第一部 モラトリアム
2025 10/17更新では、第一部冒頭のみの連載となります。
第一部 Moratorium
底冷えのする初冬の夕方だった。私のもとに、ぴんと張った黒いジャケットの人たちがやってきた。その人たちは、セラミックスでできたかのような灰色の表情で、操り人形みたいに事務的な言葉を並べて、ドアの向こうに行ってしまった。
「ベロニカ=エリオットさま。あなたに天使殺害の容疑がかかっています。24時間以内に必ず、当局の方までおいでください。法の効力の範囲内で、あなたを拘束します。」
彼らは私の言うことには何も興味がないみたいだった。小さい防水紙だけが、くしゃくしゃになって私の手のなかにあった。暗い曇天。雨が降り始めていた。
悲しいことと嬉しいことは順番にやってくると言うけれど、上げて落とすのは反則だと思う。
夕飯の時そう言ったら、ママは一言「ごめんね。」と言った。
あまりにも唐突の出来事に、昨日はなんだかよく眠れなくて、今日は早く起きてしまったみたいだ。まだ白昼の色からは程遠い群青色の影が、カーテンをゆらゆら揺らしている。パジャマのままで部屋の外に出る。気分が良くない時は、なんとなくココアを飲もう。いつもそうしているから。なんだか、そうでもしないと、いつまでもこの浮遊感をとり除くことはできないような気がした。ガスの通っていないキッチンまで来てパチン、と明かりをつけると、すぐそば、リビングの真ん中で何かが飛び跳ねた。
「あっ、おはよう、嬢ちゃん。」
その影が見知った人のものだとわかって、私はそっと胸を撫で下ろした。
「あ、おはよ、百鳥。こんなところで寝てたの?まさか昨日の夜から?」
「ああ…。」
百鳥は目を伏せて口ごもる。
「何かやましいことでもしてたの?冷蔵庫開けてもいい?」
「ああいや、決して夜食を食べてそのまま寝たのではなくてだな…。その、昨日の話を奥さんから聴いて、それで少し考え事をしてただけだ。その間にちょっと、小腹が空いて…」
ふとゴミ箱を覗くと、プラカップのオレンジ色が目に鮮やかだった。
「ああほらやっぱり! 1人でこんな美味しそうなプリン食べてたんだ!」
「ちが!……あーくそ、ばれたか。 嬢ちゃんの分もあるから、好きに食べなさい。」
「わあーい、いいのいいの!?!? じゃあ一緒に食べよ!お茶入れて!一緒に食べよ!」さっきの話の続きが聞きたくて、すこしせがんでみる。
「いいけどよ。 真面目な話もきちんとするからな。あと、着替えてこい。おまえもうすぐ大人になるんだからな。」
「はあい! ごめんなさーい。」
お部屋に戻る時、こっそりと後ろを振り返ってみた。 百鳥はいつもの仏頂面のままで、なんだか安心した。
お茶を飲みながら、昨日家に突然押しかけてきた人たちのことを話した。
「…つまりまとめると、お前は天使殺害の嫌疑をかけられていて、今日の正午までに出頭しなければいけない、という旨をプリン星当局から伝えられたと。そこの認識は合ってるのか?」
私がうん、と相槌を打つと、百鳥はさらに話を続けた。とてもとても長い話だった。
百鳥がいうには、昨日未明、天使が死んだ_正確には、死亡に近い痕跡を残していたらしい。そのことを踏まえると、あの人たちは当局の人間とはいっても、エリオット邸の依頼を受けた政府関係者のようだ。「あいつらにしちゃあ、お前がのこのこと取り調べにきてくれば、あいつらの無能さを露呈させなくて済む。天使が失踪したのに、なにひとつ突き止めることができない、ということをな。要するに、お前に届いたその重々しい書類は、所詮パブリックへのパフォーマンスでしかないのさ。」
エリオット家の血を引いていればそれは、天使殺害犯行動機としてでっち上げるには、事足りるというわけだ。
「まあ、なんにせよエリオット財閥内部ではまだ天使の所在や安否について何一つわかってないってことだ。ただ放っておけばまた面倒なことになる。それをそのままにしておけないから、嫌疑をかけられそうな人間を片っ端から集めているって感じだな。」
「どうして、エリオット財閥は天使の安否を把握してないの?だって、トップでしょ?天使といえば、財閥の。」
「そうだ。だが、天使はヒトとは曖昧にだが、異なる生命だからな。そのうえ天使自身にも理解できない理がある。」
百鳥はため息をついた。
「だからってどうして私が出頭しないといけないの?おかしいじゃん、そんなの。」
「そうした方が合理的だからだ。お前が多少他人に誤解されたとしても、それでお前が傷つこうとも_エリオット財閥が無事なら世界はいつも通りだ。」
納得ができない。私は、たった昨日まで、自分がエリオット一族であることすら知らされていなかった。なのに、勝手に財閥の駒にされて、よくわからない生き物について「証明」しないと、みんなからの疑いがはれないなんて。嫌いだ。こんなことが許されるなんて、やっぱり嫌だ!
「やっぱり嫌だ。 私は何にもしてないし、ずっと何にも知らなかったんだもん。まるで最初から私に「その気」が合ったように誰かに思われたくはないの。_私の、プライドにかけてね!」
百鳥がふっと笑った。時々彼が見せる、羨望と侮蔑のどろどろになった顔。
「まあ、おまえが今まで不自由なく暮らしてきたのは、半分はエリオット邸の_天使の意向があってのことだったからなあ。逃げ切ることはできないんだろう。」
百鳥は吐き捨てるように言った。
彼の、荊のような底なしの目。
私たちはケージに入れられて、鉛色の固形物を餌に飼われているらしい。
繰り返しの配列。
サレンダーになるのは嫌い。
初めから星座に決められたような型紙通りの私は、気に食わないの。
私は唇を噛み締めた。
もう私を止めることはできないよ。だれに、というでもなく、ただそう言ってやりたい気分だった。
「じゃあ、こういうのはどうなの?」
「どういうのだ?」
「私が、私の潔白と天使の居所を突き止める。何日かかったとしても、きにしない。いつかこの都市に、たくさんの幸福を連れて凱旋にくるまで諦めないってのはどう?」
緋色と黄金と深い森色の素敵なパレード。なのに、百鳥の顔がさらに翳る。
「どうしてそんなに暗い顔になっちゃたの? そんなに、難しいことなの?百鳥。ねえ、おねがーい、あとでパフェ奢ってあげるから!」
「……いいや、反対はしないよ。お前は今は女王様だからね。…それに、誰かがこのヴェールのかかった悪意を暴いてくれれば何よりも助けになるはずだ。 ただ、ただ_。」百鳥は言葉を切って、立ち上がった。
「…いいよ、お嬢のためだから。お嬢にその気があるなら、今日の正午にエリオット邸に行く。そこで俺がいくつか交渉して、許可が降りれば俺とお嬢で、今回の真相を暴くんだ。どうだ?成功しようがしまいが、試す価値はある。」
花紙が夏の空気を巻き上げる。この目に映るすべてが、私を都市の無彩色からすくい出してくれるように思えた。
「え…! ありがとう、百鳥! すぐ出られるように準備してくる!」 私は2階に駆け上がった。
階段のポールが、滑る私の手を掬い上げてくれたようだった。
ありがとうございました。
小説をきちんと執筆するのはこれが初めてなので、拙いところがたくさんあると思います。
よければ、感想や読みにくかった点、面白かったところを教えてください。
ベロニカちゃんが全力で考えます。




