柴犬と昼の夢 【月夜譚No.360】
犬の散歩をしていたら、変な道に入ってしまった。今日は天気が良くて気温も丁度良いからと、いつもの散歩コースより足を伸ばしてしまったのがいけなかったのかもしれない。
青年は先ほどまで変哲のない閑静な通りを歩いていたのだが、いつの間にか人が二人並んだら一杯になってしまいそうなくらい幅が狭く薄暗い路地に立っている。足許を見ると、柴犬の円らな瞳が不安そうにこちらを見上げていた。
「大丈夫だよ」と声をかけつつも、内心で首を捻る。こんな路地に入った覚えはない。ぼんやりとでもしていただろうか。
とにかく人のいる道に出ようと、青年は歩き始めた。すると、路地の先に明るい光が見えてきて、途中から知らず足早になる。
路地を抜けると、そこには緑が広がっていた。青々とした木々が風に揺れ、西日がチラチラと地面に模様を描く。
しかしながら、それしかない。人も家も見当たらず、他に気配すら感じない。
不意に悪寒を覚えて青年が二の腕を摩ると、風の音の中に笑い声を聞いた。まだ幼い少女が上げるような、高くあどけない笑い声。
姿はなく、声だけが次第に大きくなっていく。青年は恐怖に耐えられなくなって、その場にしゃがんで耳を塞いだ。
次の瞬間、犬の吠える声で我に返った。目を開けると、見慣れた柴犬が心配そうに青年を覗き込んでいる。
辺りを見回すと、そこは自宅近くの道路だった。既に陽は暮れて、街灯が静かに空間を照らしている。
「……あれ、俺どうしてたんだっけ?」
青年は立ち上がると、柴犬に笑いかけた。
「そっか、散歩中だったな」
何事もなかったかのように、一人と一匹は歩き始めた。背後を一つの影が行き過ぎたのにも気づかずに。