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File9:待ち合わせタイム(後)

「……アイスのこと? 流石に、食べかけはあげられないよ……。登川くんも、さっき買ってくれば良かったのに……」


 まだ、彼女は気づいていないようだ。


「勝手に行間を補強されても、だな……。とにかく、右手だよ」

「……なあに……!?」


 濁った青の液が、コーンを伝って美紀の右手に垂れていた。会話に気を取られるあまり、舌が回っていなかったようだ。

 溶けたアイスに、美紀がかぶりついた。歯形が、コーンの紙まで達している。


「美紀、そんなに焦るなって……」


 溶解液が垂れる事態は収まったが、彼女は重要な事を忘れていた。


 アイスの塊を一口で放り入れた少女は、みるみる内に言葉を失った。口のあたりを抑え、跳ねてはしゃがむ。熱されたフライパンの上で、踊っている。


「……んんー!」


 駅から出てきた一般人が、のたうち回る少女に注目していた。咀嚼する度に体を振動させる彼女は、見世物ショーだと言い張っても違和感が無い。

 手に握られていたコーンの残骸は、粉々になっていた。内部へ落下していたアイスの残りが、手に滲みだしている。何のために、アイスを一気食べしたのだろう。


 ドタバタと、大通りの縁から駆け足が響いてきた。乱暴でがむしゃらな走行スタイルである。現代は高速化の社会だが、野次馬への情報伝達まで早くなったのか。

 ベージュのスボンに、袖にフリルがついた真っ白のTシャツ。美紀が天と同化した格好なら、こちらは控えめな主張だ。


 二つ手前の信号で、ようやく全力少女の顔が確認できた。


(……俺しか見てない……)


 美紀を写真に収めて面白おかしく投稿する、害悪系インフルエンサーではない。


「……おま、たせー……。……売ってなかった……」


 龍太郎そっちのけで漫画に走る、美紀の背中をほんの少し押した親友だった。


「……冷たい……」


 やっとのことで氷点下の動乱を治めた無鉄砲少女が、手すりを頼って立ち上がった。新春のポカポカ日和だと言うのに、震えが止まっていない。それはそうだ、蛮行をしたのだから。

 小刻みに息を吐き出し、陽気を取り込もうとする美紀。舌は水色に染まっていて、簡単には抜けなさそうだ。


「……これじゃあ、……無駄に待たせただけに……なっちゃったね」

「ちょっとでも引け目があるんだったら、美紀を介抱でもしてあげてくれ……」

「……ありゃりゃ、どうしたの? 風邪でも引いちゃった?」

「アイスを丸呑みした」

「思い切ったことしたねー。……うーん……」


 地面にうずくまって快方の風を待つ少女に、天下の融和能力を有する亜希も目を泳がせていた。自己責任の割合が大きそうで、声を掛けるにも苦労している。

 敷き詰められた、茶色のレンガ床。万一吐き出そうものなら、後始末が面倒くさそうだ。


 亜希に、肘で脇腹を突かれた。筋肉が緩んで下がった目元が、何かを龍太郎に示唆している。

 彼女の手招きに応えて、耳を傾けた。


「助けてあげなよ、美紀が勝手にやったことだとは思うけど。……そういうところだよ、いつまで経っても女子が近づいてこないのは……」


 また、肩を強く押される。『行け!』と、亜希の視線の軌跡が美紀に向いていた。


(……ここで一歩、だよな……)


 何をやっているのだろうか、神視点から俯瞰していた龍太郎は。舞い降りた白馬の王子になって、多少なりとも美紀との緊張をほぐす絶好の時と捉えず、どう関係を構築しようとするのか。

 柵の反対側で、女子が苦境に立たされている。傍観して素通りした少年は、いつもの龍太郎だ。ラブコメの探求者が現場を見過ごすなど、言語道断なのだ。


 影が、美紀に覆いかぶさる。


「……美紀、立てるか……?」

「……自分で、立てる……」


 かがんで目線を合わせようとした龍太郎を支点にせず、地に手をついて腰を持ち上げた。流石に唇は若干の紫が見受けられるが、震えは止まっていた。


 龍太郎の出番は、虚しくも消えてしまった。肩を貸すまでもなかった、ということであろうか。


「……ちょっと、トイレ……」


 目を死んだ魚にして、美紀は駅の構内へと入っていった。

 トイレは地下道に設置されている。寒冷の大ダメージを負った精神が戻ってくるには、時間がかかりそうだ。


 見かねていたらしい亜希が、ジト目で無言の圧力をかけてくる。


(今のは、タイミングがどうしようも無かっただろ……。それに、本人の責任も大きいし……)


 言い訳が喉元までせり上がっては、沼地へと沈んでいく。スタートラインで硬直してしまった理由が、出てこない。

 朝の一発目、第一の山場。小ぶりな川魚を、龍太郎は逃した。練習できるチャンスなど、幾ばくも無いのに。


「……女の子が大変な目に遭ってたら、無理やりでも助けてあげないと……。顔を見ただけで分かるよ、『彼女が欲しい!』ってね」

「俺の頭にバーコードでも付いてたのか……?」


 表情筋を硬直させ、感情を読み取られないようにする。物心ついた時から龍太郎が身に着けている処世術であり、頑丈な殻となって打ち破れないものだ。

 『クールな人が格好いい』。どこで、拡大解釈してしまったのだろうか。救世主になることを放棄した一介の男子高校生の、何処に惹かれるというのか。


 半端に溶けた路上のアイスに、固形のチョコチップが浮き出ている。始末しなければならないが、ティッシュを抜こうとする手も重くて上がらない。


 前触れなく、龍太郎の髪が振り払われた。


「ゴミ、付いてた……ってのはウソ。目線、上げなよ」


 亜希の笑みが、垂れかけた龍太郎の心情に突き刺さった。落下を止めるピンとなって、崖の頂点を見上げる契機となるものであった。

 ついつい、頭がうなだれる。駅に着いてからも、美紀と喋っている時でさえも、路面が視界に入っていた。


「折角、いい男なんだからさ。後ろめたさが離れなくて、ちょっと暗くて、女の子を助けようとしないで、ボケっと『何かありましたか?』顔をしてなければ、ね」

「……褒めてるのか、それ……?」

「褒めてるよ! ほら、そうやって自分から舞台を降りようとする……」


 龍太郎の体は、強力な磁石だ。どれだけ底から離れていようと、気まぐれで吸い寄せられる。何度も、何度も、何度も……。

 いつの日か、淡い恋愛をしてみたい。主役の座から遠ざかって願うその心は、都合が良すぎる。


「私が保証する。龍太郎は、魅力があるよ。美紀に『何やっても大丈夫』って、お墨付きしたくらいだから」

「……怠けてきて、この待遇なんだぞ……?」

「だったら、私が練習台になってもいいよ? 手取り足取り、全部教えてあげる」


 亜希が、腰の後ろに手を回してきた。密着してはいないが、これが巷の『ガチ恋距離』なのだろう。天使のような真っ白のフリルが、龍太郎にかかっている。

 彼女の目の奥で、情熱がタービンを回していた。エンジンをフル稼働させた、力強い両眼である。


「……龍太郎は、もっと……べきだよ」


 情のこもった亜希の声は、警戒を呼び起こす警笛と、意識外からの一撃で消し飛ばされてしまった。

 美紀お嬢様がお帰りになった。と言うよりかは、今にもハグをかましそうな亜希を呆然と見守っているのだが。

 作法までは高貴な令嬢に思える少女の顔は、一時停止ボタンが押されていた。


「あ、美紀。随分早いね……。イイトコロダッタノニ……」

「亜希、誤解されるぞ、それ……」

「……お手本? ……だとしても、こんな公共の場で……」

「違う違う断じて違うそうじゃない」

「龍太郎も、ちゃんと突っ込めるじゃん。やればできる!」


 味方の矢が、四方八方から飛んでくる。悪意を持った攻撃が一本も無いのが、混沌カオスに拍車をかけていた。


 一瞬だけ雲の向こうで休憩していた太陽が、また日照りだした。高層ビルの窓が光を反射して、都会であることを誇示していた。

 組まれていたプログラムがエラーを吐いた美紀と、その挙動を一つ一つ楽しもうとリズムに乗る亜希。どことなく、温かい。


(……会話って、楽しいものだったんだっけ……)


 化石になった記憶を発掘して、ようやくその痕跡が発掘される。


 もしかすると、龍太郎も感情を一部失っていたのかもしれない。打ち上げられた魚のように口をパクパクさせるだけの美紀と、自身を照らし合わせた龍太郎だった。

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