File53:不意打ち
荷物預けも終わり、各人とも携帯リュックサックだけになった。懸賞のチケットはさすがに本物で、受付でしかめっ面されることはなかった。
太陽は角度が大きく、真上にあがるかどうかだ。芝生などあるわけがない地面からの反射を受けて、熱気にまとわれている。
美紀も亜希も、ペットボトルの準備は万端。スポーツドリンクが両脇にセットされてある。
白い帽子をかぶった美紀が、視覚の旅から帰ってきた。
「……龍太郎くんは、こういうの、初めて?」
「その通り、まだ来たことない。おかげで、全然眠れなくて……」
鈍い痛みが頭に響いた。音が鳴らないタイプのハリセンだ。消音ということは、その分エネルギーが他に使われるということである。
「関係ないことでごまかそうとしない! 私を忘れるなんて、龍太郎も薄情者だね」
つぎはぎのストーリーは、調整役の亜希によって粉々にされた。なぜリュックから取り出しやすい位置にハリセンが入っているのかはわからない。
よく考えてみると、龍太郎の設定は時間が経つにつれボロが出る。コーヒーカップに座って『回してもいいけど、あまりやりすぎると……』などと言ってしまえば即アウトだ。
「亜希、それ大丈夫なの? 龍太郎くん、頭をさすってるけど……」
「心配しないで。迷惑掛からないように、羽根をぜんぶくっつけたお手製だから」
それはただの紙の束だ。こん棒と何ら変わらない。美紀も、いっちょ前にうなずかないでほしい。
開園してすぐにもかかわらず、アトラクションには列ができ始めていた。見渡しただけでも、ざっと五十人はいる。
「……ということで! 私は、ジェットコースターに乗りた……」
「俺もそう思ってたところ。さ、列の最後尾は……」
駅でのダベりを無駄にはしない。美紀の一言一句を拾いあげて、そこに自身をねじこませるのだ。自分だけではなく、みんなで楽しむ場所、それがテーマパークなのだから。
定番のアトラクションたちも、眠気の取れない朝とあっては待ち時間も見過ごせる。龍太郎たちは、スキップする美紀を先頭にして並んだ。
のりばから放たれる車体は、コンベアーで頂上まで運ばれていく。位置エネルギーが溜まれば、あとは暴れ狂って乗客の悲鳴と意識をばらまく機械になるのだ。
遠くでレールがねじれているのが目に入った。一回転させられそうだ。
「美紀は、なんでジェットコースターを? てっきり、もっと静かなのを選ぶと思ってたから……」
人を外見で判断するのはよろしくない。龍太郎は、彼女の心清らかな内面を見て断定した。現在、予想は外れてしまっている。
紙の束の出番を待ち構えている亜希も、龍太郎の脇から半身をのぞかせてきた。
美紀は行列用の青テントの影に身を包み、いそいそとリュックを肩から外していた。
「亜希の家で、きちんと予習してきたよ? いちばん感覚が冴える乗りものは、ジェットコースターだって!」
「……美紀、ぜんぶ正しい。龍太郎と違って、きちんと予習できてる、できてる……」
それは勉強の話か、美紀を導いていく話か。テーマパークの情報くらい、スマホを開かなくとも頭に入れてきた。
完全無欠の幼馴染は、語尾をひとりごとのように反響させている。よく観察してみると、彼女の焦点は前方でさまよっていた。
龍太郎と亜希は、純粋な少女に隠しごとがある。
(……ジェットコースター、大の苦手なんだよなぁ……)
幼いころ、家族に無理やり乗せられたっきり、レールの上しか走れない鉄の塊(空中に放たれるものに限る)は視界に入らないようにしてきた。
亜希とふたりで出かけるとき、ジェットコースターとは一言も発したことがない。禁忌の言葉として、闇に葬り去ってきた。駅の待ち合わせでも、瞬時に『乗ろう』と言えなかった。
ジェットコースターは、感覚が冴える乗りもの。正しい情報だ。死の恐怖から脳が悪あがきする結果、五感が活性化するのである。
亜希と顔を見合わせた。瞳がグルグルしている彼女を、久しぶりに見た。
「……そういえば、電車の線路って、隙間があいてたよね……。なんでジェットコースターはそうなってないんだろう……」
「……そんなこと言わないで……。ああ、ほら、乗り物がレールから外れたら、取り返しがつかなくなる……」
「それは電車もそうじゃないかな……?」
美紀の素朴な疑問に、足のおぼつかない亜希が押されている。一年に一度みられるかどうかの光景だ。
前に並んでいた人たちが、車体に吸いこまれていった。入場のゲートは、美紀のすぐ前にある。
「そうだ、座る順番決めないと。わたしは……真ん中がいい」
龍太郎と亜希がテーマパーク外に魂を逃がそうとする中で、彼女はひとり前向きだった。三人一体、死なばもろとも、だ。
待ち時間を示すパネルは、『十分待ち』。最前列の龍太郎たちには関係ない。仮に待ちが発生しても、ただの生き殺しタイムにしかならない。
我らが頼れる先生は、ボロ雑巾になっていた。背中に文字を書いたかと思えば、呪文を唱えだす。本物の亜希は神隠しにでもあったのだろう。
「……この前も、乗せられた……。……終わりだぁ……」
「この前、って……。大金持ちか何かじゃ……、そうだった……」
「ジェットコースターがないことを調べたはずだったのに……。ちびっこのほうにあった……」
全体の雰囲気に合わせることも多い彼女は、みこしに上げられるとやるしかなくなる。いつしかの龍太郎のように、険悪になってまで乗らない選択肢は取れなかったのだ。
ゲートが開き、龍太郎たちは座席に詰め込まれた。
「……高いのはたのしい……。速いのはたのしい……。回るのはたのしい……」
美紀に介護されて、ようやく亜希はへたりこんだ。彼女がトップクラスのエリートだと信じる人は、周りに何人いるのだろうか。
安全バーが下がり、扉がロックされた。脱力する美紀と、首まわりから凝り固まっている亜希を組み合わせれば、ちょうどいい湯かげんになりそうだ。
(……もしかしたら、感覚が変わってるかも?)
小学校に上がる前の『怖い』は、感度の鈍い高校生には通用しないかもしれない。ダラダラ文句をたれるより、乗ってみたほうが早い。
係員の発車号令が流れ、先頭が坂を登りはじめた。天井を越え、テーマパークの全貌が見える展望デッキになっていた。
カメラを構える地上の星々は、豆粒ほどの大きさになった。
「龍太郎くん! テーマパーク、ぜんぶ見えるよ! こんなに大きいんだ……」
「……そうだね、美紀……。……おおきいね、てえまぱあく……」
キャラが崩壊した亜希は、安全バーに腕をくくりつけていた。目は見開かれ、いまにも落ちてしまいそうだ。
建物にさえぎられて感じられなかった涼風が、座席に吹き込む。目が発光しっぱなしの少女の髪は、ゆらゆら亜希のほほにかかっていた。
(……高いと怖く……ない?)
美紀の大はしゃぎで、ちっぽけな恐怖がかき消されたのだろうか。すべてが、繊細な感性の少女の言う通りである気がした。
助走も終わりに差しかかり、迎えてくれる巨大な口が捉えられた。ここから、重力加速度の旅がはじまる。
「ここから、ぐいーん、って速くなっていくんだ……! でしょ、龍太郎くん、美紀?」
さかんに左右へ視線を送り、自身も上下に揺れている。安全バーは魔法の棒ではない。
美紀と《《いっしょ》》に、レールを駆け下りていく。『美紀』が付加されるだけで、たいがいのことは乗り越えられそうに思えた。
「そう。だから、しっかりつかまってて」
親友が楽しむものを、龍太郎もできるだけ楽しむ。それでいいではないか。
先頭車両が、峠を越えた。歓声と悲鳴が混ざって、車体は走る。
ただ、湧き上がった熱気をおいてけぼりにするのが爽快だった。




