File6:果たし状
何度目かの、昼休み。欠かさずやって来る客をもてなすために、机の半分を空けている。
美紀からのアプローチは、恋愛小説を熟読すれば予測できるものばかりだった。
『デート、しよう? 北海道じゃなくてもいいから』
その中でも熱心な勧誘があったのが、デート計画だ。デートをしないと、カップルとしての格好が決まらなかったのだろう。
(……杜撰すぎたんですけどね……)
学歴フィルター関係なしに、龍太郎は却下し続けた。素性を明かさないまま近づく彼女への警戒感もあったが、一番は準備不足に起因するものである。
場所が遠い、全額龍太郎のおごり、時間感覚のバク、美紀の勝手な行動計画……。一つ改善策を持ってくるたびに、新たな問題点が生じるイタチごっこだった。
結局、行かずじまいである。龍太郎に非は無い。
「……また、ラブラブ彼女でも待ってるのか?」
「……そんなに彼女が欲しいなら、どうぞ?」
美紀が生活に付き添うようになった弊害だ。野次馬が、観客席から見物してくる。龍太郎と同じ世界によじ登ろうとしない。
かの少女の破天荒ぶりは伝わっているようで、受け渡そうとすると拒否される。躱すことが目的で、美紀を誰か他人にパスするつもりは毛ほども無い。
『どうやって手に入れたんだ』と、戦利品のように尋ねてくる輩もいる。向こうから食パンを咥えてぶつかってこられたのだ。恋愛の秘訣も、口説くハウツーも、答えられるはずがない。
美紀の彼女的ステレオタイプは、留まるところを知らなかった。身の回りを心配し、交換日記をせがむ。どの恋愛物語を参考にしたのだろうか。端から、彼女が全てを本心で行動していると思ってはいない。
(……交換日記、にしては交換してない……)
自宅に戻り、カバンの中身を整理していた龍太郎が見つけた、記憶にないノート。黒マーカーで大きく、『こうかんにっき!』と銘打たれていた。平仮名で書けば愛おしさで男子が沈むと考えるのは、お門違いである。
淡々と宿題の数式をノートにしたためて、美紀に返却。その日の放課後に、下駄箱で待ち伏せされ質問攻めにされたのはまだ鮮明に覚えている。
つくづく、彼女は上辺をなぞるだけ。動きがカクついて、落ち着いた当事者からすれば滑稽なほど不自然。あからさますぎる。
(……『好き』が無い、ねぇ……)
何日も龍太郎を沼に埋めた、世界観の問題。未だに、結論を出しかねている。
少女が、教室へと入ってきた。
既に、異変が起こっていた。武器なりアイテムボックスなりを持ち込む彼女が、ほぼ手ぶらなのである。弁当すら所持していないのだ。
(……いつもの美紀じゃない、よな……)
龍太郎と、目を合わせようともしない。思いついたような煌めく瞳は何処へやら、光が差し込んでいなかった。初心者によくある、目の黒塗りだ。
美紀の鼻息が、机越しでも聞き取れる。小刻みに胸が上下していて、全体的に顔も赤いフィルターがかかっていた。
わざわざ龍太郎からメスを入れるのは、野暮かもしれない。
「……どうしたよ。また弁当でも忘れたのか……?」
残念ながら、龍太郎は我慢の二文字を辞書登録していないタイプだ。表情を固定して、いつも通りを装う。
「……!」
美紀の、電光石火。教科書の詰め込まれた机の中に、何かの紙を乱暴にねじ込んだ。一言も口にせず、うるさい足音を鳴らして後ろの扉からクラスを去っていった。
美少女を見たいがために集まったロクデナシも呆気に取られていた。今までにない、彼女だった。
(……全部抜け落ちると、誰でも冷たくなるのか……)
龍太郎も、例外でない。
あれだけ目を大きく開いた美紀は、見たことがない。手振りも、過去の映像と比較するまでもなく大げさだった。敵前で自らを巨大に見せる、野生動物のような……。
龍太郎は、しわしわになった紙を机上に広げる。
『はたし状 屋上にて待つ 美紀』
最終通告する権利も、彼女に取られていた。
何にせよ、果たし状は果たし状。強制力こそ持たないが、それをすることは一種の絶縁だと暗示されている。屋上が進入禁止地帯なのは棚に上げておこう。
(……物騒だな……)
彼女に利用されていたのか。あるいは、金儲け集団がバックに付いたのか。文面からは、何百通りの解釈が生まれる。
保身を優先するなら、ここに留まれば良い。不思議少女との絡まった糸は断ち切れ、曇天の下の日常が返ってくる。
(……そんなものに、価値は無い)
人生は、努力の期間を作らなくてはいけない。中学までに成せなかった者は、高校大学。それに敗れた者は、社会人。
龍太郎は、無策にも第一段階のチャンスを見逃した。出だしで後手を踏んでいるのだ。博打はチャレンジではなく、必然の物である。
「……行くぞ、美紀……」
脱出経路の無い屋上で、何が繰り広げられるか。そんなもの、彼女しか知らない。無心で、運命に身を委ねるだけなのだ。
龍太郎は、少女を追って教室を飛び出した。
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摺りガラスから、なけなしの日差しが差し出されている。ドアノブに手を掛ければ、そこに美紀がいるはずだ。
脚の筋肉が、けいれんを起こしそうになる。ここまで彼女の計画の内だとするのなら、大した天才策略家だ。
意を決して、扉を開け放つ。半グレでも、暴力団でも、かかってこい……。
「……来てくれたんだね、登川くん……」
高所特有の強風に吹かれる、美紀がいた。随分と締まりのない声である。
(……影武者か……?)
龍太郎の知る美紀は、周りの目に動じず、対面してすぐの男子にもお構いなくスキンシップをする、ネジの外れた少女だ。教室の隅で縮こまる系女子は、知識の範囲外なのである。
紫外線から守られてきた、モチモチで白みがかる腕。校則スレスレの短い白色ソックス。間違いようもなく、美紀。
「……他に、誰もいない。疑うんだったら、調べてもいいよ……」
教室で出会った、断れないよう気迫で押し通してきた少女は、何処へ隠居してしまったのか。蛹の抜け殻のようである。
右、左と目をやるが、隠者どころか影一つない。青空に似つかない気落ちした少女が、柵の傍に立っているだけ。
龍太郎は、美紀へ歩み寄った。
「……果たし状なんて、時代らしくない……。決闘するかと思ったのに」
精一杯の舵取りも、場を温めるには至らない。
「登川くん……。最後まで、聞いてくれるかな……?」
「どんな話でも」
彼女が『カノジョ』の皮を被っていたことは、予想していたことだ。何も、驚くことはない。
しょうもない話で終わったなら、美紀をぶっ飛ばす。拳をポケットにしまい、彼女の告白を待った。
「入学式で、呼び出した時から。……たぶん、私は登川くんのことを好きでも何でもなかった。……告白は、嘘だったの……」
「そんなことだろうと思ってた」
「そうだよね、分からなかった……。ふへぇ?」
張り詰めた空気を、情けなく吐き出した美紀。流れに乗せて安心させようとした龍太郎が、下手くそだった。
かみ合わない空気が、二人の間を隔てる。体は動かせるが、最大限まで筋肉を伸ばしてもリラックスできない。
(……やっぱり、おかしい……)
龍太郎をじっと捉える、今にも泣きだしそうな美紀の目。虹彩が震えて、溢れてしまいそうだ。普段から圧倒されてきた『カノジョ』の面影がない。
「……ごめん、戻るね。……『好き』って、何なんだろう……」
亜希から仕入れた情報だ。
この少女が暴走しかけた帰り道、亜希は何故か正体を明かしくれなかった。龍太郎が無駄に疲労する空白の時間を作った。
「……登川くんも知ってるよね、亜希のこと。背中を、押してもらった。『誰かを『好き』だと思えば、案外何とかなるかもしれないよ』って……」
龍太郎は、突っ込まない。受けの姿勢で、美紀の独白をキャッチする。
亜希が元凶だった、とはならない。嘘告白まで漕ぎつけたのは、美紀の意志によるものだからだ。
呼吸が安定しなくなってきた彼女に、靄がかかり始めた。瞬きする度に、辛うじて崩壊していない顔が霞む。
「……『好き』が、出てこなかった。カノジョになっても、家に帰ってひたすら調べてみても……」
ネットに助けを求めると、良い結果にたどり着くことは稀だ。普遍的な解決策しか落ちておらず、『救われない者』だと自己を卑下してしまう。
気にも留めていなかった特徴が、ある日からコンプレックスになる。美紀は、これまでの『普通』が欠けていることを知り、悩み、もがいたのだろう。
勿論、真実であればの話になるが、彼女が平然と嘘を張り通している風には見えなかった。
一度決壊したダムは、止まらない。
「……終わりだね、これで……。一週間だけだったけど、身勝手な行動に付き合ってくれて……」
美紀が、耐えられなくなった。押し寄せる濁流の渦に心が巻き込まれてしまったのか、大粒の滴が肌を伝って流れ出した。
地面に出来る、極小の水たまり。水はけの悪いコンクリートの上で、彼女の悲観が揺らめいている。
龍太郎は、そんな美紀を捉え続けていた。
(……被害者で、終わろうとしてるのか……?)
彼女の言い分は、痛いほど身に染みる。欠落した世界観から、元の人間に戻るため、『何か』を探さなくてはならない。焦って取った手段も、立場が変われば認めうるものだ。
正確に物事を把握する力があれば、違和感に気付く。龍太郎の視点が、一切含まれていないことに。
フェンスに手をついた美紀は、力を籠め、直立を保とうとしていた。手のひらに金網が食い込むが、気にする様子はない。
「……それで終わりか、弁明は」
「……こんなこと、許されないのは分かってる。……ケジメは、つける……」
追い打ちをかけて薄情に思われそうだが、根幹まで吐き出させなければ意味が無い。被害者ぶった謝罪はいらない。
龍太郎は、彼女の両手を取った。パニックで飛び降りられては困る。そういうオチの付け方は望んでいないし、望んでほしくもない。
太陽に雲が被さり、美紀が薄暗くなる。瞳孔が拡大し、涙を流す少女が一段と強く投影された。
「……登川くんに……、龍太郎くんに、何でも従う。その後は……、視界から、消える」
塞ぎこまず、龍太郎に対しての贖罪。彼女なりの精一杯、だろう。
『好き』の無い人生。何十週してなお答えの出ないフレーズが、けたたましく警笛を鳴らしている。
(……美紀を放っておいても、文句は言われない……)
客観的にも、感情的にも、美紀は執行猶予無しの有罪求刑。情状酌量があって、ようやく保護観察まで落ちる。
彼女を道端に転がしても、石ころと同じ扱い。厄介者として、追い払われる。校内に悪評が蔓延した今、色眼鏡無しに彼女を見つめてくれる生徒はいないだろう。
おこがましいのを承知の上で、龍太郎が鍵を握っている。命乞いをしない少女を投げだすかの決定権は、龍太郎に回ってきた。
喉をつっかえてさせていた亜希の苦しみが、フラッシュバックする。
『美紀っていうんだけど……』
『私の周りに、『それを感じたことが無い』って訴えてくる子が……』
『普通』を知ってしまった彼女は、もう愛情の存在しなかった平穏な毎日を送れない。知識は、不可逆的反応なのである。
相談を持ち込まれた少女に、鉄槌を下すのか。相談役を放棄したことに繋がらないか。
(……素の美紀は、こんなにも臆病なのか……)
メッキが剥がれ落ちた、そのままの美紀。弱弱しく、人差し指で曲げられそうな語句。幻の強ツッコミ彼女へ、美紀もまた吞み込まれていたのだ。
「……龍太郎くんの傷を、私には移せない……。むしろ、そうしないといけないのに……」
十字架は、罪を犯した本人が背負っていくもの。支えもなく、一人で。
(……放っておいたら、どうなる……?)
龍太郎は、彼女に関わらなくなる。平らな生活が、手をこまねいて待っている。
刺激が足りない。逆転を狙いたい。邪な心が、彼女との交流を始めさせた。事実は消えないが、一概に美紀ばかりを責めるのは不公平というものだろう。
(……野垂れ死に、しそうなんだよ……)
野次馬が密集する顔付きの、立っても座っても食虫植物だった美紀。この場ではその仮面を外しているが、同学年内に真実は反映されない。
ある者は妬み、またある者は虎視眈々と玩具を狙う。自己防衛手段に乏しい女子の、底辺校における宿命である。
龍太郎がそのような野獣と格が違うのか、と問われると難しい。プライドは一人前だが、お世辞にも学力レベルは大して変わらないのだ。
(……君が見せた、一瞬の輝き。一度だけ、信じてみてもいい、か……?)
心で、唇を強く噛みしめる『元カノ』に尋ねた。
泥にまみれた鉄くずと同化した、くすぶった金塊。龍太郎の意識していない所で生まれた微笑みは、性格の根が源になったものだと信じたい。
この場にさらけ出された、彼女の弱み。一切合切中身を放出し、自らは何も求めない。潔さに、再起のチャンスを与えたくなる。
龍太郎は、美紀を立ち上がらせた。彼女の柔らかな手の握り返しに、本来の姿が滲みでている。
「……もう一回だけ、美紀に付き合う。……『好き』、見つけたいんだろ?」
愛情そのものを探求する旅に、付き添いたい。彼女の容姿に留まらない、飽くなき魅力が、龍太郎をそう思わせていた。
雲の列が青空を横断し、また太陽が顔を出す。ありったけの陽が、燦々と屋上に降りかかっていた。
二度、三度瞬きをし、目線が吸い付いた、旅半ばの少女。それ以上龍太郎に近づくことはせず、距離を置いたまま。
背中に張り付いていた陰が、跡形もなく消えていた。
「……まだ、私のことを信じてくれるんだ……」
ほぼ直線だった口が、緩やかなカーブを描くようになった。ついさっきまで憑りついていた悲壮感は、雲に昇華した。
「……ありがとう……」
控えめで、細々とした掠れ声。美紀が自力で歩けるようになるまで、しばらくの時間がかかりそうだ。
――少女の旅が、今、ようやく始まる……。
Chapter1 End
※続きます