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File7:幻影の余韻

Chapter2 start

 美紀の果てしない冒険に、約束の許す限り協力する。その新たなる決意から、早くも一晩明けた朝。

 龍太郎の鼓膜は、太陽のさえずりに無反応だったらしい。時計の針は、『8』の字を指していた。


 シャットダウンしたまま起動しない体に鞭を振るい、寝間着姿で携帯電話を手に取っていた。今時、アニメにありがちな黒電話は時代の化石である。

 ギリギリ皆勤賞の取り柄を二日目に奪われた龍太郎だが、今日は子供も泣き止む土曜日だ。スパルタ高校はともかく、進路に一欠片の期待も抱かない底辺高校に授業は無い。気づきにくい利点である。


 電話番号を入力し、無機質で冷えた携帯を耳に当てる。ワンコール、ツーコール……。呼び出し音が繰り返される。


(……向こうも、寝坊か……? だらしない……のは俺もだな)


 龍太郎が指摘できる類いではない。一人暮らしになると、自律もままならなくなるのだろうか。

 掛け直そうと回線を切断する直前、向こう側へとつながった。


「……んん、おはよう……。もう一時間だけ、寝かせて……」

「それでも学級委員長かよ……」


 安定しない透き通る声の持ち主は、亜希だ。『秀』の印を押される高校でも、持ち前の明るさと行動力はピカ一らしい。学校行事で時間が取られ、夏は勾留されるのだとか。進学校も大変なものだ。

 龍太郎の持ち球は、いくつもある。まずは一球目、高めのストレート。


「……美紀が、昨日『亜希の助言に従って告白詐欺した』って主張してたけど……」


 事実を少々捻じ曲げた捏造ではあるが、真実を確かめるにはもってこいだ。


(あの美紀が、まだ嘘を持ってるとは思えないけどな……)


 偽りの涙だったのならば、名演技賞を与えよう。

 スピーカーからは、大あくびの残滓が漂ってくる。


「……美紀が何をしでかしたのかは、昨日全部聞いたよ。こっちでもこっぴどく叱っておいたから、安心してね」


 ため息の震えが、微弱な空気の振動で伝わる。彼女と美紀の繋がりは強固なようだ。

 頼もしいお姉さんだ、躾も怠らない。少女に情が入って強く詰められなかった龍太郎とは違う。


「私は、『龍太郎に頼れば何とかなるよ』とは言ったけど……。まさか、勢い余って告白するなんて思ってもなかった」

「……俺を『好き』になる可能性が初めから無いような言い方だなぁ……」

「それも、ちょっとだけ期待してた。まあ、流石に長年の積もりが変わらないかな、って」


 おおむね、亜希の言う通りである。話下手な分、論理で勝負しようと思っていた訳だが、彼女のトーンは変化しない。

 見せ球で目を混乱させようとした一球は、大ファール。もう少し右にズレていればホームランだった。

 龍太郎の、次の持ち球。切り込み隊長として、刀を構える。


「……それで、美紀のことなんだけど」

「裏切られて、辛かったら無理しないで。美紀が気になるのは分かる……。でも、義務感で手を貸しても、割れ目は塞がらないから……」


 美紀から、何処まで情報を引き出したのだろう。龍太郎は受け入れるのに必死だったものが、亜希は洗いざらい吐き出させている。これも、高校生らしくない社交力が成せる業か。


 カーテンの隙間からこぼれる日差しが、チラチラと龍太郎を邪魔する。玄関の外からは、子供の飛び跳ねる音が響いてくる。

 龍太郎のカバンは、昨晩放り投げたまま。教科書が階段状に飛び出していた。


(……一週間前、美紀がはるばる来たんだよな……)


 キチガイ少女の突撃。当時は、そう思っていた。迷走した協奏曲の開幕を、心に感じていた。

 始まりがあれば、終わりもある。美紀との『交際』は、脆くも崩れ去った。

 後ろから抱きしめられ、家の中へと引きずり込まれたあの日。肩にかかった少女の緩やかな髪先が、色濃く記憶に刻まれている。

 あの日は、二度と戻ってこない。続けたいとは思わなかったが、分離されてみると懐かしく思うのは人の性なのだろう。


(……あれも、演技……)


 何処までが、演技だったのか。真実が、何処に紛れていたのか。知るのは、美紀本人だけである。


「……龍太郎? どうしたー? ……どうしても聞きたくなかったら、切ってもいいよ」

「ごめん、考え事してて……」


 亜希のもやが抜けきらない心配に、意識が通話へと引き戻された。


「……俺は、美紀に協力しようと思う。本当は、間違ってるのかもしれないけど……」

「龍太郎がそう思ってるなら、それは正しい、たぶん……」


 一般論は述べつつ、相手を否定しない。緩衝能力も、一流だ。完璧超人、小学校からの親友である西飛にしとび亜希サンである。

 龍太郎の手のひらから、汗が滲みだした。吸い込む空気は冷え込んでいるのだが、体の底が熱い。


(……美紀のことで……?)


 見え見えの『カノジョ』を悟ってから、心を檻にロックしてきた。ラブコメは望めど、本気でわんぱく(に思えた)少女を求めたことは無い。

 感情の欠落に、情を預けた。答えの見つからない世界に取り残された美紀に、救いの船を差し出したいと志願した。

 しかしながら、彼女そのものに注目はしていない。そのはずだ。


(……収まれよ……)


 スピーカーの向こう側は、龍太郎の発声を待っている。脳の片隅に、その事実を追いやった。

 風呂上がりでも感じない、纏わりつく熱気。手で払っても、肌から離れようとしない。


 美紀の痕跡が、思い出したかのように出現した。

 玄関の前で、『彼氏』を訪ねてきた少女。隙があると見るや、懐に入り込むすばしこっこい少女。目の前の龍太郎を『好き』になろうと、全身を背中に委ねる少女……。


(……今は、もう違うんだ……)


 目を固くつぶり、困惑が過ぎ去るまで耐える。時間は、全てに対する特効薬だ。

 次に目を開いた時、玄関の扉は閉まっていた。僅かに巻き起こった砂嵐は、ひっそりと消滅していた。


「また、発作が……。……美紀のことは、本気だ」


 一言をひねり出すので、精一杯。生存確認の呼吸しか、できない。

 耳の向こうが、俄かに騒がしくなった。送話口からは離れているのか、くぐもって船名には聞き取れない。


「……にを……ったの?」

「……んな……とは……ない」


 亜希の一人芝居ではなさそうだ。布の擦れる音が伝わってくるのは、誰かと争っているのか。


(……誰かに、侵入されたのか……?)


 亜希の家には入り浸っていたので、周辺の地図はインプットされている。閑静な住宅街に忍ぶ、一軒家。特別な動機でもない限り、犯罪の標的にはならなそうな立地だ。


 物音が、忽然と引き下がった。何かの決着が付いたようである。


「……もしもし……。登川くん、だよね……? 昨日は……、きのうは……」


 緊急通報に切り替える準備は、徒労に終わった。

 怯えた引きこもりがちな雰囲気こそ解消されているが、元気が乗っていない。美紀である。


「……許せなくなったら、そう言って……?」


 罪悪感と自由へ逃げる心が、未だにせめぎ合っている。昨日の吐き出しが、まだ尾を引いている。


(カッコつけも、あったけど、さ……)


 消えかけた蝋燭の火を再び灯す、その目的で美紀に大きな姿を披露したのかもしれない。が、彼女の未知の船出を応援したい心は確かだ。


「いつ、誰がそんなこと言ったよ? そもそも、約束した次の日にもう反故にするなんざ、出来る訳ないだろ……」


 ああ、コミュニケーション能力が天から降ってきてほしい。亜希ほどではないにしろ、巧みに暗雲から意識を逸らさせる何かを……。

 龍太郎の脳の中で、電気信号が縦横無尽に飛び交っている。休日特有の倦怠感も、覚醒した意識に流されていた。

 三たび思考の支配を脱し、喉に引っかかっている疑問を龍太郎は投げかける。


「そういえば、美紀が何でここに……? 亜希は起きたばっかりだし……」

「それは……。一切合切を亜希に打ち明けたら、そのまま家にお邪魔することになって……」


 手短に言えば、『お泊り』である。自宅で家族のことを考えず、突発的にするものなのだろうか。

「そんなことは気にしないの! 『事情』ってものがあるから」


 携帯電話が手から滑り落ちそうになった。前触れ無き主役交代は、耳に悪い。割り込み電話は厳禁である。

 美紀に、話させたくない隠し事でもあったのか……。詮索したい気持ちも働いたが、亜希に対してはどのような策を巡らせても不発に終わるだろう。


 話の根幹が、蛇のように波打ってきた。記念すべき休日の頭なのだ、ゆっくり体を休めて本腰を入れよう。

 龍太郎が、会話から退出しようとする、丁度一コンマ前。


「そうだ、龍太郎もこっちに来ない? 美紀とちょっとでも交流すれば、見えてくる物があるかもよ?」


 辛うじて拾える小声だった。隣の気弱な美少女に配慮してのことに違いない。

 龍太郎のアパートから、彼女らの最寄り駅まで。距離はそこそこあるが、鉄道で一本だ。


(……折角、亜希がお膳立てしてくれてるんだから)


 これまで学校で接していた『美紀』は、『好き』を探して迷走していた仮の存在。彼女の真なる姿を、龍太郎はほとんど知らない。

 亜希と会える機会も、そう多くはない。まだ一年の初めだから仕事も入っていないが、月日が経つにつれ難しくなっていくだろう。


 窓の傍まで歩み寄り、カーテンを全開にする。地平線まで続く青空が、龍太郎を亜希たちの元へと促しているようだった。


「……今から行く。ちょっと時間かかるけど、」

「駅の前で待ってる。美紀も……、いいって言ってる」


 思いつきの案だったらしい。許可の後付けだ。


 別れの挨拶をして、電話を切った。長針は、もう五分の一ほど円を回っていた。

 自分の姿が、鏡に映っている。目覚めたばかりで、とても人様に自慢できる格好ではない。


「……休みに外出するの、久しぶりだなぁ……」


 両腕をもげそうなほど伸ばし、脱力させる。まだ運動もしていないと言うのに、筋肉が緊張していた様子だ。




 ――今日で、何かが変わる予感がする……。

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