ。そんなイタズラが学校中で男女を問わずに流行し始めると、気がつけばそれはいつしかゲームのようなルールを付け足され、儀式の体を成していく。
<その紙を手にした者は一週間、クラスの誰からも口をきいてもらえない>というルールが追加される頃には、最初はゲーム感覚だったクラス中の<青い人予備軍>は頭がおかしくなるほどの不安に突き落とされることになった。どれだけ叫んでも、暴れても、手紙が回ってくれば一週間の間クラスの同級生から徹底的に、空気のように扱われるのだ。そこから逃れる術は無い。
<青い人候補>になった者がその立場から抜け出す方法はただひとつ。週末の休校日をひかえた金曜日の放課後に、次の犠牲者となる者の机の中へ「お前が青い人だ」と書いた手紙を潜ませることだった。
次は自分が<青い人候補>になってしまうのではないか。恐怖が学校を支配すると、負の感情が形を求めるようにして、最後の噂が追加された。
<4週間連続で青い人候補になった者、それが本物の青い人だ>
「こんな馬鹿なゲームに、君が付き合うことないよ」と、アイは俺に向かって言う。彼女は俺とリョウの幼なじみだった。リョウが事件を起した日も、いちばん最初に連絡をくれたのは彼女だった。
「そんな張り紙を作って、どうなるかわかってるの?」
「じゃあ、このまま黙ってゲームの参加者でいろってのかよ」
俺は心底、頭に来ていた。リョウをからかうようにして作り出した噂話で、最後には自分たちでも止められないゲームを作り出してしまった学校の皆が許せなかった。
「だからって、ヒロキが犠牲になること、ないじゃない」
アイは俺に背中を向けた。アイの眼が涙に濡れている事に、俺は彼女の顔を見ずとも気づいた。
それでも俺は構わずに作業を続けた。俺とアイとリョウは幼い時からどんな時だって三人でつるんでいた。家族同然、兄妹同然だったこの関係がこの一ヶ月で滅茶苦茶に狂ってしまった。傷つきやすいアイが誰よりもそれに心を痛めていたことを、俺は知っていた。
なにより、それに何もしてやれない自分自身がいちばん許せなかった。だから俺は行動することにした。俺は学校の掲示板のいちばん目立つところに、青い文字で大きな張り紙を張ったのだ。
『俺が青い男だ。青探しの手紙は全て、俺の机に入れるように。 3-C 百瀬ヒロキ』
張り紙にはそう書かれてあった。
それは噂話のとらえどころの無さを逆手に取った解決法だった。形を持たない噂をコントロールする方法はたった一つ、誰かが意図的に形を与えてやればいいのだ。その張り紙は朝の登校時に人だかりを生み、すぐに教師によって剥がされてしまったが、目的は十分に達成された。その情報はすぐに学校中を駆け巡り、翌週から俺の机は<お前が青い人だ>の手紙で溢れるようになった。
「本当にヒロキって馬鹿だよね。学校中でシカトされて笑ってるなんて」
放課後の帰り道、アイは俺と並んで自転車を押しながら言う。
「ああ、だって馬鹿みたいじゃないか、みんな訳のわからないルールに踊らされて、最後には俺がつくったルールに従ってるだけなんだからね」そしてまた俺は笑う。
「あとは皆がこのゲームに飽きるのを待つだけでいいのさ。青い人が俺だって答えが出てしまったら、噂の広がりようも無いじゃないか。その青い人が何も悪い事をしないで、ただへらへら笑ってるだけなんだから」
しかし、アイの顔は曇っている。
本当にこれで終わると思う?とアイは暫く黙った後で、言った。
二週間後の月曜日に俺の机の上に乗せられていたのは、先週よりもはるかに量を増した<お前が青い人だ>の手紙と、クラッカースプレーで真っ青に全身を着色された野良犬の死体だった。
誰がこんなことをやりやがったんだ、畜生、と俺は叫ぶ。けれどクラスメイトは誰ひとり俺に取り合わず、授業の準備や雑談を続けた。俺は反射的にかっとなっていちばん近くにいた同級生の男に掴みかかる。
「ふざけるなよ、こんなの、犯罪だろうが」と俺はそいつの目を睨んで言う。
「誰がやったんだ。お前、見てたんだろう、無視なんて、やめろ」
しかし次の瞬間、彼は目を見開いて絶叫した。
寄るな、お前が<青い人>なんだろうが、寄るな。
俺はその言葉にあっけにとられて腕の力を弱める。相手はその隙に俺を激しく突き飛ばすと、走って教室から飛び出していく。
俺はしばらく呆然としていたが、力なく立ち上がると、そのまま教室を出た。
気がつけば俺はふらふらと、学校を取り巻くように続く林道を歩いていた。
授業開始のチャイムが鳴り、辺りには誰も居なかった。俺はほとんどまともに思考することができなかった。つい最近まで普通に会話をしていたはずの相手に、自分がそこまで酷く拒絶されたことが、現実だと思えない。自分が自分でない者になってしまったような錯覚さえ、感じた。なによりあれだけの騒ぎを起しても、周りの生徒たちが俺を執拗に無視し続けたことへの恐怖が耐えられなかった。
そのまま歩き続けると、自然と足はリョウと最後に会話した場所に辿り着いていた。あの時、リョウを押さえつけた壁だ。俺はその壁を直視できずに背を向けて、林道の真ん中で泣いてしまう。嗚咽が漏れて、涙が止められなかった。
あの時は乱暴してごめんな、リョウ。本当に、ごめん。
「こんなところに居たんだ、探したんだから」と、後ろから声が聞こえる。
アイの声だ。騒ぎを聞きつけて、俺を探しに来てくれたのだろうか。
「ごめん、やっぱり、作戦失敗だったみたいだ」と、俺は慌てながら眼をこすり、泣いているのが彼女にばれないよう振り返らずに、言う。
「教室ではバケモノ扱いだ。こんなことになるなんて」
「なに言ってるのよ」と、アイは俺に明るい声で言った。「こういう時こそ、いつもみたいに笑わなきゃ、だって」
そんなアイの心配する声を聞いて、俺はいつまでも泣いている訳にはいかなかった。
「そうだよな、ありがとう」と俺は振り返る。
しかしそこには誰も居ない。そこには壁しかない。
何かがおかしい、と俺は気づく。この壁の向こうには何があった?
体育館だ、この壁は体育館の外壁だ、と俺は気づく。
<だって、あなたが青い人なんでしょう>と壁の向こうから声は聴こえた。
アイの眼球が、青い色に染まっている様な気がした。