第8話「忍び寄る強欲な影」
村の中央広場には日中から幾つもの石組みの竈が作られ、赤々とした炎が薪を包み込んでいた。
これまで飢えと寒さに耐えるだけだった村人たちが、初めて迎える豊穣の祝いの準備に取り掛かっているのだ。
巨大な鍋の中では麦と数え切れないほどの野菜が煮込まれ、濃厚な白い泡を立てている。
肉の脂に頼らずとも、大地が育て上げた作物の甘みだけで、むせ返るような芳醇な香りが村全体を覆い尽くしていた。
子供たちは巨大なキャベツの葉を帽子のように頭に乗せてはしゃぎ回り、大人たちも久しぶりに酒樽の栓を抜いて喉を潤している。
アレンは賑わう広場から少し離れた柵のそばに立ち、その光景を静かに見つめていた。
奴隷としての生しか知らなかった彼にとって人々が歌い笑い合う宴の場は、あまりにもまぶしすぎてどう振る舞えばいいのか分からない。
騒ぎの中心にいるよりも、こうして少し離れた場所から彼らの笑顔を眺めている方が、アレンの心は穏やかに落ち着いた。
足元では、コロが丸太のように太いニンジンの端切れを前足で押さえ込み、夢中になって削り取っている。
夜の空気は冷え込み始めていたが、コロの豊かな毛並みから伝わってくる陽だまりのような熱が、アレンの足首を心地よく温めていた。
平和な時間が永遠に続くかのように思えたその時だった。
アレンの意識の奥底で、微細な不協和音が鳴り響いた。
彼は無意識のうちに姿勢を低くし、右手の手のひらを地面に押し当てる。
神経を研ぎ澄まし、手のひらから伝わる土の振動に意識のすべてを集中させる。
土の奥深くを流れる水脈の穏やかなせせらぎに混じって、異質な震えが混入していた。
それは自然の風雨がもたらすものではなく、金属の重みと乱暴に大地を踏みにじる多数の足音だった。
馬の蹄が土を無惨にえぐり取る感覚。
分厚い革靴が、芽吹こうとする命を無慈悲に踏み潰す冷たい重圧。
大地が嫌悪感に身をよじり、痛みに耐えかねてかすかな悲鳴を上げているのが、アレンの手のひらを通して痛いほど伝わってきた。
『かなりの数だ……』
振動の波長から推測するに、数十人の集団がこちらに向かって進軍してきている。
歩調に迷いはなく、明らかにこの村を目標としている真っ直ぐな軌道だった。
行商人が村の豊かさを周囲に漏らしたことで、隣接する領地を治める強欲な代官の耳に情報が届いてしまったのだ。
あの男は領民の飢えを救うためではなく、自身の倉を肥やすために略奪を繰り返しているという噂を、村の老人が顔をしかめて語っていたのを思い出す。
アレンはゆっくりと立ち上がり、暗闇に沈む地平線の彼方を見つめた。
怒りや恐怖というよりも、冷たく研ぎ澄まされた静かな感情が彼の胸を満たしていく。
「アレンさん」
背後から足音が近づき、セリアの声が響いた。
振り返ると、彼女は両手で大切そうに包み込んだ焼き芋を持っていた。
その表面からは甘い蜜がにじみ出し、焦げた皮の香ばしい匂いが漂っている。
「どうしたんですか? そんな暗いところに一人で。みんな、アレンさんを探していますよ」
彼女の顔は火の照り返しで赤く染まり、瞳には疑いのない安堵が浮かんでいた。
アレンは彼女の顔をまっすぐに見つめ返し、しばらく言葉を探した。
今ここで危険が迫っていると伝えれば、村は再びパニックに陥り、せっかくの笑顔が恐怖で塗り潰されてしまう。
それだけは絶対に避けなければならなかった。
「いや……風に当たっていただけです」
アレンは作り笑いさえできず、ただ静かにそう答えることしかできなかった。
セリアは小首をかしげたが深く追及することなく、焼き芋をアレンに向かって差し出す。
「これ、一番甘く焼けたものです。アレンさんに食べてほしくて」
差し出された焼き芋を受け取ると、皮越しに強い熱が手のひらに伝わってきた。
半分に割ると中から黄金色に輝く柔らかな実が顔を出し、濃厚な甘い湯気が立ち昇る。
一口かじると、これまでに味わったことのないほどの強い甘みが口いっぱいに広がり、喉の奥を滑り落ちていった。
「……とても、うまいです」
アレンの言葉に、セリアは安心したように微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、アレンの腹の底で燃えるような決意が固まった。
この温かさを、この笑顔を、奪わせるわけにはいかない。
かつての自分のように理不尽な力によってすべてを奪われ、絶望の淵に突き落とされるような経験を、この村の人々に味わわせるわけにはいかないのだ。
足元でコロが立ち上がり、地平線の方向に向かって低い唸り声を上げた。
普段の愛らしい姿からは想像もつかないほど全身の毛を逆立て、瞳には鋭い光が宿っている。
精霊もまた、大地を汚そうとする敵の接近をはっきりと感知していた。
アレンはしゃがみ込み、緊張で硬直しているコロの背中をゆっくりと撫でた。
分厚い毛並みの奥にある熱い体温が、アレンの手のひらに伝わってくる。
『大丈夫だ。誰も傷つけさせない』
心の中でそう語りかけると、コロはわずかに力を抜き、アレンの手のひらに鼻先をすり寄せてきた。
夜風が急に冷たさを増し、火の粉が暗闇の中へと舞い上がっていく。
アレンは残りの焼き芋を口に放り込み、夜明けとともに訪れるであろう試練に向けて、静かに自身の能力を研ぎ澄まし始めた。




