File45:嵐の後の騒がしさ
Chapter5 start
乱世の嵐は、一夜にして更けていた。にらみ合いで切り裂かれそうだった教室は、あくびがかいま見える空間へと戻っている。
もちろん、美紀の座席にガビョウが敷かれていることもない。敗戦兵たちはギロチンを落としたそうであるが、大義名分を得られなくては動けない。
「あ、龍太郎クンだ。美紀なら、まだ来てないよ。ラブラブするんだったら、見えないところで適当にやってくれれば……」
「言い方が悪いな……。美紀といたいから、朝からここにいるんだよ」
「それを、世間では『カップル』って名づけるんじゃ?」
底抜けた陽気っぷりは、天井を突き破っていた。昨日まで締められていた脇も、ツッコミに合わせて開いている。
龍太郎が待つのは、何も知らされていなかった美紀。ツメが甘かったばかりに、戦乱へと巻き込んでしまった。彼女はありがとうを言いたいらしいが、龍太郎からすれば、海にわざと落としてから救出する気分である。
(……あまり、考えないでおこうか……)
過去を振り返っても、もらえるのは後悔や自責の念だけ。
『美紀といい関係でありたい』
そう決断したのなら、未来が光をもって迎えてくれる道のりを整える。洞窟があれば抜け道を掘り、落とし穴にはフタをすればよい。
成瀬の顔には切り傷のひとつもなく、血管の赤さが際立っている。修羅場をくぐってきた回数の貫禄を見せつけられていた。
「龍太郎クンはさ、亜希と家が近い……んだっけ? 戦勝報告、きちんとしてくれた?」
「まだ電話だけ。こんなアザだらけで家まで行ったら、警察呼ばれそうだし」
一報入れたとは言えど、あくまで美紀に危害が及ばなかったことだけ。亜希が息を何度か被せていたことに、落ち着けなかった彼女があった。
ガラスごと外された通路の窓からは、ボール弾む校庭がある。通学カバンを肩にかけて脚をシャカシャカさせる女の子はいない。
「……ところで、あの政策、これからうまく行く……か心配で」
「心配性すぎない? どうしても説明しろって言うなら、後で気のすむまで説明してあげるから……」
教科書を机から引っぱり出す女王様に、手の甲で払われた。関心ここにあらず、である。
一軍女子のひとりが、何やら下っ端に言いつけている。学期はじめから変わらない、ピラミッドの権力分布がそこにはあった。
(よく見たら、そんなに嫌そうな顔はしてない……な)
横目で流していたときは、ピストンに押されて走り出しているようにしか思えなかった。まぶたが高く保つのは、いやいや従っている生徒にできる表情ではない。
いかなる場合でも、横一線に全員が並ぶもの。世界の理想とされるものであり、平和をかじっていた龍太郎も信者に含まれていた。
権力をむさぼり食う意地汚さがはびこっている場では、きれいごとが通用しない。みかけだけの『民主主義』が行われ、《《みんな》》に選ばれた組織がすべてを支配する。
(……正しいわけじゃない、けど……)
成瀬がトップに居座る権力構造は、独裁のステレオタイプ。排除すべきものと定めるのは正論だ。作戦会議で指揮をとってくれた亜希も、諸手をあげてはくれなかった。
「なーに、その難しそうな顔? 勉強したいなら、戻った、戻った」
「……成瀬に、一個聞きたいことがあって。……今の状態、正しいと思う?」
汚れていない答えは求めていない。切れ味鋭い彼女の目をくぎ付けにして放さない。
龍太郎に潜む黒いホコリが、肺にたまる。治療薬がほしい、と返答を期待した。
成瀬は首を一回転させ、肩をまわした。
「なに、否定してほしい? 『トップを張るのはいけないことだと思ってる』、なんて言わないよ? 成瀬は正しくて、正しいのは成瀬だから」
美紀が平穏に過ごす、その一点では成瀬に軍配があがる。平等の裏の世界で、美紀が浮かんでくることはないのだ。
学年を仕切る女王様は、秩序そのもの。法が効きにくいこの高校での、新しい法律である。
口が、ひとりでにほほえんだ。
「……調子狂うなぁ……。龍太郎クンのことだから、頭かかえて倒れちゃうかと予想してたのに……」
「口を曲げて言うんじゃあない。成瀬が成瀬で良かった、って」
「ほめ……言葉じゃなかったらぶっ飛ばす」
成瀬の目線が逃げだした。揺れる手で教科書を開き、音読しはじめてしまった。龍太郎、大金星である。
龍太郎は、成瀬の人物像にほとんど被らない。誰にでも声をかけられる明るさも、人を惹きつけるリーダーシップも、真似してできるものではない。
成瀬には、その道が正規ルートであると断言してほしかった。
切れかかった蛍光灯に気を取られながら、詰まった空気を吐き出す。昨日の腐った空間は、外気にきれいさっぱり入れ替わっている。
目をつぶって、また光を取り入れた。くっきりとした境界線が、出来のよくない教卓を切り取っていた。
誰も気にとめない半開きの扉が、律儀にスライドされた。
「おまたせ、成瀬ちゃん……龍太郎くん! 手紙、読んでくれたかな……」
今日も今日とてサイズ違いの制服を身につけている美紀は、ほんのりピンクの化粧が顔を覆っていた。これ以上暑くなれば、焼きモチができてしまいそうだ。
目ヤニの付いていないまつ毛に、世界中の水を受け入れられそうな瞳。通りがかりの人が、何人苦しんできたことだろう。
龍太郎はうなずくだけに止めておいた。内容を掘りかえさなくとも、彼女には伝わっている。
「龍太郎くん、ありがとう」
素直な少女の目は、光に埋もれていた。黒目のブレない、しっかりとした視線である。
龍太郎の心に、美紀の丸っこい感謝のことばが響いた。口から飲む薬よりも、身体めがけて飛ばされた善がよく効くのだ。
浮ついた気持ちが心地よくなくても、もう逃げない。視線を外さないことが、彼女への最大のお返しになる。
開けられた窓からくぐり抜けるそよ風が、思考の回路を洗練していく。あら熱だけがとりはらわれ、美紀がより鮮やかに映るようになった。
昇華した制服っ子が、やたらめったら視点を滑らせている。
「まだ痛んでない? だいじょうぶ?」
「きちんと手当てしてもらったから、もうなんともない」
アザを指で押されて、真顔のままでいられる自信はない。
「美紀、きのうの……」
「だいじょうぶじゃないことくらい、私にだってわかるよ……。今日はおとなしく、だね」
少女がかけた魔法にかかってしまった。てのひらで止められて、言いつけを破れる男子は名乗り出てほしい。
怠惰でゆるかった空間は、北風吹きこむ冬へと移ろいが生じていた。たんこぶの二軍女子のみならず、知らぬ存ぜぬをつき通した男子たちの手も止まっている。
頭の回転が乱れはじめた龍太郎に、憩いの手が伸びた。
「……龍太郎くんが心配してることは、安心して?」
ゆとりのある美紀の手が、心臓をつつんでいた。
少女が送り出す暖流と龍太郎を循環する寒流がぶつかり、潮目ができた。凍えることに慣れた体に、思わぬ春一番が吹き抜ける。
彼女の見つめる先は、たしかに龍太郎をさし示していた。
(……美紀、それは……)
受けいれたい気持ちを振り払って美紀の手をにぎった。が、どうすればいいのかはプログラムされていなかった。
彼女なりの、安心させたいがための表現。振りほどく力が使えない。
「……美紀、まわりをよーく見てみて?」
神聖な領域に、ハンターの茶々がはいった。並みのタブーなど、成瀬には関係なかったらしい。
クラスを取りまとめる責任者は、腕を腰に当てていた。
「何をすればいいか、わかる? ……こういうの、ドラマか何かで見たことあるよね」
しっかりもののお姉ちゃんが、個性的な妹を導いている。氷の矢に見舞われている龍太郎への助け舟でもある。
小さくうなずいた美紀。女子が公然と男子の胸に手をあてる異常さに気付いたか。
次のコマには、手をつないだバカップルもどきの姿があった。




